エピソード 1ー2
グラニス王の思惑を知るために、アイリスは一番手っ取り早い手段を選択した。それはすなわち、グラニス王に直接話を聞く、という手段である。
普通ならおいそれと取れない手段ではあるが、アイリスはまるで孫娘のように、グラニス王とティータイムを重ねている。従来なら、すぐにでも謁見できるはずだった。
けれど――
「三日後、ですか……」
自室で待機していたアイリスの元に届いたのは、謁見は三日後という言葉。その報告をネイトから受け取ったアイリスは、イヴに髪の手入れを任せながら思考を働かせる。
「忙しいだけ、という可能性ももちろんありますが――」
社交界は権謀術数にまみれた世界だ。些細な言葉の揚げ足を取られることも珍しくないため、彼らはその言動の一つ一つに神経を張り巡らせている。
いつもと違うグラニス王の言葉に、なんらかの意図が含まれている可能性は否定できない。
(そもそも、お祖父様はわたくしが謁見を望んだ理由をご存じのはずよ。フィオナが女王になるに当たっての問題、それを解決しようとするわたくしとの謁見は優先度が高いはず。にもかかわらず、三日後を指定してきたと言うことは……)
アイリスが周囲に探りを入れることを、グラニス王が望んでいるのかもしれない――と、アイリスは独りごちる。少し調べてみようと決断した。
とはいえ――と、アイリスは眉を寄せる。
(いざ自分で調べようと思うと、意外とツテは少ないんですよね)
レスター侯爵はアイリスが破滅させたし、レガリア公爵家も似たようなものだ。アイリスがこの国で知り合った貴族はかなりの割合で破滅している。
ゲイル子爵のように無事に昇進した者もいるが、彼は昇進したがゆえに建築中の町へと出向している。今回の一件は、まだ耳にも入っていないだろう。
直接聞くことが不可能なら、地道に噂話を拾い集めるしかない。
「そういえば、ネイトとイヴは、わたくしがアニタやクレアにさせているような仕事がしたいと言っていましたね。その気持ちはいまも変わりませんか?」
「はい、もちろんです」
「やらせていただけるのですか?」
ネイトとイヴが即座に応じた。
「子供のあなた達なら使用人の口も軽くなるでしょう。今回の陛下の宣言に対する、使用人達の噂を集めてきてください。まずは――薬草園の職員からです」
「「かしこまりました」」
二人にいくつかの方針を伝えて送り出したアイリスは、出かける前にネイトが用意した紅茶を片手に物思いに耽っていた。
(国王が譲位を急ぐ理由なんてそう多くはありません。後継者争いを避けるため――だとしたら、今回の行動は逆効果。ならば――)
勘が当たっていれば、ネイトとイヴが薬草園で噂を拾ってくるかもしれない。そうあって欲しくないと願いながら、その可能性が一番高いことを認識している。
アイリスが憂鬱な気分を抱えていると、そこにクラウディアとアッシュが訪ねてきた。
「いらっしゃい、二人とも。あまりお相手が出来ずに申し訳ありません」
案内をすると言っていたのに、騒動が起きる度に先延ばしにしてばかりだ。
「いや、事情が事情だからな。それより、今日は別れを告げに来た」
「え? 隠れ里へ……帰るのですか?」
クラウディアの言葉にショックを受ける。アイリスを前に、アッシュが「俺達は明日、建築中の町へ行くことにしたんだ」と続けた。
「建築中の町へ、ですか?」
「ああ。これから、あの町は交易の中心となる。レムリアとリゼル、それに隠れ里の代表をそれぞれ置くことになっただろう? その隠れ里の代表に私が立候補した、という訳だ」
「そう、ですか……。寂しくなりますが、ディアちゃんが代表なら安心ですね」
「ほったらかしだったくせによく言う」
「うぐ、すみません。でもほら、リゼルに行くときには立ち寄りますから」
「まぁそうだな、期待せずに待っておいてやる」
相変わらず口は悪いが、彼女はアイリスに向かって手を差し出した。アイリスはその手を取って握手を交わし「必ず立ち寄ります」と約束した。
そうして別れを告げ、今度はアッシュに視線を向ける。
「貴方もディアちゃんに同行するのですか?」
「ああ。ここで騎士の訓練役を頼まれて、どうするか迷っていたんだが……町の方で警備役を引き受けることにした。こっちにいたら、毎日悔しい思いをさせられそうだからな」
「悔しい思い、ですか?」
「なんでもない! それより、あの王子から逃げたくなったら、いつでも俺に言えよ。そのときは、おまえを攫いに来てやるからよ!」
アイリスは瞬きを一つ。意図を察して「ありがとうございます」と微笑んだ。だけど、お願いしますとは口にしない。アイリスがいるべき場所はフィオナ王女殿下の側だから。
もっとも、アッシュがその意図を正しく汲み取ったかは分からない。彼は「おうよ」と応じつつも、少しだけ寂しげに笑った。
その後、アイリスは二人の送別を兼ねて晩餐会を開いた。
その翌朝、馬車に乗り込む二人を自ら送り出す。二人の乗った馬車が見えなくなるまで見送った後、アイリスはイヴとネイトに視線を向けた。
「さて、あれから一日経ちましたが、なにか成果はありましたか?」
