エピソード 2ー2
私の名はゴドウィン。トルマリン子爵の弟である。
先代の当主である父はザカリー王太子の派閥に属し、ヘレナ嬢と王太子の仲をさり気なく取り持つ立ち位置にいた。それゆえに、ザカリー王太子が失脚し、王太子ではなくなったとき、父もまた立場をなくし、責任を取る形で当主の座を娘――つまりは私の姉に譲った。
そうして姉は二十四歳という若さで当主の座を引き継ぎ、弟の私も全力でそのサポートにあたる。本来であれば五年、十年と掛けて学ぶことを、いきなり実地で学ぶことになったのだ。
しかも私は、同じような理由で席が空いた農水大臣に、二十二歳の若さで抜擢された。
意味が分からない。
領地の運営を手伝うだけでも一杯一杯なのに、国の運営に携わるなんてどう考えても無理だ。そう姉に訴えたら、返事は“はい”か、“喜んで”のどちらかだと迫られた。
決して、姉に頭が上がらない訳ではないが、そこまで頼まれたら嫌だとは言えない。私は姉の力になるために王都におもむき、農水大臣の地位に就いた。
トルマリン子爵領は農業が盛んな土地だ。それは単に田舎だという意味ではなく、他の農地よりも収穫量が安定していると聞いている。
俺が農水大臣に抜擢されたのもそれが理由だろう。
その知識を生かして国全体を豊かにしつつ、姉の管理するトルマリン子爵領にも恩恵をもたらしていく。なんてことを考えていた訳だが――色々と見通しが甘かった。
「ゴドウィン、レムリア国に渡った賢姫が、ザカリー王子が開発した新型水車を造らせたという情報がある! すぐに技術の詳細と、その技術が流出したことで生じる影響を調べろ!」
とか、
「ゴドウィン、レムリアに渡った賢姫が栽培できないはずの薬草を栽培する技術を持っているとの情報が入った! リゼルにも同じ技術があるはずだ、早急に調べろ!」
とか。
賢姫がらみの騒動が、それはもう、なんというか……大変だったのだ。
代替わりするまで領地で暮らしていた私は実のところ、賢姫のことをあまり知らない。
笑わない賢姫と揶揄される冷たい娘で、それゆえに王太子に愛想を尽かされて婚約破棄。逃げるように隣国へと渡ったとかなんとか噂されている。
逆に、王太子を振ったのは賢姫の方で、ボロクズのように捨てられた王太子が錯乱し、やりすぎた賢姫は隣国へ逃げたなんて噂もあるが、さすがにそれはないだろうと私は思っている。
どちらにせよ、その一連の事件で王太子はその地位を剥奪され、いまは幽閉されるような形で僻地に追いやられた。姉や私がいきなり重役を押し付けられたのも賢姫のせいなら、この一年であれこれ調べさせられているあれこれも賢姫が原因である。
というか、賢姫が元婚約者の研究内容を他国に流出させるなと言いたい。
――というのが、情報流出の一報を聞いたときの私の考えである。
けれど、調べれば調べるほど、私は賢姫アイリス嬢に同情させられた。
まず、ザカリー王子が開発したという情報がそもそも嘘だったのだ。
私はザカリー王子を研究熱心な学者肌の人間だと認識していたが、伏せられていた情報によると、ザカリー王子は名前だけのトップ。実際に研究に携わっていたのは賢姫の方だった。
それらの情報を纏めた結果、アイリス嬢は噂のような人物ではないと理解した。だがそれでも、研究者達が開発した技術を他国に流出させるなどあってはならないことだ。
その点はきっちりと責任を取ってもらうべきだ――と私は考えたのだ。後から考えれば、このときの私はなんと無謀だったのだろう。
無知というのは実に恐ろしいものである。
それからほどなく、アイリス嬢が隣国の使者としてリゼルにやってきた。なんと、隣国のアルヴィン王子の補佐を務めているらしい。
リゼルで得た知識を使って取り入ったのだとしたら許しがたいことだ。
そんな風に考えながら、会議室へと足を運んだ。
会議室の扉を開けると、長いテーブルが見える。左が上座で、右が下座。本日はフレッド王が出席なさるため、左の奥から順番にリゼルの者達となるはずだったのだが――
リゼルの者達は下座である右側に並んでいた。これはつまり、フレッド王が、使者である王子達を尊重していると言うことに他ならない。
その衝撃が抜けやらぬうちに、レムリアの使者が会議室に姿を現した。
とんでもない美形の青年がアルヴィン王子だろう。数多の戦場を駆け抜け、数え切れないほどの魔物を斬り伏せた王子がこのように線の細い美形だとは思わなかった。
だが、それはまだ意外だったというだけの話だ。
だが、彼の横で穏やかに微笑む美少女は誰だというのか。いや、もちろん分かっている。この状況から考えて、賢姫アイリスに間違いはない。
だが、アイリス嬢は笑わない賢姫と揶揄されるような氷の娘だったはずだ。
ならば、あの穏やかな笑みはなんだというのだ。というか、ザカリー王子は彼女との婚約を破棄し、他所の令嬢に現を抜かしたのか? バカなんじゃないだろうか?
