エピソード 2ー4
建築中の町にある屋敷に戻ると、アルヴィン王子から呼び出された。クラリッサの案内で彼の部屋に入ると、ソファに座っていた王子が立ち上がり、アイリスに詰め寄ってきた。
彼の青い瞳がアイリスを映し出した。
「……なぜ俺に呼ばれたか分かるか?」
「いえ、分かりません」
「そうか……」
彼は唐突にアイリスを軽く抱き寄せた。
片腕でアイリスの腰を抱き、もう片方の手がアイリスの頬に触れる。
そして――
「おまえが、こちらになんの連絡もなしにコトを大きくしたからだっ!」
「いひゃいですっ!」
ほっぺをむにゅっと引っ張られ、アイリスは苦情を申し立てる。それを無言で睨んでいたアルヴィン王子はふんと息を吐いて、アイリスの頬から手を放した。
「アイリス、隣国の王子と交渉すると言ったそうだな?」
「あぁ、はい。第二王子が研究したモルタルが欲しいので、魔族との仲介などと引き換えに、技術の提供をしてもらってはいかがかと」
「魔族との仲介の件、だと? どういうことだ」
「レムリアだけが取り引きをすることになれば、両国のパワーバランスが崩れかねない。そんな理由で、わたくしが介入したことを覚えていますか?」
「あぁ、アイスフィールド公爵家を関わらせたのだったな」
フィオナの目の前で、リゼルの人間として魔族に取り引きを持ちかけた。フィオナから功績を奪おうとして、それをフィオナに防がせるというお勉強の一環であった。
だが事実として、アイリスは実家に働きかけ、魔族に技術の支援をしている。一方の国だけが魔族と取り引きをすれば、両国のパワーバランスが崩れかねないのは事実だからだ。
だが――
「支援をしているのはアイスフィールド公爵領。厳密にいえばリゼル国ではありません。第二王子が取り引きに関われるように、わたくしがお父様を説得する、というカードを切ります」
「……おまえの一人勝ちではないか」
アイリスの実家は王族に恩を売ることが出来て、アイリスが溺愛するフィオナは取り引きを有利に進めることが出来る。
その上で、アイリスは両国のパワーバランスを保つという目的を果たしている。
「ですが、誰も不幸にはなりませんよ?」
「たしかにな。だからこそ非常に厄介だ」
アルヴィン王子は手で顔を覆って溜め息をついた。
「あの、なにか問題がありましたか? 妙案だと思ったのですが」
「いや、たしかに妙案だが、妙案であることが問題なのだ」
「どういうことでしょう? フィオナ王女殿下に立ち会っていただく予定なのですが」
リゼルの人間であるアイリスが、レムリア国で表立って功績を立てすぎるのはよくない。ということであれば、アイリスはもちろん理解している。
だからこそ、魔族との取り引きではリゼル側の人間として交渉に加わるなどして、レムリア側で功績を立てているのがフィオナやアルヴィン王子であることを印象づけているのだ。
今回もアイリスは調停役。交渉は第二王子とフィオナという形にするつもりなので、アルヴィン王子の心配は杞憂だと訴える。
「おまえが気を使っていることは理解した。だが、問題はそこではない。問題なのは、おまえが関わるたびに、事態が急展開を迎えるということだ」
「……変化に対応できない、ということでしょうか?」
「おまえについていこうとしている者ですら、置き去りにされている、というのが現状だ」
内容の善し悪しにかかわらず、急激な変化に忌避感を示す者はどこの国でも存在する。
だが、そういう人間ではなく、アイリスのもたらす変化を歓迎する者達。――たとえば、フィオナやアルヴィン王子、それにグラニス王やゲイル子爵を始めとした者達。
そういった者達ですら、アイリスのもたらす変化に対応しきれないと言われた。
「そこまで性急に動いているつもりはないのですが」
「俺はリゼルの人間に同情するぞ。もっとも、その結果が昨今の急成長だとすれば、決してアイリスのもたらす変化が悪いものだとは言えないが……もう少し加減をしろ」
「そう言われると……すみません」
よかれと思ってやったことでも、相手が喜ばなければ悪意に変わる。それを理解しているアイリスは反省してぺこりと頭を下げた。
「では、モルタルの件はなかったことにいたしますね」
「なにを言う。そのような話を逃せる訳なかろう」
アイリスの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。話に乗るつもりなら、さきほどの苦言、ついでに言えばほっぺたを引っ張られたのはなんだったのか。
「……ぶっとばしますよ?」
とりあえず、アイリスは可愛らしく小首をかしげた。
もちろん、目は笑っていなかったが。
「まぁ待て、最後まで話は聞け」
「……最後まで聞いたらぶっとばしてもかまいませんか?」
アルヴィン王子はふいっと視線を逸らした。最後まで聞いても納得できなかったらぶっとばそうと心に誓いつつ、アイリスはアルヴィン王子の話に耳を傾ける。
「隠れ里との取り引きでは町を作り、魔族との取り引きでは港を整備する必要がある。価値観の摺り合わせや、交易品の決定などでは重鎮が走り回っている」
