エピソード 3ー4
アイリスとアルヴィン王子が寄り合い所にたどり着くと、中から里の者達が出てくるところだった。その流れに逆らって中に入ると、バード族長とアッシュが話し合っていた。
アイリス達に気付いた彼らは話を中断してこちらに視線を向けた。
「アイリス、ちょうどよいところに来た」
「バード族長、結界が破られたとうかがいましたが、事実なのですか?」
「うむ。今日、結界に細工がされていることに気が付いた。なんとか細工の排除を試みたのだが、そこに現れた何者かによって結界が破壊されてしまったのだ」
「そのようなことが……」
前世で起きた悲劇を思い出し、アイリスはきゅっと唇を噛む。あれは偶然起きた襲撃なんかではなく、正体不明の敵によって引き起こされた事件だったのだ。
(まずは落ち着かないと。……大丈夫、前世と同じ展開にはなっていないはずです)
前世では、魔物の襲撃による被害が第一報だった。対して今回は、結界が破られた時点で察知している。状況的にはだいぶマシと言えるだろう。
それに結界の細工に気付かれたのが魔族にとっても予測外であれば、襲撃にも時間差があるだろう。それは、いまこの瞬間に魔物が押し寄せていないことからも明らかだ。
ゆえに重要なのは、初動でどこまで対策を立てられるかである。
「バード族長、これからどうなさるおつもりですか?」
「結界についてはクラウディア達が修復に当たっているが、どれだけ急いでも数週間はかかるそうだ。森の北に魔物が集結しつつあるようだし、間に合わぬであろうな」
「――だからアイリス、おまえ達は逃げろ。いまなら森から抜け出せるはずだ」
その言葉を口にしたのはアッシュだった。彼は前世と同じように、アイリスを護るべき弱者として逃がそうとしている。
だが、アイリスはそんなことを望んではいないと唇を噛む。
それに、隠れ里に危機が訪れれば剣姫や賢姫は手を貸すというのが古き盟約だ。ここでアイリスだけが逃げるという選択はあり得ない。
だけど――と、アイリスは再び唇を噛んだ。
いまのアイリスは一人ではない。レムリア国の王子を同行させていて、ネイトやイヴ、それにクラリッサの命も預かっている。
アイリスの決断が仲間の命運を左右すると言っても過言ではない。
「わたくしは……」
「――アイリス、俺はこのことをすぐに城に報告する必要がある」
自分の想いを口にするより早く、アルヴィン王子が現実を突きつけた。
「分かって、います。わたくしは貴方をここに連れてきた責任があります。だから――」
「――だから、俺がネイトとイヴを連れて行ってやろう」
アルヴィン王子の口から紡がれた言葉。その意味をアイリスは理解できない。二度、三度とその言葉を反芻して、それから「いまのは、どういう……」と問い返した。
「俺はおまえのことを理解している、という意味だ」
その言葉を聞いてようやく理解する。城への警告などは自分が引き受けるから、おまえはここで好きに暴れろ――と、アルヴィン王子はそう言っているのだ。
「……わたくしがこの里に残っても、よろしいのですか?」
「それがおまえの望みではないのか?」
「それは、その通りですが……」
彼もまた、リゼル国の公爵令嬢を預かっているという立場である。もしもアイリスになにかあれば、リゼル国との関係がこじれることとなり、彼もまた責任を問われるだろう。
「一応言っておくが、死ぬことは無論、後に残るような傷を負うことも許さぬ。それさえ護れるのであれば、好きに暴れるがいい」
「…………」
思わず呆気にとられてしまう。
戦闘に絶対なんてものは存在しない。そもそも、死んだら許すも許さないもない。その言葉がどれだけむちゃくちゃなのかは、アルヴィン王子も分かっているはずだ。
だからつまり、さきほどの言葉はこういうことだ。
――俺はおまえを信じている、と。
「他人に理解されるというのは、存外嬉しいものですね」
「惚れ直したか?」
「そもそも惚れていません。けど……」
アイリスは素っ気なく言い放ち、けれどまっすぐにアルヴィン王子の顔を見つめる。その視線を受け止めた彼は「けど、なんだ?」と首を傾げた。
「ちょっとだけトキメキました」
愛想の欠片もないアイリスの物言い。だけどアルヴィン王子は破顔した。
「ふっ、悪くない答えだ。俺はすぐにおまえの使用人達を連れて森を抜けよう。その後は森の外に待機させている連中と合流して、俺に出来ることをする」
「はい、王子のご活躍に期待しておりますわ」
淑女らしく応じるが、そこに「待て待て待て」とアッシュが二人の間に割って入る。それから彼はアルヴィン王子へと詰め寄った。
「おまえ、さっきからなにを言ってるんだ。まさかアイリスを置いていくつもりか?」
「置いていく? 違うな。他の役割がある俺の代わりをアイリスに託すのだ」
「だから、それが置いていくことだって言ってんだよっ!」
いまにも掴みかかりそうな雰囲気。族長がアッシュを諫めようとするが、他でもないアルヴィン王子が「構わぬ」とその状況を許容した。
「アッシュ、おまえはアイリスの強さを知っているはずだ。にもかかわらず、一人でも戦力が必要なこの状況でなにを考えている?」
「この状況と言うが、おまえ達は部外者だろうが! 里の戦士であれば戦うのは当然だが、おまえ達はそうではない。逃げられるのなら逃げるべきだ!」
「俺はたしかに部外者かもしれぬ。だが、アイリスは賢姫、古き盟約とやらがあるはずだ」
