エピソード 3ー5
アイリスのファンを名乗る令嬢達の期待に水を差したのは、留学に来ているというレジーナ伯爵令嬢だった。アイリスに招待状を送った本人だが、相変わらずの敵愾心である。
もっとも、本物の戦いを知るアイリスにとって、彼女の口撃は小動物がじゃれている程度にしか感じない。にっこりと笑って応じる。
「ご機嫌よう、レジーナ様。本日はお茶会へのお招き、ありがとう存じます」
「……っ。わたくしはただ、ナタリアにお願いされただけですわ」
彼女はぷいっとそっぽを向いた。アイリスにとってはそれで話は終わりとしたかったのだが、アイリスのファンを公言するグロリアーナがレジーナに噛みついた。
「お待ちください。ただのフィクションとは、どういうことですか?」
「どうもこうも、物語に書かれてるようなことが実際に出来るはずないではありませんか。魔物が不意打ちで射かけてきた矢を拳で叩き落としたり、屋根から魔術の雨を降らせたり。貴女方は、そんなことが本気で出来ると思っているのですか?」
「そ、それは……」
グロリアーナが反論に窮する。さすがにそれは作り話だろうと彼女も思っているようだ。なお、書かれている内容がおおよそ事実だと理解したアイリスはそっと視線を逸らした。
(……というか、魔物が射かけてきた矢を拳で叩き落としたって、クラリッサを護ったときのことですよね。それを知っている……さては、アルヴィン王子の差し金ですね!)
あの件を知る者は多くない。
加えて、魔術の雨を降らせたのも、アルヴィン王子と中庭で手合わせしたときのことだと考えれば、その両方にアルヴィン王子が関わっている。
そもそも、訳あり令嬢と書かれていたとはいえ、アイリスのことを本にする。そんなことが出来るのは一部の者だけだ。アルヴィン王子の仕業だとアイリスが思うのも無理はない。
とんだとばっちりである。
もっとも、面白がって、クラリッサの要望に許可を出したのはアルヴィン王子なので、完全に誤解という訳でもないのだが……よく考えると、王子の自業自得かもしれない。
(今度はなにを企んでいるのか、後で事情を問い詰めましょう)
そんな風に考えているあいだにも、レジーナと他の令嬢達が険悪になっていく。
アイリスにとって好ましくない状況だ。レジーナの母親はレムリアの出身だが、彼女自身はリゼルの貴族令嬢で、いまは留学生としてレムリアにいる。
そんな彼女が、レムリアの貴族令嬢達を敵に回すのは両国の関係悪化に繋がりかねない。
(すぐに止めるべきですが、どうやって止めましょうか? 小説の内容が事実だと証明するのがよいでしょうか? でも、そうするとレジーナのメンツを潰してしまいますよね。いえ、それ以前に、お茶会の席で矢を拳で撃ち落とすなんてさすがに出来ませんね)
お茶会でなくとも普通は出来ない――という突っ込みはおいておくとして、アイリスはどうやってこの場を収めるか考えを巡らせる。
「レ、レジーナ様、そんなことを言ってはダメですよ」
続いて姿を見せたナタリアが、慌てた様子でレジーナの袖を引く。袖を引かれたレジーナはむぅっと唇を尖らせたが、ナタリアの手を振り払うつもりはないようだ。
不満気ながらも、ナタリアに視線を向けた。
「……ナタリア。でも、あんなこと、本当に出来る訳ないじゃない」
「それは分かりませんが……でも、そんなこと言っちゃダメです」
「わ、分かったわよ」
ナタリアに「メッ」と怒られて、レジーナがしぶしぶと引き下がった。
初対面で抱いた感想は、気の強そうなレジーナが、気弱なナタリアを振り回しているというイメージだったのだが、実際はナタリアの方がレジーナを尻に敷いているらしい。
ナタリアに促され、レジーナが周囲の令嬢に「わ、悪かったわよ」と謝罪する。
「みなさんだけじゃないでしょ?」
「……くっ」
「レジーナ様?」
「わ、分かったわよ。アイリス様、生意気を言って申し訳ありませんでした!」
レジーナは悔しげな顔で、だけどちゃんと頭を下げて、逃げるように別の席へ避難した。その状況はなんとなく気まずくて、お茶会の会場の空気が微妙なものに変わる。
だが――
「あ、あの、アイリス様。よろしければ、ピアノをお聞かせいただけませんか?」
場の空気をものともせずに言い放ったのはナタリアだった。
気弱そうな彼女からの提案に、アイリスは目を瞬いた。
「ピアノ、ですか?」
「は、はい。その……物語の中に、王女殿下のヴァイオリンに合わせてピアノを演奏し、同席していた王子の心を摑むシーンがあるのです。だから……その、えっと……っ」
ピアノで王子の心を摑むシーン。
事実はフィオナのヴァイオリンの稽古で伴奏をしていたときに、アルヴィン王子がうざがらみしてきたときのことだろう。ずいぶん美化されていると、アイリスは呆れた。
もっともこの提案は、ピアノの腕を披露して、この場の空気を変えて欲しいという内容である。それ自体は、アイリスの望むところで、受けることは問題ないのだが――
「よろしいのですか?」
