エピソード 1ー3
陛下との謁見は、その後の予定を軽く話し合って終了。さっそくリゼルへ帰還する準備を始めたアイリスだが、帰還する前にはいくつかやることがある。
もっとも大変そうなのは、アルヴィン王子とフィオナにお茶会という名目で呼び出されたことだが、開催日は明日なので後回し。アイリスは薬草園に足を運んだ。
そこでは、ネイトとイヴが隠れ里から持ち帰ったユグドラシルの株植えをおこなっている。
「ユグドラシルは魔力素子を多く必要とするの。だから、植える間隔は普通の薬草の倍以上開けてちょうだい。そうしないと、魔力素子が足りなくて枯れてしまう可能性が高いから」
「かしこまりました。これくらいでよろしいですか?」
「そうね、それなら大丈夫よ」
イヴが薬草を等間隔に植えていき、ネイトが砕いたクズ魔石を土に混ぜていく。まだ十代前半で未熟な二人だが、アイリスの指示をよく聞いて頑張ってくれている。
というか、アイリスがとても多忙であるため、アイリスに仕える二人も大忙しだ。
「無理を言ってごめんなさいね」
「いいえ、アイリス様のお役に立てるならかまいませんっ!」
「そうです、いくらでも頼んでください!」
ネイトとイヴが続けて健気なことを口にする。
アイリスの専属使用人として働いている二人だが――というか、二人だからこそ、アイリスの取り扱う機密情報に関連するお仕事を割り振られることが多くなっている。
少なくとも、ユグドラシルの栽培は当分二人に頼むしかない。そうなると、リゼルに二人を連れて行くことも出来ない。やはり、信頼のおける使用人をもう少し増やすべきだろう。
そう考えたアイリスは、少しツテを当たることにした。
「ありがとう、二人とも。それじゃ、しばらくは薬草の手入れを頼むわね」
「かしこまりました。……アイリス様は何処か行くのですか?」
イヴに問われて、ちょっとお忍びでね、とアイリスはイタズラっぽく笑った。そうして部屋に戻ったアイリスはメイド姿に扮してお城からお忍びで抜け出す。
ちなみに、アイリスはここ一年で、メイドのイリスという架空の存在を作り上げている。自分自身で出した外出許可書をもって門を通り、正々堂々と城下町へと向かった。
向かう先は、城下にある最近出来た服飾のお店である。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなお洋服をお探しでしょうか?」
「イリスと申します。店長はいらっしゃいますでしょうか?」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
店員によって商談室へと案内される。ほどなく、この服飾店の店長が姿を現した。赤毛に黒い瞳。アイリスより三つ年上の彼女の名前はクレア。
このお店の店長にして、リゼルにいた頃からアイリスに仕えている侍女の一人である。優秀なその能力を活かして、いまでは諜報員のような役目を果たしている。
「しばらくぶりね、クレア。お店が繁盛しているようで喜ばしいことね」
「アイリスお嬢様のおかげです。王子様からのご注文はとてもよい箔付けになりました」
先日、アルヴィン王子達とこの店に足を運び、あれこれ注文したことだ。もちろん、お忍びで来たのだが、届け先が王城の王子宛てになっていたので丸わかりだった、という訳だ。
「フィオナ王女殿下もとても喜んでいたわよ。……と、今日はその話じゃないの。実は使者を兼ねて、少しリゼルに戻ることになったから、信頼できる使用人が欲しいのよ」
「……信頼できる使用人がいらっしゃらないのですか?」
クレアが眉をひそめた。
「いない訳じゃなくて足りないのよ。信用できる使用人に薬草園の管理を任せる予定だから、リゼルに連れて行く人材が足りないのよ」
「なるほど……そういうことでしたら、私が同行いたします」
「貴女が? でも、このお店はどうするの?」
「店員の教育が終わっているので問題ありません。それに私はいまもアイリス様のメイドのつもりです。諜報活動を続けろとおっしゃるのでしたら従いますが……」
「いいえ、貴方にお願いするわ。今日はお忍びだから、正式に許可を得たら連絡をするわね」
「かしこまりました。ご連絡をお待ちしております」
