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エピソード 3ー6

「アイリス様、みんな広場に避難しました!」


 避難誘導に努めていたイヴが報告に来る。同時に、彼の横には剣を下げたネイトが付き従っている。必ず二人一緒に行動するようにと、アイリスが命じた結果である。


「二人ともお疲れ様。後は他の子供達と一緒に、出来るだけ安全な場所にいなさい」


 アイリスが命じるが、その言葉に対しては二人揃って沈黙する。隠れ里から避難しろと命じたときと同じ反応に、アイリスは小さな溜め息をついた。


「二人はわたくしの使用人として、もう十分に役割を果たしました。ここから先は、あなた達が危険を冒す必要はありません。分かりますね?」


 諭すように語りかけるが、返ってくるのはやはり沈黙である。

 むろん、ここが魔物の襲撃を受けるのは最悪の事態だ。よほどのことがなければこの場にいれば安全だと言えるが――万が一がないとは言いきれない。

 そのときに、心構え一つでその命運を左右する可能性は否定できない。


「……困ったわね。二人とも、いつからそんな風に頑固になったのかしら?」


 アイリスが問い掛けると、二人は顔を見合わせた。それからネイトが頷いて、意思を託されたとおぼしきイヴがアイリスの前に進み出る。


「お母さんが言っていました。アイリス様がいなければ私達は死んでいた、って。あのときはよく分からなかったけど、いまなら自分達がどれだけ恵まれているか分かります」

「恩を感じているから、わたくしの側を離れない、と?」

「はい、アイリス様にお供させてくださいっ!」


 眩しいくらいにまっすぐな眼差し。まるで前世の自分を見ているかのようだ。

 だから――


「ダメよ」


 アイリスは静かに拒絶した。

 二人は悲しさと悔しさをないまぜにしたような顔で拳をぎゅっと握り締める。アイリスは膝を曲げ、そんな二人の顔を覗き込んだ。


 イヴもネイトもこの一年足らずで驚くほど成長した。使用人に相応しい教養を身に付けて、自分達の身を護る戦闘技術をも身に付けた。


 でもそれは、子供にしては頑張っているというレベルに過ぎない。熟練の使用人には叶わないし、剣技も見習い兵士にすら勝てないだろう。


「あなた達の気持ちは凄く嬉しいよ。だから、ここに残ることを認めたの。でもそれはあなた達を無駄死にさせるためじゃない。あなた達は出来ることをなさい」

「出来ること、ですか?」


 自分達になにが出来るのか分かっていない顔。

 だからアイリスは、二人が何者なのかを思い出させることにした。


「もしここに敵が攻めてきたら、わたくしはみんなを護って戦うことになるでしょう? そのとき、敵はみんなを狙うかもしれないし、わたくしも全員を護りながら戦うのは難しいわ」

「だから、私達も一緒に――」


 みなまで言わせず、アイリスは首を横に振った。


「それは、いまのあなた達には出来ないことよ。そして、出来ないことをしようとするのはただのワガママよ。いまのあなた達に出来ることをしなさい」

「私達に……」

「……出来ること」


 イヴとネイトが顔を見合わせ、それからこくりと頷きあう。二人はアイリスの使用人で、使用人の仕事は、主がスムーズに仕事をこなせるようにサポートすることだ。

 ゆえに、いまの二人の仕事は、アイリスが存分に力を振るえように支援することである。


 それを思い出したのだろう。彼らから決死の覚悟が霧散して、代わりに与えられた仕事を必ずこなすというひたむきな覚悟が滲む。


(さっきまでは死を覚悟するような顔をしていましたが、これならば敵が攻めてきても大丈夫でしょう。本当なら、敵は来ないのが一番ですが……)


 結界の内部に入り込んで、結界に細工を施した存在をアイリスは忘れていない。隠密性に長けた何者かがいるのなら、その者による奇襲は警戒してしかるべきだ。

 そうして絶えず周囲を警戒していたアイリスは、異質な気配に気が付いた。


「……いますぐ、みんなを北側に避難させなさい」


 焦る気持ちを押し殺し、二人に指示を出す。

 なにか言いたげな顔をして、だけど言われた通りに主の仕事環境を整えることに集中することにしたのだろう。二人は疑問を挟まずに「かしこまりました」と身を翻した。


 二人が立ち去るのを見届け、アイリスはアストリアの魔剣を顕現させた。それから路地の向こう側に向かって鋭い視線を向ける。


「なぜ奇襲を仕掛けなかったのですか?」


 アイリスの問い掛けに、誰もいないはずの路地の暗がりから人の姿がにじみ出た。黒衣を纏った黒髪の少女。だが、その背中には黒い翼がある。


「……魔族がこの大陸に?」


 いけない――と、アイリスは生唾を飲み込んだ。

 400年前、魔物を率いてこの大陸に攻め入った魔族達。彼らの数は決して多くはなかったが、その力は人間の英雄達を凌駕していたとも言われている。


「私は目的があってここに来ました。意味のない殺しは望んでいません」

「…………?」


 なんのことかと首を傾げる。

 一呼吸置いたアイリスは、それが最初に発した疑問への答えだと気が付いた。


(魔族が決して非道な悪魔ではないという話は聞いたことがありますが……)


