エピソード 3ー5
アルヴィン王子達が里を脱出してから十日ほどが過ぎた。そのあいだにも森の北部には魔物が集結を続けており、その数は推定で百を軽く超えているとのことだ。
百――と聞けば少なく感じるかもしれない。だが魔物の中には騎士が数人がかりで相手にしなければならないような種族もいる。
里で戦える者の方が多いとはいえ、とても楽観できる数ではない。それは、里にかつての英雄やその子孫がいるとしても同じことだ。
全員が最強ではない以上、多くの犠牲者が生まれるだろう。そしてその犠牲者の中には、ネイトが一緒になって剣を習っていた、アッシュの教え子達が加わるかもしれない。
(それでも、護るべき者を護るために戦うのが戦いに身を置くべき者達の仕事……とはいえ、その立場に立ってみれば、剣姫に頼る者達の気持ちも理解できてしまいますね)
そんな風に独りごちる。アイリスは滞在中の宿として借りている空き家の窓辺、椅子に座りながら、そこから見える空を見上げていた。
魔物は強い――が幸いにして数は多くない。
アイリス、アッシュ、ローウェルなど、この里にいる最大戦力だけで各個撃破に当たれば、村の被害は最小限に抑えられるだろう。
もちろん、様々な観点から考えれば、それが決して正しい選択ではないことが分かる。
この大陸で暮らす以上、魔物による被害から逃れることは出来ない。一部の者にすべてを任せて戦える者を育てなければ、いつかその者達は滅びを迎えることになるだろう。
そんな風に考えて、アイリスは大きく頭を振った。
(一人で考えていると、暗いことばかり考えてしまいますね。少し見回りでもしましょうか)
アイリスは身支度を調えて、里の外縁部へと向かう。
結界の修復は間に合わないと予想されているために、里の周囲に柵を作ったり、魔物に対する備えを急ピッチで里の総出でおこなっている。
ただし、魔術師であるアイリスはいざというときのために体力を温存する必要がある――という訳で、柵作りには関わっていない。
代わりに、ネイトやイヴが柵作りを手伝っている。あの二人はアルヴィン王子が連れて帰る手はずだったのだが、アイリスが説得に失敗したのだ。
『アイリス様が残るのなら私達も残ります』
かたくなな二人を前に、アイリスが根負けしたという訳だ。
(まったく、誰に似たのでしょうね)
苦笑いを浮かべて作業を眺めていると、にわかに周囲が騒がしくなった。なにかあったようだと寄り合い所に向かうと、そこでアッシュと出くわした。
「アッシュ、周囲が騒がしいようですが、なにがあったのですか?」
「魔物が進軍を始めたそうだ」
「そうですか。いよいよ、ですね」
「あぁ、そうだな……」
アッシュが真剣な顔でアイリスを見つめる。
「なんですか? またわたくしを止めようというのではありませんよね?」
「いや、そうじゃない。族長と話し合ったのだが、おまえには広場の防衛を頼みたいんだ」
「……わたくしに安全な場所に引きこもれ、と?」
隠れ里には結界があったため、即席の柵しか防御壁の類いが設けられていない。全方位に防衛隊を配置するが、敵が抜ける可能性は零じゃない。
ゆえに、村の者達は広場に避難することになっている。
そこにいろと言われたアイリスは眉をひそめるが、どうやら誤解だったらしい。アッシュは「あのときは、おまえの意思を尊重できなくて悪かった」と謝罪する。
それは、彼にとっては何気ない一言だろう。だが、アイリスにとってはそうじゃない。前世でのしこり、それが解けていくのを感じた。
「謝罪を受け入れます。それで、わたくしに広場の防衛を頼みたいというのは?」
「広場の防衛はたしかに危険の少ない配置だ。実際、配置されているのは未熟な者ばかりだからな。だが、もしも敵が抜けてきたら、絶対に下がれない場所でもある」
アイリスは沈黙し、まっすぐにアッシュの目を覗き込んだ。彼の金色の瞳は揺るぎない意思を持って、アイリスの姿を映し込んでいる。
彼はこう言っているのだ。
たしかに危険は少ないが、魔物が襲撃する可能性も零ではない。もしそのようなことになったら、里の者達の命が危険に晒されることとなる。
