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エピソード 4ー1

 レジーナの手引きで、アイリスが騎士崩れの連中に襲撃された。その事件現場に駆けつけたナタリアが、不意を突いてアイリスを短剣で刺した。

 その光景に辺りが静まり返る。

 その状況下で、ナタリアの小さな笑い声が響く。


「ふ、ふふっ、油断したわね、アイリス様」

「そうですね。たしかに油断しました。さすがにちょっと痛かったです」


 アイリスが不満気に言い放った。ただし、不満気ではあっても、苦しそうではない。どことなく暢気な口調にナタリアが目を見張った。


「ど、どういうことよ? まさか、賢姫は胸を刺されても死なないの!?」

「それはどこの魔女ですか。わたくしは普通の人間ですわ」


 アイリスはナタリアの腕を摑み上げ、クルリと回って腕を捻り上げる。

 ナタリアは堪らず短剣を取り落とした。続けてバランスを崩され、地面に引きずり倒される。そんな彼女の視界に、刃のなくなった短剣が映る。

 その近くには、刃だけが転がっていた。根元から綺麗に斬り落とされている。


「ま、まさか、あの一瞬で刃を斬り落としたって言うの!?」

「まぁそういうことですね」


 リストに載っていた魔族はナタリアだった。

 レジーナのように、リストには載っておらずとも、魔族の影響を受けている者がいることも想像はしていたが、アイリスがもっとも警戒していたのは最初からずっとナタリアだった。


 だから、ナタリアの手に短剣が見えた瞬間、アイリスは虚空から引き抜いた剣を迷わず振るった。それでも短剣の柄で胸を打たれたのは、ナタリアが想像以上に未熟だったからだ。


(脆い短剣に、刃を落とされたことにすら気付かず突っ込んでくる力量。人間に擬態が出来ると言っても、エリスのような戦闘力を持っている訳ではないのですね)


