エピソード 1ー3
そうして情報を集めているあいだに謁見の日がやって来た。
謁見に合わせた格式の高いドレスを纏い、少し早めにグラニス王の下へと向かう。その道の途中、前方から歩いてくる銀髪の貴公子と出くわした。
赤い瞳を爛々と輝かせる彼は魔族の王、ディアロス陛下である。
「これはアイリス嬢ではないか。これからグラニス陛下にお目通りか?」
「そういうディアロス陛下は、グラニス王と謁見を終えた帰りですか?」
「ああ。帰還の前に挨拶と、いくつかの許可を求めてな」
「あら、お帰りになるのですね」
「人間との和平を望まぬ勢力が完全に消えたわけではないからな。数日中にはここを立つ予定だ。もう少し、この国を見て回りたい想いはあったが……」
と、ディアロス陛下は背後へと視線を向けた。彼に付き従う使用人の中に令嬢が混じっている。顔に見覚えはないが、身に付けるドレスはこの国のデザインだ。
「そちらのご令嬢は?」
「彼女はメリル。実家が商売をしていてな。交渉の結果、魔族領に店を用意することを条件に、我が国に来てもらうこととなった。グラニス王にはその許可をもらってきたところだ」
「……なるほど、そうだったのですね」
相槌を打ちながら、アイリスは令嬢を盗み見た。
特徴と名前から、とある下級貴族の三女を思い出す。大きな力を持っている家ではないが、商売は成功しているとアイリスは記憶している。
自分から名乗り出たくらいだ。メリルという令嬢も商売に関するノウハウを持っているのだろう。それを武器に魔族領で商売を始めるなんて、ずいぶんと野心家な娘のようだ。
多少の技術は流出するかもしれないが、両国の未来を考えれば許容の範囲内。なにより、彼女は城に滞在する令嬢ではない。この国の機密が漏れることはない。
その点は、アイリスのときと大きく違う。グラニス王も、そのあたりを考えて了承したのだろう。であれば、アイリスが口を挟むことではない。
そんな風に考えていると、不意に視界に影が差した。いつの間にか、ディアロス陛下がググッと距離を詰め、アイリスの目の前に立っていた。
ディアロス陛下は手を伸ばし、アイリスの頬に触れる。
「俺としては、おまえに来て欲しかったのだがな」
「ちょっと……っ」
両国の架け橋のために、魔族の国へと行くことを決めた。そんな令嬢の前でアイリスの方がよかったなどと、失礼にもほどがあると眉をひそめる。
しかし、ディアロス陛下は笑みを深めた。それを見たアイリスは直感的に確信する。ディアロス陛下は分かっていてやっている、と。
(でも、なぜ? 同行を拒否したわたくしへの意趣返し? それとも……)
再び令嬢に視線を向けると、案の定というべきか、彼女はその顔に嫉妬を滲ませていた。アイリスがそれを確認した瞬間、ディアロス陛下がクルリと振り返る。
その瞬間、令嬢がたじろいだ。
「メリルが我が国へ移り住む決断をしてくれたこと、俺は深く感謝している。ゆえに、相応の待遇は約束する。だが、魔族の中には人間に敵意を抱く者も少なくない」
「それは、もちろん覚悟の上ですわ」
「そうか? だが、我が国に移れば、いまよりも冷遇されることもあるはずだ。いま程度の煽りで表情を崩す程度なら、我が国に移り住むことは諦めた方がいい。どうせ、親に実家のためだとかなんとか言われたのだろう?」
厳しいことを言っているが、それは令嬢を気遣ってのことのようだ。それが分かったのだろう。令嬢はきゅっと唇を噛み、それからゆっくりと首を横に振った。
「たしかに、魔族領への移住は、商売のためにと、親に提案されたことです。ですが、決断したのはわたくしです。それに、魔族領へ移り住めば店を持つことが出来るのです。どのような過酷な暮らしが待っていたとしても、諦めるつもりはございませんわ」
「……そうか。そこまでの覚悟が出来ているのなら、止めるのは野暮というものだな」
どうやら、令嬢の覚悟は決まったようだ。というか、わたくしを出汁にしないで欲しいのですが……と、アイリスは独りごちる。
それが聞こえているのかいないのか、ディアロス陛下はそうだと続けた。