だから、そのときは――
「わたくしに、里の者達の命を背負って戦え――と?」
「そうだ。俺達が思いっきり戦えるように、里のみんなを、俺達の背中を護ってくれ。これは里の人間ではないおまえにしか頼めないことだ」
「……いいでしょう。わたくしがあなた達の背中を預かります」
前世では果たせなかった共闘。
もはや恐れるものはなにもないと、アイリスは小さな微笑みを浮かべた。
魔物襲来の報告を受けてほどなく、戦士達は里の四方を護るように散っていった。
北に最大戦力であるアッシュ、ローウェル、クラウディアを配置して、残りの方位にもそれぞれ加護を持つ戦士達に指揮を執らせる。
そうして全員が配置についてほどなく、北部の部隊が魔物の群れを確認した。森の木々に隠れていて正確な数は把握できないが、軽く百を超えているとの報告だ。
その報告を聞いたこの持ち場の指揮官、クラウディアが首を捻る。
(……集結していると報告のあった魔物の群れとほぼ同数、だと? 魔物を一ヵ所に集めての一点突破か? それとも――いや、いまはとにかく正面の敵への対処が先だ)
「アッシュ、おまえは攻撃隊を率いて敵の陣形を崩せ! ローウェルは弓隊を率いてアッシュ達を援護しつつ、敵の遠距離部隊を潰せっ!」
「おうよっ!」
「任せてください。接近される前に押さえてみせます」
手のひらに拳を打ち付けたアッシュが戦士達を率いてゴブリンの群れに斬り込み、ローウェルを始めとした弓隊は側面へと回り込んでいく。
アッシュが先頭の魔物を殴り飛ばし、それを合図に戦闘が始まった。
弓を持ったゴブリン達の第一射がアッシュに降り注ぐ。
最初の一本は上体を反らして躱し、続けての弓は拳で叩き落とす。地面を滑るように回り込んで回避。近くの敵を盾にして防ぐ。
それでもなお降り注ぐ矢の雨を、アッシュは精霊の加護で弾き散らした。だが、拳精霊の加護による耐性の上昇は、まったくダメージを受けなくなる訳ではない。
数が多ければ多いほど、そのダメージは蓄積していく。
「――ってぇなっ!」
痛みに顔をしかめつつ、痛みによる苛立ちを目の前のゴブリンへと叩き付ける。吹き飛ぶゴブリンの行く末を見守ることなく、アッシュは新たな敵へと飛び掛かった。
同時に、アッシュに続いて戦士達がゴブリン達と接敵した。
直後、ゴブリンの遠距離部隊が第二の矢をつがえる――が、そこに側面へと回り込んでいたローウェル率いる弓隊の矢が降り注ぐ。
あるゴブリンは矢に討ち取られ、またあるゴブリンはからくも木の陰へと逃げ込んだ。第二射が途切れた隙に、アッシュ達が剣を持ったゴブリン達を圧倒していく。
そこへ獣の遠吠えが響いた。森の奥から現れたブラウンウルフ――魔獣の群れがローウェル達へと奇襲を掛ける。――が、ローウェル達は素早く木の上へと退避。
足下のブラウンウルフの迎撃を始める。
だがそれによって攻撃を免れたゴブリンの弓隊が再び射撃を開始した。
「魔術師は防御魔術でアッシュ達を援護しろっ!」
即座にアッシュ達に護りの魔術が降り注ぎ、ゴブリンの放つ矢を弾き散らしていく。
その後も一進一退の攻防が続くが、クラウディアの指揮の下、アッシュやローウェル達は的確な用兵術で敵に対処する。総じて、人間達の勢力が優勢にことを運んでいた。
それを見守りながら、クラウディアはめまぐるしく頭を働かせていた。
(現れた敵はまだ下級の魔物や魔獣だけだ。慌てる必要はない――と言いたいところだが、魔物の用兵術が素人のそれじゃない。やはり、頭となる者が存在しているようだな)
不意を突く、背後に回り込む。
この程度の戦術であれば、ゴブリン達でも考えることが可能だ。
だが、さきほどのように、押さえ込まれている味方の弓兵を自由にするために、敵の弓兵を魔獣に襲わせるといった戦術はゴブリンに出来るものではない。
それが出来るのは上位の魔物、あるいは魔族だけだろう。
だが400年前、精霊の加護を受けた英雄達が必死の思いで戦い、魔族はすべて討ち滅ぼすか、この大陸から撤退させた。
その魔族が再び現れるなどあってはならぬことだ。
(結界を破ったのが魔族ならば辻褄が合う。だが、本当に魔族がこの大陸に?)
