エピソード 3ー4
アイリスはお茶会への招待状に参加の返事を送る。そうしてお茶会当日までは、リストにある魔族の協力者を取り調べるための下準備を進めた。アイリスが自らを囮に魔族を燻り出し、事情聴取という名目で協力者を一斉に拘束する算段である。
アルヴィン王子は言わずもがなで、グラニス王も手の者を使い淡々と調査を進めている。フィオナは手際が悪いところもあるが、急速に成長を重ねながら成果を上げている。
(……問題は、リゼルの方かもしれませんね)
その日はお茶会の当日で、アイリスはメイド達の手によってドレスを着せられている。それに身を任せながら、リゼル国の浄化作業について思いを巡らせた。
まだ、リゼルに手紙を送ってから二週間足らずだ。早馬を使ったのでそろそろ到着している頃だが、魔族やその協力者の排除には至っていないだろう。
(リゼルとタイミングを合わせることは望めそうにありません。本来であれば、問題になることはありませんが、相手は魔族なんですよね)
レムリアで魔族を捕らえた後、その情報がリゼルに入るのはどんなに早くても二週間後だ。それだけの猶予があれば、リゼルも魔族を排除することは出来るだろう。
だが仮に、レムリアでの動向を、一瞬でリゼルの仲間に知らせるような方法があったとすれば、リゼル国には猶予が一切ないことになる。
もっとも、隠れ里での魔族の動きから判断して、人間以上の情報伝達手段は持っていない可能性が高い。アイリスも杞憂だとは思っているが、確信がないために不安もある。
(エリスにもう少し話を聞くことが出来ればよかったのですが……)
そうすれば、迷う必要はなかったが、あの状況であれ以上話を続けるのは難しかった。そもそも、エリスがそこまで魔族の内情について話してくれるかも不明である。
「アイリス様、髪型はハーフアップでよろしいですか?」
思いに耽っていたアイリスは、クレアに問われて我に返る。その上で、いまは出来ることをするのが重要だと気持ちを切り替える。
「髪型はそれでかまわないわ。誰かに摑まれたりしにくいようにお願いね」
「……あまり危ないことは避けていただきたいのですが」
アイリスの髪を結い上げながら、クレアが不満気に言い放つ。
彼女は、今回のお茶会に同行することが決まっている。当然、アイリスが自分を囮にしようとしていることを知っているために、その行動を憂慮しているのだ。
ちなみに、ネイトとイヴはお留守番で、お茶会には同行しない。荒事が予想されるため、二人が巻き込まれないようにとのアイリスの配慮である。
もっとも、留守番の二人には計画を話していないので、理由を知らされずに留守番を命じられた二人は少し寂しそうだった。今度なにか埋め合わせをしようと、アイリスは鏡越しに二人の様子をうかがうが、二人はクレアの手際をマジマジと観察していた。
落ち込むのはやめて、髪を結うクレアの技術を学ぼうとしているらしい。
(この二人も、フィオナと同じように成長しているのですね)
頑張り屋の二人には、埋め合わせではなくご褒美が必要だろう。帰りになにか買って帰ろうと心のメモ帳に書き留めながら、アイリスは身だしなみを整える。
こうして、アイリスはファルディア子爵家のお茶会へと向かった。
ファルディアは、レムリア国から子爵の地位を授けられている家柄である。貴族とはいえ、下級貴族の家柄。本来であれば、王城に住まうアイリスをお茶会に招待することは難しい。
だが、今回の招待状を送ってきたのはレジーナ。リゼルのパーティーでアイリスに突っかかろうとして失敗した、タルファス伯爵家の令嬢である。
彼女があのとき、アイリスをお茶会に誘った。アイリスは参加するとは口にしていないが、招待状を送ることは許容していたがゆえに送られてきた招待状である。
その招待状を携え、ファルディア子爵家のお屋敷へと足を運ぶ。
クレアただ一人を供としたアイリスは、ファルディア子爵家の使用人に案内をさせてお茶会の会場へと足を運んだ。そこは、パーティー会場に使われるような大きなホールだ。
アイリスが会場に姿を現すなり、参加者達の熱い視線がアイリスに向けられる。
その予想外の熱量に、アイリスは少しだけたじろいだ。
アイリスはまだ、レムリアの貴族令嬢の顔と名前が一致していない。一度会った相手は忘れないようにしているが、そもそも初対面の相手がたくさんいる。
それでも、見た目と年齢、席順からおおよその身分は予想がつく。
主催者は子爵家の令嬢でしかないが、参加者は上位貴族が多いように見える。というか、八人掛けのテーブルが五つ。まだ席は埋まっていないが、それでも相当な人数だ。
主催者であるナタリアの求心力を知って、アイリスはこくりと喉を鳴らした。
(彼女達が全員、魔族の影響下にあるということはないと思うのですが……なんでしょう? この異様なまでの熱気は。なんだか、わたくしを見る目がおかしい気がします)
「お初にお目に掛かります。わたくしはアイリス・アイスフィールドです。主催者のナタリア様に挨拶をしたいのですが、どちらにいらっしゃいますでしょうか?」
「まぁっ、やはりアイリス様でしたのね!」
黄色い悲鳴が上がった。
そのことにアイリスが戸惑っていると、席を立ったシルバーピンクの髪を結い上げたご令嬢が迫ってきた。アイリスが思わず身構えるが、彼女はアイリスの両手をぎゅっと握る。
