エピソード 2ー5
ジゼルが心配していたように、エリオットがアイリスとの婚約を持ちかけるといった展開にはならなかった。だが、実のところそれは結果論である。
実際、エリオットは父のフレッド王より、可能であればアイリスをリゼル国に留める鎖となれと指示をされていた。直球で表現すれば、口説け――という意味である。
だが、
(一体誰が、あの二人のあいだに割って入れるって言うんだ)
二人のあいだに割って入ることは不可能だと、エリオットは早々に匙を投げたのだ。エリオットの目には、二人が仲睦まじくじゃれ合っているようにしか見えなかった。
アイリスが聞けば、目が腐っているんじゃありませんかと捲し立てそうな感想である。
(それに、たしかにアイリスさんは素晴らしい能力の持ち主だとは思うけど、ボクはどっちかって言うと、守ってあげたくなるような女の子の方がいいよ)
ザカリー王子とは違い、エリオットはちゃんと開発に携わっているからこそ分かる。
エリオットがモルタルの改良に『貢献した』のと、アイリスは水車等の開発に『貢献した』のでは、まったくもって貢献の次元が違う。もしもアイリスと共に歩むことになれば、彼女と比べられ、劣等感を抱き続けることになるだろう。
そう考えると、たとえアルヴィン王子の存在がなくとも求婚するつもりにはなれない。
だが、それはあくまで、エリオットの個人的な感情である。
ザカリー第一王子が王太子の地位から下ろされたいま。周囲の動揺を抑え、妙な考えを起こす者が現れないようにするためにも、早急にエリオットが王太子になる必要がある。
そのためには後ろ盾が必要だ。そういう意味で、公爵令嬢であり、賢姫であり、数々の実績を積み上げるアイリスは適任だ。
国のためならば、アイリスを求めることこそが正解だった。
だが、エリオットはザカリー王子よりも六つ年下の十四。分別がつくようになった年頃とはいえ……いや、だからこそ、だろう。アイリスという才女を前に、劣等感に狂って堕ちた兄を見ている彼は、アイリスを婚約者にしようと考えることは出来なかった。
むろん、考えたからといって、結果を出せたかは別問題だ。だが、行動しようともしなかったという事実が、父を裏切ったようでエリオットの胸を苛んでいた。
実際のところ、フレッド王は上手く転べばいいな、くらいの感覚だったのだが。
とにもかくにもパーティー会場から離れ、王城の中庭を歩いていたエリオットは、中庭に咲く花を眺め、小さな溜め息をつく儚げな少女を見つけた。
「キミは……たしか」
「――え?」
人が来るとは思っていなかったのだろう。ハッと顔を上げた幼い少女は、エリオットの顔を見てもう一度驚いた。だがそれでも、なんとか取り繕ってカーテシーをする。
「エ、エリオット殿下、私はアイスフィールド公爵家の娘、ジゼルでございます」
「そうだ、アイスフィールド公爵家の娘だね。前に僕の誕生パーティーで会ったことがあったね。今日はどうして、このような場所にいるんだい?」
「あ、それは、その……っ」
不意に、ジゼルの青緑色の瞳から、ポロポロと涙が溢れ出た。それを見たエリオットはぎょっとして、慌ててジゼルの手を取って中庭にあるベンチへと誘導した。
そこにジゼルを腰掛けさせ、ポケットに忍ばせていたハンカチで彼女の頬を伝う涙を拭う。
「す、すまない。なにか、キミを傷付けるようなことを言ったかな?」
問われたジゼルは、無言でフルフルと首を横に振った。
ジゼルはプラチナブロンドをツインテールにしていて、美人ながら少しきつめの顔立ちをしている。そんな彼女が無防備に涙を流す。
エリオットは、弱ったジゼルを放っておけないと思った。
「理由を言いたくなければ言わなくていい。でも、よかったら僕に話してみないかい? もしかしたら、少しくらいは気が楽になるかもしれないよ?」