「はい。私とネイトで入手した情報と噂をこの紙に纏めてあります。ただ、やはりグラニス王の周囲については、皆の口が堅くて……」
「どれどれ……」
と、アイリスは報告書に目を通す。アイリスが二人に集めさせたのは、グラニス王の噂話や、最近の容態、それに薬草園の近況について。
とはいえ、国王の容態は最高機密にあたる。同じ城の使用人なら知っていることもあるかもしれないと期待したが、さすがにその点に対する情報は得られなかったようだ。
その他、グラニス王の噂としては、最近の著しいフィオナ王女殿下の成長を喜んでいるというものがあった。これは、周囲の使用人によく零していることのようだ。
最後に薬草園の近況。少し前に上から要請があり、ユグドラシルを一定量、何処かへ送っているという報告があった。
「……これ、ですね」
薬草園は元々、アイリスが褒美として賜ったものだ。ただし、隠れ里からユグドラシルを仕入れた後は国家事業とするため、アイリスの意思で国の影響下に置くことを承諾した。
とはいえ、総責任者はアイリスだ。アイリスの許可なく、貴重なユグドラシルを何処かへ運び出す。そんなことが可能な人物は限られている。
状況的に考えて、おそらくはグラニス王だ。
「二人ともよくやりましたね。引き続き噂を集めてください。わたくしは確認に行きます」
ユグドラシルを運ぶ指示書を手に取ったアイリスは、その足でグラニス王の主治医に接触をはかった。陛下の主治医サウラ子爵。
初老の男性である彼は、王城にある彼の研究室にいた。
「これはこれは、アイリス嬢。わたくしめになにかご用ですかな?」
「はい。薬草園で栽培しているユグドラシルの件です。先月辺りから毎週、一定量が何処かへ運び出されているのですが……運び先はここではありませんか?」
「……いえ、なんのことか分かりかねます」
サウラ子爵はアイリスの目を見て答えた。けれど、ユグドラシルの名前を出した瞬間、彼の声や瞳が揺れたのをアイリスは見逃さなかった。
「あの薬草園はわたくしが陛下から賜ったものでございます。そこで栽培した貴重な薬草が何処かへ流れているのなら、わたくしには確認する義務がございます。サウラ子爵がご存じないと仰るのなら、公式に確認することになりますが……よろしいのですか?」
「それ、は……っ」
サウラ子爵は切羽詰まったような表情を浮かべる。それを見たアイリスは、自分の予想が正しかったことを確信した。
グラニス王やサウラ子爵が関わっていないのなら、調べても問題はない――というか、消えたユグドラシルの行方を確認するべきである。
だが、サウラ子爵は言葉を詰まらせた。公式のルートを使っていないから――ではなく、グラニス王のために入手したことがおおやけになることを避けたかったからだと判断する。
「ユグドラシルを運んだのはグラニス王の命ですね?」
「……ええ、その通りです」
「用途をうかがっても?」
「……フィオナ王女殿下の教育係を務めるほどの貴女ならご存じでしょう? 陛下の容態については最高機密で、主治医であるわたくしめには話せないことが多々ある、ということを」
「なるほど、道理ですね」
しかし、些細なクスリを作っただけならば、言葉を詰まらせてまで隠すのは少し不自然だ。隠すことで、逆にグラニス王になにかあったのではと思われる可能性もあるからだ。
そして、毒という線も考えがたい。これは公にはされていないことではあるが、アイリスはグラニス王に蓄積した毒を魔術で排出させた実績がある。もしも毒がらみの件であったのなら、ユグドラシルよりさきにアイリスが呼ばれているだろう。
負傷か、病気、あるいは――その答えを主治医の彼から聞き出すのは酷だろう。そう思ったアイリスは、彼に非礼を詫びて踵を返した。
主治医の研究室を後にしたアイリスは、その後もいくつか噂話の裏付けを取る。
そうして城内をうろついていたアイリスは、中庭を横切る渡り廊下で、リゼルの使節団の一員、妹のジゼル、それにエリオット王子と出くわした。
気の強そうな顔立ちのジゼルは、プラチナブロンドをツインテールに、青いドレスを身に纏っている。意識的にかどうか分からないが、そのドレスはエリオット王子の瞳と同じ色だ。
対して女の子のように愛らしい容姿のエリオット王子は、白い礼服を纏い、その襟元にジゼルの瞳と同じ色、ブルートパーズの宝石をワンポイントとして身に付けている。
「これはエリオット王子、中庭を散策中ですか?」
「ええ。美しいと名高いこの城の中庭を、ジゼルと見学させていただいていました。そういうアイリスさんもお散歩ですか?」
「わたくしも……まぁそのようなものですわね」
さすがに噂を集めていたとは言いづらい。それよりも――と、アイリスはちらりと視線を向け、エリオット王子とジゼルの距離感をたしかめた。
人にはパーソナルスペースというものが存在する。好意的に感じていない相手に入られると不快に感じる、自分のテリトリーのことだ。
