エピソード 2ー4 目が離せない女性
「あらためまして、フィオナ・レムリアだよ」
「わたくしはアイリス。訳あって家名を伏せていますが、アイスフィールド公爵家の娘です」
レムリアの王城にある訓練室で、アイリスとフィオナは静かに対峙していた。両者ともに身軽な服装で、手には殺さずの魔剣を携えている。
いわゆる魔導具で、当たっても痛みを受ける程度に殺傷力を抑える効果がある。
また、同席するのはフィオナのメイドだけで、アルヴィン王子を初めとした野次馬はいない。フィオナが見学を断った結果である。
「どうしてアルヴィン王子の同席を断ったのですか?」
「え? ……うぅん、なんとなく、だよ。他に見ている人がいると、貴方が本気を出してくれないような気がしたから」
「……鋭いですね」
さすがは前世のわたくしと自画自賛。
実際のところ、身体能力では大きくフィオナに水をあけられている。反射神経や技量ではアイリスが上回っているはずだが、純粋な剣の勝負では勝てない可能性が高い。
けれど、そんな内心は決して零さず、アイリスは不敵に笑って見せた。
「残念ながら、フィオナ王女殿下のそれは杞憂ですよ」
「へぇ……どうして?」
「いまの王女殿下では、わたくしに本気を出させることは出来ないからです。わたくしは魔術を使いませんが、それ以外は全てありで構いません」
言い終わるより早く、地面を蹴ったフィオナが懐に飛び込んでいた。
彼女は既に殺さずの魔剣を振るっていて、このタイミングから防ぐことは不可能――なはずだったが、アイリスはその一撃を危なげなく受け止めた。
「へぇ……いまのを受け止めるんだ?」
「予備動作が大きすぎで狙いがバレバレです」
余裕の笑みを返す――が、腕は思いっきり痺れている。年下のフィオナが、自分よりも圧倒的な身体能力を誇っている。
アイリスがフィオナだったときは自分の身体能力を当然と受け入れていたが、いまはなんて理不尽なのかと愚痴らずにはいられない。
(この挑発で動きが雑になってくれれば良いのですけど……)
鍔迫り合いしていた剣を押し込まれる。
フィオナはその反動で飛び下がり、その瞬間に剣を引きつける。予備動作が大きすぎると挑発されたフィオナは、さきほどよりもコンパクトな攻撃を放ってくる。
(そうですよね。前世のわたくしはそういう性格でした)
良くも悪くも純真でまっすぐ。
理想の教え子だが、相手をするのは非常に厄介だ。
フィオナの速攻を辛うじて弾いたアイリスはそのまま後ろに下がる。そこにフィオナが追いすがり、右、左、右と見せかけての刺突と息もつかせぬ連続攻撃を放ってくる。
フェイントは問題ない。
フィオナとしての記憶があるアイリスにとって、いまのフィオナが放つフェイントはむしろ、次はこの攻撃を放つと教えてもらっているも同然だ。
むしろ問題なのは純然たる速度と力。
賢姫として魔術主体の訓練をして育ったアイリスの身体能力は決して高くない。後の先を取ってフィオナの攻撃を捌くが、だんだんと押し込まれていく。
フェイントよりもスピードで押した方が有効。そう判断したフィオナがフェイントをなくして攻撃を最適化させたからだ。
(まぁ……予想通りの展開ですね)
剣姫と賢姫が剣のみで戦えばどちらが優勢かは火を見るよりも明らかだ。
アイリスは賢姫としてではなく剣姫として、密かに剣精霊の加護を発動させた。
魔術は使わないが、その他は全てありと口にしたのはこれが理由。フィオナを挑発したように見せかけて、密かに精霊の加護を使うのが目的だった。
精霊の加護を得たアイリスは、向上した身体能力を生かしてフィオナに詰め寄る。
「――なっ」
フィオナが目を見開いた。
いままで技量では及ばずとも速度では勝っていた相手に先の先を取られた。そのことに動揺しつつも、懐に飛び込んできたアイリスに向かって剣を振るう。その判断はさすがだと言わざるを得ないが、技量だけでなく身体能力も上回ったアイリスには遠く及ばない。
強引に振るわれたフィオナの剣を軽く弾き、無防備になったフィオナに向かって剣を振るう。体勢を崩したいまのフィオナにそれを防ぐ術は――一つしか残っていない。
「まだ――まだぁっ!」
フィオナの瞳が青く染まった。
それはフィオナが剣精霊の加護を最大で発動させた証。