「ところで、この国の者達はみな、魔族領が過酷な環境だと思い込んでいるようだが、食料が不足しているという点を除けば、この国にも負けず劣らず発展しているのだぞ?」
「え、そうなのですか?」
令嬢が意外だと言わんばかりに問い返した。
「歴代の魔王のおかげだ。この国では当たり前の物がなかったりするので、最初は不便かもしれぬがな。それも交易で解消されるだろう」
言われてみれば――と、アイリスは思いを巡らす。
そもそも、魔族領には魔導具に必要な魔石が多くあるという。それを有効活用するようになれば、ディアロス陛下が治める国は大きく発展することになるだろう。
(これは、わたくしも密偵を送った方がいいかもしれませんね)
そんな風に考えながら、ディアロス陛下に別れを告げた。
それから、あらためてグラニス王の下へと向かう。
通されたのは謁見の間――ではなく、中庭に面したテラス席。お茶会のセッテングが為されたその席で、アイリスはグラニス王と向き合っていた。
「アイリス、なんでもわしに聞きたいことがあるそうだな」
「はい。本来であれば、他国の人間であるわたくしが首を突っ込むことではないと分かってはいるのですが、フィオナ王女殿下の即位の件でどうしても伺いたいことがございます」
「かまわぬ。そなたはまだ、フィオナの教育係だからな」
まだという部分にアクセントが付けられていた。アイリスはテーブルの下でスカートをきゅっと握り、「恐れ入ります」と肯定の部分に感謝の言葉を述べた。
「ではお尋ねいたします。先日のパーティーでグラニス王が宣言なさった件、アルヴィン王子だけでなく、フィオナ王女殿下すらご存じなかったと聞き及んでいます。なぜ根回しをせず、皆の不意を突くような形で宣言なさったのか、その理由をお聞かせいただけませんか?」
「ふむ。そなたはどう思っておるのだ? わしのことを調べていたのであろう?」
「やはりご存じでしたか」
「無論だ。この城内で起きたことで、わしの耳に届かぬことはない」
それもまたアイリスの想定内である。そしてそれが事実だと分かったことで、アイリスが調べることを、グラニス王が意図的に見逃していたことも確信する。
「……恐れながら、陛下は自分の健康状態に不安がおありなのですか?」
ここ数日でアイリスが導き出した結論だ。
アイリスにとっての前世――ここでは正史と定義しよう。その正史でのグラニス王は老衰という名目で死亡している。ただ、実際には毒殺だったので老衰ではない。だから毒を取り払ったいま、グラニス王はまだまだ生きることが出来る――と、アイリスは漠然と考えていた。
実際には、グラニス王は相当なお年を召しているにもかかわらず、だ。
つまり、グラニス王は自分の死期が近いことを悟った。それが、なんの根回しもせず、急いでフィオナ王女殿下の即位を宣言した理由だ――と、アイリスは結論づけたのだ。
そして、アイリスの予想を肯定するかのように、グラニス王は静かな笑みを浮かべた。
(……とはいえ、腑に落ちない点もいくつかあるんですよね)
「グラニス王に、急いでフィオナ王女殿下に譲位なさりたい事情があることは理解いたしました。ですが、根回しをしなかったのはなぜですか?」
譲位を急ぐ必要があった。これは理解できる。その宣言の場に、人の多く集まるパーティーの場が選ばれた。これも理解できる。
だが、だからと言って、根回しをまったくしない理由にはならない。時間が足りず、根回しが足りないのなら理解できるが、グラニス王はフィオナ王女殿下にすら話していなかった。
まるで、わざと根回しをしなかったようだ。
「根回しをしなかった理由、か。ならば、そなたに問おう。フィオナが即位するには、どのような根回しをする必要があると思う?」
「それは……もちろんアルヴィン王子の陣営に対する根回しです。アルヴィン王子は、フィオナ王女殿下の王配と目されていました。だからこそ、両派閥が敵対することなく纏まっていたのですから、このままというわけにはいかないでしょう」
「このままではいかない。それはつまり、いまからでも問題はない、ということであろう?」