「ア、アイリス嬢、なにをなさるのですか!?」


 我に返ったナタリアの騎士達が騒ぎ立てる。


「……なにを? 彼女がわたくしを刺そうとしたのを見ていなかったのですか?」

「い、いや、それは……」


 動揺している騎士は、ナタリアの正体を知らないのだろう。だが同時に、この状況下でも明らかにアイリスを敵視している騎士達もいる。

 その者達は、レジーナのように操られている可能性が高い。


 アイリスはナタリアの背中に手のひらを押し当て、直接魔術を叩き込んだ。ナタリアがきゃあと、令嬢らしい悲鳴を上げる。


「アイリス嬢、お止めくださいっ。お嬢様にもはや抵抗の意思はございません!」

「貴方が真にファルディア子爵家を想う騎士ならばそこで待機です!」


 詰め寄ってくる騎士を一喝する。

 騎士ならばナタリアを救うべきだ。だが、ナタリアが罪を犯したのは明らかで、それを過剰に庇おうとするのなら、ファルディア子爵家に不利を招く。

 そのアイリスの指摘に、騎士達はわずかに迷った。


 その隙に、アイリスは攻撃魔術の出力を上げていく。ナタリアの悲鳴が絶叫へと変わり、彼女はほどなくして意識を失った。

 この時点で騎士達はナタリアをアイリスの手から救おうと動き始めるが、それとほぼ同時、ナタリアの身に付けるドレスの背中部分が破れ、そこから禍々しい翼が生えた。


「……なっ、なんだそれはっ!」


 騎士達だけでなく、最初の襲撃犯として捕らわれていた者達からもざわめきが上がる。


「これは魔族の証です」

「魔族!? まさか、魔族がお嬢様になりすましていたというのですか!?」

「そういうことに、なるのでしょうね」

「で、では、本物のお嬢様はどこに……?」


 アイリスは「分かりません」と顔を伏せた。


「そもそも、いつから入れ替わっていたのかも分かりません。周囲に影響が及んでいることを考えても、おそらく一年以上。あるいは……」


 最初からナタリアという人間はいなかったという可能性まである。その言葉は途中で飲み込んで、クレアに用意させた縄でナタリアを縛り上げた。


 その後、城から派遣された騎士団が到着し、罪人達を拘束。また、魔族の影響下にある可能性があるとして、ファルディア子爵家の騎士達も連行されていった。



 それから半日は時間との戦いだった。

 路地裏とはいえ、城下で派手な戦闘をおこなって、騎士が出動する騒ぎになった。ファルディア子爵家の令嬢を捕らえたことが明るみに出るのは時間の問題だ。


 ナタリアの影響下にあり、悪事を働いていた者達が事態を知れば証拠の隠滅を図るだろう。ゆえに、それよりも早く、リストにある者達の身柄を重要参考人として拘束する。


 別件で連行できる者は問題ないが、そうでない者の拘束は難しい。

 影響下にある者が必ずしも悪事を働いているとは限らない。派手な逮捕劇を演じた結果、特に罪を犯していないとなればそれはそれで問題だ。


 そんな訳で、あれこれ理由を付けて連行する。ある者は別の容疑で、またある者は重要参考人、もしくは保護という名目で、次々にリストの人間を連行する。


 それをグラニス王の部下、それにアルヴィン、フィオナが受け持った。

 アイリスはフィオナ王女殿下の家庭教師という肩書きのため、グラニス王の部下の一団を補佐するという形で協力している。

 リストにある王都の者達の身柄をすべて押さえ終わったのは深夜になってからだった。


 仕事を終え、城に戻ったアイリスは休憩室のソファに座り込んだ。

 同じく仕事を終えて戻り、向かいのソファに腰掛けたアルヴィン王子も疲労の色が隠しきれていないし、一足先に戻っていたフィオナに至ってはソファに座ったまま眠りこけている。


「……なんとか、終わりましたね」

「そうだな。さすがの俺も今日は堪えた」


 アルヴィン王子が深々と息を吐いた。

 身柄を拘束された者達の反応は様々だった。身に覚えにないことに激怒する者、のらりくらりと躱そうとする者、泣き崩れて許しを請う者、開き直って襲いかかってくる者。

 素直に応じる者は極わずかで、おおむねが抵抗の姿勢を示した。


 魔族の影響下にあるとはいえ、王都の有力者達だ。一筋縄ではいかない。正直なところ、開き直って襲いかかってくる者達は楽なレベルであった。


「……ところで、王都以外の者達はどうなりましたか?」

「おまえの作戦成功と同時に早馬を走らせた。到着次第拘束を開始するはずだ」

「そうですか。では、これで魔族の影響は一掃できそうですね」


 リゼルの方にもアイリスが早馬を走らせている。早ければ既に事は終わっている。そうでなくとも、こちらの事態が伝わる頃には終わっているだろう。


「それにしても……フィオナ王女殿下はよく頑張りましたね」


 アイリスは隣で眠りこけているフィオナの頭を優しく撫でた。夢現で聞こえているのか、眠っているはずのフィオナの整った顔がにへらっと崩れた。


 実のところ、フィオナが担当した者達は比較的、身柄を押さえやすそうな者達だった。

 だがそれでも、アイリスの計算では自分達と同程度以上の作業時間を要する。遅れたフィオナの作業を、アイリスかアルヴィン王子が手伝う予定をしていた。


 にもかかわらず、フィオナは自分の担当を終えて一足先に戻っていた。いつごろ戻ったかまでは把握していないが、ソファで眠ってしまう程度の時間はあったと言うことだ

 最近の成長を加味していたにもかかわらず、フィオナはアイリスの予測を上回ったのだ。


(わたくしは、いつまでフィオナの家庭教師でいられるのでしょうね)