アイリスにはなかった変化を持って、フィオナは自分の身体能力を跳ね上げる。神速の一撃をもって、アイリスよりも速く剣を振るい――虚空を斬り裂いた。
「……え?」
(やはり、この頃のわたくしはまだ未熟ですね。この様子だと、誰かの記憶を引き継いでいるとか、そういうこともなさそうです)
目標を見失って動揺するフィオナを背後から見つめながらそんな風に結論づける。
一呼吸遅れてその事実に気付いたフィオナが身体を捻るが――遅い。フィオナが攻撃範囲から逃れるよりも速く、その首筋に剣を突きつけた。
「いつの間に……」
「精霊の加護を発動させる瞬間は意識が散漫になります。あのタイミングで全力で加護を使うのは悪手でしたね。加護を最小限に抑えていればわたくしを見失うことはなかったでしょう」
アドバイスを口にするが、敗北した瞬間にぶつけられた言葉と考えれば、挑発と受け取られても仕方がない。だが、フィオナの瞳はキラキラと輝き始めた。
「凄い凄いっ! アイリスお姉ちゃんすごぉい!」
「そ、そうですか?」
アイリスの胸に飛び込んでくる。
その無邪気な行動に反応出来ず、懐に飛び込まれるのを許してしまう。
「アイリスお姉ちゃんこそ、私が探していた理想の教育係だよ!」
「では、王女殿下はわたくしを教育係として認めてくださいますか?」
「もちろんだよ! それに私のことはフィオナって呼び捨て――はさすがに無理かな? でももっと親しげに呼んでくれて良いから、これから仲良くしてね、アイリス先生!」
蕩けそうな微笑みを浮かべ、純粋な好意をぶつけてくる。
(どうしましょう……前世のわたくしが可愛いすぎます)
母性本能と言うべきか、それともナルシストと言うべきか。
とにかくフィオナを護ってあげたい衝動が強くなる。前世のわたくしみたいに悲しい目には遭わせませんからね――と、アイリスはかつての自分をぎゅっと抱きしめた。
◆◆◆
アイリスとフィオナが訓練室に行った後。同行を断られたアルヴィンは、クラリッサに用意させた紅茶を片手にカフェテラスでくつろいでいた。
「そう言えば、おまえは馬車旅の中でアイリスとずいぶんと打ち解けたようだが、あいつがフィオナの教育係に志願した理由は聞き出せたのか?」
「いえ、残念ながら上手くはぐらかされてしまいました。ただ……」
クラリッサが言葉を濁した。
「どうした、なにか言いづらいことなのか?」
「いえ、その……自分と対となる剣姫がどのように扱われているか、大切にされていると知って嬉しい、と。もしかしたら彼女は、リゼル国で不当に扱われていたのでは、と」
「まさか、国の象徴だぞ?」
「ですが、婚約も一方的に破棄されたのですよね?」
「そう言われると……たしかに不自然だな」
アイリスが不当に扱われていた可能性。前世の自分が大切に思われて嬉しかったなどと言えずに誤魔化した、アイリスの出任せが予想外の疑惑を植え付けることとなった。
その疑惑が後で問題を引き起こすとか起こさないとか。
アルヴィンは紅茶を口に付け、ところで――と話題を変えた。
「おまえはさっきからなにをソワソワとしているんだ?」
「申し訳ありません。二人の戻りが遅いと気になってしまって」
「ああ、そのことか。そろそろ戻ってくるだろう。心配することはなにもない」
主にそう言われたクラリッサは引き下がるが、その表情から納得いっていないことは明らかで、アルヴィン王子はフフッと小さく笑った。
「そこまで心配する相手はフィオナか、それともアイリスか?」
アルヴィンの問いにクラリッサは沈黙を返した。本来心配するべきなのは王女であり、それを口にしないことこそが答えも同然である。
「そこまで入れ込むとは珍しいな。もしや、襲撃時に護られたことで惚れたのか?」
冗談めかして問い掛けた瞬間、クラリッサの澄ました顔がポンと赤く染まった。本人にもそれは分かったのだろう。彼女は慌てて両手で頬を隠す。
「ち、違いますよっ!」
「ふっ、その割には慌てているようだが?」
「た、たしかにアイリスさんは格好いいですし、腰が抜けた私を抱き上げてくださったときも、アイリスさんの整った顔が視界いっぱいに映って、あ、まつげ長いなとか、なんか良い匂いがするなとか思いましたけどそんなんじゃありません!」
「……そ、そうか」
もしや本当に惚れているのではと思ったアルヴィンだが、深くは突っ込むまいと疑問を飲み込んだ。戦場を駆け抜けた経験もある彼は引きどころもわきまえているのだ。
