エピソード 2ー3 教育係としての資質
タイトルを試験的に入れ替え中です。
三週間ほどの旅を経て、一行はようやくレムリア国の王城へとたどり着いた。
「アイリス、以前に話したとおり、当面おまえの正体は秘密だ」
「心得ております」
アルヴィン王子に念を押されたアイリスがこくりと頷く。
リゼル国の象徴たる賢姫がレムリア国に渡るというのはそれだけで騒動になりかねない。
ゆえにアイリスの正体を既に知っているアルヴィン王子の配下を除けば、陛下を初めとした一部の者だけに伝えるということで話が纏まっている。
「せっかくですから、わたくしはただの村娘と言うことでいかがでしょう?」
「おまえのような村娘がいてたまるか」
「がっかりです」
(なんの気兼ねもなく自由に動き回れるチャンスだったのに)
本気でそんなことを考える。
この旅でアイリスの本性を理解したアルヴィン王子にはその心の声が聞こえたのだろう。彼はこめかみをグリグリと揉みほぐした。
「おまえはさる高貴な家の生まれだが、事情があって家名を名乗ることは出来ない。そういう設定で行くと話し合っただろう?」
「まぁ嘘は吐かない方が無難ですものね」
賢姫であり、婚約破棄をされた事情があるので名乗れないという意味。だが、聞いた者が、認知されていない貴族の隠し子だと誤解するのは勝手である。
「まず旅の汚れを落として来い。それから専属のメイドを決めてもらう」
「専属メイド、ですか?」
「おまえに使用人を付けぬ訳にはいかないからな、色々な意味で」
身分的な意味だけでなく、監視が必要という意味だろう。それを隠すつもりがないということは、ある程度は信用されているのだろう。
断る理由はないが――と、アイリスはクラリッサに視線を向ける。
「今日は事情を知っている彼女に任せるが、そのまま専属に引き抜くのはダメだ。クラリッサがいなくなると俺が困るからな」
「かしこまりました」
一瞬だけ、アルヴィン王子が困るのならぜひと思ったアイリスだが、さすがに無理だろうと引き下がった。そうして入城したアイリスは、クラリッサに案内を任せて浴室へと向かった。
その後、クラリッサ達の手によって身体の隅々まで磨き上げられたアイリスは、枝毛一つないプラチナブロンドを乾かしていた。
クラリッサを初めとしたメイドがアイリスの髪をタオルで拭う。それは公爵令嬢である彼女にとっては日常だったが、家を出たいまは失われた日々だったはずだ。
明らかに教育係以上の待遇を受けている。
「同僚だと言っておきながら、このようなことをさせてごめんなさいね」
「かまいません。これは私達の役目ですから」
「ありがとう、クラリッサ。それに貴方達もありがとう。いまはお世話になりますが、これからは同僚です。距離を置かずに親しくしてくださいね」
アイリスは穏やかな物腰で挨拶をしながら、鏡越しにメイド達の態度を盗み見る。
彼女達には、家名を名乗ることが出来ない貴族の娘と紹介してある。そのうえで腰の低い態度を示す自分に対してどのような態度を取るかを観察しているのだ。
若いメイドはおそらく貴族ゆかりの者なのだろう。佇まいこそ美しいが、腰が低いアイリスを前に少しだけ気を緩めるような態度を見せた。不合格。
だが、三十代半ばくらいのメイドは笑顔で応じつつも丁寧に髪を拭いてくれている。
(合格……って、あら? 彼女はもしかして……)
そのメイドは見覚えがあった。前世で関わることのあったレベッカだ。彼女と関わった苦い記憶を思い出し、アイリスは少しだけ目を細めた。
その視線に気付いたレベッカが手を止める。
「アイリス様、どうかなさいましたか?」
「いいえ、どうもいたしません」
(彼女を専属メイドに選ぶのも良いかもしれませんね)
前世での一方的に押しつけられた約束。アイリスにそれを果たす義務はないのだが、果たしたいと思う程度の義理はある。
少し話をしてみようかと考えていると、にわかに廊下が騒がしくなった。
「どうしたのでしょう?」
「フィオナ様がいらっしゃったようです。すぐに行くとお伝えください」
首を傾げるメイドに向かってアイリスが答えた。
「……は、え? か、確認してまいります!」
メイドの一人が慌てて部屋の外に様子を見に行く。それからほどなく「本当にフィオナ様がいらしています」と驚いた声で報告する。
それにクラリッサは目を見張った。
「……驚きました。アイリスさん、どうして分かったんですか?」
「剣姫の気配は独特ですから」
剣姫からは精霊の加護が感じられる。
もっとも、その気配をアイリスが察知できるようになったのは城を追放された後。いまのフィオナがこの場所にやってきたのは、賢姫の気配をたどった訳ではないだろう。
「申し訳ありませんが髪を乾かすのはここまでです。わたくしの荷物に魔術師の服が入っているので、それを持ってきてください」
「……魔術師の服ですか? かしこまりました」
なぜ魔術師の服なのかと言いたげにしながらも、彼女達はすぐさま行動に移る。個々で多少の質の差はあれど、さすがは王城で働くメイド達、といったところだろう。
とまぁそんな訳で、アイリスは魔術師の服に着替えた。
ノースリーブの上着に、刺繍の入った薄手のブラウス。ふわりと広がるロングスカートは腰の部分がコルセット風に絞られている。
アイリスがその服を選んだのは、自分が魔術師である証明。強さを重要視するフィオナには、魔術師であることを示した方が良いと考えたのだ。
「お初にお目に掛かります、フィオナお嬢様――」
自己紹介をしようとしたアイリスは息を呑んだ。
視線の先にはフィオナ・レムリア。
アイリスにとっては前世の自分でもある、レムリア現国王の孫娘。ピンクゴールドの髪はサラサラで、アイリスと同じアメシストの瞳は吸い込まれそうだ。
なにより、アイリスよりも五つ年下、現在十三歳のフィオナはとてもとても愛らしい。前世の自分がどうなっているのかとか、そういう考えは全て吹き飛んだ。
(……か、可愛いです。前世のわたくしが、とても可愛いですよ?)