 アイリスはフィオナの家庭教師で、既に一年以上が過ぎている。

 彼女が立派な女王になっても、あるいはならなくても、いつかは家庭教師の役目を終えることとなる。すぐのことではないかもしれないが、そう遠くない未来のことにも思える。


「アイリス、なにを考えている?」

「フィオナ王女殿下が可愛いなぁと考えています」

「そうか……」

「そうですよ」

「そうか」


 珍しく空気を読んだのか、アルヴィン王子は追及してこない。アイリスに頭を撫でられていたフィオナがずるずると横にずり落ち、アイリスの膝を枕にする。


「こうしている姿を見るとまだまだ子供なのに、あっという間に成長してしまいましたね」

「そうだな。そしてそれはアイリス、おまえのおかげだ」

「だとしたら嬉しいです」


 前世のフィオナといまのフィオナ。時期的に考えると、いまのフィオナの方が立派に育っている。自分の成れなかった立派な王女としての姿に誇らしさを感じる。


「……おまえはなんと言うか、フィオナの母親のようだな」

「あら、では王子が父親だとでも言うつもりですねぶっとばしますよ?」

「勝手に決めつけてぶっとばそうとするな、理不尽な」


 アルヴィン王子が不満気な顔をするが、アイリスはクスリと笑った。

 実際のところ、アイリスはフィオナを護ろうとするあまり、厳しくなりきれないというきらいがあった。アルヴィン王子がそこを補ったからこその成長だろう。

 その一点においては、アイリスも最近はアルヴィン王子のことを評価している。

 もっとも――


 アルヴィン王子が向かいのソファからローテーブルに片手をついて身を乗り出し、アイリスの髪の一房を掬い上げた。

 すぐに余計なことをする、邪魔っぽい存在なのはいつになっても変わらない。


「……勝手に髪に触らないでください、ぶっとばしますよ」

「心配するな。多少汗を掻いていても、おまえの匂いなら……血なまぐさいな」


 アイリスは問答無用で魔術を放った。アルヴィン王子はグッと身体をひねってその攻撃魔術を回避する。元々威力を絞って放たれたそれは、背後の壁に当たる前に減衰で霧散する。

 王子が悪かったと諸手を挙げてソファに座るのを見て、アイリスも息を吐いた。


「……まったく、荒事を重ねて戻ってきたばかりなんだから仕方ないでしょう? というか、それを言うなら絶対、アルヴィン王子やフィオナ王女殿下も血なまぐさいですからね?」


 今回の一件、荒事になったケースも少なくはない。しかも、ここにいる三人は全員、後衛で指揮をするような性格ではないので戦闘にも参加している。


 結果的に相応の返り血を浴びている。というか、三人とも服のところどころに赤いシミがある。わりと凄惨な恰好だが、着替えより休憩を優先したのは色々慣れているからだろう。

 とはいえ、入浴の準備が整い次第、身を清める予定ではある。


「……ところで、アルヴィン王子。一つお尋ねしたいのですが」

「なんだ、改まって」

「わたくしのファンクラブがあるそうなのですが」

「――ぐっ」


 咽せそうになり、けれどそれを無理矢理に押さえ込んだような仕草。これは絶対なにか知っていると確信したアイリスは、ジトーッと王子を睨みつける。


「い、いや、違うぞ。俺はなにもしていない」

「嘘ですね。軽く聞きかじった程度ですが、一部の者達しか知らないような内容が含まれていました。アルヴィン王子の許可なく、流出させる者がいるとは思えません」

「それは、まぁ、そうなんだが……」


 アルヴィン王子が背後に控えているクラリッサに視線を向ける。アルヴィン王子にあの手この手で交渉をもちかけ、許可をもぎ取った張本人は彼女である。

 けれど、クラリッサは素知らぬ顔で視線を受け流した。


「……アルヴィン王子?」

「いや、まぁ……そうだな。許可を出したのは俺だ」

「やはりそうですか。それで、今回はなにを企んでいるのですか?」

「なにも企んでなどいない。ただ、ちょっと面白そうだと……いや、違う。賢姫を偶像(アイドル)化して、その情報と引き換えに様々な情報を集めるためだ」

「……なるほど」


 アイリスに対する令嬢達の熱気を思い出す。彼女達が対象であるならば、アイリスの武勇伝なんかと引き換えに、望みの情報を手に入れることが出来るだろう。

 もっとも――


「言い直さなければ、騙されたかもしれませんね」


 面白いと言ってからでは色々と台無しである。


「まぁそう言うな。賢姫の物語を楽しみにしている者もいるようだしな。おまえとしても、リゼルやレムリアでの評判が上がって損はないだろう?」

「まぁ、そうですけど……」

「それに演劇は腹を抱えるほどおもし……いやなんでもない」

「結局それですか、ぶっとばしますよっ!」


 アイリスが吠える。


「まぁそう言うな。フィオナも楽しみにしているのだぞ?」

「……仕方ありませんね」


 即座に手のひらをくるり。苦笑いを浮かべるアルヴィン王子を前に、アイリスはそっぽを向いてフィオナに視線を落とすと、顔に零れ落ちた髪をそっと指で払いのける。

 レムリア国の歴史を大きく変えたとされる、粛正の一日に終わりを告げる一コマである。

 

 

 悪役令嬢のお気に入り、コミカライズ版の一巻が本日発売となりました!

 特典イラストも店舗ごとに6種類くらい? あるので、よかったら手に取ってみてください。店舗情報については、パッシュの公式Twitterでツイート、あるいは緋色がリツイートしていると思います!

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