「とはいえ、フィオナ様は剣による勝負を挑まれておりましたし、心配するのはやはりアイリスさんではありませんか?」
「……いや、それはどうだろうな」
フィオナが挑んだのは剣技。であれば、賢姫よりも剣姫の方が圧倒的に強い。そんなクラリッサの予想に、アルヴィン王子が疑問を呈した。
「アルヴィン様は、アイリスさんが勝つと思われているのですか?」
「おそらくな」
「ですが……」
「たしかに、アイリスは鍛えているようには見えぬ。あるいはおまえにすら、純粋な力比べでは勝てないかもしれないな。だが、あれが矢を叩き落としたことは知っているだろう?」
「それはもうっ! 駆け寄って私をぎゅっと抱きしめると、クルリと身を翻してあの白く繊細な手で矢を打ち落としてしまったのです、とても素敵でしたっ!」
「お、おう。というかおまえ、あのときは状況を把握していなかったのでは?」
「他の方に聞いて回ってたりして足りない情報を埋めました。いまの私には、あのときの凜々しいアイリスさんの姿がしっかりと目に浮かびますっ!」
「…………」
もはやなにも言うまいと、アルヴィンは口を閉ざした。
ちなみに、アルヴィンもアイリスが矢を打ち落とす瞬間からしか目撃していない。だが、森から放たれた矢を素手で打ち落とし、クラリッサを護ったのは間違いない。
林から放たれた矢は、クラリッサへの直撃コースだった。もしアイリスが防がなければ、下手をしたらクラリッサは死んでいた。
そうでなくとも、大怪我を負っていただろう。
(トラウマになっているやもと心配したが……アイリスのおかげか。少々行き過ぎな気はするが、まぁ良いだろう。それに対して俺はなんと不甲斐ない。あの日の誓いはなんだったんだ)
フィオナの両親――つまりはアルヴィンの伯父と伯母も魔物に殺されている。自分を可愛がってくれた彼らを失ったとき、アルヴィンはもう二度と同じ悲劇を繰り返さないと誓った。
なのに――アルヴィンはクラリッサを危険にさらしてしまった。
取り返しのつかない悲劇を繰り返すところだった。
だが、幸いにしてその悲劇は回避された。
「アルヴィン様?」
「ん? あぁ……アイリスが勝つと思う理由だったな」
自分がいつの間にか考え込んでいたことに気付いたアルヴィンは頭を振って、アイリスが矢を叩き落としたときの光景を思い返す。
あれを再現するだけなら、アルヴィンはむろん、フィオナでも可能だろう。だが、アイリスと同じ身体能力で同じことが出来るかと言われると首を傾げざるを得ない。
「少なくともあいつは、あの華奢な身体でなお、フィオナと同程度の剣士だ。しかも……ゴブリンに襲撃されたときの反応を見る限り、既に多くの実戦を経験している」
「……言われてみれば、襲撃にもまるで動揺していませんでしたね」
「そうだ。いくら訓練をしたところで、初陣では必ず浮き足立つ。俺とていまだに慣れたとは言いがたい。フィオナもおそらく、初陣ではあのように動くことは出来ないだろう」
「賢姫だから、でしょうか?」
「かもしれぬが……」
剣姫と賢姫はそれぞれの国の象徴であると同時に、有事の際には戦場に出ることになる。フィオナよりも年上の彼女が既に戦場に立っていてもおかしくはない。
ただし――
「少なくとも、公表されている範囲では、彼女が戦場に立ったという記録はない」
それは、アイリスの同行が決まって出発するまでの短期間に王子が調べた情報である。
「……不思議な方なんですね」
「ああ、実に面白いだろう」
「アルヴィン様、悪いところが出ていますよ」
クラリッサはメイドらしからぬジト目を向けた。それは、貴族の血を引き、アルヴィン王子の信頼厚い専属メイド、クラリッサだからこそ許される行為だ。
そうしてジトーッと主を睨んでいたクラリッサだが、おもむろにその瞳を輝かせた。
「ですが、アイリスさんは本来、魔術が専門ですよね。それなのに、フィオナ様に匹敵するほど剣も扱えるだなんて……素敵です」
「分かった分かった。まったく、そのうちファンクラブでも作りそうな勢いだな」
「アルヴィン様も入りますか?」
「既にある、だと!?」
「いまならギリギリ会員番号一桁です」
「しかも多い!?」