……いや、もしかしたらとんでもなく性格が悪いのかもしれないな。
そうだ、そうに違いない。でなければ、政略結婚としても最高の相手である彼女との婚約を破棄する理由が見つからない。ザカリー王子もそこまでバカではないだろう。
――と、そうこう考えているうちに、陛下が代表して形式的な挨拶を交わす。二人はそれにそつなく応じ、会議室の上座へと迷うことなく席に着いた。
なんというか、貫禄がある。私なら上座に座ることを恐れて、フレッド王に席を譲ろうとするだろう。そんな感心をしていたそのとき、フレッド王が口を開いた。
「それではさっそく本題にと言いたいところだが――まずはアイリス嬢。そなたにはあらためて我が息子が再三にわたって迷惑を掛けたことを謝罪する」
「……謝罪は既に聞いております」
会議室に衝撃が走った。陛下が謝罪を口にすることがそもそもの驚きである。だが、なにより驚いたのは、アイリスの返答についてである。
もったいないお言葉だと陛下の心情をおもんぱかる訳でもなく、許すと水に流す訳でもなく、謝罪を受け入れる訳でもない。
謝罪の言葉だけで済まそうとするな――と、彼女はそう言ったのだ。
この場が血に染まるかもしれない。それほどに場が緊迫するが、フレッド王は「分かっている。それでも伝えておきたかったのだ」と続けた。
隣国に技術を流出させた上でこの振る舞い。
彼女は一体何様のつもりなのだろうか。このまま、彼女の傲慢な振る舞いを許してはならない。なんとかして、技術を流出させた責任を取らせ、譲歩させるべきだと気を引き締めた。
そんな中、彼女が口を開く。
「父――アイスフィールド公爵から、わたくしがレムリアに技術提供していることに懸念を抱く者がいると伺っております。ですから、わたくしは陛下に提案をお持ちいたしました」
分かっているのならもう少し自重しろ! と叫ばなかった自分を褒めてやりたい。見れば、他の大臣も何人か、私と同じような顔をしている。
そんな中、一人だけ冷静な陛下が応じた。
「……薬草園の共同開発だな?」
「はい。薬草園で栽培するのは、本来なら人里では栽培できないとされている類いの薬草です。その技術を、共同開発という名目で提供する用意がございます」
私はその言葉が我慢ならなかった。
手を上げて発言の許可を得て、アイリス嬢に向かって言い放つ。
「そのような技術があるのなら、最初からリゼルだけで開発するべきでしょう。いかに賢姫といえ、個人の感情で他国に利益を与えるなど、勝手が過ぎるのではありませんか?」
私が苦言を呈すると、アイリス嬢はその整った顔に浮かべていた穏やかな笑みを深めた。凄味のある笑みに気圧され、思わず生唾を飲み込む。
アイリス嬢は私から視線を外し、陛下に向かって問い掛けた。
「彼の意見は、この国の総意ですか?」――と。
フレッド王は顔を引き攣らせ、「いいや、彼個人の意見だ」と首を振る。この瞬間、私は自分の意見が、陛下の意思に反していることを理解するが――手遅れだった。
「そうですか、安心いたしました。いまのが総意であれば、わたくしは共同開発の提案を諦め、レムリアに帰らなくてはいけなくなるところでしたから」
彼女は、こっちが提案している立場だと口にした。
それはつまり、彼女が本来はリゼルの協力を必要としておらず、自分の所属がリゼルだとも認識しておらず、共同開発を好意で提案していると考えている、と言うことだ。
「ア、アイリス嬢、貴女は我が国の賢姫でしょう!?」
「その通りです。ですが勘違いなさらないでください。いまのわたくしはフィオナ王女殿下の教育係として、アルヴィン王子に雇われている身です」
「だ、だからといって、自国の研究内容を他国に流出させるなど許されるはずがありません」
それだけは間違いないと、私は言い放った。
だけど――
「違いますね。貴方は間違っています」
アイリス嬢は凜とした口調で私の言葉を否定した。
「な、なにが間違っているというのですか?」
「わたくしは賢姫、婚姻によってのみ、この地に縛られる存在です。その婚姻が正式に破棄されたいま、私の行動を縛るものはありません」
婚姻によってのみ縛られる賢姫。その賢姫と王族との婚姻が正式に破棄されている。それはつまり、王家が正式に、彼女の自由を認めたと言うことを指している。
王家はなぜそのようなことを認めたのか――と、そこまで考えた私は、ザカリー元王太子が、自分がアイリスを振ったのだと吹聴していたことを思いだした。
あちこちから驚きの声が上がり、フレッド王がそっと顔を伏せた。
「わたくしが機密を流出させているのではありません。わたくしという機密を隣国へ流出させることを、ザカリー元王太子が認めたのです」
責めるのなら自分ではなく王族を責めろと、そう口にする彼女に対して私は二の句が継げない。そうして言葉を失った私に、陛下が「もうやめよ」と口にした。