 400年前の言い伝えによると、魔族は侵略者ではあっても殺戮者ではない。もっとも、それが事実であろうとも、この状況が大ピンチであることにはなんら変わりない。


 彼女がそこに存在しているだけで、アイリスは強烈なプレッシャーを感じている。おそらくはアイリスとアッシュが束になっても敵うか分からないほどの実力がある。


(ディアちゃんが状況に気付いて援軍を送ってくれるまでどれくらい掛かるでしょう? いえ、そもそも、この魔族に勝てるだけの援軍を送る余裕はあるのでしょうか?)


 状況が混乱すれば混乱するほど対応は遅くなるし、余裕がなければ援軍の質も落ちるだろう。とにかく、いまは時間を稼ぐ必要があると覚悟を決める。


 アイリスは改めて魔族へと視線を向ける。

 恐ろしく整った顔立ちだが、それを除けば人間となんら変わりがない。つまり、喜怒哀楽といった感情も、同じように顔に出るはずだと当たりを付けて注視する。


「目的があってここに来たと言いましたが、その目的を教えていただけますか?」

「私の目的は、魔王の魂を持って生まれたお方を連れ帰ることです」

「……魔王の、魂?」

「そのお方は輪廻転生の力を持っています。……心当たりがあるのでは?」

「なにをおっしゃるかと思えば。魔族は転生などと言った絵空事を信じているのですか?」


 弾む鼓動を意思の力で押さえつけ、アイリスは驚いた表情を浮かべる。だがその内心では、自分が彼女の探している相手であるとの確信を抱いていた。


 まず、アイリスが転生者であることは事実だ。

 だが、前世のアイリスであるフィオナがこの世界に存在する以上、魂は別物――と言いたいところだが、フィオナとして受けた精霊の加護も引き継いでいる。

 それが魂由来のものである可能性は消せない。


 そしてなによりの証拠は、彼らの襲撃時期と場所だ。前世では、いまより少し後になってレムリア国に魔物の襲撃があり、その数年後に隠れ里へと襲撃があった。

 だが今回は、いまこの瞬間に隠れ里への襲撃があった。

 それらの共通点として、襲撃場所には必ずアイリスの魂が存在している。


「とぼけているのですか? それとも自覚がないのでしょうか? とにかく、我々の下へ来ていただきましょう」

「……断れば力尽くとおっしゃるのですか?」

「それで貴方が納得できるのならば」

「――っ」


 気が付けば、黒衣の魔族がアイリスの間合いの中に飛び込んでいた。彼女は引き抜いた剣を既に振り上げる瞬間だった。

 アイリスはとっさにアストリアの魔剣を差し込む。キィンと甲高い音を響かせて、アイリスの魔剣が魔族の攻撃を弾き返した。


 だがアイリスはその衝撃に耐えきれず、軽く身体が浮いて後方に跳ばされる。緩やかな浮遊。アイリスが着地するよりも早く、魔族が更に距離を詰めてきた。

 続けて彼女が放つのは再び足下からの斬り上げ。


(この体勢じゃ受けきれない!)


 踏ん張りの利かない空中、しかも足下からの斬り上げ。仮に受け止めたとしても、アイリスは虚空で上半身を上斜め後方へと押されることとなる。

 そうすれば為す術もなくアイリスは虚空で無防備を晒すこととなるだろう。


「――まだよっ」


 アイリスはとっさに結界を展開した。

 魔族の振り上げる剣が、その結界をパリンと打ち砕いた。わずかに勢いを弱め、それでも振り上げられた剣を、アイリスは魔剣で受け止める。


 後方へと浮き上がる身体――だが、すぐに壁にぶつかったかのようにその身体が止まる。アイリスはその反作用を利用して、魔族の一撃を弾き返した。


 ほどなく、重力に引かれて地面へと降り立つ。

 アイリスの背後、彼女の身体を受け止めた結界が消えていくところだった。


「……素晴らしい。自分の身体を支えるのに結界を使ったのですね」

「魔族に褒めていただけるなんて光栄ですね」


 軽口を叩きながら、アイリスは内心で舌を巻いていた。正直なところ、さきほどの一連の動きだけで魔族が自分よりも強いと思い知らされたからだ。


 アルヴィン王子達と戦ったときのように小手調べで戦った訳ではない。最初から複数の加護を発動させて、それでもなお押されているという事実。


(相手も最初から全力で来ていることを祈るばかりですね)


