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エピソード 4ー1

 魔族の襲撃から二日が過ぎた。

 そのあいだにアイリスがなにをしていたかというと――治癒魔術の行使である。

 秘薬の不足によるポーションの不足を補うために、重傷者など緊急性の高い相手から順番にフィストリアの力を使って癒やしていく。それを三日間ずっと続けていた。


 もちろん、朝から晩まで、魔力の続く限り――という訳ではない。魔物はおおよそ滅ぼしたが、迷いの結界はまだ張り直されていない。

 魔族の存在もあるために厳戒態勢が敷かれている。


 そんな中での医療行為は苦労も多かったが、とにかく全員の治療が終わった。魔族に率いられた魔物の群れによる被害としては、最小限に留められたと言えるだろう。


 そして、最後の一人の治療を終えた日の夜。

 アイリスは家の裏にある柵に寄りかかり、森の香りを纏う夜風に当たっていた。魔力素子(マナ)を多分に含んだ風が魔力を消費した身体に心地良い。

 その心地よさに任せてぼーっとしていると、ほどなくネイトとイヴが揃ってやってきた。


「アイリス様、風邪引いちゃいますよ」


 ネイトがそう言い、イヴがアイリスの肩にケープを掛けてくれる。


「ありがとう、二人とも。遅くなったけど、よく頑張りました。おかげで、あの場に避難していた者達は全員が救われましたよ」


 二人が素早く避難誘導をしなければ、戦闘要員以外の被害者が出ていただろう。二人の功績は間違いなく素晴らしいモノだ。

 だが、二人はそれを誇る訳でもなく、しょんぼりと下を向く。


「僕達のせいで、アイリス様が……」


 ネイトが自分のことを僕と呼んだ。アイリスに仕えるようになってからはずっと私と言っていた、彼の使用人としての仮面が剥がれ落ちる。

 イヴもまた「私達のせいでごめんなさい」と年頃の子供のように泣きそうな顔をする。


「顔を上げなさい。わたくしは怒ってなどいませんよ。言ったでしょう、よく頑張ったと」

「頑張っただけじゃ……意味、ないです」


 イヴが悔しげに顔を歪ませる。


「たしかにそうかもしれません。でも、あなた達はしっかりと結果を残しました。もしあなた達がみんなを避難させなければ、取り返しの付かない結果になっていたかもしれません」


 イヴとネイトだけが人質だったからなんとかなったのだ。もしも広場にいる全員が人質だったなら、甚大な被害が出ていたかもしれない。

 そう諭してみるが、二人はやっぱり納得のいっていない顔だ。


「……たしかに、フィオナ王女殿下とアルヴィン王子が避難誘導に当たっていれば、むしろ魔族を撃退していたかもしれません。ですが、それはあなた達には出来ないことです。あなた達は間違いなく、あなた達に出来る最善を果たしましたよ」

「……でも、アイリス様は出来ないことでもするって言いましたよね?」


 イヴに指摘され、アイリスはツイっと視線を逸らした。ちなみに、そのときネイトは気を失っていたので、なんのことか分かっていないようだ。


「コホン。言い換えましょう。無茶と無謀は違います。いまのあなた達にとっては、アレが最善の結果です。わたくしは、あなた達のことを誇らしく思いますよ」


 アイリスは身をかがめ、二人の頭を優しく撫でつけた。それでようやく二人は安心したのだろう。強張っていた顔の緊張が解けて、くすぐったそうな顔をする。


「ゆっくりで構いません。あなた達は自分の出来ることを頑張りなさい」



 ――と、アイリスが二人を励ました結果。翌朝のイヴとネイトは、アッシュにもっと戦い方を教えてもらうと意気込んで出掛けていった。


(ゆっくりと出来ることをと言ったのに……)


 どうやら、いまの二人にとっての最善という評価から、いまの自分達が戦えたのなら、最善はもっと良い結果を得ることが出来たという結論に至ったらしい。


 むろん、それもまた真理ではある。

 二人がフィオナ並みに戦えたのなら、戦闘の展開はまったく違っていただろう。


 もっとも、二人は最近まで家のお手伝いをする普通の子供だった。たった一年で使用人として最善を尽くせたのだから十分な働きをしたと言えるだろう。

 それでも、二人は現状に満足していない。


(二人は本当に頑張り屋さんですね)