「民の動揺を招かぬための措置として責任を曖昧にしているが、真実は彼女が語ったとおり、すべての責任はこちらにあるのだ。我らに、彼女を責めることは出来ない」
私はそこまでの考えに至っていなかった。
自分の発言が、逆に陛下に迷惑を掛けている。それに気付き、耐え難い恥ずかしさを覚えるが、それでも私は歯を食いしばって頭を下げる。
「……どうやら差し出口だったようです。アイリス嬢、無知ゆえの発言をお許しください」
「謝罪を受け入れます」
アイリス嬢が謝罪を受け入れたことでこの場は収まった。
だが、アイリス嬢に負い目はなかった。むしろ、陛下の側に負い目があった。その状況で失態を犯した私は、リゼルに不利益をもたらした存在として叱責を浴びるだろう。
国を思っての発言であったなど、なんの慰めにもならない。
そう考えて俯く私の前で、アイリス嬢が言葉を紡ぐ。
「話を戻しますが、みなさんの懸念は父より伝えられています。わたくしとしても、この国の公爵である父を苦しませたくはありません。だからこそ、薬草園の話を持ちかけるのです」
国のためではなく、父のため。母国は彼女の鎖にならず、肉親の存在だけが彼女を繋ぎ止めているという意味。どうやら、私は根本的なところから間違っていたようだ。
そんな風に考えているうちにも、アイリス嬢の話は続く。
その話によれば、本来は栽培できない薬草を栽培する技術は、そもそもリゼル国で開発された技術でもなければ、アイリス嬢が開発した技術でもないらしい。
それが事実であれば、技術の流出もなにもあったものではない。リゼルが共同開発を受け入れないのなら、自分達は引き上げるとアイリス嬢が口にするのも無理はない。
ただ、レムリアで開発された技術でもないらしい。今回の共同開発の提案はただただ、情報の流出を懸念するリゼルに対する気遣いであるようだ。
その気遣いに対して、他国を優先するなと返されれば彼女が怒るのも無理はない。どうやら私は、アイリス嬢のことを誤解していたようだ。
そして、それに気付くのがあまりに遅すぎた。そう思ったそのとき、
「ところで、貴方、名前はなんというのですか?」
「は? え、あ……ゴドウィンと申します」
アイリス嬢の問い掛けている相手が自分だと気付き、私は慌てて名乗りを上げた。
「そうですか、ではゴドウィン。その席に座っていると言うことは、貴方がこの国の農水大臣を務めているのですね?」
「は、はい。少し前にその地位を賜りました」
なにを言い出すのかと考え、すぐに薬草園の栽培であれば農水大臣が関係することになると気付く。だから、自分はその地位に相応しくないと言われるのだと思った。
だが――
「では、レムリアに向かわせる技術者の選出は貴方にお願いできますか?」
アイリス嬢の言葉は、私の理解の外にあった。私は彼女の機嫌を損ね、リゼル国に不利益をもたらした身として処罰を受けるはずである。
そんな私を指名する理由が理解できない。
「もちろん、他に担当の大臣がいらっしゃるのなら、そちらの方でもかまいません。ただ、ゴドウィン、貴方もこの共同開発にかかわってくれるとありがたいと考えています」
「そ、それはつまり、私を許すと、そうおっしゃっているのですか?」
「……あら? わたくしはさきほど、謝罪を受け入れたはずですよ。それに、貴方の発言はこの国を思ってのことでしょう? フレッド陛下は、とてもよい重鎮をお持ちですわ」
「うむ。ゴドウィンはまだ若いが忠臣である」
処分の憂き目にあっていた私が、気付けばお褒めの言葉を賜っている。色々理解の及ばぬことはあるが、私はどうやらアイリス嬢に評価していただいたらしい。
噂とはまったく違う。アイリス嬢は慈悲深きお方のようだ。
私も両国の橋渡しのため、微力ながら尽力させていただくことを誓った。
誓ったのだが――
「本来なら、その一件を纏めて話は終わりだったのですが――アルヴィン王子」
「実は、アイリスが薬草の栽培についての技術を仕入れたのは魔の森にある隠れ里だ。その隠れ里の住人と交渉を経て、交易をしたいと考えている。それで、両国の緩衝地帯に町を造ろうというのが、今回の本題である」
アイリス嬢から話を振られたアルヴィン王子が驚くべき情報を開示した。
魔の森に隠れ里があることが驚きなら、その隠れ里の住人が英雄の末裔達であることは驚嘆。ましてや、ハイエルフだった当時の英雄がまだ生きているなど理解が及ばない。
そして、その隠れ里は、リゼル、レムリアよりも進んだ技術を持っているという。その隠れ里と交易をするための話が進んでいるという話。
陛下を始め、誰一人として状況を飲み込めない。ただ、農水大臣である自分が死ぬほど忙しくなることだけは理解して私は天を仰いだ。