エピローグ
魔王を連れて帰ったら、王城が大騒ぎになった。
グラニス王が、なぜそなたが関わると、こうも事が大きくなるのか……とアイリスのまえで苦悩に満ちた顔をしていたが、今回の許可を出したのはアルヴィン王子達である。
――と謁見中に言ったら、そなたの影響であろう? と返された。
アイリスもアイリスなら、グラニス王もグラニス王である。アイリスは隣国の王に接する態度ではないし、グラニス王も隣国の公爵令嬢にして賢姫に接する態度ではない。
重鎮達はこめかみを引き攣らせていたが、結局は誰もなにも言わなかった。
こうして、レムリア国の王城では急遽、魔王の歓迎パーティーが開催された。
規模は盛大――だが、参加者はそれほど多くない。遠方への連絡手段が早馬しかないこの大陸では、人を集めると言うことは相当に時間の掛かる行為だから。
というのが建前上の話。
本当の理由は、魔王に恐れを成した者が多かっただけである。
参加しているのは、政治的に出席せざるをえない者か、恐怖を抑え込んででも政治的な理由で出席を決めた者達。あるいは、死んでも家門的には困らない人々である。
という殺伐とした状況だったが、パーティーが始まってしまえばそんな空気も吹き飛んだ。
ディアロスは郷に入っては郷に従えと、この国の礼服を身に付けている。王都の優秀な針子によって急いで作られた白と黒の礼服を纏う魔王。
その姿に令嬢達が黄色い悲鳴を上げる。
外面だけは良いですからね――とは、アイリスの言である。
また、魔王の指示により、エリスもドレスを纏っている。彼女は肩出しのノースリーブという深紅のドレスを纏い、悠然とパーティーホールに降臨して殿方の目を惹き付けた。
また、グラニス王に、アルヴィン王子やフィオナ王女。それに、エリオット王子やジゼル、そしてアイリス。加えて、英雄の子孫であるアッシュとクラウディア。
大陸でもっとも豪華な面々が一堂に会している。
にもかかわらず、従来のパーティーであれば彼らの側にいる大貴族の多くが欠席している状況。出席者達はこの機会を逃さず、有力者達とお近づきになろうと精を出している。
とくに、婚約者捜しにも一苦労な立場のご令嬢はたくましく、アルヴィン王子はもちろん、アッシュやディアロスにも群がっている。
そんな、ある意味で大盛況のパーティー。
アイリスは会場を抜け出し、バルコニーで一息吐いていた。
自らの名を冠する花と同じ色のドレスを纏うアイリスが、ワイングラスを片手に空を眺めていると、隣にクラウディアがやってきた。
「アイリス、少しいいか?」
「ディアちゃん、素敵なドレスですね」
鮮やかなブルーで、エリスと同じノースリーブで肩出しのドレス。ただしこちらは上にケープを羽織っている。こちらも、急遽王都で作らせたものである。
「お世辞は必要ないぞ」
「知ってます」
「そうか……まぁ、そういうことにしておいてやろう」
お世辞ではなく本心だという言外に込められた意味を感じ取ったクラウディアが鼻を鳴らしてそっぽを向く。その頬がわずかに赤く染まっているのは照れているのだろう。
「さすがディアちゃん、ツンデレだね」
アイリスは独りごちる。
それが聞こえたのは、クラウディアの長い耳がぴくりと跳ねた。
「それで、ディアちゃんはわたくしになにかご用ですか?」
「いいや、ただ、縁を結ぼうと集まってくる者達の対応が面倒くさくてな」
「それで逃げてきたんですね。そういえば、アッシュと一緒だったのでは?」
「あいつなら娘達に囲まれていたぞ。野蛮人扱いされるかと思ったが、令嬢達はあのようなタイプが好みなのか?」
「貴族の娘はワイルドな異性にあまり縁がありませんからね」
騎士や兵士には、もちろんそういったタイプの男性も少なくない。だが、パーティーに参加するのは礼儀正しい者ばかりだ。アッシュならばモテるだろうとアイリスは笑う。
「そういえば、ディアちゃんは、魔王に思うところはありますか?」
「ん、どういう意味だ?」
「先日、魔族の襲撃があったではありませんか」
「はっ、なにを言うかと思えば馬鹿馬鹿しい。襲撃を仕掛けてきた魔族と、魔王は別人だろう? 同じ種族だからと憎むなら、おまえに愛称で呼ばせるものか」
