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エピソード 3ー2

 魔王の使いを名乗った魔族、エリスの言葉に、アイリスは新たな可能性を感じた。


「貴女は、人間の理解を得るためにここに来た。そう思ってもよいのですか?」

「はい。正しくは、貴女の理解を得るため、ですが」

「……人間と、わたくし個人を分ける理由はなんでしょう?」

「最終的には人間の理解を得たいと我が主はお考えです。ですがそれにはまず、初代魔王と同じ魂を持つ、貴女の理解を得ることが先決だと考えているからです」

「……なるほど」


 相槌を打つが、その説明を正しく理解できた訳ではない。ただ、その話から察するに、異世界の記憶を持つ者であれば、魔族のことを理解しやすい下地があるのだろう。

 そう判断したアイリスは、それを前提に問い返す。


「わたくしに、人間と魔族の橋渡しになって欲しいと言うのですね。では、わたくしの信頼を勝ち取れたとして、貴女は人間になにを求めるのですか?」

「人間が求めるなにかを対価に差し出し、我々は食料を求めます」


 つまりは交易ということ。ここで、アイリスはいつかフィオナに語って聞かせた歴史の授業を思いだした。魔族はかつて、食料を求めて攻め込んできた、というものだ。

 食料を求めて交易か、略奪か――なんて、歴史を調べれば珍しいことではない。交易が上手くいかなかったから略奪に走ることもあれば、その逆もあり得る。

 魔族が一枚岩でないと言った理由が見えてきたような気がする。


「魔族領はいま、食糧難に陥っているということですか?」

「はい。先の大戦から数百年、いまもまた魔物が大きく数を増やしています。ゆえに、交易をするべきだというのが我々穏健派の考えで、攻め込むべきだというのが過激派の考えです」


 アイリスは思わず顔をしかめた。


「エリス、魔王の使者を名乗った貴女は穏健派だといいましたね? にもかかわらず、魔族が襲撃を仕掛けているのは、魔王にも歯止めが掛けられない状況ということですか?」


 もしそうであれば、アイリスが人間側を説得できたとしても意味がない。それ以前、そのような状況で魔族と交渉しようと、アイリスが国に提案しても誰も乗ってこないだろう。


「たしかに、過激派の暴走を抑えられずにはいます。ですが、食料の問題が解決するのなら、抑え込むことは可能です。だからこそ、貴女にこの資料を渡します」


 エリスが懐から丸められた羊皮紙を取り出し、アイリスに投げて寄越す。受け取ったアイリスが羊皮紙を広げると、そこには名前がずらりと並んでいた。


「これは……名簿ですか?」

「リゼルとレムリアに入り込んでいる魔族と、その協力者の名簿です」

「――っ」


 自分が渡されたリストの重要性に気づき息を呑んだ。アイリスは慌てて、リストにある名前に目を通していく。


 魔族はリゼルとレムリアに一人ずつ。

 そして、その魔族の影響下にある人間の名前がずらりと並んでいる。


 アイリスの記憶する限り、国の重鎮である者達の名前はない。とくに、リゼルについてはあまり影響力がないように思えるが、レムリアにかんしては、王族の暗殺をもくろんだレスター侯爵やウィルム伯爵の周辺にいたとおぼしき者の名前が記されている。

 そのリストは、レムリアの王族暗殺計画に魔族が係わっていることを示唆していた。


「このリストが本物という証拠はありますか……?」


 アイリスは声が震えないように最大の注意を払って尋ねた。もしこのリストが本物なら、大変な事態ではあるが、膿を出し切る切り札になり得る。

 だがもし偽物ならば、リストを鵜呑みにすることで大きな混乱を招くだろう。


「証拠はありません。ですから、それはアイリス様が確認してください。貴女であれば、動きを察知されて逃げられるようなミスはしないと信じています」

「……分かりました。このリストについてはこちらで確認いたします。その上で、貴女が信頼に値すると分かれば、交易をする方向で進言すると約束いたします」

「よろしいのですか?」

「リストが本物なら、です。それに進言するからといって、必ずしも交易できるとの保証も出来ません。魔族と人間の確執が広がれば広がるだけ、手を取り合える確率は下がるということをよくよく理解しておいてください」