「人手不足、という訳ですか」
「そうだ。だが、提案されれば受けぬ訳にはいかない。そなたの持ちかける提案はどれも魅力的で、そのチャンスをふいにするなど、周囲から無能の誹りを受けかねないからな」
たしかに、とアイリスは頷いた。
チャンスは、一度逃せば二度目があるとは限らない。明らかなチャンスに対して二の足を踏むところを見れば、アイリスだって同じような感想を抱くだろう。
だけど――と、アイリスの思考がアルヴィン王子の発言の趣旨に追いついた。アイリスが心の中で思い浮かべるのと同じように、アルヴィン王子が言葉を紡ぐ。
「これほどの話、受けて失敗してもまた無能の誹りを受けるだろう。たとえ、何処かの誰かが我らの許容量を超えるほどの提案をドカドカ持ち込んでいるのが原因だとしても、な」
グラニス王やアルヴィン王子が警戒するのも当然である。そう理解したアイリスがついっと視線を逸らすと、アルヴィン王子がその横顔に生暖かい視線を向けてきた。
「アイリス、なにか言いたいことがあるのなら聞いてやる」
「……えっと、その、ぶっとばすのはまた今度にしておいてあげます」
「言うに事欠いて、おまえは……」
ジト目を向けられ、アイリスは一筋の汗を流した。
「いえ、その……そちらの事情に気付かず、申し訳ないとは思います。ですが、おじい――グラニス王は、此花国と交易できないか? などと言っていましたよ? それなのに、許容量が限界だなんて、誰も思わないじゃないですか」
「はあ? 陛下がそのようなことをおっしゃったのか?」
「はい。フィオナ王女殿下が和菓子を気に入ったようで」
「……あぁ、なるほど」
アルヴィン王子は眉間を揉みほぐした。
「グラニス王もフィオナを溺愛しているからな」
「フィオナ王女殿下は可愛いので仕方ありません」
「フィオナが愛らしいことは認めるが、それでも限度というものがあるだろう。というか、アイリス。交易について、相談されたと言ったな? まさかと思うが……」
「むろん、全力で交易する手段を考え中です」
「諦めるという選択は……」
「ありませんよ、そんなの」
「おまえはほんっとうに……」
フィオナがお気に入りだなと、声にならない分だけ強調して聞こえた気がした。アイリスは頬を掻いて「一応、大事にはならないように気を付けるつもりではいますよ?」と弁解した。
「おまえの自重がどの程度宛てになるのか……まるで期待できないのだが、藁にも縋るしかないような状態なので期待はしておこう」
「酷い言われようですね」
「過去の自分を少しは顧みてみろ」
「フィオナ王女殿下が可愛すぎるので仕方ありません」
「顧みた上で反省する気がないのか、厄介な」
アイリスは視線を逸らしつつ、一応は気を付けますよと呟いた。だがその軽い口調とは裏腹に、内心では真面目に反省をする。
(まぁでも、本当に気を付けましょう。フィオナの迷惑になることはもちろん、お爺様の失態に繋がるようなことはしたくないですからね)
「事情は理解しましたが、モルタルの件はどうなさいますか?」
「まぁ……交渉次第だな」
「それだと、絶対にやることになると思いますが……分かりました。最大利益ではなく、コストパフォーマンスに重点を置くようにいたしましょう。ちょうど――」
と、アイリスが振り返る。それとほぼ同時に扉がノックされた。クラリッサがそれに応じ、用件を聞いた後にアイリスへと視線を向けた。
「アイリス様、ジゼル様よりお返事があり、いつでもお会いできるそうです」
「分かりました。いまから向かうと伝えてください」
「かしこまりました」
クラリッサがアイリスのメッセージを連絡役に言付ける。
それをよそ目に、アイリスはアルヴィン王子を見上げた。
「という訳で、いまから話し合いに向かいますが……同行しますか?」
「だから、行動が早すぎると……いや、いい。同行しよう。それと、フィオナにも同行してもらった方がいいだろう。――クラリッサ、伝言を頼む」
「かしこまりました」
こうして、慌ただしくも両国の王族を交えた公式の話し合いがセッティングされた。
アルヴィン王子とフィオナ、それにアイリスが護衛やら使用人やらを引き連れて、隣国の領土となる町の東側になる屋敷を訪れた。それに慌てたのはリゼルの者達である。
なにしろ、ジゼルが「会いたいから時間を取って欲しい」と姉から連絡を受け、いつでもいいですよと気楽に応じた結果――隣国の王子と王女がおまけとしてついてきたのだ。
慌てるな、という方が無理である。
とまぁそんな訳で、アイリス達は屋敷の待合室で待機していた。いまごろ、リゼルの使用人達は、大急ぎでレムリアの王族を出迎える準備中である。
その混乱っぷりは、待合室で待機しているだけでもありありと分かった。
「アイリス……ちゃんと連絡を入れたのではなかったのか?」
「実は、最初はジゼルにちょっと会えない? と軽く声を掛けただけだったんですが、ついでだったので、話し合いの席を設けたいな……と」