「それは、たしかに、その通りですが……」
ことをスムーズに運ぶには根回しが必須だ。
しかし、交渉ごとにおいては、最初に無理難題を突き付け、その後にマシな代案を提示することで、相手に妥協させるという手法が存在する。あえて根回しをしなかった部分を、方々に対する無理難題と置き換えれば、理解できない話ではない。
「……グラニス王は、アルヴィン王子をどうなさるおつもりですか?」
「それはあやつの立ち回り次第だ。だが、フィオナの伴侶にするつもりはない。あれがそれを望んでいるとは思えぬからな」
「……そう、でしょうか?」
アイリスにとっての前世で、アルヴィン王子は自己犠牲によってフィオナ王女殿下を救おうとした。それが事実なら、アルヴィン王子はフィオナ王女殿下を心より愛しているはずだ。
――と、アイリスは考えている。だが、そんな内心を表情にしたアイリスを前に、グラニス王はなんというか……不憫な子を見るような顔をした。
「アルヴィン王子のフィオナを気に掛けているのは従妹だからだ。というか、そなたがその様子では、あれは相当に苦労を強いられそうだな」
「……どういう意味でしょうか?」
「いや、なに、こちらの話だ。それよりも話を戻そう。アルヴィン王子をフィオナの王配にするつもりはないが、蔑ろにするつもりもない。あれはこの国に必要な人材だからな」
「その点は同意いたしますが、一体どのような役職をお与えになるおつもりですか? 王配の代わりとなると、そう多くはありませんが……周囲が納得するでしょうか?」
王子派が納得しなければ、フィオナ王女殿下の治政の邪魔になる。
「たしかに懸念はある。そなたらのおかげで、フィオナを狙う勢力は一掃され、隣国との関係も良好。魔族との関係も好転し、国力も増している。多少の混乱は押さえ込めるはずだ」
たしかに一理ある。
フィオナ王女殿下の命を狙う勢力が残っていたならば、付け入る隙を与えるわけにはいかない。双方の想いに関係なく、二人を婚約させるのが無難、という政治判断になったはずだ。
「選択の余地が生まれたため、本人達の意思を尊重する、ということでしょうか?」
「その通りだ。王族に生まれた以上、必要なら政略結婚も仕方がないと考える。だが、必要でないのなら、本人達の希望を叶えてやりたいと思う」
そこまで聞いたアイリスは、おやっと首を傾げた。
「では、二人とも婚約を望んでいないのですか?」
「無論、その点は最初に確認した」
「そう、だったのですね」
であるならば、まったく根回しがなかったというわけでもないらしい。
そういえば――と、アイリスはさきほどのやりとりを思い返す。なぜ根回しをしなかったのか? というアイリスの問いに、グラニス王は根回しをしていない、とは答えていない。
(少し、混乱してきましたね)
考えてみれば、ここはグラニス王のお膝元。その気になれば、アイリスが手に入れられる情報も制限できるはずだ。そしていま、実際に偏った情報を渡されている気がしてならない。
「グラニス王は、わたくしになにをお望みですか?」
「では単刀直入に言おう。アルヴィン王子に協力して、アルヴィン王子派がフィオナに恭順するように協力して欲しい」
「それは、アルヴィン王子からも要請されましたが……」
「では、わしからもあらためて頼もう。アルヴィン王子と協力して、フィオナを支えてやって欲しい。わしの可愛い孫娘が、女王に即位した後も、な」
「え、それは、つまり……」
「うむ。わしは以前、他国の人間が女王の教育係では外聞が悪いと言った。その考えはいまも変わってはおらぬが、そなたの存在はフィオナに必要だと思っている」
アルヴィン王子に協力すれば、アイリスがフィオナ王女殿下の側にいられるように協力するという遠回しな提案。それこそ、アイリスが望んでいた提案に他ならない。
「かしこまりました、グラニス王。フィオナ王女殿下を女王に即位させる。その障害となる存在は、すべてわたくしが取り払って見せましょう」
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