笑わない賢姫と揶揄されるアイリスであったが、前世の彼女は笑顔の似合う女の子であった。客観的にその姿を目の当たりにしたアイリスはハートを打ち抜かれる。
そのまま引き寄せられるようにフィオナに近付いた。
「わたくしはアイリスと申します。貴方の教育係として、ここにまいりました。どうか、これから仲良くしてくださいね」
セリフは上品で、カーテシーでもしていそうな雰囲気だが、アイリスの顔は蕩けきっていて、その手はフィオナの頭を撫でつけていた。
その手がペチンとはたき落とされる。
「アルヴィンお兄様から聞いてるよ。でも、私が捜しているのはただの教育係じゃなくて、私より強い教育係なの。貴方は私を満足、させてくれるのかな?」
愛らしい顔で不遜な言葉を口にする。だが、それは理由があってのことで、アイリスはその理由を誰よりもよく知っている。
フィオナの母親もまた剣姫だった。
剣精霊の加護を得て剣姫の称号を得て、グラニス陛下の息子の元へと嫁いだ。いわゆる政略結婚だが、フィオナとしての記憶にある二人は仲睦まじかった。
優しい両親のことを、フィオナは心から愛していた。
だが、二人は馬車の移動中に魔物の襲撃にあって命を落とした。
護衛の騎士はもちろん、剣姫であるフィオナの母――ロゼッタも戦いに身を投じ、それでも襲撃を防ぎきれなくて、二人は折り重なるように亡くなっていたのだという。
だからフィオナは弱い人間には心を開かない。もしかしたら、両親と同じように自分の前からいなくなってしまうかもと不安になるから。
それを知っているアイリスは――
「どうぞ、お気の済むまでお試しください。戦う準備は出来ています」
上品にカーテシーをして、それから強気な笑みを浮かべて見せた。自分は貴方の前からいなくなったりしないという意思表示だ。
「へぇ……私と勝負してくれるの?」
「剣技、魔術、格闘でもなんでも、お嬢様の望む勝負を受けましょう」
「じゃあ剣技!」
フィオナが無邪気に言い放つ。
それは失う不安のない相手を求めているがための行動。それを理解しているアイリスは、フィオナがどこか儚くて愛らしいと微笑む。
そのうえで、彼女に認められるために挑まれた剣技の戦いを受けた。
むしろ、そのやりとりを理解できないのはクラリッサを初めとしたメイド達である。なにを言っているのですかと、慌ててフィオナを止めようとする。
「なにを騒いでいる?」
騒ぎを聞きつけたアルヴィン王子が姿を見せた。
「アルヴィンお兄様、お帰りなさいっ!」
フィオナがとても嬉しそうな顔をして、アルヴィン王子のもとへと駆け寄った。それを見た瞬間、アイリスは驚きに目を見開いて、次の瞬間には顔を真っ赤に染め上げた。
(ちょ、ちょっと待ってください。なんですかなんですか? どうみても、フィオナがお兄様に恋い焦がれる乙女のような顔をしていますよ?)
アイリスの認識でも、たしかに従兄を慕っていた記憶はある。だが、裏切られたことでその気持ちが消えてしまったことを差し引いても、せいぜいが憧れだったはずだ。
なのに、客観的な立場になったアイリスからは、フィオナがアルヴィン王子に恋い焦がれているように見える。いや、そうとしか見えない。
(まさか、当時のわたくしも……いえ、彼女は久々にお兄様に会えて興奮してるだけ。そうじゃなかったら戦闘訓練で興奮してるだけですね。そうじゃなければ……そう。この世界のフィオナと、前世のわたくしは似て異なる存在と言うことでしょう)
目の前の光景と前世の自分の繋がりを否定することで自分を保つ。
だが、思っていた以上にフィオナがアルヴィン王子を慕っているのは厄介だ。ここまで彼を慕っている以上、アイリスが彼を裏切り者だと糾弾しても無駄だろう。
むしろ、アイリスがフィオナに避けられる可能性が高い。
勝負をすることが出来れば、ある程度の信頼を得ることは出来るはずだけど……と、アイリスは平常を装って、澄まし顔で成り行きを見守ることにした。
「それで、これはなんの騒ぎなのだ?」
「実は――」
クラリッサが助かったとばかりに、彼に二人が戦おうとしていることを打ち明け、そのうえで止めてくださいとお願いをする。
しかし――
「別に構わぬのではないか?」
王子の一声にアイリスとフィオナの戦闘訓練が決定した。