エピソード 3ー1
魔族の軍船が港付近に現れた。詳しい報告を受けるため、アイリス達は急いでレムリア側にあるお屋敷へと帰還し、会議室に足を運ぶとアルヴィン王子が先に席に着いていた。
「アルヴィン王子、ここ最近いらっしゃらなかったようですが、いままでどこへ行っていたのですか? またなにか企んでいませんか?」
アイリスが半眼を向けると、アルヴィン王子はふっと笑った。
「なんだ、俺のことが気になるのか?」
「ぶっとばしますよ?」
「心配するな。俺は必ずおまえの元に戻る」
「そんな心配はこれっぽっちもしてないよっ」
「ツレないことを言うな、以前、おまえが口にした言葉ではないか」
「うぐっ」
アイリスは言葉を詰まらせて、「もういいです」と話を打ち切った。そこにアイリス達の護衛としてこの町に同行している騎士の隊長が入ってきた。
彼はアイリス達が席に着いているのを見て、伝令から得た情報をあらためて説明する。それは、レムリア国の北端にある港町の沿岸海に魔族の軍船が姿を現したという内容だ。
そこまで聞き終えた瞬間、フィオナがテーブルに手をついて立ち上がった。
「すぐに救援に向かおう!」
「落ち着け、フィオナ」
アルヴィン王子がフィオナの腕を摑んだ。
だが、フィオナはその手を振り払ってアルヴィン王子を睨みつける。
「待つ? なにを待つの? 魔族の軍船が現れたんだよ? 急がないと、町のみんなが殺されるかも知れないんだよ!? それなのに、なにを待てっていうの!?」
「……フィオナ?」
アルヴィン王子が困惑する素振りを見せた。
一気に捲し立てるフィオナの瞳には、義勇だけでなく、焦りのような感情が滲んでいる。アイリスはその理由に気付き、彼女への配慮が足りなかったことを思い知る。
かつて、フィオナは今回と同じような状況で両親の死亡を伝えられたのだ。
アイリスは二度の人生を経ることで乗り越えているが、フィオナはまだ乗り越えていないはずだ。魔族の軍船が現れたと聞かされて冷静でいられるはずがなかった。
それに思い至ったアイリスは席を立ち、フィオナの両手を握った。
「……アイリス先生?」
「フィオナ王女殿下、気持ちは痛いほど分かりますが、少し落ち着きましょう。軍船が現れたと言っても、攻めてきたとは限りません。まずは報告の続きを聞きましょう」
「でも……」
「港町から王都を経由して、この町まで来るには馬車で二十日程度。早馬を走らせたとしても、十日以上は掛かっているはずです。いまは急ぐより、たしかな情報を集めるべきです」
もしも魔族が奇襲を仕掛けてきたのなら、港町はとっくに占領されている。わずかな手勢を率いて駆けつけたとしても各個撃破されるだけだ。
であれば、いまから出来ることを見極める必要がある。
(両親を失ったフィオナには残酷な言葉ですが……)
それでも、フィオナが女王を目指すなら飲み込まなくてはならない。どうか、分かってくださいという想いを込めてフィオナの小さな手を握れば、彼女はコクンと頷いた。
そうしてフィオナが席に座り直すと、騎士が報告を再開した。
「軍船は一隻で、沿岸海に停留しているそうです。いまのところ、攻撃を仕掛けてくるような素振りはありませんでした。おそらく、害意はないのでは、というのが伝令の見解です」
「……ということは、なにかの使者か」
アルヴィン王子の言葉に、フィオナはほぅっと息を吐いた。
この世界では連絡手段が限られている。よって、普段交流のない地域に使者を送るだけで、敵が攻めてきたのか!? と騒動になることも珍しくはない。
今回の一件も、それと同じような状況である可能性に思い至ったのだ。
「ちなみに、陛下のお考えはどうなのだ?」
「陛下も同様の判断のようです。よって、フィオナ王女殿下、アルヴィン王子殿下、アイリス嬢の三名は、至急王都に帰還せよ、との陛下のご命令でございます」
「そうか、では、至急帰還の準備を」
騎士隊長は「かしこまりました」と頷いて、すぐに部屋を退出していった。それと入れ替わりにクラリッサが姿を現した。
「報告いたします。エリオット王子とジゼル様がお越しです。至急、フィオナ王女殿下にお会いしたいとおっしゃっているのですが……いかがいたしましょう」
「……どういうことだ?」
問い返したのはアルヴィン王子だ。
どうやら、直前まで行方をくらましていた彼は、さきほどの襲撃事件について知らないらしい。それを理解したアイリスは、実は――と襲撃について説明する。
「リゼルの第二王子が命を狙われ、その首謀者が魔族だった、と? しかし、エリスの寄越したリストに載っていた魔族は全員排除したはずだ」
「リストに漏れがあったのかもしれません」
故意か過失かは分からないが、他にも魔族が潜んでいる可能性を警戒する必要がある。