 これ以上の襲撃があればその限りではないと釘を刺す。その上で、会計を済ませようとしたアイリスは、いつの間にかフロアの中に人がいなくなっていることに気が付いた。

 誰かが客を連れ出すような素振りはなかったが、新たな客が来ていない。おそらく、アイリスの護衛がこの状況を不審に思い、外を封鎖しているのだろう。


「エリス、ここまでのようです」

「……え?」


 彼女はこの世の終わりのような顔をした。


「心配せずとも、約束は守ります」

「ええ。それは、信じていますが……」


 そう呟くエリスが悲しげに見つめるのは、食べかけのケーキだった。アイリスと真剣に話し合っていたために、彼女はケーキを食べ終えていない。


(彼女が甘いものに目がないだけなのか、それだけ貧困に喘いでいるのか……どっちかしら)


 そんなことを考えながら、アイリスは席を立った。


「先に出て少しだけ時間を稼ぎます。そのあいだにケーキを食べて立ち去ってください」

「ケーキを食べてからでいいのですか?」

「すぐに食べてくださいね」


 アイリスは苦笑いを浮かべ、それからレジにお金を置いて外に出る。ぱっと見た限りはどこにも異常がないが、周囲の物陰に兵士達が伏せられていた。


「アイリス様、ご無事ですか!?」


 物陰から、兵士と共にいた私服の騎士――アイリスの護衛だった男が駆け寄ってくる。


「問題ありません。状況を報告してください」

「はっ。現在、このカフェを中心に兵士を集めています。アルヴィン王子より、アイリス様に怪しい人物が接触する可能性を示唆されておりましたが……彼女がそうなのですか?」

「そうね。ですが、兵は解散させてください」

「解散、ですか?」


 彼の視線は、カフェの中へと向けられている。エリスの正体に気付いているかどうかはともかく、アイリスの話し相手がまだ店の中に残っていることは知っているのだろう。


「貴方の判断が間違っていた訳ではありません。ですが、状況が変わったのです。それに、わたくしに接触してきた相手は、既にお店にいませんよ」

「……確認させていただいても?」

「無論かまいません」


 迷わずに許可を出した。既にエリスの気配が店から消えていることにアイリスは気付いている。という訳で、騎士が数名の兵士を率いて店に入ろうとする。


「あぁ、そうだ。お店にわたくしが謝罪していたと伝えてください。その上で、わたくしがケーキの味を褒めていた、と。賢姫のお墨付きなら謝罪の代わりにはなるでしょう」

「かしこまりました」


 少し戸惑った面持ちで、彼らは店内の捜索を開始した。だが、もちろんエリスの姿は残っていない。ついでに言えば、皿に乗っていたケーキは平らげられていたらしい。

 とまぁそんな訳で、アイリス達は今度こそ城に帰還した。



 ――で、城に戻ったアイリスはすぐさまクレアを呼び出し、アイスフィールド公爵宛てにリストの写しを届けるように指示を出す。

 リゼルはレムリアほどの被害がない。

 アイリスの父、アイスフィールド公爵であれば、上手く魔族を排除してくれるだろう。


 手紙を送る手配が終わった頃、アルヴィン王子に呼び出された。もともと報告はするつもりだったアイリスは呼び出しに応じ、リストを持ってアルヴィン王子の下へと顔を出す。


「来たな、アイリス。さっそく詳しい話を聞かせてもらいたい――と言いたいところだが、こっちだ。供を残して、ついてくるがいい」


 人払いをした上で、場所の移動までも求められる。それだけ、アイリスの行動を秘密にする必要があると理解しての行動だろう。

 だからこそ、アイリスは安心して彼の後をついていく。


 アルヴィン王子の案内で連れて来られたのは王族の居住区。そこにある応接間には、グラニス王とフィオナが手ぐすねを引いて待ち構えていた。

 アルヴィン王子とアイリスが席に着くと、グラニス王が口を開く。


「アイリス。さっそくだが、なにがあったのか説明して欲しい」

「魔族がわたくしに接触いたしました」

「魔族が、か?」

「はい。彼女はエリスと名乗り――」


 アイリスは、エリスから聞かされたおおよそのことを打ち明ける。

 さすがに異世界や前世、乙女ゲームがどうのという話はしていないが、アイリスが初代魔王と同質の魂を持っており、両種族の橋渡し役として期待されていることまでは打ち明けた。


