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エピソード 2ー4

 王城で開催されるのは、第二王子の功績を称える記念式典だ。

 功績というのは他でもない、彼が主導で推し進めた研究の成果。水に強いモルタルを開発し、治水工事に対する多大な貢献を成したことである。


 以前、ザカリー王子が同じような功績を挙げたとうそぶき恥を掻くことになったが、こちらは事実として、彼が主導で研究を推し進めている。

 それはともかく、その会場にアルヴィン王子にエスコートされるアイリスが姿を現した。


 第一王子に婚約を破棄されておよそ一年。

 隣国に渡りつつも、なにかと噂の中心に居続けた賢姫の登場に会場内がざわめいた。


 ――アイリス嬢か、戻っていたのだな。

     相変わらず美しい。

  なんでも、隣国でも成果を上げているそうだ。

        まさか……笑わない賢姫が笑っているだと?

     隣にいるのは隣国の王子らしいぞ。

 王太子に婚約を破棄されたくせに、もう他のエスコート相手を見つけたのか。

      元、王太子、であろう? 婚約破棄は彼女から切り出したのではないのか?

  どちらにせよ、彼女には婚約が立ち消えになるような理由があるのではないか?


「……耳障りだな」

「あら、情報収集の精度が分かって楽しいではありませんか。噂に懐疑的で冷静に判断している者、噂を鵜呑みにしてしまっている者。そして――レムリアでのわたくしの動向を把握しているのは……西部の一角を治める子爵ですね」

「おまえ、このざわめきの中で、どれが誰の言葉かを把握しているのか?」

「すべてではありませんが、仲良くしたい相手と、そうでない相手くらいは」


 アイリスはイタズラっぽく笑う。王子の腕を取り、その顔を見上げて小声で語りかけている姿は、仲睦まじげに語り合っているようにしか見えない。

 よもや、周囲で好き勝手に値踏みしている自分達こそが批評されているとは思わない。そんな彼らのあいだを通り抜け、二人はパーティー会場の奥へと足を運んだ。


 今日は立席のパーティーで、特に席が決まっている訳ではない。といっても、身分などでおおよその席は決まっているのだが――アイリス達は手頃な空いている席へと移動した。


「お嬢様、料理をお持ちしますか?」

「ええ、お願いするわ」


 アイリスにお伺いを立てたクレアがビュッフェへと向かう。また、クラリッサも同じように、アルヴィン王子の料理を装うために席を外した。

 続けてウェイターから飲み物を受け取り、二人はしばしの歓談を楽しんだ。


 ――といっても、そのテーブルにいるのはアイリスとアルヴィン王子の二人だけ。

 会話の内容も、時折「ぶっとばしますよ」とか、「おまえは相変わらず面白い」なんて聞こえてくる時点でお察しである。ある意味、二人だけの世界であるともいえるが。


 それからほどなく、第二王子の功績が称えられ、陛下によるお褒めの言葉を賜った。そうした進行を経て、各席に着いていた出席者達が移動を開始する。


 ちなみに、アイリスのことをあれこれ噂する者も多いが、賢姫や、隣国の王子との縁を結びたいという者も決して少なくはない。

 だが、社交界には一つのルールが存在する。それは、声を掛けても良い相手は知り合いか、あるいは自分より身分が低い者だけ、というルールである。

 ゆえに、アイリス達の周りに人が群がる、ということはない。


 もっとも、さきほどのはあくまでも原則である。知己の相手でなくとも、誰かの紹介を受けたとか、なんらかの名目があれば許される。

 だから――


「ご無沙汰しております、アイリス様。わたくしのことを覚えてくださっていますか?」


 他所のパーティーで知り合った令嬢が声を掛けてくる、ということは起こりうる。声を掛けてきたのはサラツヤの赤毛を美しく結い上げ、真っ赤で大胆なドレスに身を包む女性。


 アイリスより四つ年下で、名をレジーナという。

 伯爵家のご令嬢であるが、リゼルの人間らしく研究に没頭していて、このような場に出てくるのは珍しい。アイリスがリゼルにいた頃、彼女が成長したら研究仲間に引き入れたいと目を付けていた令嬢でもある。