「そのタイミングで、港町に魔族の軍船が現れたことをリゼルの連中に知られた、か」
見方によっては、レムリア国と魔族が結託して、リゼル国を陥れようとしていると見えなくもない。非常に厄介なことになった――と、アルヴィン王子はフィオナに視線を向けた。
「あう……」
不用意に知らせてしまった自分の責任だと、気付いたフィオナが項垂れる。
「アルヴィン王子……」
「分かっている。フィオナを責めるつもりはない」
不用意だったのは事実だが、フィオナは同じような状況で両親を失っている。次期女王としては未熟な対応だったが、周囲も配慮するべき案件だった。
それよりも、問題はリゼルにどう説明するか、である。
リゼルから見れば、レムリアが送ったリストによって、たしかに魔族の影響を受けた人間を粛清できたかも知れない。だがその結果が、エリオット王子暗殺未遂だ。
レムリアが魔族と結託して、リゼルを陥れようとした――と見えなくもない。事実がどうあれ、色々と考え直さなければいけない状況と言えるだろう。
「それで、そのザレムだったか? その魔族がなにか言った可能性は?」
「ありません。私が始末しましたから」
「……そうか」
ザレムの目的は人間と魔族、あるいはリゼルとレムリアの関係を悪化させること。であれば、生かしておくのは得策じゃない。彼が有ること無いことを吹聴するだけで、魔族と人間、あるいはリゼルとレムリアの関係が悪化する可能性が高いからだ。
だから、アイリスは生け捕りにすることを避けた。
「……わたくしのこと、軽蔑なさいますか?」
珍しく弱気な素振り。アルヴィン王子は二、三度目を瞬いて、「馬鹿を言うな」とアイリスの頭に手のひらを乗せた。
「敵の策を封じ、味方の混乱を阻止するのに必要な行動だ。それを非難するはずなかろう」
そのままわしゃわしゃと頭を撫でられる。最初は素直に撫でられていたアイリスだが、だんだんと雑になる撫で方に腹を立てて手で払いのけた。
そうしてツンとそっぽを向く。
(……別に軽蔑されても痛くも痒くもありませんが、人間関係に支障をきたすと、フィオナの側にいるのが難しくなりますからね)
心の中で呟いた。その言葉がどことなく言い訳じみていることにアイリスは気付かない。というか、彼女の興味は既にフィオナへと移っていた。
(賢姫として、必要ならばあらゆる手段を用いることに迷いはありませんが……フィオナに嫌われたら泣いてしまいます。でも、彼女も女王を目指しているなら分かってくれますよね?)
不安な思いを胸に、胸のまえでぎゅっと拳を握ってフィオナを見つめる。
彼女は、なぜか目をキラキラとさせていた。
「……よく分からないけど、アイリス先生は被害を抑えるために敵を殺したんだよね? 敵に手心を加えて、味方を死なせるなんて一番やっちゃダメなことでしょ? それを避けることのどこに恥じる理由があるの?」
(そうでした、フィオナは脳筋でした)
大丈夫そうだと気付いてアイリスはほっと息を吐く。それから、自分達の話が終わるのをじっと待っていたクラリッサに視線を向けた。
「では、いまからお会いすると、エリオット王子に伝えてください」
「かしこまりました」
クラリッサが退出する。
それを見届け、アイリスはフィオナに向き直った。
「フィオナ王女殿下、エリオット王子の用件は分かりきっています。穏便に話を纏めるために、いくつかアドバイスをお聞きください」
これから始まるであろう話について、軽く打ち合わせをする。それからほどなく、エリオット王子とジゼルが姿を現した。
両者は形式的な挨拶を交わして、テーブル席に着いて向かい合う。
「急なお願いにもかかわらず、面会に応じてくださってありがとうございます。さっそくですが、僕達はフィオナ王女にうかがわなくてはならないことがあります」
「……どのようなことでしょう?」
フィオナが次期女王モードに入って問い返す。最初はぎこちなかったその立ち居振る舞いもだんだんと板についてきた。
そんなフィオナに釣られたのか、エリオット王子も背筋をただして口を開いた。
「さきほど、魔族の軍船が港町の沿岸に現れたと耳にしました。それについて、詳しい話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんかまいません。と言っても、実のところレムリア国でも確認中の出来事で、詳細は不明です。おそらく、なんらかの使者だと思われますが……」
「そうですか……」
おそらく、エリオット王子に取ってはあまり望ましくない回答だったのだろう。回答の内容が、という意味ではなく、レムリアの容疑を晴らせないから――という意味でだ。
これはアイリスの予想だが、アイリスの妹であるジゼルと親しいエリオット王子は、アイリスがリゼル国に不利益をもたらすとは考えていないだろう。