クラウディアは整った眉をひそめ、戦略的思考に身を投じる。
さきほどまでのクラウディアは、魔物が全軍を持って正面突破しようとしている可能性が高いと考えていた。もしそうであれば、ここに全部隊を集めるだけで事足りる。
だが、敵が戦術的な動きを見せている以上、そこに戦略がないと考えるのは早計だ。自分ならどうするだろうかと、クラウディアは考えを巡らせる。
(重要なのは魔物達の目的だ。結界に細工までした以上、狙いはこの隠れ里にあるに違いない。だとしたら、かつて魔族を打ち破った英雄達への復讐か?)
魔族達にそのような感情があるのだろうかと疑問を抱く。
クラウディアはハイエルフとしてはまだ若く、先の大戦時にはまだ生まれてすらいなかった。ある程度の話は聞いているが、その手の情報は持ち合わせていない。
(里を滅ぼすことが目的なら、力押しもあり得る。だが、なにか別の目的があるのなら、これが陽動という可能性もあり得るな)
他の方角を護る部隊へ警告の伝令を送ろうとローブの裾を翻す。振り返ったクラウディアの前に、他の部隊からの伝令が現れた。
「報告します!」
ほぼ同時に、次々と伝令が飛び込んでくる。
それによると、北以外の防衛ラインにも魔物の群れが姿を現したらしい。その数は北には及ばないものの、決して無視できる数でもないようだ。
(ここが陽動ではない? むしろ、他の部隊を少数の魔物で釘付けにして、この北を主力で突破する作戦か? だとすれば、戦術が丁寧な割に、戦略がずいぶんと荒い)
ここの部隊を指揮する者が繊細で、全軍を指揮する者が大雑把な性格である可能性もあるが、クラウディアは別の可能性に思い至った。
それは、四方から来る敵すべてが陽動であり、その場に守備隊を釘付けにする作戦である可能性。後続を育てるために、アイリス達が必然的に排除した戦法。
――つまりは、最大戦力による敵本陣の殲滅。
魔物の群れでなく、強力な個体――たとえば魔族であればそれが可能だ。
(まずい。里の中には戦える人間がほとんど残っていない。アイリスが護っているはずだが、他の足手まといを護りながらどこまで戦えるか……援軍を送るべきか? いや、まずは警告を兼ねて伝令を――だが、それでは手遅れになるかもしれない。しかし……)
クラウディアは戦況に意識を向ける。
いまのところ有利な状況が続いているが、それも一進一退で拮抗している範疇を出ない。なにより、敵の部隊がゴブリンだけのはずがない。
ここで仲間が動揺するような命令を下せば、戦況が一気に崩れるだろう。
(ダメだ、どうしても手が足りないな。とにかく、出来ることをするしかないか)
クラウディアは即座に各方面への伝令を準備する。少しタイミングは遅れるが、優勢な部隊があれば、そこから援軍を送ることが可能なはずだ。
それが苦しいと分かっていながらも他に方法がない。
苦渋の決断を下そうとするクラウディアの前に、予期せぬ人物達が現れた。
「ここが一番激しい戦いを繰り広げてると聞いたが――」
「――その様子だと、なにかあったみたいだね?」