ここでピアノの腕を披露すれば、レジーナがますます恥を掻くことになる。いまもこちらをこっそりと睨んでいるのだが、大丈夫なのかと憂慮を口にした。
「レ、レジーナ様なら大丈夫です。それに私も、アイリス様のファンなんです。もしよろしければ、私のヴァイオリンと合わせていただけませんか?」
ナタリアが無邪気に言い放った。
それが聞こえたのだろう。レジーナが親の仇を見るような目でアイリスを睨みつけているのだが、周囲からも「ぜひ聞きたい」という声が次々に上がる。
これはどうやら避けられそうにないと、アイリスは密かに息を吐いた。
結局、アイリスは申し出を受け、主催者のナタリアとヴァイオリンソナタを演奏することになった。ナタリアがヴァイオリンで、アイリスがピアノである。
選曲はこの国ではとても有名な曲で、アイリスがフィオナの稽古でも奏でた曲である。ヴァイオリンソナタという名称だが、ピアノとヴァイオリンが対等に演奏する曲だ。
アイリスが穏やかに演奏を開始する。それに合わせ、ナタリアもヴァイオリンを奏で始めた。即興で始めたアンサンブルで、アイリスは軽く探りを入れる。
それほど突出している技量があるようには思えない――が、アイリスの演奏に上手く合わせてくる。それでいて、彼女の演奏はどこか芯が通っていた。
(気弱なイメージですが、芯はしっかりしていて、人に合わせるのも上手ですね)
それが、アンサンブルを通じてアイリスが抱いた彼女のイメージである。そんな彼女を引っ張り、ときには彼女を引き立てて、聴衆の心を惹きつけるような演奏を続けた。
曲が終わると令嬢達から大きな拍手が巻き起こった。
また、アンサンブルの相手であるナタリアから絶賛される。そして、ぜひわたくしともアンサンブルをという令嬢が何人も名乗りを上げ、アイリスは続けて演奏をすることとなった。
お茶会あらため、演奏会のような状況。
それでもアイリスは二曲、三曲と演奏を続け、令嬢達の心を鷲づかみにする。そうして希望者全員との演奏を終えると、色々な話を聞きたいという令嬢がアイリスに詰め寄ってくる。
「アイリス様、新型の水車を開発なさったとうかがったのですが、事実ですか?」
「リゼルの技術なのでわたくしが開発した訳ではありませんが、レムリアでその新型水車を広めたのがわたくしなのは事実ですよ。興味がおありなのですか?」
「ええ。わたくしの実家の領地は以前から水車をよく使っているのです。でもご存じのように水車は壊れやすいですから、壊れにくいという水車にはとても興味がございます」
「そういうことですか。新型水車の製法は秘密にしている訳ではありませんので、領地で作るためだと問い合わせれば、製法を教えていただけると思います」
といった感じで、アイリスがお茶会の主役となりつつある。実のところ、主催者のナタリアが集めたのは、アイリスのファンクラブのメンバーばかりなので当然の結果とも言える。
ただし、ナタリアに頼まれてアイリスに招待状を送ったレジーナは別だ。彼女はナタリアを始めとした令嬢達が始終浮かれているのを目の当たりに、不満気な様子が隠しきれない。
彼女はいつの間にか席を立っていた。
「……ナタリア様、彼女は大丈夫なのですか?」
「アイリス様はお優しいですね。少し心配なので見てくることにいたします。皆様、このようなことになって申し訳ございません。私は席を外しますが引き続きお楽しみください」
ナタリアはそういって席を立ち、参加者達に新たなお茶菓子を用意するようにと使用人に言付けた後、レジーナを探すために席を立った。
それを見送っていると令嬢の一人が小さな溜め息をつく。
「はぁ……ナタリア様から、リゼルで出来たお友達を紹介するとうかがって楽しみにしていたのですが、まさかあのような方だとは思いませんでしたわ」
「ナタリア様とレジーナ様は、リゼルでお知り合いになったのですか?」
呟きを聞いたアイリスが問い掛ける。すると、アイリスとの会話に混じりたい令嬢達が次々に話してくれた。それによると、先日の留学で二人は知り合ったらしい。
ナタリアは人の気持ちを察するのが得意で人当たりもよく、子爵家の令嬢ながら、上位貴族と多く繋がりがあるらしい。このお茶会には伯爵家の令嬢も多く参加しているのだが、主催者が子爵令嬢であるナタリアであることもその辺りが理由。
彼女達から話を聞く限り、ナタリアはずいぶんと可愛がられているようだ。
「まあでも、レジーナさんの嫉妬も理解できなくはありませんわね。彼女の性格でしたらお友達もあまり多くないでしょうし、ナタリアさんはアイリス様のコアなファンですからね」
「そうですわね。わたくし達はファンクラブの同士ですが、レジーナ様はそうではないようですから、気持ちは理解できなくはありませんが……」
令嬢達がそのように話している。
彼女達の話を総合すると、レジーナの暴走は必然のように感じられる。
レジーナがいたから、ナタリアはアイリスをこのお茶会に招待することが出来た。つまり、ナタリアがレジーナを利用したとも考えられる。
だが、本当にそれが理由だろうか?