「……うぅむ。どれもこれも、にわかには信じがたい話だな。魔の森に襲撃を仕掛けてきたのは魔族なのだろう? そのくせ、取り引きをしたいと申すのか?」

「彼らいわく、様々な工作は過激派の暴走のようです。魔族は穏健派と過激派に分かれており、どちらも目的は食料のようですね」

「交易か、略奪か、か。魔族も人間と同じなのだな」


 グラニス王が呟き、フィオナとアルヴィン王子が思案を始める。

 彼らの憂いは手に取るように分かる。魔族と交易を始め、魔物の脅威がなくなるならこれほどありがたいことはない――が、それが本当に実現するのか、ということである。


「……アイリス先生は、魔族と手を取り合えると思っているの?」


 フィオナがいつになく真剣な面持ちで問い掛けてくる。


「可能なら手を取り合うべきだと思っていますが、現時点ではなんとも言えませんね。ただ、エリスからは誠意として、このようなリストを頂戴いたしました」


 エリスから受け取った羊皮紙を懐から取り出し、それを机の上に広げて見せた。三人は顔を付き合わせ、なんのリストだと首を傾げる。

 意外にも、最初に声を上げたのはフィオナだった。


「このリスト……もしかして」

「なんだ、フィオナ。なにか分かったのか?」


 グラニス王が問い掛けた。


「私やお爺様の命を狙った人達の共犯者と目されている人達の名前があります。こっちはレスター侯爵を唆したと目されていた方の名前ですし、こっちは――」

「なんだとっ!?」


 グラニス王がカッと目を見開き、リストを覗き込む。それに対し、フィオナが名簿を指差して、グラニス王にいくつかの容疑者の名前があることを示していく。


 フィオナが容疑者の関係者の名前まで覚えていることに感心しながらアイリスが見守っていると、アルヴィン王子がアイリスに視線を向けた。


「……アイリス、フィオナの言っていることは事実なのか?」

「エリスの言葉を信じるなら、リゼルとレムリアに潜入している魔族と、その協力者達の名簿、だそうですよ。ただし、それが真実であるという確証はございません」

「そう、か……」


 事実なら、早急に潜入した魔族の排除や、協力者の排除に掛かる必要がある。だが、もしリストが間違いで、無実の者を罪に問えば国家を揺るがしかねない事態になる。

 どちらにせよ、リストの存在を無視することは出来ないだろう。そう考えるアイリスが成り行きを見守る中、グラニス王達の話し合いが続く。


「ふぅむ。リストにある名前が多い。確認には慎重を要するな」

「でもお爺様、あまり時間を掛けすぎると魔族の食糧難が悪化して、えっと……過激派だっけ? が、行動を起こすかもしれないよ」

「フィオナの言うとおりです、陛下。国民にとって、魔族との大戦は遙か昔のことですが、再び戦いが起きれば、国民感情が魔族との交易の妨げとなりましょう」

「……たしかに、な」


 グラニス王は一度息を吐き、アイリスに意見を求めてきた。


「レムリア国の話し合いに、わたくしが意見してもよろしいのでしょうか?」

「……ん? あぁ、そういえば、そなたはリゼルの賢姫であったな。だが、今更であろう。かまわぬから、そなたの意見を聞かせて欲しい」


 忘れられていた。たしかに、最近はレムリアに入り浸っているけれどと、アイリスは苦笑いを浮かべつつ、それでは――と自分の意見を口にする。


「魔族の協力者とされているリストの中に、薬草園の共同開発や、町の共同開発に関わる者達。あるいは近しい者の名前が載っています。無視することは出来ないでしょう」

「つまり、タイムリミットは開発が始まるまで、か」


 それ以降は、開発に対して妨害工作がおこなわれる可能性がある。


「わたくしもそう思います。作業の遅延行為程度なら対処は可能ですが……わたくしなら、両国の関係を悪化させるような事件を起こしますから」


 リゼルの人間にレムリアの妨害行為をさせ、レムリアの人間にはリゼルの妨害行為をさせる。そうして両国間の関係を悪化させれば、魔族に対抗する際に連携を取れなくさせられる。