「それは……だとしても、おまえはアイリスの恋人なんだろ!?」
「違いま――」
「――その通りだ」
アイリスは即座に否定するが、アルヴィン王子がそれに被せて肯定した。どういうつもりだと、アイリスは冷めた目線をアルヴィン王子に向ける。
だが彼はアッシュと向き合ったままで、アイリスは諦めて見守ることにした。
「だったら、どうしてアイリスを危険にさらす。大切なら護ってやるべきじゃないのかよ!」
(あぁ……アッシュは、相手がフィオナでもアイリスでも変わらないのね)
前世でも同じようにフィオナを逃がそうとした。それはおそらく彼の信念、彼の優しさの現れだ。人としてはとても好ましい。
だが同時に、それはアイリスの望んだ扱いではない。
「ふぅ、おまえはアイリスを分かっていないようだな」
「なにを……っ」
怪訝な顔をしていたアッシュがばっと振り返った。アルヴィン王子がアッシュではなく、その後ろにいるアイリスに視線を向けたことに気付いたのだろう。
「貴方の気遣いは嬉しく思います。ですが、彼の言うとおりです。わたくしは籠の鳥になるつもりはありません。そのような気遣いは無用です」
「だが、本当に危険なんだぞ? おまえは知らないだろうが、結界の外に出た女子供が魔物の犠牲になることも一度や二度じゃないんだ! 俺の妹だって――っ」
アッシュは失言したと言わんばかりに口を閉じた。
それから苦々しい顔で唇を噛んで、「おまえがどうしても残るというのなら勝手にしろ。俺は見回りに行く!」と捲し立てて飛び出していった。
「アッシュがすまぬな」
バード族長が小さく息を吐いた。
「いえ、それは構わないのですが……妹、ですか?」
「ああ、あやつの妹がな。これがアッシュに似て武の才能があったのだが……それで調子に乗ったのだろうな。無断で結界の外に出て、そのまま帰らぬ人となったのだ」
「……そんなことが」
前世では知らなかった事実だが、これで色々と合点がいった。
隠れ里で暮らす住民の中でも群を抜いて脳筋のアッシュが、力を認めたはずのフィオナやアイリスに対しても過保護な行動をとった訳。
それは、彼が失った妹と、アイリス達を重ねているからだ。
「事情は分かりました――が、わたくしは賢姫です」
「うむ。そなたが手を貸してくれるというのならとてもありがたい。それと、アルヴィン王子、魔物は北に集結しつつある。いまならば、西から問題なく森を抜けられるだろう」
「感謝する」
アルヴィン王子はバード族長に別れを告げ、それからアイリスを呼んで退出する。アイリスもまたバード族長に退出を告げて、アルヴィン王子の後を追った。
寄り合い所を後に。クラリッサ達の待つ滞在場所――アイリス達がこの地に滞在する為に借りている空き家へと向かいながら、アルヴィン王子が口を開いた。
「アイリス、あの三人の説得はおまえに任せるぞ」
「……三人、ですか? 二人ではなく?」
ネイトとイヴならともかく、なぜクラリッサまでと首を傾げる。
「あいつはおまえを気に入っているからな。おまえだけが残ると聞いたら反対するに決まっている。ここに残るというのなら自分で説得しろ」
「……仕方ありませんね」
わがままを通すのだ。それくらいは自分でなんとかしようと引き受ける。
「でもわたくし、実のところ貴方が一番反対すると思っていました」
「俺が反対していないとでも思ったのか?」
「え、でも……認めてくださいましたよね?」
「おまえの意思を尊重しただけだ」
不満そうな顔で睨みつけられる。
「もしかして、心配してくださっているのですか?」
「おまえになにかあれば、リゼル国との関係が悪化するのは目に見えているからな。それに、フィオナに恨まれるのも間違いない。ハッキリ言って最悪だ」
「……なるほど」
考えてみれば――否、考えるまでもなく、アイリスの行動はアルヴィン王子に迷惑が掛かる。それでもなお、彼はアイリスの意思を尊重してくれている。
「アルヴィン王子、必ず無事に戻ると約束いたします」
「……フィオナの下へだろう?」
「あなたの下へ、です」
アルヴィン王子が目を見張った。
「どういう風の吹き回しだ?」
「貴方を怒らせて、王女殿下の教育係を首になったら困りますから」
「なんだ、結局はフィオナではないか」
「違うなんて言いましたか?」
イタズラっぽく笑っていると、不意にアルヴィン王子に抱きしめられた。
「……王子?」
「理由はなんでもいい。だから、必ず無事に戻ると約束しろ」
痛いほどに抱きしめられる。それがアルヴィン王子の不安の表れだと気付いて、アイリスは身体の力を抜いて、その抱擁に身を任せる。
「大丈夫ですよ、王子。わたくしは必ず戻ります。――フィオナ王女殿下の下へ」
アルヴィン王子がピクリと身を震わる。
「……おまえ、そこは俺のもとへと言うところだろう?」
「そのネタはもう終わったんです。というか、そろそろ離してください」
「……まったく、おまえというヤツは」
深々と溜め息をついて、それから抱擁を解いてアイリスから身を離した。
「と に か く、俺も可能な限りの支援はしてやる。だから無事に戻ってこい」
「心配、してくれるのですか?」
「ああ、そうだ、心配だ。文句あるのか?」
「いいえ、文句なんてないですよ」
無邪気な顔で嬉しそうに笑う。アルヴィン王子はガシガシと頭を掻いて「おまえはよく分からん」と愚痴をこぼした。乙女心は複雑なのである。