エピソード 1ー4
その日、アイリスとアルヴィン王子の一行はリゼルへと向けて出立した。二人はレムリアからリゼルへの正式な使者と、その同行者という名目。
ゆえに、アイリスがレムリアへ渡ったとき以上の規模を誇っている。王族が利用する立派な馬車に、それに勝るとも劣らない馬車がもう一台。
それに、使用人達が乗車する馬車も数台同行しているのだ。
ゆえに、あのときのように、アルヴィン王子達の馬車にアイリスが同乗する理由はないのだが――最初の休憩の後、アイリスは見事にアルヴィン王子の馬車に拉致られてしまった。
「……アルヴィン王子、前から思っていましたが、あまり外聞がよろしくないですよ?」
「それを言い出せば、おまえが来るまではクラリッサと二人だぞ?」
言われて気付く。
主が男性なら専属は執事、女性なら専属はレディースメイドというのが一般的だ。にもかかわらず、アルヴィン王子がつれている専属はメイドのクラリッサである。
愛人をメイドという名目で、なんてことは珍しくないが――
「なんだ、妬いたのか?」
「――ふっ」
アイリスは鼻で笑う。
「別にアルヴィン王子が愛人を囲おうが関係ありませんが、もしそうなら、アルヴィン王子はもう少しクラリッサを大切にするでしょうか?」
「……なんとも返答に困ることを言うな」
「ふふっ」
アルヴィン王子とクラリッサはそういう関係にはない。ゆえにここは肯定の一択だが、肯定は同時に、いまはクラリッサを大切にしていないとも認めることになる。
「……というか、俺がクラリッサを蔑ろにしているというのか?」
「重宝しすぎて、酷使しているようには見えます」
「なるほど……言われてみれば心当たりがある。どうやら、自分のことになると、見えなくなることもあるのだな。なぁ……アイリス?」
「……どういう意味ですか?」
それでは、まるで自分も誰かを酷使しているようではないかと、アイリスは眉をひそめた。
「前から思っていたが、おまえはあの子供達を酷使しすぎではないか?」
「……そうですか?」
コテリと首を傾けると『うわ、こいつ自覚がない』とでも言いたげな顔をされた。アルヴィン王子だけでなく、クラリッサにまで、である。
「え、そんなに、二人のことを酷使していますか、わたくし」
「考えてもみろ。あの二人はまだ十二、三歳くらいだろ?」
頷くことで肯定する。アイリスがレムリアへ渡っておよそ一年。アイリスが十九の誕生日を迎えたように、ネイトが十三になり、イヴは十二になった。
「しかも、あの二人は一年前まで普通の家で育った子供だったはずだ」
「ええ、その通りです。ですが、この一年で驚くほど成長してくれましたよ」
「それだ、それ」
「……どれですか?」
意味が分からなくて瞬くアイリスに、アルヴィン王子は頭が痛いとこめかみを押さえる。それを見かねたのか、クラリッサが「アイリスさん」と口を開く。
「あの二人は、この一年でどのくらい仕事が出来るようになりましたか?」
「そう、ですね……」
アイリスは少し考えを巡らす。
家庭教師という名目とはいえ、アイリスは公爵令嬢で、王族や上級貴族ともかかわることが多い。そのため、二人には真っ先に相応の礼儀作法を教え込んだ。
また、フィオナにお勉強のやる気を煽るためのライバルとしてあれこれ教え込んでいるので、下級貴族並みの教養や知識は身に付けているだろう。
ついでに言えば、隠れ里では護身術を学んでいたし、薬草学についても身に付けている。そもそも、ユグドラシルの栽培を担当しているのはあの二人である。
――という話を終えると、クラリッサの顔が引き攣っていた。
「……アイリスさん、それはどう考えても詰め込みすぎです。貴族の子として最初から教養を身に付けていた使用人でも、十二、三でそこまで出来る者は滅多にいませんよ」
「クラリッサの言うとおりだ。ましてや、二人はこの一年で頑張ったのだろう?」
「まぁ……そうですね」
頷いているが、納得はしていない。
そんな態度のアイリスに、二人はなにか言いたげな顔をする。
「あぁいえ、凄く頑張っているのは理解しています。希に見る逸材だと言うことも。ただ、あの二人は自主的に努力を重ねているので、わたくしが強制してる訳じゃありません」
「あれだけの作業を自主的に、だと……?」
アルヴィン王子が信じられないと目を見張った。
なお、アイリスやクラリッサは無論のこと、アルヴィン王子も大概な作業量を自主的にこなしているのだが、あまり自覚のない集団である。
とはいえ、貴族として厳しく躾けられた訳でもなく、フィオナよりも年下の子供――という点では、たしかにアルヴィン王子達が驚くのも無理はない。
「あの二人は母親のために頑張っていますからね」
「……なるほど、誰かのために努力するタイプか。だが、レムリアに戻ったら、一度休暇を与えてやった方がいい。アイリスの鬼畜っぷりが噂になりつつあるそうだからな」
アルヴィン王子がちらりとクラリッサに視線を向ける。
どうやら、使用人達のあいだでそういう噂がされている。それをクラリッサが知って、アルヴィン王子を通して忠告してきた、ということのようだ。
「忠告痛み入ります。でも、新たなメイドの雇用をあっさり認めてくださった訳が分かりました。そういう懸念があったから、なんですね」
「そうだな、それもある。ところで、あのメイド……クレアと言ったか? あのメイドはたしか、城下町に店を構えている服飾店の店員ではなかったか?」
