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エピソード 4ー2

 それから一週間が過ぎ去った。その間もグラニス王を筆頭に、国の重鎮達は様々な対処に迫られる。一番の問題となったのが、魔族の影響下にあった者達の扱いである。


 魔族に操られていたという点においては被害者。だが、唆されたとはいえ、自ら悪事を働いたことには変わりない。では、同じ罪を犯しても、魔族の影響力に応じて罰を変えるのか?

 そういう問題が絡み合い、それぞれの扱いが難航する。


「まぁ……わたくしにはあまり関係がないんですけどね」


 魔族を捕らえるための囮を買って出たアイリスだが、そもそもこの国の人間ではない。フィオナの家庭教師という肩書きに、この国の罪人を裁く資格はない。


 しかも、フィオナは次期女王として事後処理に関わったために大忙しで、家庭教師として彼女に勉強を教える暇はない。

 無論、事後処理については相談を受けているが、あまりアイリスが出しゃばるとフィオナの成長に繋がらないと考え、アイリスは必要最低限のサポートに留めている。

 という訳で、アイリスは実にのんびりとした日々を過ごした。


 リゼルから派遣されてくる者を待ちながらの薬草園の土弄りは早々に終え、町造りのあれこれについては担当にぶん投げる。

 アイリスはいま、南方より取り寄せたチョコレートを使ってのケーキ作りに挑戦していた。


 お城の厨房にアイリスが顔を出すと、料理人達が一角を貸してくれる。

 最初は他所の国の令嬢を厨房に入れることには難色を示されたのだが、最近は王族公認であるために誰もなにも言わない。

 むしろ、なにか珍しいお菓子を作るのかと、料理人達が見学に集まってくる。


 そんな中、アイリスはラフな服の上にエプロンを纏い、ウィスパーボイスで歌を歌いながら、ケーキに必要な材料を揃えていく。

 その流れるような作業と、透明感のある歌声に見学者達がアイリスに見惚れる。


 だが、アイリスはマイペースでボールに卵を落とし、そこに砂糖を加える。

 湯煎で少し温めながら、真っ白に泡立つまで風の魔術で掻き混ぜた。続いて薄力粉、ココアパウダー、生クリームを混ぜ込んでいく。

 後は型に流し込んで、オーブンで焼けばスポンジの完成である、


 焼き上がるまでの時間はおよそ三十分ほど。そのあいだにチョコクリームを作り、時折串を入れながらスポンジの焼き加減を確認する。


 ほどなくスポンジが完成し、冷めるのを待っていると背後から抱きつかれた。アイリスの腰にぎゅーっと抱きついてきたのはフィオナである。


「アイリス先生、疲れたよぅ~」

「もう少ししたら、甘いケーキが焼き上がりますよ」

「……甘いケーキ?」

「はい。南方より取り寄せたチョコレートのケーキです。甘くて美味しいですよ」

「甘くて美味しいケーキ、食べたい!」

「ふふっ、でしたら、もう少しで完成するので中庭でお茶会にしましょう」

「じゃあ中庭の準備は私がするねっ!」


 フィオナがクルリと身を翻して去っていく。

 それを見届けたアイリスは、冷めたスポンジを三枚に切り分け、そこにさきほど作ったチョコレートのクリームを塗ってはスポンジを重ね、最後は全体にクリームを塗った。

 後は上部に小さな縁を付け、湯煎で溶かしたチョコを流して冷やす。


 チョコが冷えて固まるのを待つ間、お茶会に運ぶためのお皿を用意する。その途中、再び背後から腰を抱き寄せられた。腰に腕を回し、そっと引き寄せる。

 その抱き方はアルヴィン王子である。


「ぶっとばしますよ?」

「フィオナのときと対応が違いすぎないか?」

「同じなはずがないでしょう? というか、いつからここにいたのですか?」


 フィオナのときと対応が違うと知っていると言うことは、それ以前と言うことになる。肩越しに振り返ってジト目を向けるアイリスに、アルヴィン王子は「俺も食べたい」と笑う。