その意味はすぐに理解する。
「……人間が、ディアちゃんになにかしたんですか?」
「ハイエルフの娘は珍しいからな」
人攫いという言葉を思い浮かべたアイリスは眉をひそめる。
「何処の誰ですか、生まれてきたことを後悔させてやりましょう」
「落ち着け。もう百年以上まえのことだ」
「そうですか……」
この手で断罪できないのが残念だと、アイリスは声に出さずに呟いた。
「とにかく、人間にも善人と悪人がいる。魔族も同じだった、と言うことだろう。魔族だからといって悪とは限らない。であれば、魔族だからと言うだけで憎む理由はない」
「そっか、そうだね……」
ワイン片手に少しほろ酔いのアイリスは口元を綻ばせた。そうして、クラウディアと二人で世間話に興じていると、礼服姿のアッシュがほうほうの体で逃げてきた。
「クラウディア、おまえ、自分一人で逃げやがって」
「娘達の目当てはおまえだ。邪魔者が去っただけではないか」
「おまえにも話しかけてる連中がいただろうがよ。……って、アイリスもここにいたんだな」
「こんばんは。というか礼服を着崩すのは感心しませんよ?」
アッシュは礼服姿――だが、胸元のボタンをいくつか外し、色々なところがはだけてしまっている。ワイルドというか、色っぽい恰好ではあるのだが……とアイリスは眉を寄せた。
普段の衣装で出席するなら、文化の違いだと説明できる。だけど、この国の文化に合わせて身に着けた礼服を着崩すのはいただけない。
伝統を侮辱していると思われる可能性があるとたしなめた。だが、アッシュは自分の身だしなみをたしかめて、初めて気付いたとばかりの反応を示した。
「これは娘達に引っ張られたせいだ。あいつら、俺が抵抗できないのをいいことに好き放題しやがって……大変だったんだぜ」
「あら、英雄の子孫も好奇心旺盛な令嬢達の前では形無しですね」
クスクスと笑って、それから姿勢を正す。
アイリスは二人に向かってぺこりと頭を下げた。
「ディアちゃん、アッシュ、色々案内すると言っていたのに、後回しになってばかりでごめんなさい。決して二人のことを蔑ろにしている訳ではないんですが……」
「心配しなくても、俺もクラウディアも分かってるよ。なぁ、クラウディア?」
「……まあ、忙しいのは見ていれば分かるからな」
「ごめんね」
申し訳なさそうなのは、申し訳ないと思っても予定は立てられないからだ。フィオナ王女の教育係という立場だけでも忙しいが、魔族関連で忙しくなるのが目に見えている。
ままならないなぁと顔を伏せると、クラウディアに頬を摘ままれた。
「ディアちゃん?」
「そんな顔をするな。アッシュはどうか知らぬが、長寿の私に取って、一年やそこらは一瞬の出来事にも等しい。少し待たされたからと言って怒ったりはしないさ」
「でも、ディアちゃん、意外と気が短いひゃいですっ!」
みなまで言い終えるより早く、ほっぺを強く引っ張られて悲鳴を上げる。アイリスが不満気にクラウディアの手を払いのけると、彼女はふっと笑った。
「調子が出てきたじゃないか」
「……もう、慰めるなら、もう少し優しくしてください」
「慰めている訳ではないから問題ないな」
「はいはい、ディアちゃんはツンデレさんですね」
頬をさすさすと撫でて溜め息を吐く。
アイリスは、目を煌めかせたアッシュに気が付いた。
「アッシュも許してくれますか?」
「ああ、俺の方も気にしなくていいぜ。それに俺はこのあいだ、この国の騎士団に練習相手を頼まれたんだ。しばらくは退屈せずにすみそうだ」
「……それはそれは」
剣で戦うレムリア国の騎士にとって、指定の攻撃に対する耐性を獲得できるアッシュは天敵にも等しい。彼へ対応する力を身に付けることは、騎士団のレベルアップに繋がるだろう。
「もしかして、ディアちゃんもなにか見つけた?」
「ああ、薬草の研究に誘われたな」
しっかりとやることを見つけているらしい。二人が退屈をせずに済んでよかったと安堵する反面、またリゼル国が出遅れそうだなと、アイリスは苦笑いを浮かべる。
(まぁでも、薬草の方はリゼルの研究者も参加していましたね。騎士団の方は……ジゼルに伝えておきましょう。あの子ならなんとかするでしょう)
