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エピソード 4ー2

 軽薄な警備隊長ロスの正体は、魔族領を支配する魔王ディアロスだった。アイリス達がその事実に驚いているまえで、すべての魔族がロス――ディアロスのまえで跪いた。

 彼はその最前列でかしこまるイーヴォに語りかける。


「イーヴォ、おまえは人間と手を組むという私の案に賛成していたはずだ。だからこそ、平和の使者として人間の元へと向かわせたというのに、なぜこのような真似をした?」

「それ、は……陛下が、陛下が反対する者達の意見を聞き入れようとしなかったからです!」


 イーヴォの言葉に、ディアロスは堅く目を瞑った。

 それから大きく息を吐いて、イーヴォの事を睨みつけた。


「イーヴォ、おまえが常に国のことを考えていることは知っている。そして、反対派の意見にも一理ある。私自身、人間と手を組むことが正しい道なのかと自問していたからな」

「では――」

「しかし、主義主張は人の数だけあり、なにが正しいかも見る者の視点によって変わる。各々が勝手に自分の意見を通そうとしては国が纏まるはずもない」

「それは……」


 イーヴォが言葉を詰まらせた。


「おまえのそれは、自分の意見が認められないと駄々をこねているだけだ!」


 ディアロスに怒鳴りつけられ、イーヴォは視線を揺らす。


「そ、そのようなことは……」

「ないと私の目を見て言えるのか?」


 ディアロスの問い掛けに、彼は沈黙をもって返した。


「真に国を思うなら、このように勝手な真似をするのではなく、少しでも魔族側が有利になるように、人間と交渉することに尽力するべきだったな。……連れていけ」


 ディアロスの命に従って、エリスが従えていた者達がイーヴォを拘束して連れていく。そうして彼らが部屋を出る寸前、ディアロスがイーヴォの背中に語りかけた。


「イーヴォ、そなたは投獄されることとなるだろう。よって、これがそなたへの最後の命令だ。そなたは牢の中で私の決断の行く末をたしかめろ」

「……たしかめる、ですか?」

「そうだ。もしもこの選択が間違っていれば、いつか私が牢に入ることになるだろう。そしてそのときは、そなたが解き放たれるときでもある」


 いまのイーヴォは罪人だ。だが、後に魔王の選択が間違いだったと判断されれば、魔王は失脚して罪人となり、イーヴォは早期より国を正しき道へと導こうとした英雄となる。

 だが、魔王の選んだ道が評価されれば、イーヴォはずっと罪人のままだ。


「ディアロス陛下。私は自分が正しいことをしたと今でも信じています。……ですが、牢の中でずっと、国の行く末を見守れることを願っております」


 彼はそう呟いて、拘束されながらも、自らの足で退出していった。

 それを見送り、ディアロスがアイリス達へと向き直る。なにか言おうとして、けれど言葉に窮する。そんな素振りを見せる彼に対し、アイリスが口を開く。


「貴方が魔王だったのですね。どうりでおかしいと思いました」


 驚きと、わずかな不満を滲ませた言葉を口にするアイリスに、ディアロスは「騙していてすまなかった。だが、ありのままのそなた達を知りたかったのだ」と甘い笑みを見せた。

 変わらずの軽い口調にアイリスは眉を寄せる。


「人間という存在を知るために、わたくし達を危険に晒したのですか?」

「言い訳になるが、イーヴォが裏切ることも、あのような強硬手段に出ることも想定外だった。といっても信じてはもらえないだろう。だから――」


 ディアロスはイーヴォが置いていった契約書をエリスから受け取り、その署名の欄にペンを走らせる。サラサラと手慣れた動作で書き記したのは彼の名前だった。


「この通りの内容で取り引きをおこなう、ということで許してはもらえないだろうか?」

「それ、は……」


(わたくしでは判断できない案件ですね)