 そんな可能性を口にすれば、アルヴィン王子からなんとも言えない視線を向けられた。


「……なんですか?」

「いや、なんというか……即座にそんな悪辣なことを思い付くのだな、と。さすが賢姫」

「それ、褒めてませんよね?」

「おかしいな。どこぞの賢姫から、悪辣は褒め言葉だと聞いた気がするのだが」

「褒め言葉のはずがないでしょう。きっと騙されたのですわ」

「ほう、そうか?」

「ええ、そうですとも」


 笑顔で睨み合う。


「むぅ~~~」


 なぜか拗ねた様子のフィオナが、アイリスの袖を摑んで上目遣いを向けてくる。アイリスは小首をかしげつつ、愛らしいフィオナの頭をそっと撫でつけた。


「……お主達は、いつもそのようにじゃれ合っておるのか?」

「失礼いたしました」


 グラニス王の声に、アイリス達は動揺することなく居住まいを正す。その変わり身の早さと、指摘されても揺るがない態度には、グラニス王の方が戸惑ってしまう。


「いや、別に責めている訳ではないが……いまは話し合いを続けよう。エリスと名乗った魔族のもたらしたリストが本物かどうかを早急に確認。本物なら一斉に対処する必要がある」

「お任せください、陛下」

「私も今回は協力するよ!」


 アルヴィン王子とフィオナが名乗りを上げる。グラニス王は頼りにしていると柔らかな笑みを浮かべ、それからアイリスにも視線を向けた。


「アイリス、そなたにも協力して欲しい」

「かしこまりました」



 こうして、信頼できるわずかな者達だけでの調査が始まる。グラニス王は信頼できる部下を使い、アルヴィン王子はクラリッサを供とし、リストに優先順位を付けて調査を開始する。

 そして――


「アイリス先生、私に先生の使用人を貸してくれませんか?」


 かしこまったフィオナの言葉に、アイリスは首を傾げた。前回もフィオナと別行動を取って拗ねさせてしまった。今度こそ一緒がいいと、フィオナは言うと思っていたからだ。

 だが、そんなアイリスの内心を察したかのようにフィオナが続ける。


「今回は信頼できる人が少ないのに、速く調査をする必要があるんだよね? なら、私とアイリス先生が一緒に行動するのは無駄だと思うんだ。でも、私一人だと不安だから、事情を知っていて、信頼の出来る使用人を貸してください」


 ぺこりと頭を下げる、フィオナの成長が著しい。アイリスが里帰りしたころから、日に日にしっかりとしてきている。成長を嬉しく思いつつも、アイリスは少し寂しいと思った。

 だが、ここで背中を押すのが教育係の務めだろう。


「では、クレアをフィオナ王女殿下に付けましょう。彼女はわたくしの腹心ですから、大抵の無茶なら上手く捌いてくれますよ」

「ありがとう、アイリス先生!」


 フィオナは決意を新たに、アルヴィン王子から調べるべき相手を聞き、さっそく調査に向かうと言って部屋を飛び出していった。アルヴィン王子も続けて退出し、アイリスもそれに続こうとする。だが、そこでグラニス王に引き止められた。

 そして――


「アイリス、そなたに内密に会って欲しい人物がいる」


 グラニス王よりそのような指示を受けた。

 アイリスはそれに従い、お忍びで城を出た。


 向かった先は、王都の外れにある閑散とした小さなお屋敷。屋敷を取り巻く壁は高く頑丈で、周辺には警備の兵士が配置についている。

 その配置は、外敵だけではなく、屋敷の内部をも警戒しているように見えた。


(もしかして……)


 わずかな予感を抱き、アイリスは手続きを経て屋敷の中へ足を踏み入れる。

 執事に案内された応接間、そこには一人の老人が座っていた。


「アイリス嬢、このようなところにようこそお越しくださいました」


 以前あったときよりもずいぶんとやつれている――が、その姿は見間違うはずもない。

 自分が後見人をしていた娘――フィオナの母親の死を切っ掛けにグラニス王を恨んで命を奪おうとし、その罪で秘密裏に処刑されたはずの人物。

 元レスター侯爵である。

 

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