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エピソード 3ー4

 結論から言えば、港町の沿岸に現れた軍船の正体は魔族の使者――その先触れを乗せた船だった。先日の食糧支援に対する感謝とその対価、それに新たな交易についての話し合いの場を設けたい。そういう名目でやってきたようだ。

 それを確認したグラニス王はすぐに動く。


「フィオナ、そなたをレムリア国の使者に任命する。こちらが譲歩できる条件をそなたに伝える。我が名の下に港町に向かい、魔族との交渉を成功に導くのだ」


 謁見の間、国の重鎮達が揃うその場で、フィオナを正式な使者に任命した。それに対してフィオナは目を見張り、周囲からはわずかながらもざわめきが上がった。

 お飾りではなく、正式な使者にフィオナが任命されるのは初めての出来事だった。

 誰よりも驚いていたフィオナはぎゅっと手を握り、それからこくりと頷く。

 そうして覚悟を決めた瞳でグラニス王を見上げた。


「そのお役目、謹んで拝命いたします」

「……うむ。よきにはからえ」


 言葉は仰々しくも、フィオナを見下ろすその眼差しは孫娘を見守る祖父のそれだ。彼はしばらく孫娘の勇姿を見守ると、アルヴィン王子やアイリスにも同行を命じる。

 その後、同じく謁見を求めたエリオット王子とジゼルの同行が決定、続けてアッシュとクラウディアの同行も決定し、フィオナの一行は大所帯で港町へ向けて出立した。



 いつもと違い、今回は速度が重要視される。

 よって、馬車は必要最低限で、アルヴィン王子も自分の馬車で大人しくしている。……まあ、馬車が走っているあいだのみで、休憩中は別なのだがそれはともかく。

 アイリスはフィオナや、そのお付きのメイド達と馬車に揺られていた。


 ちなみに、前回は留守番していたネイトとイヴが、今回は同行している。アイリスは、二人にレベッカとの暮らしを優先させてあげようとしたのだが、ついてくると聞かなかったのだ。

 アイリスとしても、信頼できる使用人が同行してくれるのは助かると了承した。


 こうして、せわしない馬車の旅が続く。

 しばらく経ったある日、窓から身を乗り出していたフィオナが声を上げた。


「アイリス先生、海が見えてきたよ! あれが海なんだよね!?」


 釣られて視線の先をたどれば、そこには青い海が広がっている。


「フィオナ王女殿下は海を見るのは初めてですか?」

「うん、そうだよ。アイリス先生は?」

「わたくしは――ええ、フィオナ王女殿下と同じで初めてですよ」


 途中で、自分が海を見たのはアイリスの人生ではなく、フィオナとして王都から追放され、冒険者として各地を回っていたときだと思い出して誤魔化した。


(といいますか、いつ見た情報か、そして前世のことを誰に伝えたのか、段々ややこしくなってきましたね。いつかボロを出しそうで心配です)


 基本的に隠れ里の者達は、アイリスに前世の記憶があることを知っている。対してフィオナやアルヴィン王子は、アイリスが魔王の魂を持っているという話だけ。

 そして他のレムリア、あるいはリゼルの人間にはなにも知らせていない。


 そうした異なる情報を持つ者達が一堂に会している。

 自分が、あるいは他の誰かが、いつ口を滑らすか心配である。


(……まぁ、そのときはそのときですね)