 レムリア国の国益に関わることに対する決定権はフィオナに。そしてリゼル国の国益に関わることに対する決定権はエリオット王子が握っている。


 選択を委ねるために振り返り――アイリスはぎょっとした。ジゼルやエリオット王子、そして一部の護衛騎士がへたり込み、その身を震わせていたのだ。

 そしてフィオナもまた、その顔を強張らせ、壁により掛かっていた。

 平然としているのはアルヴィン王子だけだった。


 怪我をしている様子はない。

 だが、だからこそ、なにがどうなっているか分からない。


「みなさん、どうなさったのですか?」

「どうなさったもなにも……アイリス先生は凄いね」


 関心半分、呆れ半分で呟いたのはフィオナだった。

 意味が分からないとアイリスは首を捻った。


「フィオナは、自分より強い者と本気で戦ったことがないからな」

「うん、殺されるかと思ったよ……」


 アルヴィン王子とフィオナのやりとりを聞いて、アイリスは「あぁ」と理解した。

 さきほどの、静まりなさいという言葉と共に放たれたエリスの殺気のことである。フィオナ達はあれで、自分が絶対にエリスには勝てないと恐怖したのだ。


 だが、王や女王が、個々の力で負けているからと弱気になられては困る。アイリスは心を鬼にして、「交渉についてはどうなさいますか?」と問い掛けた。

 フィオナは涙目になりながら、それでも拳をグッと握って一歩まえに出る。


「あ、あらためまして、ディアロス陛下。私はフィオナ・レムリアです」

「ああ。未来の女王よ。こうしてまみえることが出来て光栄に思う」


 彼は丁寧な所作で応じてみせた。そんな柔らかい態度に安心したのか、フィオナの表情の硬さがほんの少しだけ和らいだ。フィオナは「契約についてですが――」と続ける。


「ディアロス陛下は、本当にその内容でよいのですか?」

「……よいもなにも、謝罪を込めて、この内容でとお願いしたのはこちらだったはずだが?」

「私は、目先の利益よりも、より先の大きな利益を考えるようにと、アイリス先生から教えられました。この取り引き内容で、本当に大丈夫なのですか?」


 不利な取り引きを押し付けられたと、魔族の民が怒り狂うのではないか? それで取り引きが無効になっては意味がない。それが心配だとフィオナは言っている。


(フィオナ、いくらなんでもストレートすぎます! でも、恐怖に耐えながら交渉していることを考えれば立派です。言っていることも間違ってはいません)