「この王子、まったく人の話を聞いていませんね」

「勘違いするな。聞いた上でスルーしているだけだ」

「この王子、めんどくさいっ」


 料理人がいる前であるにもかかわらず失礼なことを言い放つが、アルヴィン王子はどこ吹く風である。アイリスは深々と溜め息をついてから「では一切れ差し上げます」と口にした。


「なんだ、俺もお茶会に参加させてくれないのか?」

「あら? ケーキはわたくしが作って、お茶会の席はフィオナ王女殿下が用意してくださっているのですが、アルヴィン王子はなにをしてくださるのですか?」

「……ふむ。肩を揉んでやろう」

「ぶっとばしますよ」

「心配せずとも、今日のおまえは血なまぐさくない」

「そんな心配はしてないよっ!」


 話にならないと、アイリスは額に手を添えて溜め息をつく。


「……ふむ。では……そうだな。そのケーキは甘いのだろう? 俺が飲んでいるコーヒーと合うのではないか? あれを用意するというのはどうだ?」

「仕方ありませんね、それで手を打ちましょう」


 妥協案に応じる。アイリスが作業に戻ろうとすると、アルヴィン王子が「ところで……」と、アイリスの首筋に顔を寄せた。


「今日は甘い匂いがするのだな」


 アルヴィン王子がふっと笑う。

 アイリスが振り向きざまに裏拳を放つが、アルヴィン王子はさっと離れて回避。


「では、コーヒーを用意をしてくる」


 そう言って、あっという間に厨房から退出していった。残されたアイリスは憮然とした顔でそれを見送りつつも、フィオナとアルヴィン王子が二切れ食べることを想定して切り分ける。

 その上で、残った分は自分の使用人達に分け与え、自分は中庭へと足を運んだ。



 やってきた中庭では、フィオナとアルヴィン王子が仲良く席に座っていた。この二人の関係も、アイリスの記憶にある前世よりも仲良くなっている。


 もっとも、アイリスのことが絡むと言い争いになることも多いのだが……どちらかというとじゃれ合い。仲が良いからこそ、遠慮なく言い合えるのだろう。


 そんな二人を微笑ましく思いながら、アイリスの指示でネイトとイヴがケーキを運ぶ。続けて、クラリッサがそれに合わせてコーヒーを並べていった。

 ちなみに、フィオナはミルクたっぷりコーヒーである。


「さて、チョコレートケーキとやらの味はどうだ?」

「いただきまーす」


 アルヴィン王子がケーキを観察しているあいだに、フィオナが一切れ口に放り込んだ。本来ならアイリスが毒味を兼ねて一番に食べるのだが、信頼していると示した――

 訳でなく、単に待ちきれなかったのだろう。

 何度か口をもごもごと動かしたフィオナは「~~~っ」と幸せそうに身悶える。


 口にケーキを入れたまま喋るような真似はしないが、その満面の笑みを見れば、フィオナがチョコレートケーキを好んでいることは明らかだ。

 ついで一切れ食べたアルヴィン王子も軽く目を見張っている。


 それらを横目に、アイリスもフォークで切り分けたチョコレートケーキを口に運ぶ。それとほぼ同時、咀嚼を終えたフィオナが美味しいと声を上げた。


(やはり、思った通り甘いですね。……疲れているフィオナにはちょうどよさそうですが)


