エピソード 2ー7 アルヴィン王子視点
ジゼルに精霊の加護を得る機会を与えると、アイリスが口にした。その言葉を耳にしたとき、アルヴィンは非常に複雑な感情を抱いた。
精霊の加護を得る機会というのは、隠れ里にあるアストラルラインのたまり場で、精霊より与えられる試練を受けることだろう。
だがその試練は、アルヴィン自身も受けようとしたことがある。にもかかわらず、アイリスが試練を受けるのは危険だと、力尽くで阻止してきたのだ。
それなのに、アイリスは溺愛する妹に試練を受けさせようとしている。
考えられる可能性は二つだ。
ジゼルが試練を受けるよりも、アルヴィンが試練を受ける方が危険だと心から心配している、あるいはアルヴィンに試練を受けさせたくない理由があるか、である。
(ふむ。アイリスはなにやら俺のことを警戒しているからな)
アルヴィン王子に力を与えたくないから。
そう考えれば辻褄が合う。
だが、アイリスは隣国の賢姫だ。レムリアの王子が強い力を手に入れることに警戒心を抱くのは不思議なことではない。フィオナの教育係をしている方が不自然なのだ。
(しかし、分からないな。死ぬかも知れないような危険な状況では当然のように背中を預けてくるくせに、平時では思いだしたように警戒心を剥き出しにしている)
アイリスの警戒心はどこか歪だ。魔王の魂の件が影響しているのではと予想しているが、アルヴィンも詳しい事情までは分からない。
分からないものは仕方ないと、アイリスの警戒心についてはさほど気にしていない。
問題は――
(まさか、あの幼い妹よりも、俺の方が頼りないと思っている訳ではないだろうな?)
胸の内に、言いようのない感情が沸き起こった。もしそうなら、どうしてくれようかと独りごちる。その結果が、アイリスの部屋で問い詰めた一件である。
そして、アイリスは、アルヴィンのことを心配したのだと言いつくろった。
それはつまり、本心を隠そうとしたがゆえの言い訳だ。であれば、彼女がアルヴィンから精霊の加護を得る機会を阻止した本当の理由は彼を警戒したからに他ならない。
(俺を警戒しているのなら問題はない)
アイリスの行動を責めるつもりは欠片もない。貴族に権謀術数のやりとりはつきものだ。そしてそういうやりとりにおいては騙される方が悪い。
そう、騙される方が悪いのだ。
アルヴィンはアイリスの部屋を監視する。そして、そこから出てきたジゼル達、その中にいる隠れ里の住人に目標を定めた。そうして、ジゼル達と別れるのを見計らって声を掛けた。
「アッシュと、たしかクラウディアと言ったな。おまえ達に一つ頼みがある」
アッシュはアイリスの件で馬が合わず、クラウディアは気難しという印象。だが、目的のために、この二人のどちらかを懐柔せねばならないと接近を試みる。
口火を切ったのはアッシュだった。
「おまえは……アイリスにつきまとっている王子だったか」
「事実を誤認しているようだな。あれが俺の周りをちょろちょろしているだけだ」
売り言葉に買い言葉、アルヴィンが反論する。
「まったく、おまえ達は盛りのついたオスか。メスの奪い合いなら私がいないとこでやれ。もっとも、おまえ達が勝手に優劣を付けたところで、あの小娘がどうこうするとは思えぬがな」
クラウディアがこれ見よがしに溜め息をつく。
その辛らつな指摘にアルヴィンとアッシュは同時に口を閉ざした。
彼女はそれを横目に、「それで、頼みというのはなんだ?」と促してくる。
「頼みというのは他でもない、俺も隠れ里に同行させて欲しい」
それを聞いたアッシュが「なら、俺には関係のない話だな。アイリスの妹を隠れ里に連れて行くのはクラウディアだからな」と言い、自分は関係ないという態度を取った。
アルヴィンはあらためてクラウディアに視線を向ける。
「だ、そうだが?」
「隠れ里へ同行したい、か。……なるほど、精霊の加護が目当てか」
(さすがに察しがいいな)
加護持ちの薬師だが、さきの襲撃の折には仲間を指揮して敵を退けたことも知っている。アルヴィンは、彼女の説得は一筋縄ではいかないと気を引き締める。
「俺は既に隠れ里に足を踏み入れたことがあるし、その際にはアストラルラインのたまり場への立ち入りを許されている。拒否する理由はないはずだが?」
「たしかに、な。だが、それならばなぜアイリスを通さない?」
「おまえ達に頼んだ方が早いと思ったからだ」
「嘘だな。アイリスに話せば、反対されると分かっているからだろう」
「……ちっ、知っていたか」
「ああ。ずいぶんと派手にやらかしたそうだな」
クラウディアがふっと口の端を吊り上げる。精霊の試練を受けようとするアルヴィンと、それを止めようとするアイリスの戦いは里では有名だったりする。
派手な戦闘音を聞きつけて飛んでいき、現場を目撃した者が話の種にしたからだ。
「ならば交渉の方法を変えよう。どうすれば俺の頼みを聞いてくれる?」
「笑わせるなよ、小僧。私がアイリスの嫌がることをすると思っているのか?」
「ほう? おまえはアイリスにずいぶんと素っ気ない態度を取っていたはずだが?」
「――クラウディアは素直じゃねぇからな」
「黙れ、アッシュ」
クラウディアはアッシュの横やりを一刀のもとに斬り伏せる。
アイリスがこの場にいれば「ツンデレのディアちゃんも可愛いです」とかなんとか言いそうだが、幸いなことに彼女はこの場にいない。