「さっき言ったことをもう忘れてないか?」
自重しろ、自重と、アルヴィン王子が溜め息をつく。
「大丈夫です。リゼルの使用人達は優秀ですから」
「その無邪気な信頼が、彼らの成長を促しつつも、多大な負担を掛けているのではないか?」
「それは否定しません」
成長してるんだから、大変でもいいじゃないと思うか。成長してても、大変なんだから自重しろと思うか。アイリスは前者で、アルヴィン王子は後者である。
と、そんな不毛なやりとりを見ていたフィオナが口を開く。
「ねぇアイリス先生、話し合うのはモルタルの件だけなの?」
「個人的には別件もありますが、話し合うのは主にモルタルの件ですね。さきほどお伝えした、レムリアが出せる条件は覚えていますね?」
「うん、それは大丈夫だけど……」
ここに来る前、アルヴィン王子や、町に滞在する担当官を交えた話し合いで決定した。自分達の出来る最大譲歩と、相手に求める最低限の譲歩。
その範囲内で取り引きが締結されるようにフィオナが交渉する予定である。
「心配せずとも、いまのフィオナ王女殿下なら大丈夫です」
フィオナにとっては、初めての正式な外交である。それに緊張しているのか、さきほどから何度も確認を取るフィオナが非常に可愛らしいとアイリスは微笑んだ。
「う、うん。がんばるっ!」
フィオナは交渉に臨むにあたり、刺繍を施した薄紅色のドレスを身に付けている。そのドレスの裾をきゅっと摑んで意気込みを口にした。
それからほどなく、アイリス達を出迎える準備が整ったという連絡を受けた。
アイリス達は案内に従って会議室へと向かう。そこには、リゼル側の担当者が数名。それに、第二王子のエリオットと、アイリスの妹であるジゼルが待っていた。
「アイリスお姉様!」
アイリスに気付いたジゼルが立ち上がり、プラチナブロンドのツインテールを大きく揺らして歩み寄ってきた。そのブルーサファイアの瞳には安堵の色が滲んでいる。
レムリア王族との話し合いを、急におこなうことになって緊張していたのだろう。
ジゼルはアイリスの妹で、将来は精霊の加護を得るかも知れない。それほどの才能を秘めているが、その歳は十二でしかないのだから緊張するのも無理はない。
だが、公式の場でいきなり姉のところへ飛んでいくのはマナー違反である。アイリスは優しく微笑みつつも、小さく咳払いをした。
「ご無沙汰しております、エリオット殿下」
「はい、ご無沙汰しています、アイリスさん」
ピンク掛かったプラチナブロンドの愛らしい女の子――ではなく王子。
エリオットもアイリスと同じように小さく笑って挨拶に応じる。その表情は、ジゼルに対する愛情こそあれ、その不躾に呆れるような感情は浮かんでいない。
それに小さな安堵を抱きつつ、ジゼルへと視線を戻した。
「それにジゼルも久しぶりですね」
「あ、はい。お姉様!」
状況を思いだしたのだろう。さきほどよりもテンパってしまったようだ。
「紹介いたします。アルヴィン王子はご存じですね。こちらはフィオナ王女殿下です」
「ジ、ジゼル・アイスフィールドです。フィオナ王女殿下、お目に掛かれて光栄です」
「フィオナ・レムリアです。アイリス先生にはいつもお世話になってます」
どちらもぎこちないが、精一杯挨拶する様子がとても可愛らしいと、アイリスはその身を震わせる。ついでに言えば、エリオットもジゼルの可愛さに目を細めていた。
とまあ、そんな感じで王族達の自己紹介は進んだ。
ちなみに、レムリア側はフィオナ、アルヴィン王子、アイリスに農水大臣のゲイル子爵を合わせた四人で、リゼル側にはエリオットとジゼルの他に、担当者が四名ほど参加している。
彼ら全員と挨拶を交わし、話し合いの席が幕を開ける。
最初に口を開いたのはエリオット第二王子だった。
「それで、レムリア側からお願いがあると聞いているが、一体どのような内容だろう?」
(お願いではなく、互いにとって有益な取り引きですよ)
交渉の場で優位に立とうとするエリオットの先制攻撃。アイリスは内心で訂正するが、経験が浅いフィオナはその言葉に込められた意図に気付かなかった。
「話というのは他でもありません。エリオット王子が開発したと言う、モルタルの技術を我がレムリア国に提供して欲しいのです」
(ストレートに行きましたね……)
「それは……無償で提供して欲しい、ということでしょうか?」
「いいえ、もちろん対価はお支払いします」
搦め手で優位に立とうとするエリオット王子に対し、どかーんとぶつかるフィオナ。それぞれの国の特徴がよく出ていると言いたいところだが、前哨戦はフィオナの敗北である。
だが、二人のやりとりを見守るアイリスは――
(いつもと違う口調のフィオナも可愛いですよ!)
フィオナのいつもと違う一面に身悶えていた。ちなみに、そんなアイリスの内心を読み取ったのか、アルヴィン王子がアイリスに生暖かい視線を向けている。
この二人、話し合いに参加するつもりは零である。
こうして、リゼルとレムリアの王族達の交渉は始まった。