エピソード 3ー6
エリス達との話し合いを終えて退出する。フィオナへの報告はアルヴィン王子に任せ、アイリスはジゼル達への報告に向かった。
そうして魔族との取り引きについてのあれこれについて話し合う。詳細は後からアイスフィールド公爵と話し合ってもらうことにして、取り敢えずの交渉を始める。
アイリスが望んだのは、魔族との交易に対する、若干の優先権を実家に与えること。そして、王族しか使用許可の出せない、とあるパーティー会場の使用許可をもらうことである。
パーティー会場の使用目的は、ジゼルのデビュタントパーティーを開催すること。
元王太子とアイリスの婚約が破棄されたいまも、両家の関係が良好であることを証明しつつ、エリオット王子との関係をたしかなものとして、ジゼルの評価を高める。
アイスフィールド公爵は交易で利益を得て、ジゼルは王太子妃に相応しい評価を手に入れ、エリオット王子は王太子の地位にグッと近づき、アイリスは妹が喜んで嬉しい。
ちょっと旧第一王子派が立場をなくすくらいは必要な犠牲と言えるだろう。
アイリスがそう言ったら、二人はなんとも言えない顔をした。だが、リゼル国や彼らにとって、これ以上ない提案であることに違いはなく、エリオット王子は快く了承してくれた。
その後は、魔族とエリオット王子達の会談である。アイリスはその会談に参加して、両国が手を取り合えるように仲介をする。
追加として話したのは、人間に化けていた魔族について。
と言っても、人間と手を取り合うことをよしとしない派閥の暴走であるか、隠れ里への襲撃に加わった魔族の残党である可能性――以上の情報は聞けなかった。
ただ、食糧支援で和解ムードが盛り上がり、過激派が焦っているのは事実のようだ。今後も、しばらくは過激派の行動に注視する必要があるとの結論に至った。
また、それはそれとして、リゼル国も魔族との使者との話し合いに参加することが決定。後は、使者の到着を待って、三カ国の会談を待つばかり――という状況である。
その日の夜、アイリスが部屋でくつろいでいるとエリスが訪ねてきた。急な訪問に警戒するも、危害を加えるつもりならもっといくらでも別のタイミングが合ったと思い直す。
「わたくしになにかご用ですか?」
警戒を解いてエリスに問い掛ける。
「実は警備隊長の彼が貴女に面会を求めています。屋敷の一室を借りてお茶の席を設けたので、よろしければ参加していただけませんか?」
「……わたくしに、ですか?」
「アイリス様に、です」
アイリスであって、他の誰でもない。自分だけに用事と聞いて、アイリスは魔王の魂というワードを思い浮かべた。であれば、供をする者は極力少ない方がいいだろう。
そう判断したアイリスは、イヴやネイトに待機を命じてエリスに同行した。
エリスに案内されたのは、宣言どおり屋敷の一室だった。ほどほどのサイズの応接間にあるテーブル席には、ロスと名乗った警備隊長が座っていた。
煌めく銀色の髪に、妖しく光る赤い瞳。警備隊長らしい服装の襟には宝石のついたボタンが輝いている。魔性の美青年とでも言えばいいのだろうか? ただならぬ気配を纏っている。
「招待に応じてくださったことに感謝しますよ、アイリス嬢」
「いえ、わたくしも興味がありましたから」
魔王の魂について――とは、声に出さずに呟いた。
「貴女にそう言っていただけるとは光栄の至りです」
彼は立ち上がり、アイリスに近付いてくると、その手の甲に唇を触れさせた。その、護衛隊長らしからぬ所作にアイリスは瞬いた。
「貴方は貴族なのですか?」
「いいえ、私はただの警備隊長ですよ。それより、アイリス嬢。貴女の噂はかねがねうかがっています。ぜひ、一度こうしてお話を伺いたいと思っていたのです」
「わたくしの噂、ですか?」