「あ、あの、アイリス様ですよね? リゼル国の賢姫の!」
「え、えぇ、そうですが」
「やっぱりっ!」
きゃーっと、そこかしこから黄色い悲鳴が上がる。
「あのっ、私、グロリアーナと申します。このたびはアイリス様と直にお目にかかれて――」
「あのあのっ、わたくしはシェリーと申します。アイリス様のファンです!」
アイリスとグロリアーナと名乗った令嬢のあいだに、ピンクゴールドの髪の女性が新たに割り込んできた。そんな彼女の言葉にアイリスは困惑する。
「……ファンですか?」
アイリスは説明を求めるが、グロリアーナが「抜け駆けはいけませんわよ」とシェリーに突っかかり、シェリーは「さきに抜け駆けしたのはそちらではありませんか」と言い返した。
アイリスは他の令嬢達に説明を求めるが、アイリスと目が合うと黄色い悲鳴があがるだけで、二人の諍いを止めようとする者はいない。
ついでにいえば、招待者であるレジーナや、主催者のナタリアも見当たらない。
止める者がいないどころか、遠巻きにしている令嬢達も会話に参加したそうにしている。彼女達を介入させるのは危険だと判断し、アイリスは自分でなんとかすることにした。
「グロリアーナ様、それにシェリー様も、少し落ち着きなさい」
「「はい、アイリス様!」」
二人は声を揃えてアイリスの言葉に従った、よう見えたが――
「……ふふ、聞きましたか、シェリーさん。私の方が先に名前を呼ばれましたわ」
「ふざけないでください。名乗った順に決まっているではありませんか」
二人が再び言い争いを始めそうになり、アイリスは懐から取り出した扇子を自分の手のひらに打ち付け、ぴしゃりと二人のセリフを遮った。
その上で、アイリスはこの状況に対して考えを巡らせる。
社交界では下位の者が、上位の者に話しかけてはいけないという決まりがあるが、お茶会のように個人的な集まりでは形骸化する。
だからこそ、二人は競ってアイリスに話しかけているのだ。
しかし、隣国の賢姫と縁を結びたいという理由で詰め寄ってくるのは理解できるが、ならばファンというのはなんなのか?
某、アイリスに命を救われて惚れ込んだ、何処かの王子の腹心メイドがファンクラブを立ち上げ、賢姫アイリスの活躍を世に広め、いまでは幅広い層でファンを増やしている。
――なんて裏事情を知らないアイリスは困惑を深めた。
だが、このまま傍観する訳にも行かないとアイリスは口を開いた。
「お二人とも、お茶会で細かいことを言うつもりはありませんが諍いはダメですよ。他の方への迷惑になるでしょう?」
「し、失礼いたしました」
「申し訳ありません、アイリス様」
グロリアーナとシェリーは揃って項垂れた。
ただし、俯いた二人は小声で「シェリーさんのせいだからね」「いいえ、グロリアーナさんのせいですから」と言い合っている当たり、実は仲がいいのかもしれない。
だが、巻き込まれた方はたまったものではない。
「三回目はありませんよ?」
アイリスが警告すると、二人はピタリと口を閉じた。
アイリスは溜め息をついて、まずはシェリーに問い掛けた。
「……それで、わたくしのファンというのはどういうことなのですか?」
「それはもちろん、賢姫アイリス様のファンという意味です」
「わたくしのことを知っているのですか?」
「「もちろん知っていますっ」」
セリフが被り、顔を見合わせる二人。また諍いが始まるかとアイリスは警戒するが、今度はシェリーがグロリアーナに説明を譲った。
「最初は小説が出版されたんです。それで人気に火がついて、アイリス様の偉業の数々はいまや歌や劇でも語られているんですよ。この王都で知らない者はいないと思います」
「……え?」
(そんなの聞いてないよ!?)
背後に視線を向けると、そこに控えていたクレアはそっと視線を逸らした。アイリスは仕方なく、目の前の二人から情報の収集を続けることにした。
「その、わたくしの小説があるのですか? 賢姫、アイリスの物語、ということですか?」
いまの問い掛けには二重の意味がある。
アイリス本人の物語なのかどうかということと、アイリスは賢姫としての正体を最近まで隠していたが、その正体も明かされていたのかどうかということ。
「えっと……登場人物の名前は変えられています。でも、隣国からやってきた訳あり令嬢が、この国の王女殿下の家庭教師になって活躍する物語です」
「……それは、また」
「ちなみに、アイリス様が隣国の賢姫だと噂になった後、作中でも訳あり令嬢の正体が賢姫だと明らかになったんです。だから、みんなアイリス様のことだと思っています」
「……なるほど、理解いたしました」
詳細は読んでみなければ断言は出来ないが、事実に基づいていると見て間違いないだろう。
「あのあの、それで、作中に書かれていることは事実なのですか?」
グロリアーナが詰め寄ってきて、シェリーや聴衆に回っていた他の令嬢達も興味津々といった面持ちを向けてくる。その瞬間――
「先ほども申し上げましたが、わたくしはその物語を知りませんので――」
「ふんっ。ただのフィクションに決まってるではありませんか」
アイリスのセリフに被せるように悪態が響いた。
お読みいただきありがとうございます。
悪役令嬢の執事様の方、コミカライズ版の三巻が昨日発売しています。手に取っていただければ嬉しいです。ちなみに、こちらのコミカライズ版一巻は来月発売予定です。