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エピソード 2ー6

 翌日の昼下がり。

 アイリスは一人、隠れ里の一角にある薬草園を訪れた。

 風除けの柵に雨除けの屋根。アイリスがレムリア国で賜ったような立派な設備ではないが、そこに植えられているのは紛れもない秘薬の原料となる稀少な薬草達である。


(懐かしいなぁ。よくここで、ディアちゃんに作業を手伝わされたっけ)


 冒険者だったフィオナの人格が顔を覗かせた。

 自然と無邪気な笑顔が零れる。

 アイリスはその場に膝をつき、薬草の生長具合をたしかめていく。話に聞いていたとおり、薬草の採取が頻繁におこなわれているようだ。

 残っているのは特に若い苗ばかりである。


 なにより――と、アイリスは土壌に手を添え、土壌の魔力素子(マナ)に意識を向ける。思った通り、前世の記憶にあるほどの濃度を保てていない。

 頻繁に栽培を繰り返したことで、魔力素子(マナ)の回復が追いついていないのだろう。


 ちなみに、秘薬の類いは土壌に溶け込んだ魔力素子(マナ)を養分としている。これが一般的な薬草と違って、魔力素子(マナ)の薄い地域――魔物の少ない人里で育たない理由である。


 この知識を、リゼルやレムリアの者達は知らない。

 対して隠れ里の者達はその事実を知っている――が、土壌に砕いたクズ魔石を混ぜることで、土壌の魔力素子(マナ)濃度を上げることが出来るという事実をいまの彼らは知らない。

 これは、フィオナの何気ない一言から、未来のクラウディアが気付く知識である。


 それを今日この日、クラウディアに気付いてもらう。

 それによって薬草の成長が早くなる。早くなれば薬草の在庫にも余裕が出る。在庫に余裕が出れば、ユグドラシルの苗を分けてもらえるに違いない。

 というのがアイリスの立てた計画である。


「そこでなにをやっている?」


 クラウディアの声が響いた――が、その声には少しばかりトゲがある。アイリスはゆっくりと立ち上がって手の土を払い落として、それからスカートの裾を詰まんでお辞儀した。


「こんにちは、クラウディアさん。色々と話を伺いたくてお邪魔しました」

「そうか。それで、いまはなにをやっていた?」


 フィオナであればフリーパス。だが、アイリスはよそ者も同然で、大切な薬草園に無断で立ち入ったことを警戒しているのだろう。

 それに気付いたアイリスは申し訳ありませんと謝罪の言葉を口にした。


「少し土壌を見せていただいていました」

「……土壌を?」

「はい。人里では育てられないユグドラシルをここでは育てることが出来る。それはこの地の土壌に秘密があるからではないかと思いまして」


(ホントはディアちゃんから教えてもらったんですけどね)


 後ろめたさはあるが、ここで賢姫の知識は役に立たないと思われるわけにはいかない。見栄を張った甲斐はあったようで、彼女の長い耳がピクリと動いた。


「どうして土壌に秘密があると思った?」

「魔物が多く生息する地域ほど、上質な薬草が手に入ると聞きます。ゆえに薬草も、魔物と同じ性質を持っているのではないかと考えました」


 魔物が人里を襲うのは食糧不足が原因だと言われている。だが魔物は元来、魔力素子(マナ)の濃い地域を好んで暮らしている。彼らは生きていく上で魔力素子(マナ)を必要としている。