魔王の魂についてだろうか? その話はどこまで知られているのだろう? そんな疑問を乗せた視線をエリスに向けるが、彼女は表情を動かさなかった。
代わりにロスが「ご心配なく」と微笑む。
「貴女の本質を知るのは限られた者だけです」
初対面であるにもかかわらず、アイリスの内心を読み取った。どうにもこのロスという男は胡散臭い。その軽薄そうな言葉とは裏腹に、物腰にはまるで隙がない。
底知れぬなにかをアイリスは感じ取っていた。
「では……話というのは、それに関連したことでしょうか?」
「いいえ、ただ、貴女の人柄を知りたいと思っただけです。ですから、そのように警戒せずとも大丈夫ですよ。ぜひ、エリスと話すときのように楽にしてください」
どうぞと、席を勧められる。
「エリスにもそこまで気を許しているつもりはありませんが……」
アイリスは腹をくくり、彼が進めた席に座った。ロスはその向かいに座り、エリスはそんな彼の後ろに控えている。男の胡散臭さが増したとアイリスはそっと溜め息をつく。
「それで、わたくしにどのような話をご希望ですか?」
「では、単刀直入に――私と結婚してください」
いきなりと言えばいきなりの求婚。
アイリスはパチクリと瞬いた後、
「お断りします」
平然とお断りした。
「はは、これは手厳しい。理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「理由もなにも、初対面の相手に求婚するなんて正気とは思えませんが」
「では、私が魔族であることは関係ありますか?」
「……それが本当は聞きたかったこと、ですか。ずいぶんと悪趣味な方法ですね」
魔族に対する偏見や差別意識はあるか――と。それを知るために、アイリスに求婚することで反応を見た、ということだとアイリスは判断した。
「お気に障ったのなら謝罪いたしましょう。ですが、一つだけ訂正させてください。私は誤解されて困るような冗談は言わない主義です」
差別意識を確認するためだったのは事実だが、本気に取ってくれてもかまわない――と。口説き文句を口にするロスに対して、アイリスは冷たい笑みを浮かべた。
「わたくし、軽薄な殿方は好みではありませんわ」
ザカリー元王太子を思い出すから――とは、声に出さずに呟いて口の端を歪める。
「それはよかった。私は軽薄とはほど遠い男ですから」
アイリスの牽制をロスは華麗に回避して見せた。
ますますアイリスの笑みが冷たくなる。
「口が回る殿方も好みではありませんわ」
「それは――嘘ですね。賢姫ともあろう貴女が、弁の立つ者を嫌うとは思えません」
さっきまで笑っていたロスが目を細めて指摘する。ロスの軽い口調に合わせて答えていたアイリスは、その鋭い指摘に一瞬うろたえた。
だが、すぐに唇をきゅっと噛んで冷静さを取り戻す。
「……たしかに、弁の立つ者は嫌いではありませんわ。ただし、異性の好みとは別ですが」
「なるほど、機転も利くという訳ですか」
「もう一つ付け加えるなら、迂遠なやりとりで人の能力を図ろうとする者も嫌いではありませんよ。もちろん、異性の好みとは別ですが」
「はは、これは手厳しい」
相手のやり方に合わせているとはいえ、アイリスはわりと失礼なことを言っているのだが、ロスはまるで気を悪くした様子がない。彼は赤い瞳を楽しげに輝かせている。
「いいですね。エリスから聞いていましたが、貴女は魔族に偏見をお持ちではないようだ」
「人間にも善人と悪人、それに敵と味方がいますから」
重要なのはアイリスにとって敵か、それとも味方かということ。ただし、世の中には種族が違うと言うだけで憎む者もいるので、異種族に対して警戒心を抱いているのも事実だ。
「では、エリスのことはどう思いますか?」