だが、上に立つ者としては、なんらかの確証を得なくてはいけない。ジゼルが信じているから、アイリスは黒幕ではないよ――なんて判断する訳にはいかないのだ。
他の者を納得させなければ、暴走する者が現れるかもしれない。それを抑えるためにも、エリオット王子はレムリアの潔白を証明する必要があった。
しばしの沈黙を挟み、エリオット王子が口を開いた。
「……さきほど、僕は命を狙われました。犯人はザレム担当官、伯爵家の人間で、僕の台頭を快く思っていない派閥の人間、だったと思われていたのですが……」
エリオット王子は言葉を濁した。
これは非常にデリケートな問題である。エリオット王子としてもたしかめない訳にはいかないが、疑いの目を向けることで、レムリア国との関係が悪化しては本末転倒である。
だから、エリオット王子が指摘するよりは――と、アイリスが口を開く。
「フィオナ王女殿下、ザレム担当官は魔族でした。そして、このタイミングで、レムリア国の港町に魔族が現れた。……リゼルにとっては、疑わしい状況でしょう」
最後に付け加えた言葉は、アイリスが両国の関係に対する配慮である。疑わしい国だからではなく、状況が疑わざるを得ないのだと強調した。
エリオット王子はその配慮に対して控えめに頷いた。
「アイリスさんのおっしゃるとおりです。もちろん僕達も、魔族は一枚岩ではなく、人間との対立を望む者達がいるという話は伺っています。ただ、我々には魔族との交流がなく……」
たしかめなくてはいけないのだと、その心情を匂わせた。
「……そうですね。事実は異なれど、リゼル国から我が国が疑わしく映るのは仕方のないことでしょう。私が逆の立場でも、同じように問い掛けていたでしょう」
フィオナが、アイリスのアドバイス通りに、エリオット王子の言葉に理解を示した。これには、エリオット王子だけではく、ジゼルもほっと息を吐く。
「ご理解に感謝します。その上で一つ頼みがあります」
「なんでしょう?」
「そのまえに確認したいのですが、フィオナ王女の今後のご予定を教えていただけますか?」
「王都に帰還することになりました。おそらく、その後は港町に向かうことになるでしょう」
ここまで、事前にアイリスがアドバイスした内容通りだ。
リゼル側の人間としては、魔族がなにを考えているか見極める必要がある。だから、町に滞在する担当官か、あるいは護衛に連れてきている騎士など、相応の身分の誰かを、事実確認のために同行させて欲しいと求められるだろうと予想していた。
だが――
「では、僕とジゼルもその旅に同行させていただけないでしょうか?」
「ふえっ!?」
想定外の申し出に、フィオナの次期女王モードは終了した。フィオナは視線を彷徨わせて周囲に助けを求める。だが、視線に気付いてもアイリスは口を開けない。
(これは、わたくしには判断できませんね)
両国の関係の正常化を図るなら、同行を許可するべきではある。だが、万が一になにかあれば、レムリア国にも責任が及ぶ。アイリスが決めていいことではない。
フィオナにも、荷が重いだろう。
そう思っているとアルヴィン王子が口を開いた。
「エリオット王子、言うまでもないことだが、魔族の軍船が使者を乗せているというのは、こちらの予想でしかない。万が一を考えれば――」
「危険は承知の上です。僕は王族として、次期国王を目指す者として、魔族が人間にどのような影響を及ぼすか、この目で見極める必要があるのです」
「……そうか。だが、さすがに港町への同行は、我々には許可できない。我々が許可できるのは、王都に連れていき、陛下への謁見を手配するまでだ」
「――それで、それでかまいません!」
目を輝かせるエリオット王子が可愛らしい。元々女の子のような顔立ちだけど、無邪気に喜ぶ姿は可愛らしさが三割増しだ。
アルヴィン王子は小さく頷いて、フィオナへと視線を向けた。
「という訳だが、問題はないか?」
「……え? う、うん。問題ないよ」
アルヴィン王子は「そうか」と呟き、フィオナに頭にポンと手を乗せた。それにコテリと首を傾けるフィオナは、自分がなぜ同意を求められたのか理解していないようだ。
だけど――
(ふわぁ……お兄様が、政治的な最終判断をフィオナに任せましたよ!? これって、最終的な決定権がフィオナにあるという意思表示ですよね、凄いです!)
アイリスは顔には出していないものの、心の中では大はしゃぎだった。
アルヴィン王子は王配と目されていたこともあり、大きな権限を持ち、実際に様々な決定を下してきた。そんなアルヴィン王子が、形だけとはいえ、フィオナに決定を委ねたのだ。
それは、いままでにはなかった対応だ。
(フィオナが成長していると、思っているのはわたくしだけじゃなかったんですね!)
アイリスの興奮を他所に、エリオット王子とジゼルの同行が決定した。