エピソード 2ー3
フレッド王を交えた会議は恙無く終わった。途中で農水大臣がアイリスに食ってかかるという場面はあったが、それは予定調和。アイリスが負い目でリゼルに提案を持ちかけたのではなく、あくまで善意で提案を持ちかけたのだと知らしめるために必要な工程だった。
アイリスはリゼル国を嫌っている訳ではない。それどころか、自分が生まれ育った国として、また父が領地を預かる国として、発展して欲しいと心から願っている。
だからこそ、隠れ里の族長の前では、リゼル国が不利にならないように交渉した。
だが同時に、アイリスはレムリア側を蔑ろにするつもりもない。アイリスの弱みに付け込めば、交渉を有利に進められる――と、リゼル側に勘違いしている者がいると困るのだ。
と、そんな事情で、茶番を終えたアイリスは、あらためて薬草園の共同開発を提案。さっくりと大まかな話し合いを終えたところで、アルヴィン王子に本題を促した。
隠れ里との交易についてである。
こちらは、スムーズに決定――とはいかなかった。
まず、隠れ里の存在そのものが疑わしい。緩衝地帯に町を造るための口実ではないのかといった疑問が浮上する。次に隠れ里が実際にあるとして、本当に町を一つ造って交易するほどの価値が、その隠れ里にあるのかと言うこと。最後に、それだけの価値があるとして、交易の拠点となる町を造る場所は緩衝地帯が最適なのか、ということである。
一つ目については、使者を隠れ里に案内すると言うことで決着が付いた。
二つ目については、長寿の種族が高い技術を擁していること。また、技術はあっても森にない資源の入手が困難なため、交易が成り立つことを伝えて納得を得る。
三つ目については……話し合うまでもない。一つ目と二つ目が事実なら、自国の領地内に交易の拠点を造り、自国に有利な状況を生み出したい、という提案なので適当にあしらう。
そのあしらうのが一番大変だった訳だが……
こうして、両国の緩衝地帯に町を造る大まかな取り決めがおこなわれていく。むろん、これから何度も両国間で話し合うことになるが、その大半は事務次官がおこなうことだ。
こうして、アイリスはひとまずの役目を果たした。
屋敷に帰還後。
(残りの滞在期間は、実家でのんびり――なんて思っていたんですけどね)
実家の自室で、久しぶりにのんびりとした朝を迎えたアイリス。だが、パーティーの招待状がフレッド王より届いたのを知って溜め息を吐いた。
ちょうどその頃、扉がノックされ、メイドのクレアが対応した。
「アイリスお嬢様、ジゼルお嬢様がお越しです」
「かまわないから部屋に通してちょうだい」
アイリスが許可を出すとほどなく、ジゼルが姿を現した。彼女は挨拶を終えると、アイリスが手に持っている招待状を見て目を見張った。
「お姉様、それは王族主催のパーティーの招待状ですか?」
「ええ、今朝届いたの」
「お姉様がお持ちと言うことは、公爵家宛てではないのですね」
個人的な交流がない場合、パーティーの招待状は当主に宛てるのが一般的である。もちろん例外はいくらでも存在するが、例外と言うからにはなんらかの理由が存在する。
「わたくしを賢姫として招きたい、ということではありませんか? ザカリー元王太子の一件で隣国に渡った賢姫が、いまもリゼルの人間であると印象づけたいのでしょう」
「それだったらいいのですが……」
ジゼルが眉を寄せた。
「なにか、気になることがあるのですか?」
「お姉様は、リゼルの現状をどこまでご存じですか?」
「おおよその情勢なら把握していますよ?」
「……隣国で一年過ごしたはずのお姉様がなぜ把握しているのか気になりますが、話は早いです。ザカリー王子が王太子の地位を剥奪されたいま、新たな王太子は決まっていません」
「第二王子が有力な候補と聞きましたが」
「はい。ですが、まだ確定ではありません。ザカリー王子が失脚したいま、候補は何人かいらっしゃいますから、その地位をたしかなものにするには……」
「後ろ盾が必要、ということですね」