と、そんなことがあった翌日は、フィオナとアルヴィン王子に招かれたお茶会の当日である。アイリスはその招待に応じるべく、中庭の一角へと足を運んだ。
やってきた中庭の一角、木漏れ日が降り注ぐ、ひだまりにお茶会の席を用意させている。そこには眉を吊り上げたフィオナと、表情の読み取れないアルヴィン王子が待ち構えていた。
「本日はお招きいただき帰ってもよろしいでしょうか?」
「来るなり帰ろうとするな、座れ」
「そうだよ、逃げちゃダメだよっ!」
アルヴィン王子とフィオナの二人から詰め寄られ、さしものアイリスも「はい」と答えて大人しく座るしかなかった。
「さて、どうして呼び出されたかは分かっているな?」
「さぁ……新しいお茶でも――」
仕入れたのかと茶化そうとしたら三人からジロリと睨まれた。アルヴィン王子の後ろに控えているクラリッサまでが二人と一緒にアイリスをジト目で睨みつけている。
アイリスは思わず口をバッテンにして沈黙する。
「アイリス、おまえは狙われている。だから、リゼルの要人をこちらに招くように提案しただろう。おまえはそれを納得したと思っていたのだが?」
「そうだよ、アイリス先生が往復するのは危ないよ?」
彼らはアイリスの心配をしているらしい。
アイリスも、そんな心遣いに悪い気はしない。だからこそ、二人の気持ちは無下にしたくないと思うのだが、それでもアイリスは頷くことが出来なかった。
「わたくしも、好き好んで危険に飛び込みたい訳ではありません。ただ――」
アイリスはそこで言葉を切り、フィオナに目配せをする。だが、フィオナは可愛く小首をかしげるだけで、こちらの意図を理解してくれなかった。
代わりに意図を察したアルヴィン王子がさっと手を上げて、周囲の使用人を下がらせる。
「ありがとう存じます」
「かまわぬ。魔族のことなら、おおっぴらに話せることではないからな」
クラリッサはアルヴィン王子の専属で信頼がおけるし、ネイトやイヴもアイリスを裏切ることはない。だが、フィオナはレベッカを解雇して以来、特定の専属メイドがいない。
機密を共有するには信頼が足りないため、席を外してもらおうと思ったのだ。フィオナが用事を申しつければよかったのだが、そこに至るほどにフィオナの教育が進んでいない。
代わりにアルヴィン王子が気を利かせ、使用人の全員を下がらせた、という訳だ。
「話を続けますね。わたくしは魔族に狙われています。ですが、集結した魔物の多くは滅ぼし、魔族も数名仕留めました。しばらく動きはないでしょう」
あのエリスという魔族以外は――と、アイリスは声には出さずに呟いた。
「……まさか、自分を囮にするというつもりではないだろうな?」
「いいえ、違います。機会があれば対話に応じるつもりはありますが、わたくしの目的はそれじゃありません。お父様に直接、魔族のことを警告するのが目的です」
他国とはいえ友好国で、門戸は開かれている。商人や旅人が行き来するために、手紙の類いは送り放題で、一般的には検閲的なものは介入しない。
だがそれも一般的には、である。
相応の地位や立場にいるものであれば、手紙の内容を確認することも、改竄することも不可能ではない。そして、その地位に魔族の関係者が入り込んでいないという保証もない。
それを調べてからでなければ、おちおち手紙を送ることも出来ない。
なによりの理由は――
「あと、妹のジゼルにも久しぶりに会いたいですから」
アルヴィン王子とフィオナが目を見張った。
ちなみにアルヴィン王子は「アイリスの妹だと……? 物騒な……」と失礼極まりないことを呟いていて、フィオナは「私のライバル!?」とよく分からないことを呟いている。
「……二人とも、どんな想像をしているのか知りませんが、ジゼルはとても品行方正なお嬢様ですよ。もちろん、魔術は得意ですけどね」
「――などと、アイリスは主張している訳だな」
「まあ、わたくしが噂と異なる性格であることは否定しませんけどね」
なにしろアイリスは笑わない賢姫とか、冷酷だとか色々言われていた。実際の性格とかなり異なる以上、その妹も猫を被っていると思われても仕方ない。
「まあ妹のことはあくまでついでです。とにかく、一度リゼルに帰ります」
