プロローグ
お待たせしました。
三章、本日より三章が終わるまで週一で投稿予定です。
また、二巻が本日発売&コミカライズ版がスタートしています。
三章を読む前の読み直しにいかがですか?
内容は二章(10万字ほど?)に2.5万字ほど書き下ろしが増量しています。他にも店舗購入特典が三種、歴史が巻き戻る前、アイリスがフィオナだった時代の物語があります。
詳細は公式か、緋色の雨のTwitterをご覧ください。
>本日中に活動報告にも載せる予定です。
後、東京の一店舗限定ですが、緋色の雨のサイン本が存在します。電話による代引きで購入することも可能なので、気になる人はTwitterで検索してみてください。
>緋色の雨がリツイートしてあります。
いまアイリスの中にある魂が、まだフィオナの中にあった世界。レガリア公爵家の娘リリエラは、父である現当主を前にかしこまっていた。
「リリエラ、我らレガリア一族の悲願を果たせ。どのような手段を使っても、偽りの王を玉座から引きずり下ろし、初代剣姫の末裔である我らの栄光を取り戻すのだ」
「お任せください、父上。必ずや期待に応えて見せましょう」
リリエラは芝居がかった仕草でお辞儀をすると、身を翻して父の執務室を退出する。直後、周囲に人がいないことを確認するやいなや、顔に張り付かせていた笑みを投げ捨てた。
(なにが一族の悲願、だよ。ボクの願いを勝手に決めないでよね)
父上は妄執に取り付かれている――とリリエラは不満を露わにした。
レガリア公爵家は初代剣姫の末裔である。ゆえにレムリアの王になるのはレガリアの血を引く者であるべきだ――というのがリリエラの父、ダグラスの考え。
その悲願を果たせというのが、ダグラスからリリエラに与えられた命令である。
だが、現国王も初代剣姫の末裔であることに変わりはない。初代剣姫の息子が二代目の国王になり、初代剣姫の娘は二代目の剣姫としてレガリア公爵家の当主となった。
剣姫となったのは娘だから、娘の血を引くレガリア公爵家が真の末裔という言い分。
だけど――
(それが当てはまるのは、レガリア公爵家の初代様だけじゃないか)
初代剣姫の息子が王位についた後、娘が剣精霊の加護を受けて剣姫となった。
当時はたしかに、娘の方が正統な後継者だという意見も上がった。だからこそ、初代剣姫の娘は公爵という地位をいただくことになった。
これは事実だ。
だが、それから数百年。レガリア公爵家は必ずしも剣姫を輩出している訳ではない。王族から剣姫が生まれることもあれば、市井から生まれたケースもある。
レガリア公爵家も初代剣姫の血を引いているが、その正統性では王族と大差ない。
いまの王家の血筋が途絶えたとか、あるいは王が圧政を敷いているというのならともかく、レガリア家が王族に成り代わる理由はどこにもない。
とはいえ――
(命令を無視すれば、父上がどんな暴走をするか分からないからね)
父が一人自滅するのなら問題ないが、一族が連座で処刑されてもおかしくない。
それを避けるためにも、ひとまずは従った振りをしつつ、どうするか考える。そう判断したリリエラはまず、次期女王であるフィオナのもとに、密偵として侍女を送り込むことにした。
一ヶ月後。
リリエラの元に第一報が届けられた。
フィオナ王女は決して悪人ではないが、良くも悪くも物事を力で解決しようとするきらいがあるらしい。それを見たリリエラは、フィオナ王女が次期女王には相応しくないと感じた。
人間としてダメ、という訳ではない。取り巻く様々な条件により、彼女が女王になることは望ましくないと感じたのだ。
なぜなら、女王と剣姫が同一人物であることは諸刃の剣だからだ。
昨今は自然災害に加え、魔物による被害が増加している。有事の際には自ら先陣を切る必要がある以上、剣姫が命を落とす可能性は非常に高い。
王太子と、王太子妃である剣姫が魔物に殺された歴史を見返しても、どのような事態を引き起こすかは明確だ。あのときですら、国を揺るがす大事件だった。
護りの要である剣姫と、国を導く存在である王。それらが再び同時に失われることになれば、このレムリア国は立ち直れないほどに荒れることとなるだろう。
その可能性を考えたとき、フィオナ王女の周辺に奇妙な点があることに気付く。たとえば、フィオナは次期女王であるにもかかわらず、女王に必要な教育を受けていないというのだ。
名目は相応しい家庭教師が見つからないということだが――
(王女の家庭教師が見つからない、ね。なんの冗談かな?)