アイスフィールド公爵家ならば後ろ盾として十分である。ついでに言えば、賢姫という存在単体でも後ろ盾になる。アイリスという存在は、政略結婚の相手として最高なのだ。
「ジゼル、貴女は王族が、わたくしと第二王子の婚約を望んでいる、と? ザカリー元王太子の一件があった後ですよ。少し心配しすぎではありませんか?」
「お姉様の影響力を考えれば、あり得ないことではないと思います。それに積極的に動かずとも、搦め手でそういう流れを造ろうとする可能性は否定できません」
アイリスは苦笑いを浮かべた。だが、その姉がザカリー王子と婚約させられ、苦労する様を見て育ったジゼルは納得していないようだ。どう説得したものかと、アイリスが考えていたそのとき、今度はアルヴィン王子が訪ねてきた。
入室の許可を出しつつも、アイリスは口をへの字に曲げた。
「……嫌なタイミングで来ましたね」
「ん? 取り込み中と言うことか?」
首を傾げるアルヴィン王子に、ジゼルがずずずいっと詰め寄った。
「アルヴィン様、私と手合わせしてください!」
「ちょっと、ジゼル!?」
いきなりなにを言っているのと、アイリスは思わず待ったを掛ける。隣国の使者、それも王子に勝負を持ちかけるなんて、失礼にもほどがある。
すぐに下がりなさいと退出させようとするが、アルヴィン王子が待ったを掛ける。
「まぁ待て。たしかにいきなりな申し出だが、アイリスの妹の頼みだ。ひとまず、事情を聞こう。なぜ、俺と手合わせをしたいのだ?」
「お姉様が王族のパーティーに名指しで招待されたのです。陛下はおそらく、お姉様と第二王子の婚約を狙っていると忠告したのですが、お姉様は聞き入れてくれません」
「……ほう? そうなのか?」
何気ない口調で問い掛けてくるが、アルヴィン王子の目はまったく笑っていない。
「わたくしは心配しすぎだと言ったのです。問題がないと楽観視している訳ではありませんわ。そこのところ、勘違いしないでくださいませ」
「――と、お姉様はこのように申しております」
「なるほど」
なぜか、アルヴィン王子の纏う空気が冷えていく。
「アイリスには後で話を聞くとして、ジゼルと言ったな? いまの話と、俺とおまえが手合わせをすることに、どのような因果関係があるというのだ?」
「僭越ながら、お姉様のナイトに相応しいかどうか試させてください。合格すれば、お姉様のパートナーとしてパーティーに出席することを認めます」
「ふっ、いいだろう」
取り引き成立とばかりに握手を交わす。
二人を前に、アイリスは「ちっともよくありませんっ」とツッコミを入れた。
「ジゼル、わたくしのパートナーを勝手に決めないでください。そもそも、パートナーを同伴するようにとは書かれていないのだから、普通に出席すればいいでしょう?」
ジゼルに苦言を呈し、続けてアルヴィン王子に視線を定める。
「アルヴィン王子も、ここが隣国だと言うことを忘れないでください。手合わせなどして、なにかあればどうするつもりなのですか!」
アイリスがアルヴィン王子に詰め寄った。
彼はアイリスから視線を外し、ジゼルへと視線を向ける。
「で、どのような形式で手合わせをするのだ?」
「――いえ、だから」
「それは無論、実戦形式に決まっています」
「――ちょっと、ジゼル」
「いいだろう」
「――あぁもう、人の話を聞いてくださいっ!」
「決まりですね」
結局、まるで聞いてもらえなかった。
そして――
「お姉様。ここで許可を出し、お姉様の監視下で私達が手合わせをするのと、許可を出さず、私達がこっそり手合わせをすることになるの、どっちがいいですか?」
アイリスの監視下で、二人の対戦を許可することになった。
アイスフィールド公爵家の中庭で、アルヴィン王子とジゼルが向き合っていた。アルヴィン王子はその手に殺さずの魔剣を携え、ジゼルは杖を携えている。
「杖とはまた、珍しい武器だな」
「……え? 魔術師の杖をご覧になるのは初めてですか?」
アルヴィン王子の問い掛けに、ジゼルが目を瞬いた。