どこの誰がと思ったら、馬車旅で同行していた者達がメンバーに入っているらしい。既に俺の従者を切り崩しているとは恐ろしい奴だ――と、アルヴィンは謎の戦慄をする。
「……しかし、お前がそこまで評価するとは本当に珍しいな。すぐ、あの女はアルヴィン様を狙っています、騙されちゃダメですよ! とか口うるさいおまえが」
アルヴィンがからかうように笑う。
「私は貴方の友人として事実を忠告しているだけです。いままで連れてきた女性はみんな、フィオナ様の教育なんて興味がなくて、貴方狙いだったじゃないですか」
「……まぁ、それは否定しないがな」
王女の教育係である以上は女性である必要がある。
だが、アルヴィンが選ぶ女性はみんな教育係なんてどうでも良くて、アルヴィンに近付くためだけに引き受けようとした者ばかりだった。
それを肯定した瞬間、クラリッサの目がすぅっと細められた。
「いままで、フィオナ様の教育係を見つけないようにしていたのに、どうしてアイリスさんを教育係として連れて帰ってきたのですか?」
「さすが、よく見ているな」
苦笑いを浮かべて、さて、どこまで話したものかと考えを巡らせる。だがクラリッサの問いが、いままで教育係を見つけようとしなかった理由ではないと気付く。
「俺が教育係を見つけようとしなかった理由は訊かずとも良いのか?」
「そちらはなんとなく想像がつきます。それに、貴方のことは信じていますから。だからこそ、なぜ心変わりをしたのか知りたいのです」
「アイリスを選んだ理由なら答えは簡単だ。賢姫としての鎖を断ち切ったあいつなら、なにかを変えてくれるかも知れないと思ったからだ」
「……なにか、ですか?」
アルヴィンはその問いには答えなかった。だが、そのなにかが変わらないのであれば、フィオナは女王になるべきではないと彼は考えている。
それがいままで教育係を選ばず、アイリスを選んだ理由。
「ま、個人的な興味もあるがな」
「あら、もしかして惚れたのですか?」
さきほどのアルヴィンのセリフを使って、クラリッサがイタズラっぽく笑う。いままでの彼であれば、即座になにを馬鹿なと一蹴していただろう。
だが――
「あいつは色々な意味で目が離せないからな」
「目が離せない、ですか?」
答えをはぐらかし、小さな笑みを浮かべた。
出会いからして衝撃的だった。アルヴィンのことをいきなりお兄様などと呼んでおきながら、その興味は従妹のフィオナに向けられている。
アルヴィンの殺気を平然と受け止め、馬車旅では令嬢らしからぬ順応性をみせ、目の前で魔物が切り伏せられても眉一つ動かさない。
令嬢らしからぬ行動が目につくが、その立ち居振る舞いは淑女と呼ぶに相応しい。貴族らしい言質を取らせぬ言い回しを使いこなし、ダンスでは華麗なステップを踏んでみせた。
アルヴィンに対して警戒を剥き出しにしているが、同じ馬車の中では平然と眠りにつく。あれではまるで、警戒していると見せかけているかのようだが、そうする理由は思いつかない。
本当に、あいつはなんなんだとアルヴィンが思い出し笑いをしていると、そこへフィオナにしがみつかれたアイリスが戻ってきた。
戦闘訓練でどのような結果だったのかは一目瞭然だ。
「……どうやら、話は纏まったようだな?」
「はい。教育係として働くことをフィオナ王女殿下――いえ、お嬢様に認めていただきました。今日から、この城に滞在させていただきます」
杞憂だったとわかり、クラリッサがホッと息を吐く。その横では、面白い観察対象が今後も城に留まると知ったアルヴィンが表情をほころばせた。
だが――
「それから、わたくしのメイドの件ですが」
「あぁ、そうだったな。さっそく候補を集めさせよう」
「いいえ、それには及びません。もう決めましたから」
「……ほう?」
相づちを打ったアルヴィン王子はなにかを期待している自分に気が付いた。
普通なら、専属メイドを決めることに面白みなんてあるはずがない。だが、アイリスならばあるいは、なにか面白いことをしてくれるかも知れないと、そう思ったのだ。
そして――
「わたくしは彼女を雇いたいと考えています」
その言葉に、アルヴィン王子は「ほらな?」とクラリッサに視線を向ける。対してクラリッサも「たしかに目が離せませんね」と苦笑いを浮かべた。
アイリスが指し示したメイドはレベッカ。
黒幕を暴くために泳がせている内通者だった。