明らかに誰かの思惑が絡んでいる。
王宮の中にも、フィオナ王女を次期女王に望んでいない存在がいるのではないか? そう考えたリリエラは更なる情報収集を進める。
そうして浮上したのは、フィオナ王女の婿候補であるアルヴィン王子の存在だ。陛下の愛妾が産んだ王子の子供で、フィオナ王女の従兄に当たる存在。
王配に有力視されているその男が、まるでフィオナ王女を女王にしたくないかのように立ち回っている。しかも、リリエラが少し調べて分かるほどに分かりやすく、である。
(これはなにかあるね)
この日、リリエラはアルヴィン王子との接触を決意した。
王城で開催されるパーティーの会場。レガリア公爵家の令嬢としてパーティーに出席するリリエラは深紅のドレスを纏い、多くの参列客の殿方を魅了していた。
ダンスの誘いを断りながらアルヴィン王子の姿を探す。
しばらく会場を歩き回ったリリエラは、ほどなくしてアルヴィン王子の姿を見かけた。彼は会場の一角を陣取り、ワインを片手に一人で物思いに耽っていた。
王族とのコネクションが欲しい者達が遠巻きにしている。いくつかの例外を除いて、目下の者から目上の者に声を掛けてはいけないというルールが社交界には存在するからだ。
そのルールがなければ、彼らはすぐにでもアルヴィン王子を取り囲んでしまうだろう。だがそれが出来ないため、アルヴィン王子から声を掛けられるのを待つしかない、という訳だ。
そんな者達を横目に、リリエラはアルヴィン王子の元へと歩み寄った。周囲からわずかなざわめきが上がるが、それはパーティー会場を満たす音楽や他の雑音に掻き消される。
リリエラを視界に収めたアルヴィン王子が眉を寄せた。
「おまえは……レガリア公爵家の娘か」
「覚えて頂けていたとは光栄です、アルヴィン王子」
「ふっ、剣精霊の加護を受けた娘を忘れるものか」
褒め言葉にも聞こえるが、そうでなければ覚えていなかったとも受け取れる。おそらく後者だろうと判断したリリエラはその顔に張り付かせた笑みを深めた。
「それは、私が剣姫になり得る存在だから、という意味でしょうか?」
剣姫という称号を受ける者は、剣精霊の加護を得た女性から選ばれる。
元々は初代剣姫に加護を与えたのと同じ剣精霊、アストリアに加護を受けた女性だけを示していたが、政治的な理由で他の剣精霊から加護を受けた女性が剣姫と呼ばれることもある。
もしもフィオナ王女がいなければ、リリエラは剣姫と呼ばれることになるだろう。
その可能性をほのめかせば、アルヴィン王子はリリエラの予想通りに食い付いた。
「リリエラ、俺と一曲踊ってもらうぞ」
「喜んでお受けいたします」
手を差し伸べられる。そこに滲む殺気に冷や汗を掻きながら、それでも笑みを絶やすことなく手を取った。リリエラはアルヴィン王子にエスコートされてダンスホールへと向かう。
ダンスホールへと足を運んだ二人は、さっそくリズムに合わせて踊り始めた。
「さて――これだけ密着していれば、他の者に聞かれることはないだろう。おまえが俺に接触してきた理由は……なんだ?」
「あら、数多の戦場を掛ける英雄と踊りたいと願うことが不思議ですか?」
「駆け引きをするのは勝手だが、話を聞くのはこの一曲が終わるまでだ」
「……分かりました」
(といっても、アルヴィン王子の目的が読み切れないんだよね)
アルヴィン王子はフィオナ王女の即位を望んでいないと予測は出来ても、その理由を絞りきるまでには至っていない。話しながら探りを入れる予定だったのだ。
どうしたものかと考えているあいだにも音楽は流れ続ける。
「そういえば、俺の亡くなった部下が言っていたな。古き血脈の一族が、かつての栄光を取りもどさんとしている、と」