魔術師の杖――つまりは魔導具である。といっても、魔術発動速度が速くなるだとか、攻撃力が上がるなんて大層な代物ではなく、一般の魔導具を杖の形にしただけである。
よって、効果はちょっとした光、水、炎、風など、どれか一つを放つのが精々。それでも、相手を怯ませた隙に魔術を発動させる――などの牽制に使うことが出来る。
それを聞いたアルヴィン王子は、そのような杖があるのかと感心している。
ちなみに、レムリアの魔術師が杖を携帯しないのは、代わりに剣を携えているからだ。さすが脳筋の国――と、そこまで考えたアイリスの背筋がひやりとした。
「どういたしましょう? 魔術師の杖をご覧になるのが初めてならば、私が持つ杖の効果をお教えした方がよろしいですか?」
「いや、初見なら相手の手の内が分からないのは当然だ。そのままでかまわぬ」
「そうですが。では、尋常に――勝負っ!」
唐突に試合を開始したジゼルは攻撃魔術を放った。会話の途中から魔法陣を展開して放った、反則すれすれの雷はけれど、アルヴィン王子の剣に切り裂かれた。
「雷を切り裂くなんて、なんて非常識な……っ!」
その一撃で倒せるとは思っておらずとも、相手の体勢を崩すくらいは出来ると思っていたのだろう。ジゼルがあからさまに動揺する。アルヴィン王子であれば、その隙に懐に飛び込むことも出来たはずなのだが、彼は剣先を地面について動かない。
「ふむ。アイリスの妹と思って期待したが、この程度か……」
「くっ、舐めないでください!」
ジゼルは周囲に三つの魔法陣を構築する。
同じ雷の魔術だが、同時に三つを展開するのはそれなりに高度な技術を要する。十一歳でそこまで出来ることは恐ろしいほどの才能だが、現時点ではアイリスに遠く及ばない。
一つ目はアルヴィン王子に容易く回避され、二つ目はそもそも狙いが外れている。三つ目の雷は、発動前に魔法陣を切り裂かれた。
初撃を放った魔法陣が二射目を放とうとするが、アルヴィン王子はそれより速くジゼルの懐へと飛び込んだ。同時に、彼はその殺さずの魔剣を振るう。
刹那、ジゼルの持つ杖から炎が吹き出した。
彼女が持つ杖は、着火の魔導具である。出力を引き上げてはいるが、熱量はそれほどでもない。炎を薄く広げることで見た目を派手にしているのだ。
目くらまし程度にはなるが、まともに食らっても火傷をするレベルではない。だが、アイリスを基準と考えているアルヴィン王子は危険と判断して跳び下がった。
ジゼルもまた、とっさに魔導具を使用したことで魔法陣を霧散させた。
二人は再び距離を取って睨み合う形となった。
「さすが数多の戦場を駆け抜けたという英雄ですね」
「そういうそなたも中々楽しませてくれる。だが、同じ戦法は二度と通用しないぞ」
「そう……でしょうね。正直なところ、お手上げです」
「ふむ。ならば、この勝負は俺の勝ちと言うことでいいのか?」
アルヴィン王子は少し拍子抜けした様子で問い掛ける。けれど、ジゼルは杖をぎゅっと握り締めると「いいえ、まだです」とアルヴィン王子に杖を突きつけた。
「お姉様を守るに値するか、最後に試させていただきます!」
「……ふむ、やってみろ」
熱血なジゼルVS自然体のアルヴィン王子。それを見学させられているアイリスは、やんちゃな妹の暴走と、相変わらずなアルヴィン王子の行動を生暖かい視線で見守る。
そして――
「行きます!」
ジゼルが三つの魔法陣を同時に描き出した。さきほどと同じスタートアップ――だが、さきほどよりも展開速度が少しだけ速い。さきほどは、あえて遅らせていたのだろう。
一つ目は回避されるが、二つ目は命中――否、アルヴィン王子が斬り裂いた。
展開速度のアップと、アルヴィン王子が剣を振るったことで生まれたタイムロス。その二つによって、さっきは間に合わなかった三つ目の魔術が発動する。
その魔法陣が正面に捉えていたのは――生暖かい眼差しで見学していたアイリスだった。
妹の手口を理解したアイリスは思わず苦笑いを浮かべる。
第三射はアイリスを狙っている。位置関係の都合上、アルヴィン王子がその一撃を防ぐには、ジゼルに無防備な背中を晒す必要がある。