「ふむ、考えは変わらないようだな。しかし、使用人はどうするつもりだ? あの二人には薬草園の管理を任せているのだろう?」
「その件で一点、お願いがございます。一人、メイドを雇いたいのですが」
「ふむ? まぁそれくらいなら好きにしろ」
「……よろしいのですか?」
あまりにあっさりとした反応にアイリスが困惑する。
フィオナの家庭教師としてレムリアに渡ったアイリスは、国から使用人を連れてこなかった。他国の人間を城に引き入れるというのは、それだけ警戒される行為であるためだ。
「一年前なら、そのメイドの身元を洗うなりしただろうな。だが、いまのおまえを疑う理由はない。そしておまえが信頼するメイドもまたしかりだ」
「……ありがとうございます」
ちょっとびっくりして、アイリスは少し照れくさそうにお礼を口にする。
「話を戻すが、里帰りはどれくらいの期間を予定しているのだ?」
「そうですね……薬草園の件もありますし、フィオナ王女殿下の家庭教師も長く休む訳にはまいりませんから、長居するつもりはありません。すぐに戻ってくるつもりです」
戻るという言葉に、アルヴィン王子とフィオナが表情を和らげる。
でもって――
「では、俺が同行しよう」
アルヴィン王子が厄介なことを言い始めた。
「アルヴィン王子、もう少し自分のお立場を考えてください。そんなにぽんぽん、隣国へ渡る王子がどこにいるのですか?」
「隣国にぽんぽん渡る賢姫よりはマシだと思うぞ?」
「…………」
指摘が的確すぎて、アイリスは思わず視線を逸らした。
「そもそも、アイリスがリゼルに渡るのなら、交易の件や薬草園の詳細など、リゼルで一度話し合った方が手間が省けるだろう。俺なら、その大使として不足はないはずだ」
「ず、ズルイ! それだったら私が行く!」
前回置いてきぼりを喰らったフィオナが名乗りを上げる。
だが――
「おまえではダメだ」
アルヴィン王子が容赦なく指摘した。
「ど、どうして? 私は剣姫だし、次期女王なんだよ? アルヴィンお兄様に資格があるなら、私だってその資格はあるでしょ?」
「たしかに、おまえにもその資格はある。だが、今回の話し合いの結果次第では、国の行く末を左右する。それをアイリスの目配せにも気付かぬいまのおまえには任せられぬ」
「……アイリス先生の目配せ?」
どういうことかと、フィオナから視線を向けられる。アイリスは、さきほどフィオナの使用人を下がらせて欲しいと目配せしたと打ち明けた。
「あの目配せ、そういうことだったんだ? でも、目配せに気付かないくらいどうってことないでしょ? 理由を訊けばいんだから」
「それで手遅れになることもある。隣国の元王太子の一件を忘れたか? 無知であるがゆえに、取り返しの付かない結果を招くこともある。いまのおまえは次期女王として未熟すぎる」
「――っ」
フィオナがハッとした。
ザカリー元王太子の醜聞はフィオナもよく知っている。というかむしろ、アイリスを傷付けた悪人として敵愾心を抱いていた。だが、だからこそ、自分がそんな彼と同じ失態を犯しかねないという事実は衝撃だったようだ。フィオナは悔しげに俯いた。
そんなフィオナの頭をアルヴィン王子が撫でる。
「うわわっ、髪の毛がボサボサになっちゃうよ」
アイリスとは違う撫で方にフィオナが苦情を訴える。だがアルヴィン王子は聞き入れず、フィオナの髪をぐしゃぐしゃになるのもかまわずに撫で回す。
アルヴィン王子なりに慰めているのだろう。
それを見ていたアイリスも口を開いた。
「フィオナ王女殿下はとてもよく頑張っていると思いますよ」
「アイリス先生!」
フィオナが期待に目を輝かせるが、アイリスは「――ですが」と釘を刺す。
「フィオナ王女殿下が頑張り初めてから、まだほんの一年程度です。大使として隣国におもむくのはまだ早いでしょう。その点は、アルヴィン王子のおっしゃるとおりだと思います」
「しょんぼりだよぅ」
素直なフィオナは可愛いなぁと微笑んで、それから「わたくしが戻ったら、一緒にお勉強を頑張りましょうね」と慰める。フィオナは無邪気に「うん、頑張る」と微笑んだ。
以前は、剣術のためにしか勉強を頑張ろうとしなかったフィオナが、それ以外の理由で勉強を頑張ると口にした。その事実に、アイリスは感慨深いと頬を緩めた。