「あら、よく覚えていますね」
以前、アルヴィン王子は店員として立ち回るクレアを目にしているが、あのときとは服装も雰囲気もまるで違う。しかも、メイドとしてのクレアとは少ししか顔を合わせていない。
それで二人が同一人物だと気付くのは凄いとしか言いようがない。
「まぁアイリスを見る目が特別だったからな」
「たしかに彼女はわたくしの忠臣ですが、そんな理由で気付かれるとは思いませんでした」
クレアが町で服飾のお店を開いているのは、諜報活動の一環だ。ゆえに同一人物だとバレるのは想定外で、以前のアイリスならバレるような失態は犯さなかっただろう。
ただそうなったのは、アルヴィン王子に対する警戒が薄れていることが理由に挙げられる。
なんてことを考えてアルヴィン王子を見つめていると、彼がなにか言いたいことがあるのかと問い掛けてくる。アイリスは当然のように、別になにもと素っ気なく答える。
「そうか……まぁいい。それよりも、フィオナのことだ。おまえの使用人達ではないが、フィオナもここ一年で大きく成長した。それはひとえにおまえのおかげだと言えるだろう」
「……フィオナ王女殿下のお役に立てたのなら、これほど嬉しいことはございません」
アイリスは本当に嬉しそうに応じる。
「おまえのフィオナへの愛は留まることを知らぬのだな」
「フィオナ王女殿下は可愛いですからね」
きっぱりと言い切る。魔王の魂の話を聞いたアイリスはあることを自覚した。それは、巻き戻る前のアイリスと、いまのフィオナが似て異なる存在である、ということである。
言うなれば、巻き戻る前の世界では、魔王の魂を持つフィオナと普通のアイリスが存在していた。そして巻き戻った後は、普通のフィオナと、魔王の魂を持つアイリスが存在している。
これが、アイリスがフィオナを妹のように可愛がっている理由の一端である。アイリスにとっていまのフィオナは、理論的にも妹同然の存在なのだ。
それに加えて、いまのフィオナは様々な面で成長している。
アイリスにとっては、成りたくても成れなかった理想の自分そのものだ。そういう意味でも、いまのフィオナは可愛くて仕方がない、という訳だ。
もっとも、それはアイリスだけが知る事情。事情を知らないアルヴィン王子達にとって、アイリスのフィオナ愛は過剰すぎるようにしか見えないのだが……
「それにしても、フィオナ王女殿下には可哀想なことをしました」
「仕方あるまい。いまのおまえとフィオナを一緒に外出させるのは危険だからな」
「やはり、それが理由だったのですね」
今回の使者の負う責任は大きいが、なにも使者のトップがすべての交渉を引き受ける必要はない。フィオナを使節団の代表に据え置き、交渉は別の者が執り行うという選択も出来た。
だが、アイリスは魔族に狙われている。
王族にも常に外敵がいるとはいえ、いまのアイリスほど危険ではない。そのように危険な状態にあるアイリスと、未来の女王を一緒に旅させることを避けたかったのだ。
「そうだな。まぁ……他にも理由はあるが」
「理由? どのような理由ですか?」
「それは……秘密だ」
アルヴィン王子が人差し指を唇に押し当てた。そこらの令嬢なら黄色い悲鳴を上げそうな仕草だが、アイリスは半眼になる。
「……もしかして、わたくしの真似ですか?」
「それも秘密だ」
「この王子、本当に面倒くさい……」
アイリスはこれ見よがしに溜め息を吐く。
「アイリスさん、フィオナ王女殿下がリゼルへの使者になるという選択もたしかにありましたが、王族が二人同時に使者としておもむくという選択がないでしょう?」
「クラリッサ、余計なことは言うな」
アルヴィン王子が釘を刺す。つまりは図星。
フィオナが使者になれば、アルヴィン王子が使者になれないというのが理由。そのことにアイリスが理解した――と、アルヴィン王子も理解したのだろう。彼は小さく息を吐いた。
「大したことじゃない。フィオナでは、リゼルにおけるおまえの名誉回復が難しいと思っただけだ。リゼルにはいまだに、婚約破棄の件であれこれ噂する連中がいるそうだからな」
「……まぁそうかもしれませんね」
「なぜおまえが興味ない体なんだ。俺の取りなしでアイリスの名誉が回復しつつあると、アイスフィールド公爵から感謝の手紙が届いていたぞ?」
「いえ、実際、あまり興味がありません。そもそも、ザカリー元王太子の婚約者だった頃から、わたくしは色々と揶揄されていましたから」
ザカリー元王太子の婚約者として、あれこれ揶揄するものは多かった。そして考えてみれば、ザカリー元王太子を支持していた者達は、アイリスのせいで失脚したようなものだ。
逆恨みであれこれ揶揄する者がいてもおかしくはないだろう。
アイリスはむしろ、父とアルヴィン王子に手紙のやりとりがあったことに驚く。そんな関心のなさが伝わったのだろう。アルヴィン王子が肩をすくめた。
「まったく、おまえらしいが、アイスフィールド公爵が嘆くのも無理はないな。アイリスの名誉が、アイスフィールド公爵家の名誉にも繋がる。少しは気にしてやれ」
「お父様は気にしないと思うんですが……」
「おまえの名誉が、教え子であるフィオナの名誉にも繋がると言ってもか?」
「分かりました。全力で名誉の回復に努めます」
まったくと、アルヴィン王子が呆れる。アイリスはそんな彼の反応を無視し、本来の目的を果たす傍ら、どうやって名誉の回復に努めるかに思いを巡らせた。