「この辺りの土は魔力素子(マナ)を多く含んでいるのではないかと考えました」

「……ほう、それで土を触って確認していた、という訳か」


 クラウディアが面白いと言いたげに小さな笑みを浮かべた。ちなみに、クールな口調でしゃべっているが、見た目は十四歳くらいの美少女である。

 アイリス的には(大人ぶってるディアちゃんも可愛いなぁ)という認識で威厳は感じないのだが、とにかく彼女の興味を引くことには成功した。


「ふむ。賢姫もなかなかやるではないか、少し見直したぞ」

「お褒めいただき光栄です。――ですが、この結論に至ったのは、ある方の教えがあったからで、わたくし一人ではとても思い至れなかったでしょう」

「ほう、そのような者がおるのか?」

「容姿は子供っぽいのですが、優しくて聡明な方で、わたくしに色々な知識を与えてくださった、ちょっぴり意地っ張りな女性です」

「……なんだ、それは?」


 自分のことを揶揄されていると思ったのか、クラウディアが目をすがめる。

 だがそれは半分正解で半分ハズレ。

 揶揄しているのではなく尊敬している友人、クラウディア自身のことである。


「そういえば、クラウディアさんに少しだけ似ていますね」


 アイリスはそう言って笑った。


「……ちっ、おまえと話していると調子が狂う」

「そうですか?」

「そうだが……褒めているわけではないぞ。なぜ嬉しそうな顔をする?」

「さぁ、なぜでしょう?」


 前世でも同じことを言われたからだ――なんて、クラウディアに分かるはずもない。アイリスはすまし顔で受け流し、これからどうするかと思いを巡らせる。


 クラウディアの興味を引くことには成功した。だがなにより重要なのは、クズ魔石を肥料代わりに使うアイディアを彼女自身に閃かせることだ。

 恩師であり友人でもある、彼女の功績を自分が奪うことだけは、自分の矜持が許さない。


 問題は、どうやって閃かせるか。

 あのときのクラウディアは、フィオナとの世間話を切っ掛けに思いついたと騒いでいた。そのときの会話はいまと同じ、秘薬の類いが人里で育てられない理由について、だった。


(それから、たしか……そう。フィオナが追放されたことに絡めて、結果だけを求めて、なにが重要なのか考えない街の人間が愚かだと、ディアちゃんが吐き捨てて……)


 やりとりをぼんやりと思い返していたアイリスは決定的な一言を思い出した。

 あのときはフィオナが『もう、そうやって他人を見下して、歩み寄ろうとしないから私しか友達がいないんだよ』とクラウディアに向かって溜め息をついた。

 その瞬間、彼女は『それだ――っ』と叫んだのだ。


(……どれ?)


 答えを知っているアイリスですら、なぜ答えに至ったのかが分からない。かといって、アイリスがそのセリフを口にして『それだ――っ』なんて言ってもらえるとは思えない。

 むしろ、追い返されそうな気しかしない。

 天才の思考回路は分からないと、アイリスは眉をひそめる。


「ところでアイリス。一つ聞かせてもらえないだろうか? おまえはそこまで知っていて、どうしてユグドラシルの苗を分けて欲しいなどと口にしたのだ? 持ち帰ったとしても、栽培できないと分かっているはずだが?」

「それは――」


 魔石を肥料代わりにする方法を知っているから、とは言えない。

 だが、閃くものがあった。

 アイリスは素早く会話を組み立てていく。


魔力素子(マナ)の豊富な土壌が必要なら、森の土を運べば良いと考えました。たとえ人里でも、秘薬の育成に必要な環境を用意すればなんとかなるはずだ、と」


 つまりは“適している土壌を用意する”という発想。彼女が『それだ――っ』と口にすることを期待するが、彼女の反応はアイリスの望んだモノではなかった。


「……なるほど、それならば栽培は可能か? いや、それだといくつか辻褄が合わない点があるな。実験をしてみる価値はありそうだが……」


(そこに至ったのに、魔石を肥料代わりという発想に至らない? わたくしの言い方が悪かった? それとも、いまの彼女には知識が足りていないということ?)