「えっと、その……ご迷惑では、ありませんか?」
貴族令嬢としての自分と、弱った本当の彼女がせめぎ合っているのだろう。戸惑った顔で、エリオットを見上げるその姿は、非常に庇護欲を煽っている。
エリオットは彼女を安心させようと微笑んだ。
「迷惑だなんてことはないよ。よければ話してくれないか?」
「はい。その、実は……」
ジゼルがパーティーに招待された姉のことが心配だったと打ち明ける。
もちろん、ジゼルはどのような心配をしていたかまでは語らなかったが、当事者であるエリオットには、王族が警戒されていることはすぐに分かった。
「それで、父にお願いしてパーティーに出席させてもらったんですが……姉を助けるどころか、アイスフィールド公爵家と縁を結ぼうとする人達に囲まれてしまって……」
「そっか……それは大変だったね」
今日のパーティーはエリオットが表彰されるということもあり、同年代の子供が出席できるように取り計らわれている。言ってみれば、ラフなパーティーである。
だが、だからこそ、公爵家の娘でありながら、本人はなんの地位も持たないジゼルは、公爵家とお近づきになるための恰好の足掛かりというわけだ。
同じ年頃の子供はもちろん、その親もジゼルに群がったことは想像に難くない。
「わたくし、パーティーに参加する前は、危なっかしいお姉様をお護りしなきゃって思ってたんです。でも実際は、お姉様を護るどころか、自分の身も守れなくて……」
「それは辛かったね。……分かるよ。僕も同じような気持ちになったから」
「……え?」
思ってもみなかったことを言われたと、ジゼルが目を瞬いた。
「ジゼル、キミの心配は的を得ている。僕は父上から、可能ならアイリスさんと仲良くなるようにと言われていたからね」
「そう、だったんですね。……というか、わたくし。よく考えれば、エリオット殿下にとても失礼なことを……っ。申し訳ありません!」
「いいんだ」
「ですが、わたくしの言葉は王族を批判するも同然で――」
取り乱して捲し立てる。そんなジゼルの手を、エリオットがぎゅっと握り締めた。
「ジゼル、心配しなくて良いよ。僕もキミと同意見だ。兄上があのような真似をしたというのに、弟の僕が――なんて、とても出来ないってね」
「……そう、なのですか?」
「うん。それに、僕は自分と共に生きる相手を護ってあげたいと思ってる。でも、僕に彼女を護るのは無理だ。国のため、後ろ盾が必要なのは分かるけど、どうせならキミみたいな――」
何気なく思いの丈を口にした。エリオットは自分がなにを口走ろうとしているのか気付いて口をふさいだ。その意味に気付いたジゼルが目を見張る。
「あ、いや、そのっ! いまのは決して、後ろ盾としてキミが欲しいって意味じゃなくて、むしろ僕の好みとして――あぁ違う! い、いまのは忘れて!」
エリオットが慌てふためき、それを聞いたジゼルの顔が真っ赤に染まっていく。
非常に甘ったるい雰囲気だ。
ジゼルが真っ赤な顔で視線を逸らし、続けて耐えきれないというように顔も逸らす。だけど最後は、頬を赤く染めたまま、横目でエリオットを見た。
「えっと、だ、誰にも言いません。でも、忘れるのは……無理、そうです」
「そ、そっか。……うん、誰にも言わないなら問題ないよ」
「はい。わたくしも……その、殿下の前で泣いたなんて誰にも言えませんから」
「なら、今日のことは僕達だけの秘密だ」
「……は、い」
はにかむエリオットを前に、ジゼルは真っ赤な顔で俯いた。
なお、二人には当然、少し離れた場所に従者が控えている。詳細な言葉までは拾ってないにしても、甘ったるい雰囲気を醸し出していることは伝わっていた。
二人だけの秘密もなにもあったものではない。