 そして、彼女の斜め後ろには、黒髪の大人しそうな令嬢が控えている。


「レジーナ様。もちろん覚えております。そちらの方は?」

「彼女はナタリア。レムリアから留学している子爵家のご令嬢です」

「ナ、ナタリア・ファルディアと申します」


 礼儀正しく、大人しそうなご令嬢である。

 アイリスは「お初にお目に掛かります」と笑顔で応じ、レジーナへと視線を戻した。


「それにしても、ご無沙汰ですね」

「ええ。およそ一年ぶりですね。アイリス様がザカリー王子に婚約を破棄されたと聞いて心配していたのですが、お元気そうで安心いたしました」


 彼女はそう言って、ちらりとアルヴィン王子に視線を向ける。そこに込められた表と裏、二つの理由にアイリスが気付く。

 ナタリアも気付いたのか、慌ててレジーナの袖を引いている。


 けれど、アイリスは「お気遣いに感謝いたします」と笑って、アルヴィン王子に視線を向けた。彼はそれに応じて歩み寄ってくる。


「アルヴィン王子に紹介いたしますね。彼女はタルファス伯爵家のレジーナ様です。その横にいらっしゃるのがナタリア・ファルディア様です。ナタリア様はレムリア国の子爵令嬢で、レジーナ様は、お母様がレムリア国から嫁いで来られたのですよ」