様々なことに思いを巡らせながら、アイリスは彼女達の言葉に耳を傾け続けた。
◆◆◆
一方その頃、レジーナは中庭の温室で拗ねていた。あえて席を外したのは、そうすればナタリアが迎えに来てくれると思ったからだ。
その期待通り、ナタリアはレジーナを迎えに来た。
けれど――
「レジーナ様、私のお茶会であのような態度、一体どういうおつもりですか?」
ナタリアから紡がれた言葉はレジーナの想像とまったく違っていた。普段の気弱な様子からはまったく想像できない口調で詰め寄ってくる。
「ナ、ナタリア……?」
「私、言いましたよね。アイリス様とお近づきになりたいって。それなのにあんな態度を取って、せっかくの機会が失われたらどうしてくれるのですか?」
「そ、それは……ごめんなさい」
言いようのない迫力に気圧されて、レジーナは思わず涙をこぼす。その瞬間、ナタリアはハッと我に返ったかのように慌てふためいた。
「レ、レジーナ様、ご、ごめんなさい。私、レジーナ様を悲しませるつもりなんてなくて、でも、だけど……その、とにかくごめんなさい!」
ナタリアが脱兎のごとく逃げ出した。急展開に驚いて、でも悲しくてすぐには立ち直れない。そんな風に動揺するレジーナに、側にいた侍女が口を開く。
「ナタリア様の振る舞いには事情があるのです」
「……事情、ですか?」
「はい。といっても、私はそのことを誰かに話すことが出来ません。ですから、これはあくまで独り言としてお聞きください。ナタリア様は、アイリス様に逆らえない理由があるのです」
「なっ、それはどういうことよ!」
声を荒らげて詰め寄る。そんなレジーナを前に、侍女が独り言として語って聞かせたのは、ファルディア子爵家の現状についてだった。
端的に纏めれば、ファルディア家はレムリアの子爵家でしかなく、貴族としてはかろうじて中級、あるいは下級貴族に分類される。
そんなファルディア子爵家が貴族としてやっていくには、当然ながら寄親となる貴族や、後ろ盾、自分達を護ってくれる派閥が必要となる。
だが、その派閥がアイリスの謀略によって次々と潰されている。ファルディア子爵家は急速に後ろ盾を失い、レムリア国内での立場を失いつつある。
その上、ファルディア子爵家もまた、アイリスに目を付けられている。その状況を打開するために、ナタリアはアイリスに取り入ろうと必死なのだ――という話であった。
真実を主軸に語られてはいるが、多分に嘘が含まれている。
だけど――
(そ、っか……だから、ナタリアはわたくしを冷たくあしらったんだ)
高飛車な性格が災いして、リゼルでは孤立していたレジーナ。そんな彼女を唯一受け入れてくれたナタリア。彼女が自分を冷たく突き放すなんてあり得ない。
だけど、アイリスの謀略で実家が脅かされているのならあの態度も仕方ない。もしかしたら、自分を巻き込まないために突き放したのかもしれないとすらレジーナは思う。
受け入れがたい真実が、聞き心地のよい嘘に塗りつぶされていく。
そして――
「レジーナ様。ナタリア様を救えるのは貴方だけですよ」
「わたくし、だけ……?」
「ええ。アイリス様をある場所に誘い出してください。そうすればすべて解決いたしますわ」
怪しく目を光らせた侍女が悪魔のように囁いた。