 なるようになる――というよりは、どうとでもしてみせるという自信を持って楽観的に考える。アイリスは書物で学んだ知識を元に海の向こうに視線を向けた。


 どこまでも広がる青い海。

 だがその地平の先に、わずかながらも隆起した陸が見えている。

 それこそ、魔族が暮らす大陸である。


「フィオナ王女殿下、海の向こうに大陸が見えますか?」

「え? うぅん……あ、うん、見えるよ! あそこが魔族の領地なの?」

「はい。このアルセア大陸の北方に広がる魔族が支配する大陸。気候はアルセア大陸と比べれば、年中冬のように寒いと言われていますね」

「寒いのは嫌だなぁ……」


 フィオナの率直な感想に、アイリスはクスクスと笑う。


「そうですね。お腹を出して寝ていると風邪を引いてしまいますから、フィオナ王女殿下に魔族大陸で暮らすのは難しいでしょうね」

「わ、私、そんなに寝相は悪くないよ!?」

「そうですね、でも、凄く薄着で寝ていますよね?」


 フィオナは時折、アイリスのベッドに潜り込んでくることがある。そしてそういうときは大抵、フィオナはかなりの薄着で眠っている。


「それは、だって……その方が寝やすいんだもん」


 拗ねるフィオナが可愛くて、アイリスはその髪を優しく撫でつけた。


「そ、それより、アイリス先生! 私は港町に着いたら、魔族の使者と取り引きについての話し合いをすればいいんだよね?」

「はい。ただ、港町にいる軍船は先触れで、使節団の本隊が到着するのは少し後になるようです。ですから、そのあいだに港町でいくつか情報を集めましょう」


 先触れ。そしておそらくは、後から来る使節団の安全を確保する先遣隊。

 先日は支援をおこなったとはいえ、それは一時の出来事である。

 それまで、魔族と人間は敵対関係にあった。長らく表立った接触はなかったとはいえ、水面下ではいくつもの敵対行為があった。


 違う派閥の仕業といっても、人間側はそうですかと納得した訳ではない。それは、先触れに極力接触しようとしなかった港町の領主の態度からも見て取れる。

 また、警戒心を滲ませる人間を前に、ピリピリしているのは魔族も同じである。


 よって、最優先は人間側の安全の確保。

 続いて、魔族側の安全確保にも気を掛ける必要がある。

 最初は緊迫した空気が広がるかも知れないが、先触れの一人はエリスと名乗っているらしい。彼女と会えば、おおよその問題は解決するはずだ――と、アイリスは考えていた。


 ほどなく、一行は港町へと到着し、港町の領主である伯爵の屋敷を訪れた。フィオナの一行はすぐに屋敷へと迎え入れられ、エントランスホールで三十前後の男が出迎えてくれた。


「フィオナ王女殿下。そして他のみなさんも、よくぞ来てくださいました」

「……貴方は?」

「これは申し遅れました。私はこの港町を治めるシールート伯爵でございます」


 決して礼儀がなっていない訳ではない。にもかかわらず、名乗るのを忘れるほどに慌てているのは、それだけ魔族の登場が彼にとって負担となっているのだろう。


「ずいぶんと魔族を警戒しているようですが、なにかございましたか?」


 疑問に思ったアイリスが問い掛ける。

 シールート伯爵は慌てて首を横に振った。


「彼らが直接なにかした訳ではございません。ですが、この地はかつての大戦の折、もっとも被害を受けた土地の一つですから、色々と伝承も残っているのです」

「……そうでしたか」


 いまからおよそ300年前。突如、北の大陸から魔族の軍勢が攻めてきた。その襲撃でいくつかの小国が蹂躙されている。そのうちの一つがこの地だった、ということなのだろう。


「では、先の支援の折りも大変だったでしょう?」


 アイリスが思い浮かべる、世間一般の魔族へのイメージは、王都を基準にしている。すなわち、人々は魔族との大戦を遠い過去の出来事として捉えている、という認識だった。

 だが、いまもなお、当時の恐怖を覚えているのなら、プランを見直す必要があるかもしれない。そう考えたアイリスだったが、シールート伯爵は首を横に振った。


「支援のときは、請け負った商船が海の向こうに物資を運びました。ですから、魔族の軍船がこの港町に立ち入ることはなかったのです」

「請け負った商人は難色を示しませんでしたか?」

「いえ、彼らは我らよりずっとたくましいようです」

「……そうですか」


 それならば大丈夫だろうかと考えを巡らす。

 しばし考え込んでいると、アルヴィン王子が咳払いをした。


「アイリス、他の者達もいるんだ。質問は後にしろ」

「これは申し訳ありません」

「これは、気付かず申し訳ありません。すぐに部屋へ案内させましょう」


 アイリスが頭を下げると、シールート伯爵も謝罪し、慌てて使用人に指示を出した。アイリス達は使用人の指示に従って、用意された部屋へと足を運んだ。


 同行の使用人は久しぶりにネイトとイヴだ。

 彼らは部屋の内装を見るなり不満気な顔をした。


「アイリス様をこのような部屋に案内するなんて……」


 ネイトがぼそりと呟く。どうやら、案内された部屋のランクから、アイリスが不当な扱いをされていると思ったようだ。

 以前の二人なら、ただ立派な部屋に感心しただろうに、ずいぶんと成長したと感心する。

 とはいえ――


「そんなこと言ってはダメよ。ごらんなさい。清掃はきちんと行き届いているでしょう?」

「ですが、これだけ立派なお屋敷なら、もう少しちゃんとした部屋があるはずです」

「そうね。でも考えてごらんなさい。いまこのお屋敷には、フィオナ王女殿下にアルヴィン王子、それにエリオット王子に、英雄の末裔まで滞在しているのよ。それに加えて、魔族の使節団も到着するでしょう? わたくしが二の次になるのは当然のことよ」