彼の質問に、アイリスはその視線をエリスに向けた。いままで無表情でたたずんでいた彼女だが、さすがにその質問は気になったようで、その身を少しだけよじった。
アイリスの答えを気にしている証拠だ。
だから――
「可愛らしいですね」
思い浮かんだ言葉を口にした。
ロスがほうっと声を零した。
「魔族である彼女が可愛い、と?」
「種族は関係ありません」
「実に興味深い。アイリス嬢、私は貴女が気に入りました」
彼はそう言って席を立ち、アイリスの隣に来てテーブルに腕をついた。そうして、アイリスのアメシストの瞳を覗き込んでくる。
「アイリス嬢、私と結婚してください」
さきほどと違う真剣な口調で囁く彼は、ただならぬ色気を纏っている。その赤く吸い込まれそうな瞳が、まっすぐにアイリスの瞳を覗き込んでいた。
「……さきほど、断ったはずですが?」
「さきほどとは重みが違うことも分かるはずです」
「つまり、さきほどは冗談交じりだったと認める訳ですね」
「ええ、そしていまは本気です」
ロスの瞳の中に、アイリスの顔が映り込んでいる。
それが分かるほどの至近距離、アイリスが口を開こうとしたその瞬間――
「――そこまでだよっ!」
ばーんと扉が開かれ、そこからフィオナが踏み込んできた。彼女はロスに迫られているアイリスをぐいっと引っ張って引き剥がし、ロスにびしっと指を突きつけた。
「私の先生を口説きたいなら、まず私を倒してからになさい!」
意味が分からない。だが、そんなフィオナを目の当たりにして、先生を取られまいとがんばるフィオナも可愛らしいですよ! とアイリスは身悶えた。
「貴女は……フィオナ王女殿下ですか?」
「俺もいるぞ」
続けて踏み込んできたのはアルヴィン王子だ。彼はずかずかと部屋に入ってくると、フィオナが背後に庇ったアイリスの隣に立って、その細い腰をぐいっと抱き寄せた。
「こいつを口説きたければ俺に許可を取ってもらおうか」
フィオナと同じような言動。
だがアイリスは、この王子はなにを言っているんでしょう? と半眼になった。だが、そこでそれを口にすると、また面倒くさいことになりそうだと口を閉ざす。
代わりに、アルヴィン王子に「さては盗み聞きをしていましたね?」と問い掛けた。
「普通の会談で割り込んだらただのマナー違反だからな」
「……盗み聞きもマナー違反だと思いますけどね」
呆れるが、アルヴィン王子はどこ吹く風だ。そして、そんなやりとりを見ていたロスが「どうやら、今回はここまでのようですね」と肩をすくめた。
そうして「お邪魔のようだから失礼しますよ」と、エリスを連れて部屋を出て行った。だが、扉を閉める寸前、彼はアイリスに向かって片目を瞑った。
「アイリス嬢、今度は邪魔の入らないところで会おう」
アイリスは肩をすくめ、フィオナとアルヴィン王子が眉を吊り上げる。二人がなにかを口にするよりも早く、彼は扉を閉めてしまった。
その瞬間、フィオナはアイリスに詰め寄ってくる。
「アイリス先生、大丈夫?」
「なにかされた訳ではないので大丈夫ですよ」
「……ほんとに?」
「ほんとです」
きっぱりと断言するが、フィオナの瞳に滲む不安の色が消えない。
「どうしてそのような顔をするのですか?」
「だって……その、アイリス先生は、私の先生だよね?」
質問の意図を図りかねた――のは一瞬だ。彼女がなにを不安がっているか理解したアイリスは「大丈夫です」と笑って、フィオナの頭に手のひらを乗せた。
「わたくしはどこにも行きませんよ」
「……ほんと?」
「ほんとです」
「そっか~」
へにゃりと微笑んで、フィオナはアイリスの腰にぎゅーっとしがみついた。その際、アイリスの腰を抱いていたアルヴィン王子の腕をぺいっと引き剥がすのも忘れない。
アイリスが同じことをすればなにか言いそうなアルヴィン王子だが、彼もいまのフィオナの行動に文句を言うつもりはないようだ。