 アルヴィン王子に二人を紹介し、続けて二人にアルヴィン王子を紹介する。

 彼の正体を知った二人は揃って目を見張った。


「……え、アルヴィン王子って、まさか――っ」

「レムリアの王子だ。今日は俺の願いで、アイリスのパートナーとして出席している」


 よそ行きの声で、アルヴィン王子が素っ気なく応じた。アイリスは仕方ないと小さく笑って、それからレジーナに視線を向ける。


「レジーナ様、わたくしになにかご用だったのではありませんか?」

「え、あ、それは……っ。こ、今度」

「……はい?」

「ナタリアの帰国に合わせ、わたくしがレムリア国への短期留学を予定しています。その際、アイリス様を彼女のお茶会にご招待してもよろしいですか?」

「彼女のお茶会、ですか?」

「ええ。ナタリアがどうしてもというので」

「そうですか。……分かりました、そのときは招待状を送ってください」


 にこりと笑みを浮かべて応じると、レジーナは唇を噛んだ。


「……必ずお送りいたしますわ。それでは、わたくしはこれで失礼いたしますね」


 レジーナは身を翻し、足早に立ち去っていった。続いてナタリアがぺこりと頭を下げて、レジーナの後を追い掛けていった。

 それを見届けたアルヴィン王子が、不意にアイリスの頭を撫でつけた。


「……アルヴィン王子、時と場合を選んでください」

「それはつまり、時と場合を選んだ上で、ちゃんと撫でて欲しいというお願いか?」

「そんな意図はこれっぽっちもないよ!」


 くるりと身を翻し、アルヴィン王子の腕から逃れる。


「もしかして、わたくしが傷付いているとでも思っているのですか?」

「あれで、なにも感じないと言うのか?」


 レジーナはかなり遠回しに、だけど確実にアイリスを攻撃していた。

 彼女はアイリスに向かって『婚約を破棄されたばかりで、もう別の男とパーティーに参加しているのですか? 本当に恥しらずですね』と嫌味を言ったのだ。


 ただ、悪意があったのは事実だが、些細な嫌味でしかなかった。しかも、あのように分かりやすい嫌味を言うなんて、可愛らしくすらある。

 本当に警戒すべき相手は、悪意を巧妙に隠した人間だ。


 だからスルーしていたのに、アルヴィン王子が自主的にパートナーになったことをあえて口にした。婚約を破棄した元王太子に見る目がないだけだと、レジーナを牽制したのだ。

 むろん、その噂に踊らされているレジーナも同様に見る目がないと皮肉っている。


 ささやかな嫌味に対して、完膚なきまでにやり返した形である。大人げないと、アイリスはアルヴィン王子に呆れ眼を向ける。

 アルヴィン王子はツイっと視線を逸らした。


「……まぁいいですけど。それにしても、あそこまでやり込められて、どうしてわたくしをお茶会に招待したいなどと言いだしたのでしょう?」

「さて、な。お茶会のメンバー全員でおまえをやり込めようとしている、とかではないか?」

「まぁそうかもしれませんね」


 その程度の浅い考えならば、特に気にする必要は感じられない。そもそも、アイリスは参加するとも、参加したいとも口にしていない。

 招待状が来たところで、お断りの手紙を書けば済む話である。


 もはや、気にする必要はないと記憶の片隅に丸めてぺいっと投げ捨てる。


「取り敢えず、わたくしに傷付く理由なんてありませんよ」

「本気でそう思っていることこそ、問題だと思うのだがな」


 なぜか溜め息を吐かれてしまった。その上で頭を撫でられる。

 今度はさきほどと違い、アイリスの髪が乱れるのもお構いなしだ。


「傷付きました、ぶっとばしますよ」

「おまえのメンタルはどうなっているんだ」


 呆れるアルヴィン王子に、ジト目&上目遣いのアイリス。睨み合う二人は、同時にこちらを伺うような視線に気が付いた。二人が視線を向けると、そこにいた人物が歩み寄ってくる。


 アイリスよりは少し金が強い、ピンク掛かったプラチナブロンドのショートヘア。その髪に縁取られた小顔には深く青い瞳、すらっとした鼻に、小さくて艶やかな口。

 どこか儚げで、守ってあげたくなるような美少女。


 ――否、モーニングコートを纏っているので、彼女ではなく彼だ。加えて、王族主催の記念式典において、もっとも格式の高いスーツを纏うのは王族をおいて他にない。

 第二王子のエリオットである。

 それに気付いたアイリスはカーテシーで彼を出迎える。


「おまえ、俺にそんな礼儀正しい態度を取ったことがあったか?」


 同格であるために、礼は取らずにたたずむアルヴィン王子がぼそりと呟いた。


「空気読んでください」


 アイリスはカーテシーをしたまま、器用に肘鉄をアルヴィン王子に入れた。残念ながら、彼がほんの少し動くだけでその攻撃は受け流されてしまう。

 と、そうこうしているあいだにエリオット殿下がやってきた。


「顔を上げてください、アイリスさん」

「はい。ご無沙汰しております、エリオット殿下。このたびは、モルタルの改良という偉業を成し遂げたこと、心よりお祝い申し上げます」

「ありがとう。でも、僕は研究者を動かしただけ。実際に様々な指示を出した貴女にはまるで叶いません。お恥ずかしい限りです」

「トップとは本来そういうものです。王子が恥じる必要はありませんわ」


 アイリスのそれは心からの本心だ。だが、エリオット王子の表情は晴れない。彼は少し困った顔で「そう言っていただけると助かります」と応じる。


「話は変わりますが、兄のしでかしたこと、弟として非常に申し訳なく思っています。だからこそ、貴女が元気そうで安心しました」

「もったいないお言葉です」


 アイリスがそつなく応じる。場合によっては素っ気ないとも取られかねないが、ザカリー王子の一件を考えれば平時通りとも受け取れる態度。

 エリオット王子は「ところで、彼は?」とアルヴィン王子の紹介を促した。アイリスは先にエリオット王子を紹介し、それからアルヴィン王子を紹介した。


「貴方が英雄と呼ばれるアルヴィン王子でしたか、噂はかねがね伺っております」

「ほう、どのような噂でしょう?」

「兄上には引き出せなかった、アイリスさんの魅力を引き出した方、と」


 アルヴィン王子は目を瞬いて、それからクツクツと喉の奥で笑った。それに対して驚いたのはアイリスである。彼女は「冗談はお止めください」とエリオット王子に苦言を呈する。


「冗談のつもりはなかったのですが……」


 エリオット王子がアルヴィン王子に視線を向ける。


「エリオット王子、アイリスになにか話があったのではありませんか?」

「あっと、そうでした。実は父上より、交易についての話し合いに、私も参加するようにと命じられました。よろしければ、少しお時間をいただけますか?」


 アイリスとアルヴィン王子は顔を見合わせ、そういうことならばぜひと話し合いに応じた。

 

 

 お読みいただきありがとうございます。

 いま連載中の三章につきまして、現在書籍化に向けて校正作業中です。

 その過程でちょこちょこ、大筋には影響のないレベルの矛盾やら誤字脱字を見つけているのですが、それらを見つけたのが書籍化の作業ですので、web版ではそのままにしてあります。(恥ずかしいんですけどね!

 という訳で、少し粗が目立つかもしれません。すみませんが、ご了承お願いします。

 もちろん、誤字脱字のご報告はありがたく反映させていただいています。

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