このスペースは、一般的に男女で異なっている。女性は自分を中心に円形なパーソナルスペースを持ち、男性は前方に広いパーソナルスペースを持つ傾向にある、と言われているのだ。
物凄く端的に説明すると、正面から接近すると男性が先に相手を意識する。寄り添うように接近すると、女性が先に相手を意識するようになる、ということである。
それを踏まえて二人を見ると、二人は寄り添うように並んでいる。
エリオット王子にしてみれば、少し近い程度かもしれないが、ジゼルにとっては意識せずにはいられない距離だ。その距離で留まっていると言うことは、ジゼルがエリオット王子に気を許している証拠に他ならない。
もちろん、個人差はあるので、すべての人間に当てはまることではない。けれど、姉であるアイリスは、ジゼルが平均よりも広いパーソナルスペースを持っていることを知っている。
ジゼルはエリオット王子に気を許している――と確信した。
そして、エリオット王子もまた、隣に寄り添うジゼルに時折優しい眼差しを向けている。預言書なる乙女ゲームのシナリオにあるように、二人が相思相愛なのは疑いようもない事実だ。
まだ完全に二人に対する危機が去った訳ではないけれど、二人なら一緒に乗り越えていくのだろうと、アイリスは確信めいた感想を抱く。
(ジゼルとお付き合いしたければ、わたくしを倒してからになさい――というタイミングはなさそうですね。ちょっと残念です)
「……お姉様?」
「なんでもないわ。それより、ジゼルはいつまでレムリアに滞在するつもりなの?」
「交渉内容の摺り合わせが残っているので、もう少し滞在するつもりです」
「……交渉内容の摺り合わせ? たしかにそれも大事だと思うけど、フレッド陛下にあれこれ報告に戻るのが先じゃないの?」
やむにやまれぬ事情があったとはいえ、事後承諾でレムリアの各地を飛び回ることになった。報告するべきことが山のようにあるはずだと指摘する。
「それはそうなんですが……というか、お姉様は分かって言ってますよね? 隣国の王が代替わりするなんて聞かされて、なにも情報を集めずに帰還できるはずないじゃありませんか」
「それは……たしかにそうかもしれませんね」
「分かっていただけたのなら、詳しい事情を話していただけませんか?」
探りを入れられるが、実はなにも知らないなんて言えるはずがない。アイリスは「いまはまだ教えられません」と素知らぬ顔で微笑んだ。
「秘密にするなにかがある、ということですか?」
「そんなところです。ただ……もしかしたら、後日報告できることがあるかもしれません。帰還する前に、一度声を掛けてください」
「……姉妹にすら声を掛けずに旅立ったりする薄情者はお姉様くらいですわ」
呆れ顔で指摘される。
「そんなこともありましたね。では、妹が姉を反面教師にちゃんと学んでいることに期待いたしましょう」
「もう、お姉様ったらっ!」
少し拗ねたような表情。
それを見たエリオット王子が小さく笑った。
「エリオット王子……?」
「いや、ごめんね。いつもしっかりしているキミが、姉の前だとそんな風になるのかと思うと、いままで以上に親しみがわいてきたよ」
「も、もう、知りませんっ!」
顔を真っ赤にするジゼルと、やはり少し顔が赤いエリオット王子。イチャついているとしか思えない光景を前に、アイリスは仲がいいと目を細めた。
こうして二人と今後について軽く打ち合わせたアイリスは再び噂の確認をして回る。そして最後は、フィオナ王女殿下の下へと向かった。
部屋の扉をノックすると、扉を開けたメイドが顔パスで中へと通してくれる。その部屋の片隅にある椅子、窓から差し込む陽だまりに、ふわふわの髪を揺らしたフィオナが座っていた。
陽だまりの彼女はピンクゴールドの髪を輝かせ、満面の笑みでアイリスを出迎えた。
「いらっしゃい、アイリス先生。今日のお勉強はお休みだったよね?」
「はい。フィオナ王女殿下に少し教えて欲しいことがありまして。帰還してから、グラニス陛下とお話しはなさいましたよね。なにか、気付いたことはありませんか?」
「気付いたこと? ああ、そういえば、最近朝が辛いって言ってたかな。なんでも――」
「お待ちください、フィオナ王女殿下」
あっさりと答えるフィオナ王女殿下に、アイリスは思わず待ったを掛けた。
「わたくしが尋ねたことではありますが、国王陛下の体調は最重要機密と言っても過言ではありません。他国の人間においそれと話してはいけませんよ」
「それくらい私だって分かってるよ。でも、アイリス先生を信用しなければ、誰を信用するの? 私はちゃんと自分の判断で答えただけだよ」
「……そう、ですか。その……ありがとうございます」
信頼されていると知り、アイリスは照れくさそうに身じろぎする。淡いブルーのドレスを揺らしたアイリスは、コホンと咳払いをしてフィオナ王女殿下に向き直った。
「では、その、あらためてお聞きしますが、グラニス王が朝が辛いと仰っていたのですね。他に、どのようなことを仰っていましたか?」
「たしか……そう、ふらつくようになった。老いを感じる……って」
「そう、ですか……」
やはり――という言葉は胸の内に留めた。