アイリスがレムリアに肩入れすることで両国のパワーバランスが崩れるというのなら、同じアイスフィールド公爵家の娘であるジゼルが、がんばればいいのでは? という結論に至る。
離れた場所にいるジゼルが不穏な気配を感じ取って身震いをするのだがそれはともかく。アイリスはしばし、二人と世間話に花を咲かせた。
その後、二人と別れたアイリスは再びパーティー会場へ。
ジゼルとエリオット王子を探し出し、クラウディアとアッシュがレムリアで色々とやらかしそうなことを教え、フィオナを通して一枚噛んでおくようにと言い含める。
自国の利益のため、そして第二王子が王太子になるために必要な功績を得るために、二人はいそいそとクラウディア達の下へと向かっていく。
それを見送ると、今度はフィオナがやってきた。
「アイリス先生、疲れたよぅ~」
ぎゅーっと抱きついてくる。
「フィオナ王女殿下、そのようにだらけてはダメです。まだ、フィオナ王女殿下と話したがっている人が、あそこにたくさんいるではありませんか」
「分かってるけど、大変だったんだよぅ」
フィオナが逃げてきた方に、こちらの様子をうかがう貴族達がいる。彼らは誘い受け――というと誤解を招きそうだが、フィオナに話しかけられるのを待っている者達だ。
社交の場で際限なく自分を売り込みにかける者が現れるのを防ぐため、親しい間柄でない限り、目上の者には声を掛けてはいけないというマナーが貴族社会には存在する。
よって、自分から話し掛けない代わりに、話し掛けて欲しいという態度を示す。
そういう者達がフィオナを遠巻きにしている。
いままでは、フィオナとアルヴィン王子を比較して、アルヴィン王子にすり寄る人間が多かった。だが、フィオナが成長したことで、そのバランスにも変化があったようだ。
(本当に、わたくしがフィオナだった頃とは違いますね)
当時は気付かなかった。けれど、いまにして思えば、あの頃のフィオナは重要視されていなかったのだろう。そして、いまのフィオナはそうではない。
彼女の将来を期待する人間が多くいる。
そして、その筆頭がアイリスだ。
「フィオナ王女殿下、気持ちは分かりますが、人目がある場所で気を抜いてはいけません。それに、露骨に無視するのもダメですよ」
無視すると言うことは、味方になりたいという相手を袖にするも同然だ。露骨に無視を続けていると、相手を侮辱していると取られる可能性もある。
敵対するつもりがなければ対応は必要だ。
それを指摘すると、フィオナはげんなりとした顔をしながらも頷いた。
「分かった。もう少しがんばる」
こくりと頷いて、素直にぴんと背筋を正すフィオナが健気で可愛らしい。アイリスは無意識にその頭を撫でようとして、ここではダメだと手を引っ込めた。
「アイリス先生?」
「なんでもありません。今度、剣術の稽古をしましょうね」
「ほんとっ!?」
「ええ、本当です。だから――」
「うん、がんばってくる!」
アイリスが最後まで口にするより早く、フィオナは自分と縁を結びたがっている者達の下へと駈けていった。それを見送り、メイドのクレアに目配せをする。
もしも、フィオナを利用しようとする者が現れたら警告するように、と。その命を受けたクレアはフィオナの後を追い掛けていった。
そうして一人になったアイリスにも、縁を結びたい者達が集まってくる。だが、そんな人混みを縫って、アルヴィン王子が歩み寄って来た。
「アイリス、今日は酔っていないだろうな?」
「人を酒乱のように言わないでください、ぶっとばしますよ」
「……ふむ、セリフにキレがある。どうやら酔ってはいないようだな」
「どういう判断の仕方ですか……」
怒りよりも呆れが勝ってしかめっ面になる。
そんなアイリスの目前に、アルヴィン王子が手を差し出した。
「一曲、踊っていただけますか?」
「……仕方ありませんね」
仏頂面で応じる。アイリスはアルヴィン王子に手を引かれてダンスホールへと移動した。最初の三拍子でお辞儀をして、次の三拍子でホールドを取る。
アルヴィン王子のリードで、アイリスは優雅に踊り始めた。
「それで、なにか内緒話でもあるのですか?」
「……あ?」
「秘密の話があるから、ダンスを申し込んだのでは?」