代わりにアイリスに「あれは何者だ?」と問い掛けてくる。
「……なんでしょうね。自称警備隊長だそうですよ?」
「ほう? それはそれは、胡散臭い警備隊長もいたものだな」
まるで信じていないと言わんばかりの彼に、アイリスは「まったくです」と肩をすくめた。
翌日は、朝からロスが訪ねてきて、それを察したのか牽制にやってきたフィオナやアルヴィン王子が、ロスとバチバチやりあう――という状況が何度か続く。
ややもすれば修羅場。しかも、友好関係を結べるかどうかが掛かっている会談を目前にした両国の者達でのやりとり。並みの人間なら胃を押えているところだが……
(平和ですね)
アイリスはそれを横目にエリスとティータイム。自分に被害がなければどうでもいいと思っている彼女は、紅茶を片手に暢気な感想を抱いていた。
そうして午後になり、使節団を乗せた魔族の軍船が到着。
彼らが一息吐くのを待って、正式な会談を始めることとなった。
会談には、伯爵家の屋敷にある大きな応接間が使われた。
人間側は、アイリスとフィオナとアルヴィン王子。それにエリオット王子とジゼルの合計五人。魔族側は落ち着いた初老の男と、若く血気盛んそうな男の二人である。
その他、エリスの従える護衛が若干名、部屋の隅に控えている。
まずは席について自己紹介を始める。
落ち着いた初老の男が使節団の代表で、名をイーヴォという。
緑の瞳には強い意志を秘めているが、白髪に痩せ細った体付きはひ弱そうにも見える。魔族なので、人間と同列に語れるかは分からないが、見た目は普通に老いた男だった。
続いて、副代表を名乗ったのがマルコという男。こちらは黒髪にブラウンの瞳、若い筋肉質の男で、非常に脳筋――真面目そうな印象を受ける。
事前に仕入れたエリスからの情報によると、二人とも魔王に属する穏健派だそうだ。もっとも、交易の交渉の使者に魔王が過激派を選ぶはずがないので当然と言えば当然だろう。
という訳で、彼らとの平和的な会談が始まる。
「……まったく。陛下の命令とはいえ、なぜ我らが人間などと話し合わねばならぬのだ」
――訂正。
話し合うまえから暗雲が立ちこめていた。
その言葉を口にしたのは、使者の副代表であるマルコ。
直後、イーヴォが「やめよ!」と叱責の言葉を発した。それは初老の見た目からは想像できないほどに厳しく強い響きを秘めている。
その圧力をまえに、マルコはうっと呻き声を上げる。
それを見届け、イーヴォがアイリス達に向かって頭を下げる。
「マルコが失礼を申したこと、心より謝罪いたします」
彼の言葉に、険悪になりかけていた雰囲気が緩む。
だが、イーヴォは静かに、けれど有無を言わさぬ口調で続けた。
「ですが、我が国の者達は、人間に根深い敵意を抱いております。彼の態度は和平の使者としては失格ですが、我が国の一般的な考え方の持ち主だとお考えください」
丁寧な口調だが、その言葉には強い意志が秘められていた。すなわち、人間と魔族が手を取り合うには、マルコのような魔族を納得させなくてはいけない、ということだ。
魔族が抱える問題ではあるが、魔族との戦争を回避したい人間が抱える問題でもある。もっとも、だからといって、人間がどこまでも譲歩する謂われもない。
重要なのは、互いに手を取り合える妥協点を見つけることだ。
だから――と、アイリスは口を開く。
「我々人間は魔石などの資源を欲しており、あなた方は食料や技術を欲しているとうかがっています。飢えを凌ぐためならば、過去の因縁を断ち切ることも可能ではありませんか?」
「たしかにたしかに。ですがそれは、取り引きの内容次第と言わざるを得ないでしょう」
「では話し合いましょう。お互いが納得できる条件を得られるように」