 アイリスはコーヒーと合わせて楽しむことで甘さを緩和。それを見ていたアルヴィン王子が同じようにコーヒーを口にする。その表情からは気に入ったかどうか分からない。


「気に入っていただけましたか?」

「そうだな。俺には少し甘すぎると思ったが、コーヒーと合わせるとちょうどよい」


 アルヴィン王子はチョコレートケーキとコーヒーの組み合わせが気に入ったようだ。だが、この国の王子が真顔でチョコレートケーキを批評している姿はなんだか笑えてくる。


「……なんだ、なにか言いたげだな?」

「いいえ、なんでもありませんわ。それより、大がかりな粛清から一週間が経ちましたが、後始末の方は終わりそうなのですか?」


 アイリスが問い掛けると、二人とも苦々しい顔をした。それから揃ってチョコレートケーキで口直しをするような素振りを見せる。


「……どうやら、難航しているようですわね」

「そうだな、すべて一纏めに出来ないのが難しいところだ」

「まぁ……どこまで罪に問うか、難しいですよね」


 たとえば、アイリスを危険な場所に連れ出したレジーナ。彼女は国賓ともいえるアイリスを暗殺する片棒を担いだとも言えるが、魔族に操られた部分が非常に大きい。


 だが、魔族に操られていたから無実だとすると、レガリア公爵も無罪と言うことになってしまう。もちろん、実際にはあり得ないことだが、その違いを明確にするのが難しい。

 ゆえにアルヴィン王子やフィオナは大忙し、ということのようだ。


「そういうアイリス、おまえはどうなのだ? リゼルと連絡を取り合っているのだろう?」

「むろん、連絡は取り合っていますが、まだ魔族の件の結果は届いていません。そもそも、わたくしはリゼルを離れていますから、あちらのあれこれには深く関わっていません」


 以前のアイリスは王太子の婚約者として、将来を見据えて内政にも関わっていた。だが、いまのアイリスは賢姫とはいえ、他国に滞在するただの令嬢だ。


 相談を持ちかけられることもあるが、あちらには、隣国に滞在するアイリスにあまり情報を流したくないという事情もあって、アイリスに届く報告の内容は基本的に薄い。


「そういえば、第二王子とジゼルが頑張ってるみたいですよ」

「……ほう? それは、そういう意味か?」

「どうなんでしょう? 手紙にはそこまで詳しく書かれていませんが、二人が共同して今回の事件の解決に向けて頑張っているみたいですね」


 ジゼルはアイリスの妹で、実力的にも将来的に魔精霊の加護を受ける可能性は高い。とはいえ、幼いこともあってまだまだ未熟だ。本来なら、手伝うほどの実力はないだろう。

 そう考えれば、実力以外の理由で一緒にいる可能性も否定は出来ない。


「……ジゼルが望まないことを強いられているのなら問題ですが、手紙を見る限りはそう言う訳でもなさそうなので、まぁ……将来が楽しみですね」


 ジゼルが望んで王太子妃になる。

 そんな未来を想像して、アイリスはにへらっと頬を緩めた。そんなアイリスを、フィオナがじぃっと見つめている。その視線に気付いたアイリスが小首をかしげる。


「フィオナ王女殿下、どうかしたのですか?」

「アイリス先生の妹ってどんな子?」

「そういえば、言っていませんでしたか。そうですね、幼いながらもとても優秀ですよ。将来は、魔精霊の加護を受けるかもしれませんね」


 同じ精霊が複数の人間に加護を与えることはまずあり得ない。例外は、前世が絡んでいるアイリスとフィオナが、同時にアストリアの加護を受けているケースくらいである。

 なので、ジゼルがフィストアリアの加護を受ける可能性は限りなく低いが、他の魔精霊からの加護を受ける可能性は十二分に存在している。

 自慢の妹だと語れば、フィオナがぷくぅと頬を膨らませた。


「……負けないもん。私も、自慢の教え子だってアイリス先生に言わせてみせるから!」

「あら、フィオナ王女殿下はとっくに自慢の教え子ですよ」


 アイリスが微笑むと、フィオナは「……本当?」と小首をかしげた。やっぱりフィオナは可愛いなぁと、アイリスは相好を崩す。


「本当ですよ。それに、ジゼルはわたくしが教えた訳じゃありません。……というか、勝負を挑まれることは多いんですが、あまり教えを請われることはないんですよね」