リリエラのステップが乱れる。が、それも一瞬。彼女は上手く取り繕った。だが、そうして取り繕えたのはステップだけだ。心の乱れを滲ませた事実は消しようがない。
覚悟を決めたリリエラはアルヴィン王子をまっすぐに見つめた。
「……過ぎた願いに胸を焦がす者もおりましょう。ですが、一族がみな、同じ願いを秘めていると決めつけるのは早計ではございませんか?」
ダグラスの野望を知っているとほのめかされたリリエラは、それが一族の総意ではないと訂正する。言い方を変えれば、ダグラスの野望を認めたも同然である。
アルヴィン王子が意外そうな顔をした。
「ふむ。ならばどういうつもりで俺に声を掛けた?」
「私には可愛い弟がおりまして、可愛い従妹を持つ貴方と気が合うのではないか、と」
父の野望に巻き込まれ、可愛い弟を不幸にしたくないという内心を滲ませる言葉。
リリエラがこのように迂遠な表現をすることには理由がある。
アルヴィン王子がフィオナ王女の即位を望んでいない理由。それが可愛い従妹を過酷な地位に就かせたくないからなのか、はたまた自らの野心か、他に思惑があるのかが読み切れない。
だからこそ、自分と同じように従妹を可愛がっているとも受け取れ、同時に貴方は従妹を排除したがっていると皮肉ったようにも、どちらとも取れる言い回しを使った。
そして、気が合うという言葉にはもう一つの意味が含まれる。
「……なるほど、話が見えてきたな」
アルヴィン王子が傍系の王子として即位し、新たに剣姫となったリリエラが王妃につく。そうすれば、二人のあいだに産まれた子供――すなわち、レガリアの子供が次期国王である。
レガリア当主の暴走を止め、この国を安定させる結果に繋がる。
それが、二人の目的が合致するのではないか、という申し出。
そんな提案をしたリリエラは、緊張した面持ちでステップを踏み続ける。かろうじてダンスを続けていられるのは、熟考しているアルヴィン王子の示すステップの難度が低いためだ。
下手をしたら、この場で咎められる可能性があることをリリエラは理解していた。だが、父の暴走を止めなければ、可愛い弟まで父の連座で殺される可能性がある。
アルヴィン王子がこちらの動きを察知していたのだからなおさらだ。最悪は、父を売り渡してでも、弟の命を守ると覚悟を決めてアルヴィン王子の答えを待つ。
結果から言えば、アルヴィン王子との取り引きは成立した。決して短くない時間が過ぎ、魔物の襲撃や飢饉、現国王の崩御などが起きた後で、である。
二人のあいだには、恋もなければ愛もない。
従妹を愛する王子と、弟を愛する令嬢による下剋上。中継ぎの王となったアルヴィン王子は理由を付けてフィオナ王女を追放した。その上で、フィオナ元王女がいなくなって空いた剣姫の地位に、剣精霊の加護を持つリリエラを据え、王妃として迎え入れた。
レガリア公爵家の血が、再び王族に戻る。リリエラにしてみればどうでもいいことだが、それを悲願にしていたダグラスはご満悦だ。
これですべてが上手く回るはずだった。
だが、ダグラスはそれでよしとはしなかった。更なる権力を求め、王妃の父として、そして初代剣姫の末裔として、アルヴィン王子になにかと口を出してくるようになったのだ。
(アルヴィン王子は自分を犠牲にしてでも従妹を守り、この国を支えようとしている。それなのに、父上は自分が権力を得ることにしか興味がない。……ここまで、だね)
公爵家の娘でしかなかったリリエラには、父に意見するほどの力はなかった。だが、剣姫に、そして王妃になったいまのリリエラは違う。
弟を危険に晒すような害悪を放っておく理由は存在しない。
だから――
(機会が巡れば、必ず、貴方を排除してあげるよ。……父上)
リリエラが新たな誓いを立てる。
隠れ里で暮らしていたフィオナが命を落とす、少しだけ前の話である。