 感慨深いと、アイリスの胸が熱くなる。

 そうして身悶えるアイリスを他所に、ディアロスもまた小さく頷いた。


「今代の剣姫は、目先の利益よりも、我らとの長く良好な関係を願うと、そう言ってくれるのだな。その心遣いに感謝し、私も一つ秘密を明かそう」


 前置きを一つ、彼が語ってくれたのは魔石の埋蔵量についてだった。

 埋蔵量と言われたとき、アイリス達は不思議そうな顔をした。魔石とは魔物の体内で生成される石であり、魔物から得られる素材という認識だったからだ。

 なのに、埋蔵とはどういう意味かと、そう思ったのだ。


「魔族領は、この大陸に比べて多くの魔物が生息している。極寒の地ではあるが、大気中に含まれる魔力素子の量は豊富なのだ」

「……まさか、魔石が魔物以外からも取れる……と?」


 フィオナの呟きに、ディアロスはにぃっと笑みを浮かべた。

 そうして彼女の問いには答えず、自らの話を再開する。


「我らは潤沢な魔石と引き換えに多くの食料や技術を得て、自給自足が可能な道を模索するつもりだ。だから、そなたの心配は不要だ」


 ディアロスがにやっと笑った。

 人間にずいぶんと有利な取り引きだと思っていたが、存外そうでもないらしい。イーヴォ達の反応からして、おそらく一部の者だけが知っていた手札だったのだろう。

 どうやら、彼の方が一枚も二枚も上手だったようだ。


「分かりました。そちらが大丈夫だとおっしゃるのならレムリア国は問題ありません。エリオット王子、そちらはいかがですか?」

「……あ、あぁ、こちらもその内容でかまわない。魔族領が安定することは、我らにとっても喜ばしいことだからね」


 話を振られたエリオット王子はまだ恐怖が抜けきっていないようだ。それでも、ジゼルに支えられた彼は、しっかりと自分の意思を示した。

 こうして、かつての敵同士だった魔族と人間は歩み寄る未来を選び取った。


「ところでアイリス嬢、魔族と人間の架け橋となるつもりはないか?」

「それは、どういう……」


 意味を図りかねるアイリスのまえにディアロスが歩み寄る。彼は左腕でアイリスの腰を抱き寄せ、右手でアイリスの顎を持ち上げた。

 彼のルビーのように赤い瞳の中にアイリスの顔が大きく映り込んだ。


「そなたは、みなまで言わなければ分からないのか? それとも、分かっていて誤魔化しているのか? 人間と魔族の関係の強化には婚姻が有効だとは思わないか?」

「わたくしは――」


 アイリスが口を開こうとするより早く、アイリスの腰に回されていたディアロスの腕をフィオナが引き剥がし、その隙にアルヴィン王子がアイリスを抱き寄せた。


「そこまでにしてもらおう。アイリスは――」

「――私の先生なんだからね!」


 アルヴィン王子のセリフに被せるようにフィオナが言い放った。なにか言いたげな顔をするアルヴィン王子に対して、フィオナが「ふふん」と勝ち誇った顔をする。


 魔族の王であるディアロスをまえに、アイリスを取り合っている。エリオット王子やジゼル、護衛の騎士達は青ざめるが、アイリスは焼き餅を焼くフィオナにご満悦だ。

 そうして、ディアロスに視線を向ける。


「人間と魔族の架け橋に、両種族間で婚姻を結ぶという提案自体は悪くないと思いますよ」


 でも、他を当たってください――という言外の想いは伝わったのだろう。ディアロスは苦笑いを浮かべ、仕方がないと肩をすくめる。


「今回は引き下がるとしよう」


 今回は。裏を返せば次回があるとの含みを持たせた彼の言葉に、アルヴィン王子とフィオナが牙を剥く。人間と魔族の関係改善は何処へ行ったのやらである。

 そんなにらみ合いが続く中、ディアロスがおもむろに口を開いた。


「話は変わるが、王都の街並みを俺に見せてもらえないだろうか?」

「魔王が他国をふらついていいのかという疑問は今更なので問わないが、一つだけ聞かせてもらおう。それは、本当に話題が変わっているのか?」


 アイリスを口説くための機会を作る口実ではないかと、アルヴィン王子が探る様な視線を向ける。ディアロスはにやっと笑った。


「無論、他意はある」


 あるんだと、アイリスは思わず呟いた。

 次の瞬間、ディアロスは至極真剣な眼差しになる。


「あるにはあるが、なにより重要なのは、俺が人間の暮らしぶりをこの目で見て、魔族領を豊かにするための糸口を摑むことだ。そのために、どうか王都への訪問を許して欲しい」


 私利私欲はついでで、国のためだと誰憚ることなく言い放つ。

 フィオナとアルヴィン王子は即答できなかった。

 国のためには許可を出すべきだと理解しているが、アイリスを護るという意味では、彼の提案を受け入れたくないという思いがあったからだ。


 もっとも、上に立つ者として、その二つを天秤に掛けることは出来ない。国のために了承するしかないのだが、とにかく二人は答えるのを躊躇った。

 そして、その一瞬の隙。


「リゼル国はディアロス陛下を歓迎いたしますよ」


 抜け駆けをしたのはエリオット王子だった。

 ――否。その考えに至ったのはジゼルだ。ジゼルがエリオット王子に耳打ちをして、それを受けたエリオット王子がディアロスに歓迎の意を示した。

 こうなれば、後れを取る訳にはいかないと、フィオナ達も動かざるを得ない。

 こうして、魔王ディアロスのレムリア王都行きが決定した。

 

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