 これだけの重要人物が一堂に会するなんて、王都でもそうあることではない。港町の建てられた伯爵家のお屋敷であることを考えれば、部屋割りには相当苦心したはずである。

 その指摘に、ネイトはハッとした顔をした。


「すみません、考えが及びませんでした」

「かまいません。このようなケース、滅多にあることではありませんからね」


 フォローを入れると、そのやりとりを聞いていたイヴがぽつりと呟いた。


「……アイリス様だと、よくありそうな気がします」

「たしかに、わたくしはフィオナ王女殿下の教育係として側にいることが多いですからね」

「それに、ジゼル様のお姉様で、アッシュ様やクラウディア様とはご友人ですよね」


 イヴに物言いたげな視線を向けられ、アイリスはそっと視線を逸らした。そうして荷ほどきもほどほどに、魔族の先触れに会おうと廊下に出る。

 すると、見知らぬ幼い少女とアルヴィン王子という取り合わせに出くわした。


「では、アルヴィン王子殿下が初めて魔物を倒したときのお話を聞かせてください! どんな感じでしたか? 怖くはなかったですか?」

「ふむ。初陣の緊張はあったが、怖いという感情はなかったかもしれないな」

「まあっ! やはりアルヴィン王子殿下は優秀なのですね、素敵ですっ!」


 十歳くらいだろうか? ふわふわのドレスを纏った彼女は、サラサラの銀髪に縁取られた小顔を朱に染め、緑色の瞳を輝かせている。

 誰がどう見ても、アルヴィン王子に憧れる少女といった構図。

 アイリスに気付いたアルヴィン王子が口を開いた。


「アイリス、ちょうどよかった。魔族の先触れに話を聞きに行かないか?」

「魔族の方がいるお部屋なら、わたくしが案内いたしますわ!」


 アルヴィン王子が語りかけたのはアイリスで、応えたのは少女。

 彼は表情を変えずに息を吐いた。


「キャサリン嬢、申し訳ないがこれは国家間の未来を決める大事な会合だ。戦いの話が聞きたいのなら、後で俺の護衛に話をさせましょう」

「まあっ! わたくしがお話を伺いたいのはアルヴィン王子殿下ですわ。それに、案内もちゃんと出来ます。こう見えてもわたくし、お勉強はちゃんとしているのですよ?」


 王都から離れた港町で暮らす幼いご令嬢と考えれば、決して教育不足とは言えない。だが、王宮の礼儀作法を学んでいたら、上位者同士の会話に割り込んだりしないだろう。

 アルヴィン王子としても、子供相手には強く出られないようだ。珍しく困っている姿を目の当たりにしたアイリスはイタズラ心を抱く。


「アルヴィン王子、モテモテですね」

「なんだ、嫉妬か?」

「ぶっとばしますよ」


 からかおうとしたら、逆にからかわれて苦虫を噛みつぶしたような顔をする。そこに「こらっ、おまえはここでなにをやっている!」と叱咤の声が響いた。

 キャサリンと呼ばれた令嬢がびくりとその身を震わせた。


「お、お父様?」

「キャサリン、おまえには部屋から出るなと言っておいたはずだぞ!」

「で、でも、お父様」


 シールート伯爵はそれには応じず、アルヴィン王子へと向き直って深々と頭を下げた。


「娘が大変失礼をいたしました。若輩者ゆえどうかご容赦ください」

「ここは王都とは違う。うるさく言うつもりはない」

「寛容なお言葉に感謝いたします」


 シールート伯爵は頭を上げ、それからキャサリンに向き直った。

 父親が謝罪する姿を目の当たりにして、自分のしでかしたことに気付いたのだろう。彼女は少し顔を青ざめさせて、自分の身体を掻き抱いていた。


「お、お父様、わたくし……」

「キャサリン、部屋に戻りなさい」

「……わたくしがここにいるだけで、ご迷惑なのですか?」

「殿下は大事な用事でここに来ているのだ。邪魔をしてはならんと言ったはずだ」

「分かりましたわ。その……申し訳ありませんでした」


 ぺこりと頭を下げて、キャサリンは涙を堪えるような顔で去っていった。シールート伯爵はそれを見送って溜め息を吐くと、あらためてアルヴィン王子に向き直った。


「重ね重ね申し訳ございません。この地域は昔から魔物の被害が多いこともあり、娘は魔物を狩るアルヴィン王子殿下の武勇伝に憧れを抱いているようでして……」

「気にするな。それより、なにか話があるのか?」

「いえ、娘が部屋を飛び出したと聞いて、慌てて駆けつけた所存でございます」

「そうか。俺はこれから魔族の先触れに会う予定だ。先方の都合を確認してくれ」

「かしこまりました。すぐに伝えてまいります」


 シールート伯爵は恭しく頭を下げて、元来た道を戻っていった。



 ほどなく、魔族の先触れとの面会の許可が下りる。メンバーはアイリスとアルヴィン王子の二人だけ。フィオナはお留守番である。


「ど、どうして、私がお留守番なの!?」


 まだ自分は至らないのかと、留守番を告げられたフィオナが泣きそうな顔をする。アイリスが否定しようとするが、それより早くアルヴィン王子がフィオナの頭に手のひらを乗せた。


「たしかにまだ至らぬ点はあるが、最近のおまえはよくやっている」

「じゃ、じゃあ、どうして私がお留守番なの?」

「それはおまえがレムリア国の代表としてここにいるからだ」

「……?」


 こてりと首を傾げるフィオナが可愛すぎると、横で見ていたアイリスが身悶えた。それはともかく、アルヴィン王子が説明を続ける。


「相手は魔族の使者ではなく、その先触れだ。会談の前段階となる打ち合わせに参加する必要はない。後で報告するからどっしりと構えていろ」

「ん……分かった!」


 少し考えた後、フィオナは元気よく頷いた。こうして、アルヴィン王子とアイリスの二人が魔族の先触れ、エリス達と接触することになった。

 

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