加えて、初撃を放った魔法陣はいま、それを予測して二射目を放とうとしている。
アルヴィン王子がアイリスを守ろうとするのなら、背中からの攻撃を受けるのは免れないだろう。だけど――と、アイリスは笑った。
アイリスが刹那の判断を下したその瞬間、アルヴィン王子は魔法陣を無視してジゼルの懐に飛び込み、その首筋に殺さずの魔剣を突きつけた。
直後、魔法陣から放たれた雷がアイリスの顔を掠め、背後の樹木の皮を焦がした。
驚愕に目を見張るジゼルは、状況を理解すると同時に眉を吊り上げる。
「なぜ、アイリスお姉様を助けなかったのですか!」
「必要を感じなかったからだ」
アルヴィン王子の物言いに、ジゼルの瞳が怒りに染まる。だが、彼女は賢姫の妹だ。怒りにまかせて捲し立てるような真似はせず、グッと堪えて質問を重ねる。
「……それは、私の攻撃が逸れていたことに気付いたから、ですか?」
「いいや、違う。あの攻撃がアイリスを捉えていたとしても俺の行動は変わらなかった」
予想通りの言葉にアイリスは小さく笑う。けれど、アイリスの機嫌に反し、ジゼルはその愛らしい顔立ちに不釣り合いな怒りを滲ませる。
「そう、ですか。貴方はお姉様を守るつもりがないと、そうおっしゃるのですね。どうやら、私は貴方を買いかぶっていたようです」
失望したという副音声が聞こえてきそうな面持ちでアルヴィン王子を見上げる。並みの男なら、その視線だけで心が折れそうだが、アルヴィン王子は鼻で笑った。
「なにがおかしいのですか!」
「妹であるにもかかわらず、そなたがアイリスのことを理解していないからだ。……いや、それとも、姉と同様に過保護なだけか? それなら、理解できなくもないが……」
「私が姉様を理解していない、ですって?」
ジゼルが眉を吊り上げた。いまにも食ってかかりそうな雰囲気だが、アルヴィン王子は普段と変わらぬ様子で続ける。
「そなたはアイリスが心配だと言ったな?」
「妹が姉を心配するのは当然ではありませんか」
「いや、非難している訳ではない。アイリスの無茶を見て心配するななどと酷なことを言うつもりはない。むしろアイリスに、少しは周囲の気苦労を考えろと言いたいレベルだ」
「では、なんだというのですか!」
「決まっている。アイリス自身はそのようなことを望んでいない。実際、アイリスがあの程度の攻撃でどうにかなるなどと、そなたも思ってはいまい?」
「そ、それは……」
ジゼルが一気に逆境に立たされた。
アルヴィン王子が畳み掛けるように続ける。
「もう一度言おう。アイリスが助けを必要とするのなら、手を貸すのは当然だ。だが、アイリスが助けを必要とする基準は他の者とまるで違う。それでも心配だからと面倒を見ることを否定するつもりはないが、それはアイリスにとって過剰なお節介だと理解するべきだな」
「~~~っ」
容赦のない追撃に、ジゼルは顔を赤らめて泣きそうな顔をする。
その上で――
「こ、今回は私の過ちを認めて差し上げますわっ!」
素直か! と突っ込みたくなるようなセリフをのたまって走り去っていった。それを見届けたアイリスはほどなく、おもむろにアルヴィン王子に視線を向けた。
「……アルヴィン王子。ジゼルはまだ十歳ですよ?」
「そうだな。だがあの娘は、子供扱いされることを望んでいるのか?」
「……いえ、まぁ、そうですね……」
子供だから未熟でも仕方ない。ジゼルが言われたくない言葉の筆頭だろう。アイリスがあまり猫可愛がりしていないのも、その辺りが理由だったりする。
「ジゼルのことは分かりました。ですが、わたくしのパートナーの件は――」
「却下はなしだ。おまえの妹を安心させるためにも、素直にエスコートされておけ」
「仕方ありませんね……」
結局、アイリスはアルヴィン王子をパートナーとして伴うことになった。
ちなみに、アルヴィン王子にも招待状は届いている。なので、ここでアイリスがどのような返答をしたとしても、結果はたいして変わらなかったのだが……まぁ、余談である。