 心の中で祈りを捧げるが、その希望はあっという間に打ち砕かれた。魔族が遊びは終わりだとばかりに、さきほどよりも濃密な殺気を放ってきたからだ。


(これは……まいりましたね)


 いまのアイリスは、複数の精霊の加護を完璧な形で受けている。それは400年前の英雄達まで遡っても滅多に見られない偉業だ。

 それだけの力を持つアイリスをも上回る魔族。そんな存在がこの大陸で暴れたら大変なことになる。ここで絶対に仕留めなければ――と、アイリスは魔剣を握り直す。


「今度はこちらから――行きます」


 加護で強化した身体能力を持って踏み込み、魔族に向かって剣を振るう。一撃目は弾かれ、二撃目は回避され、三撃目はあっさりと受け流された。

 剣を振るう勢いを思わぬ方向へと流され、アイリスはたたらを踏んだ。そこへ打ち込まれるカウンターの一撃。アイリスはギリギリのところで受け止めた。


 だが、その勢いまでは受け止めきれず、盛大に吹き飛ばされてしまう。地面の上を滑るように吹き飛んでいくアイリスは、地面を叩くように手をついて身体を反転。

 今度は足で地面を蹴ってバク宙の要領でその勢いを殺し、距離を取りつつ着地する。


(強い、ですね。それに、魔族とは思えないような美しい動きです)


 むしろ、アイリスの方が荒々しい動きをしている。それはつまり、身体能力だけでなく、技量でも彼女に劣っていると言うことに他ならない。


 普通に戦ってもこの魔族には勝てないだろう。それどころか、下手に時間を稼ごうとしたら、その隙にあっさり殺されかねない。

 援軍を待っている余裕はない――と、アイリスはバネのように沈み込む。


 そこからぐっと地面を蹴って前へ、風の魔術を使ってその身を後押しする。圧倒的な速度で飛び出したアイリスは、魔族の横をすり抜けざまに剣を振るった。


 リィンと、刃と刃が擦れて甲高い音が響く。

 その音が消えるよりも早く、アイリスは前方に身を投げ出して虚空で反転、そこに張った結界に張り付くように足をついた。

 激しい衝撃に襲われるが、それは拳精霊の加護で得た衝撃への耐性で打ち消した。その反動をバネのように足に溜め込み、再びその勢いで飛び出した。


 ようやく、最初の一撃で鳴り響いた音が消える。

 それと同時、アイリスは背後から魔族へと斬り掛かった。不意を突いた一撃は――けれど、振り返りざまに振るった魔族の剣に受け止められる。

 その衝撃がもろに跳ね返り、アイリスは思わずうめき声を上げた。


「少々驚かされましたが、繊細さに欠けますね――えっ?」


 踏み込もうとした魔族が目を見張った。彼女の足が地面ごと凍り付いていたからだ。

 ――そして、そこへ降り注ぐ攻撃魔術の雨。アイリスが跳び下がるのと同時に、魔族を中心に小規模な爆発がいくつも巻き起こった。

 続けて、アイリスは剣を持ったまま両手を天に掲げる。そこに浮かび上がるのは巨大な魔法陣。そこから空へと登った稲妻が弧を描き、爆炎に隠れた魔族へと襲いかかった。


 周囲の建物に反響して落雷の音が鳴り響く。

 人間であれば即死。いくら魔族であれど、いまの一撃を喰らって生きているはずがない。そんなアイリスの願いは、けれど神には届かない。

 爆煙が晴れたその場に、それまでと変わらずたたずむ魔族の姿があった。


「まさか、いまの攻撃ですらダメージを与えられないの?」

「いいえ、届いています」


 彼女の体表でパキンとなにかが割れて、光の粒子となって消えていく。それと同時に、彼女は口から血を吐いて膝をついた。


(結界を全身に纏っていたの? でも、彼女自身にもダメージを与えているようね)


 攻撃が通るのなら倒せない敵じゃない。ここが決め所だと、アイリスは更なる攻撃魔術を展開しようとして――寸前で振り返った。


 アイリスに向かってくる二つの影。

 敵の援軍だ。

 片方は頭から角を生やした男で、もう一人は背中からコウモリのような翼を生やした男。二人とも間違いなく魔族で――その小脇に、それぞれイヴとネイトを抱えていた。

 

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