クラウディアはアルヴィンに冷たい眼差しを向けた。
「私が、アイリスの肩を持つことがそんなに意外か? もしそうなら――」
出直してこいと彼女が口にするより早く、アルヴィンは首を横に振る。
「予想通りだ。そして期待通りでもある」
「期待通り? ……なるほど、あれは中々に気高い娘だからな」
アイリスは、自分を護るために、他人が危険を冒すことを認めるような性格ではない。だからこそ、アルヴィンはアイリスの意思に反して力を得ようとしている。
彼女を護るために。
クラウディアは、わずかなやりとりだけでそこまで察してしまった。
余談であるが、アルヴィンとアイリスの衝突は、端から見るとじゃれ合っているようにしか見えない。ゆえに、自分の安全のために、アイリスがアルヴィンを精霊の加護から遠ざけようとしているなんて、さしものクラウディアも思い至らなかった。
しかし――
「話は理解したが……断る」
クラウディアは彼の願いを拒絶した。
「……なぜだ?」
「アイリスが望んでいないからだ」
アルヴィンは、アイリスを護るための力を求めている。それを理解した上で、アルヴィンを気遣うアイリスの想いを優先したのだ。
アイリスがその事実を知れば、物凄く複雑な顔をしそうな結論である。
そして、クラウディアの反応はアルヴィンに取って計算外だった。
クラウディアはなにやらアイリスを可愛がっている。だからこそ、アイリスが嫌がろうとも、アイリスを護ることになるなら、アルヴィンの頼みを聞くと思っていたのだ。
「これは、困ったな……」
相手が隠れ里の住人では王子の権力も使えない。アルヴィンにとって、アイリスを護ることになる――と言うのが、クラウディアに対する最大の切り札のつもりだったのだ。
「おい、おまえ。たしか、アルヴィンとか言ったな」
いままで他人事のように見守っていたアッシュが口を開いた。アルヴィンが「なんだ?」と視線を向けると、彼は険しい表情で問い掛けを始めた。
「おまえ、このまえは俺に、アイリスは黙って護られるような女じゃない――とかなんとか、言ってなかったか?」
それなのに、本人に内緒で護る力を手に入れようとはどういうことだと、その黄色い瞳が怒りを滲ませていた。アルヴィンはそれを真正面から受け止め、さも当然のように言い返す。
「たしかにそう言ったな。だから、こうして苦労している」
「……あん?」
「黙って護られるような女ではないから、あの手この手で護る必要がある。正確には、いざというときのために見護る、といった方が正しいかもな」
護るだけなら難しくない。
アイリスを城に閉じ込めてしまえば済む話だからだ。
だが、見護るのは違う。
アイリスの自由を尊重した上で、いざというときに護れるように備える必要がある。
どちらが大変かは説明するまでもないだろう。
「……それが、アイリスの望んでいることだと?」
「いいや、あいつならよけいなお世話だと怒るだろう」
「だったら……」
おまえはどうして――と、アッシュの目が問い掛けてきた。アルヴィンはそれに無言で応じる。ほどなく、アッシュが溜め息を吐いた。
「しかたねぇ。俺がおまえを隠れ里に案内してやる」
「……いいのか?」
アッシュが頼みを聞いてくれるとは思っていなかった。明らかにアイリスに対して好意を抱いているアッシュは、アルヴィンの頼みを断ると思っていたからだ。
「おまえは気にくわないが……アイリスになにかあったら困るから」
「そうか……恩に着る。ところで――」
アルヴィンはクラウディアの反応をうかがった。
いまのアルヴィンは、アイリスが望んでいないことを為そうとしている。それに対し、クラウディアがどういう反応を示すか分からなかったからだ。
だが、クラウディアは「勝手にしろ」と肩をすくめた。
「……止めないのか?」
「私がおまえを止めることも、彼女は嫌がるだろうからな」
アルヴィンは面食らった顔をして、それから喉の奥で笑った。
「ずいぶんな入れ込みようだな」
「それをおまえが言うのか?」
挑発するアルヴィンに、クラウディアが牙を剥く。そんな二人のやりとりを見せつけられたアッシュは盛大に溜め息を吐いた。
「……ったく、おまえら、どっちもどっちだろ」
「「おまえが言うなっ!」」
――と、不毛な言い争いはあったが、とにかくアルヴィンは隠れ里へ向かうことになった。無論、アイリスには内緒で、である。
そのために、アルヴィンはフィオナに偽装工作を依頼した。
「え、お兄様が留守なことをアイリス先生に誤魔化すの?」
「ああ、一週間から十日程度だ。出来るか?」
「嫌だよ、私がアイリス先生に怒られそうだもん」
「誤魔化してくれたら、強くなった俺と手合わせが出来るぞ?」
「……私、アイリス先生から、王族らしい立ち回りを練習するように言われてるんだ。だから、先生に隠し事をする練習をしてみるね」
「……ふむ、悪くない建前だ」
アルヴィンの要望を叶えて取り引きを成立させつつ、先生に言われた立ち回りのお勉強をしただけだという免罪符を用意したフィオナを褒める。
フィオナの頭を撫でて「では行ってくる」と踵を返した。
「アルヴィンお兄様、気を付けてね」
フィオナの気遣いに、アルヴィンはふっと口元を緩めた。それから、背中越しに片手を挙げて答え、アイリスに内緒で町を抜け出した。
こうして、アルヴィンは精霊と契約を交わすのだが――それはまた別の機会に語ろう。