主人想いの従者達は顔を見合わせ、静かに頷きあった。その後、それぞれの主へと事の次第が報告されることとなるのだが、二人がこれからどうなっていくのかはまた別のお話である。
◆◆◆
第二王子との軽い話し合いを終え、アイリスとアルヴィン王子はのんびりとパーティーを楽しんでいた。時折アイリスとお近づきになりたい子息が近付いてきたりするが、大体はアルヴィン王子の視線一つですごすごと引き下がっていく。
(王子がいても邪魔じゃない……珍しいこともありますね)
「アイリス、なにやら失礼なことを考えていないか?」
「いいえ、そのようなことは考えておりませんよ?」
「……ふむ。失礼だと、自覚のない顔だな」
「王子の方が失礼です、ぶっとばしますよ?」
「このようなパーティーで他国の王子をぶっとばすと大問題だぞ?」
アルヴィン王子がくいっと顎で周囲を示した。アルヴィン王子とアイリスがそれぞれ牽制しているので近づいてくる者はいないが、それはつまり注目されているという意味である。
「令嬢が殿方をぶっとばす時点で大問題なので、状況なんて問題ではありません」
「なんだ、その理屈は。ぶっとばすぞ?」
「人のセリフを真似しないでください~っ」
アイリスがジト目で、けれどどこか楽しげにアルヴィン王子を睨みつける。その手には、ワイングラスが握られている。アイリスはほろ酔い気分だった。
なお、十九歳のアイリスは、この国では既にお酒を飲める年齢に達している。
という訳で、わりとフワッとしたアイリスがワインを飲んでいると、そこにゆるふわウェーブの金髪をなびかせる美人な女性がやってきた。
髪の色こそ違うが、瞳はアイリスと同じアメシスト。顔立ちもよく似ている。知らない者なら姉と見紛うような見た目をしているが、彼女はティターニア、アイリスの母親である。
「ふふっ、わたくしもご一緒させていただいてもよろしいかしら?」
「あら、お母様もパーティーに参加していたのですね」
「アイスフィールド公爵家にも招待状は届いていますからね」
アイリスはその言葉に対して眉を寄せた。アイリスを心配するジゼルが、このパーティーにアイスフィールド公爵の家族枠で参加している可能性に気付いたからだ。
「大丈夫よ、ジゼルちゃんにはいま、とても頼りになるナイトくんがついているから」
「……そう、ですか」
ナイトくんとやらが誰かまでは分からないが、ティターニアが大丈夫だというのなら問題はない。母親への信頼をもって安堵したアイリスは、再びふにゃっと笑った。
「あらあら、貴女がここまで隙を見せるなんてね。……貴方のおかげかしら?」
ティターニアがアルヴィン王子に視線を向け、アイリスはむぅっと唇を尖らせた。
「アルヴィン王子は油断ならない相手なので、隙なんてみせてませんわ。むしろ、わたくしが隙を見せるとしたら、フィオナ王女殿下といるときだけです」
「ふふっ、貴女が気を許せるような相手が他にもいるのね。隣国へ渡るなんて聞いたときは心配したのだけど、杞憂だったようね」
ふわりと微笑む。だが次の瞬間、ティターニアの表情が不意に険しくなった。
「……ところで、貴女の気を許せる相手の中に、この母が入っていないのはなぜですか?」
「いひゃいです。というか、もちろんお母様は気を許せる相手ですよ。だから、放してくださいませ……っ」
両頬をぎゅっと抓られたアイリスが泣き言を口にする。さすがに賢姫も、実の母には敵わないらしい。そうして母の腕から逃れようとしたアイリスの耳をティターニアが塞いだ。
「――――――」
ティターニアの声が微かに聞こえる。
アイリスが母親の拘束から逃れた瞬間、
「ああ、我が名に懸けて約束しよう」
アルヴィン王子が唐突にそんな言葉を口にした。アイリスは首を傾げ、それから厄介な母親の相手はアルヴィン王子に任せようと退避。
アルヴィン王子をティターニアの人身御供に、新たなワイングラスを口元に運んだ。