パーティーの花であるダンスを密会の道具扱いする。
アルヴィン王子がすごく残念な娘を見るような顔をした。
「……おまえは俺をなんだと思っているんだ?」
「味方なら頼りになるけど、油断ならない危険人物です」
「ここまで共闘して置きながらいまだにその程度の評価か。まぁ……いいが。それより、アイリス、おまえに聞きたいことがある」
「やはり内緒話が目的ではありませんか」
ジト目を向けると、アルヴィン王子は急にリードで示すステップの難易度を上げた。誤魔化されませんよとばかりに、アイリスは半眼のままそのリードに追随する。
「この程度で誤魔化されると思っているのですか?」
「いいや、ただ、おまえの思考能力を奪っておこうと思ってな」
「……はい?」
「アイリス、俺と婚約するつもりはあるか?」
アイリスが盛大にステップを踏み外した。
転びそうになるところ、とっさに次の足を出して踏みとどまる。そこにアルヴィン王子がアイリスの足運びに対応したリードに変化させて事無きを得た。
二人はクルクルと踊りながら――そして、無言で見つめ合った。
そうして、根負けしたのはアイリスの方だった。
「……アルヴィン王子、なにか悪いものでも食べましたか?」
「ぶっとばすぞ」
「人のセリフを取らないでください。というか、本当になんなんですか?」
アイリスはアルヴィン王子が恋愛感情で求婚しているとはこれっぽっちも思っていない。一体どのような思惑をもって、そんな言葉を口にしたのかと考えを巡らせている。
(わたくしをレムリアに取り込もうとしている、とかでしょうか? 色々やらかしたことで、政治的価値が高まっているという自覚はありますが……はて)
その程度なら、他に方法がありそうなものである。
なにより問題なのは――
「わたくしにどのような利点が?」
王太子と婚約していたときは不便で仕方がなかった。その鎖を断ち切って、自由を得てまだ二年も経っていない。再び不自由な生活を強いられるのはごめんである。
(その点、アルヴィン王子なら自由にはさせてくれそうではありますけどね)
さすがにザカリー元王太子と比べるのは失礼だろう。そんなことを考えながら答えを促すと、アルヴィン王子がニヤリと笑った。
「魔族との関係が改善され、これからは更なる平和が訪れるだろう。そうなれば、フィオナの教育係という立場を奪おうとする者も出て来るだろう」
「そんなことは、言われるまでもなく分かっています」
「俺の婚約者ならば、ずっとフィオナの側にいられるぞ?」
「それは素晴らしいですね!」
フィオナが成長するにつれ、隣国の賢姫が彼女の側にいることを疎ましく思う者が現れるようになる。それを考えると、フィオナの家庭教師はそう長く続けられない。
だが、アルヴィン王子の婚約者なら、フィオナの側にいても文句を言われることはない。少なくとも、文句をいう者達を黙らせるには十分な理由だと目を輝かせる。
「おまえは、ほんっとうに、フィオナのことしか考えていないな」
「そこで呆れるアルヴィン王子もどうかと思いますが?」
自分が言い出したくせにと、アイリスは反論した。
その上で、アイリスは踊りながらアルヴィン王子の申し出を吟味する。
「フィオナ王女殿下の側近夫婦というわけですか、たしかに悪くはないですね。あぁでも、アルヴィン王子はフィオナ王女殿下の婚約者候補だったのでは?」
「そういう話があるのは事実だな」
「……わたくし、フィオナ王女殿下を悲しませるつもりはないのですが」
前世のアイリス、つまりフィオナだったときのアイリスは、アルヴィン王子に対して憧れの想いを抱いていた程度である。
だが、出合った頃のフィオナを思い返すと、それ以上の感情があるように思えた。
(もっとも、最近はどうか分かりませんが……)
それでも、可能性がある限り、判断は慎重に下さねばならない。フィオナのためにどうするのが一番か、少したしかめてみようと考える。
このときのアイリスは、まだその猶予が残っていると思っていた。
けれど――ダンスを終えて会場に戻ると、グラニス王が待ち構えていた。彼はすべてを見透かしたように、アイリスに向かって告げる。
「わしは孫娘のフィオナに王位を譲ることにした」