 本来であれば、生兵法は大怪我のもとであると危惧するところだが、アッシュはその辺りを心得ている。任せておけば安心だろうとの判断を下した。

 二人が鍛錬を望むのなら、アイリスもまた主としてそれを応援しようと決断する。

 で、その結果――


「アイリス先生、私もその訓練みたいっ!」


 フィオナに捕まったアイリスは、その要望を叶えることとした。

 無論、アイリスにはまだ、クラウディアとの交渉や、族長との交渉が残されている。だが、アイリスの手が空いても、二人にはまだ色々と作業が残っている。

 ひとまず、今日くらいはフィオナに付き合おうと思った訳だ。


 という訳で、アイリス達はアッシュが稽古を付けている里の広場へとやってきた。そこでは既に、ネイトやイヴが子供達と一緒に戦闘訓練をおこなっている。

 もっとも、戦闘訓練と言うよりは護身術。危険な場所には近付かない。ヤバイ魔物を見かけたら刺激しないように上手く逃げる――といった意識改革のウェイトが大きい。


 以前は深く考えていなかったが、好奇心に負けて結界を出て帰らぬ人となった妹のことが影響しているのだろう。二度と同じ不幸を起こさないために、と。


 そんな子供向けのお勉強から始まったので、フィオナには退屈だろう――と、アイリスは考えていたのだが、意外にも彼女は目をキラキラと輝かせていた。


「フィオナ王女殿下、あの手の講義に興味があるのですか?」

「うぅん、そうじゃなくて、あの人、とっても強そうだなぁって」

「……そっちでしたか」


 そんなことだと思っていたと、アイリスは密かに苦笑いを浮かべた。


「ところでフィオナ王女殿下、お城に戻らなくて大丈夫なのですか?」

「剣姫としての役目を果たすと言って出てきたのでしばらくは大丈夫だよ」

「……なるほど」


 たしかにそれなら大丈夫だと、賢姫であるアイリスは納得する。だが同時に公爵令嬢として、次期女王がそれで良いのかという疑問を抱いた。


(剣姫という地位が、次期女王の身を危険に晒している。お兄様が危惧しているのはこういうところなんでしょうね)


 これから考えていかなくてはいけない課題だが、今回はそれでアイリスが救われたのも事実。ひとまず、フィオナのことは棚上げにする。

 アイリスにとって、いまもっとも重要なのは自分の問題だ。


 アイリスが魔王の魂を保持している疑惑。

 だからといって、アイリスがどうこうなりそうな感覚はいまのところない。あえて言うのであれば、過去に戻っての転生の原因となっていそう、くらいの感覚だ。


 ただ、今後もアイリスを狙って魔族が動く可能性がある。これを放置すれば、自分の存在がフィオナを危険に晒す可能性もある。早急に対策を考える必要があるだろう。


(……でも、敵がわたくしを狙うというなら、罠に掛けることも出来ますね)


 賢姫である自分が魔族に狙われるのは予想の範疇。その理由が賢姫ではなく、魔王の魂なるものが原因だったとしてもそれほど変わりはない。

 ――なんて言えるのは、アイリスだからこそだろう。隣国の王子からちょっかいを掛けられるたび、邪魔と言い放てるアイリスはわりと図太い。


「……そういえば、アルヴィン王子がいませんね」

「お兄様なら、族長さんと色々交渉するって言ってたよ」

「あぁ、なるほど……いえ、言ってたよ、ではありません」


 これを機に、古き盟約を結び直す。そのうえで、この里の様々な技術を求めて取引をするのだろう。隠れ里にすむ彼らには、足りないモノがたくさんある。


 既にリゼル国と交易をしてもらうつもりで、アイリスも族長に話を通してある。ゆえにそれ自体は問題ないのだが……問題は、フィオナが他人事のように言っていることだ。


「フィオナ王女殿下も話し合いに参加した方がいいのではありませんか?」

「最終的にはお爺様が判断なさることですし、こういうことはお兄様の方が得意ですから。私が参加するのは、もう少し勉強してからにします」


 フィオナがいつもの口調ではなく、上品な口調でそれらしい発言をした。


「……で、本音は?」

「お兄様、ずっとアイリス先生と一緒でズルイ」


 フィオナ王女殿下が肩をぶつけてくる。

 どうやら、自分だけ置いてきぼりを喰らったことに対して拗ねているらしい。


(剣姫で次期女王とはいえ、まだ十四になったばかりですしね)


「そういえば、宿題はもう終わりましたか?」

「うぅん、ある程度は加護を調整して発動できるようになったけど、自在に使えるようになったと言うには、少し問題があるかなぁ。……言われた通り出来なくてごめんなさい」

「いいえ、期限が短くなったんですから気にする必要はありません。それよりせっかくですから、わたくしが少し成果を確認してあげましょう」

「――ホント!? わぁい、アイリス先生、だぁいすき!」


 フィオナは可愛いなぁと笑う。

 アイリスはたっぷり数時間、フィオナ王女殿下の稽古相手を務めて見せた。

 

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