「おまえの妹は、おまえを目標に頑張っている感じだったからな」


 だから、アイリスには頼りたくないのだろう、という意味。そうなのだろうかと、アルヴィン王子の言葉を聞いたアイリスは首を捻る。

 意外と、自分のことになると気付きにくいものである。


「……私も、アイリス先生に聞かない方がいいの?」

「先生のわたくしに聞かないで誰に聞くのですか? 遠慮なく聞いてください」

「ありがとう、アイリス先生。それじゃせっかくだから、さっそく聞いていいですか?」

「はい、もちろんですよ」


 フィオナに併せて居住まいを正し、先生っぽくフィオナの視線を受け止める。


「アイリス先生が参加したお茶会のグループですが、まとめ役のナタリアが魔族だったという理由で、解散の危機を迎えているんです」


 当然だ。レジーナは無論、リストに名前がある者は取り調べを受けている。だが、リストに名前がないからといって、魔族の影響下にないとは言い切れない。

 大半は無実だとしても、少なからず影響を受けている可能性はある。相乗効果を考えると、出来るだけ分散させる方が安全という結論に至る。

 それらを考えれば、彼女達の未来は非常に厳しいものになるだろう。


「フィオナ王女殿下は、その者達を救いたい、ということですか?」

「……ダメ、かな?」

「そうですね……」


 デメリットが非常に大きい。

 魔族だったナタリアが纏めていたお茶会のグループ。その者達をフィオナが救済すれば、今度はフィオナに魔族疑惑が生じる可能性が否定できない。

 他にも、彼女達を救うのなら、自分達も――という連中が現れるだろう。それらに比べれば些末なことだが、他にもデメリットは存在する。


 ただ、メリットがない訳ではない。

 彼女達の大半は無実で、にもかかわらず、このままでは将来が閉ざされる貴族令嬢達だ。もしもフィオナが拾い上げるのなら、彼女達はその恩を決して忘れないだろう。


 フィオナがただの王女として過ごすのなら手を貸す必要はない。だけど、フィオナが女王を目指すのなら――と、アルヴィン王子に視線を向けると、彼はこくりと頷いた。


「フィオナ王女殿下、デメリットを理解した上で、助けたいというのなら止める理由はございません。方法は……考えているのですか?」

「うん。ナタリアの代わりに、私が代表になればいいかな、って」

「――ふぐっ」


 不意になにかを堪えるような声が聞こえた。顔を上げると、なぜかアルヴィン王子とクラリッサが顔をそむけて肩をふるわせている。

 なぜそんな反応を示したのか理由を考えるが、アイリスには心当たりがなかった。ひとまず、フィオナがお茶会のグループの代表をすることについてだけ考える。


「そうですね……監視という体を取ればいいのではありませんか?」

「ほんと?」

「はい。監視なら周囲も文句を言えませんし、フィオナ王女殿下が引き立てるのなら、お茶会のメンバー達の不利益にもならないでしょう」

「じゃあ、そうするね!」


 喜ぶフィオナ。その横で、アルヴィン王子がなんとも言えない顔でアイリスを見ている。


「……なにか、言いたいことがあるのですか?」

「いや、おまえがいいのなら、なにも言うことはない。ただ、吟遊詩人や劇団が盛り上がりそうだなと思っただけだ」

「……?」


 アイリスはよく分からないと首を傾げる。

 なお、アイリスファンクラブのトップが実質的にフィオナになったことで、アイリスの武勇伝が流れに流れ、王都は大変賑わうことになるのだが……それはまた別の話である。


 三人はその後もあれこれ話し合いながらお茶会を続ける。それからほどなく、フィオナとアルヴィン王子がピクリと身を震わせ、席を立とうとする。

 だが、アイリスが身振りでそれを留めた。


「……イヴ、ケーキとコーヒーのお代わりを四人分。ネイトは席の用意をわたくしの隣に」

「はい、かしこまりました」


 アルヴィン王子とフィオナが困惑する中、二人は聞き返すこともなく指示に従う。そうして四人目の席が用意されたところで、アイリスは使用人を下がらせた。

 直後――


「答えを伺いに参りました」


 エリスが姿を現した。

 

 

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