 考えてみるが、答えをたしかめる術はない。なんとしても答えに導く必要があるのだが、クラウディアは自分の世界に没頭してしまっている。


「クラウディアさん、なにか分かったのならわたくしにも教えてくださいませんか?」


 話してくれなければアドバイスも出来ない。

 出来ないのだが、既にまったく聞こえていないようだ。


「クラウディアさん、ちょっと、聞いていますか? クラウディアさん? ……もぅ、ディアちゃんってばっ! そんなんだから、友達が出来ないんだよっ!」

「……は?」


 ジロリと睨まれた瞬間、やらかしたことに気が付いた。すっかり疎遠になっていた幼馴染みに再会して、うっかり昔のように馴れ馴れしくしてしまったような心境。

 賢姫であるアイリスは、その自慢の頭を必死に働かせ――


「――すみません、うっかり口が滑りました」


 正直に平謝りする。いくら賢姫であろうとも、世の中には取り返しの付かないターニングポイントというものが存在するのである。


「どんな口の滑り方をしたら友達が出来ないなんて話に……友達? それだ――っ!」

「……どれですか?」

「友達が出来ない、だ。いや、正確には友達なら出来るのか、ということだ」

「友達になら出来る……? それはつまり、土以外での栽培、ということでしょうか?」


 アイリスの知っている結論とは異なっている。結果が伴うのならどちらでも良いのだが、とにもかくにも続けられた説明に耳を傾ける。


「その通りだ。方法さえ間違えなければ、草木は水だけで育てることも出来る。ユグドラシルの苗も同じはずだ。魔力素子(マナ)が豊富なら、土以外でも栽培できる可能性はある」

「……理解は出来ます。ですが、草木である以上、土や水は必要なのでは?」

「ああ、そうだな。だから正確には、魔力素子(マナ)と栄養が豊富な水か土が必要だろう。だが、水か土、そのどちらかだけである必要はない、ということだ」

「腐葉土を混ぜるのと同じ考え、ということですね」


 砕いたクズ魔石を肥料代わりにするという結論に至るのは時間の問題のようだ。ここまで来れば、後は結果を待つだけで、アイリスが口に出す必要はないだろう。

 そう思っていたら、いきなり両手を掴まれた。


「おまえ、アイリスとか言ったな?」

「はい、そうですが……?」

「そうか。ではアイリス。おまえのおかげで素晴らしいアイディアを思いついた。この実験が上手くいけば、ユグドラシルの苗を分けると約束しよう」

「ありがとうございます、とても助かります」


 正直、ここまで上手くいくとは思っていなかった。そう安堵するアイリスに、クラウディアが更なる言葉を重ねる。「なにか私に頼みたいことはないか?」と。


「クラウディアさんに頼み、ですか?」

「そうだ。おまえは私に素晴らしい閃きを与えてくれた。その礼をしたいのだ」

「……なんでも、よろしいのですか?」


 期待に満ちた表情を向ける。それで少し警戒されてしまったのだろう。クラウディアは「私に出来る範囲のことならばな」と条件を付け加えた。

 だけど、それならばなんの問題もない。


「では、ディアちゃんと呼ばせてください」

「……他に要望はないのか?」

「ダメですか?」


 小首をかしげてみせると、クラウディアは大きな溜め息をついた。


「……逆に聞くが、そなたはそれを願いにすることに抵抗はないのか?」

「それは……」


 仲良くなったからディアちゃんという呼び方を許すのではない。ただ恩人の願いだからそれを容認する。そんな関係が望みなのか――と、そう聞かれている。


「申し訳ありません、さきほどの願いは撤回させてください」

「……そうだな。その代わり、呼び捨てならば許してやろう。それに、この里に滞在中はいつでもここに来るがいい。そうだな……ひとまずは、研究仲間として」

「それって……」


 ディアちゃん呼びはともかく、仲間としては認めてくれるという意味。それに気付いたアイリスは喜びに目を輝かせる。


「勘違いするな。そなたの知識はなかなか興味深いと思っただけだ」

「ふふっ、クラウディアはツンデレですね」

「誰がツンデレだ。言っておくが私を裏切るような真似をしたら叩き出すからな」

「はい、ありがとうございます」


 裏切らなければ好きにしていいという意訳。無邪気な好意を隠そうとしないアイリスを前に、クラウディアは不満顔でそっぽを向いた。




 数日後、アイリスは族長に呼び出された。


「そなたを呼び出したのは他でもない。精霊達に話を聞いたところ、本人達に自覚がないにも関わらず、そなたと繋がりを持っている精霊がいることを確認できた」

「では、わたくしの話を信じてくださるのですね?」

「そう、じゃな。アッシュやクラウディアからも信頼に値する人間だという報告を受けている。よって、わしはそなたの言葉が事実であるという前提に動くことにした」


 アイリスはほうっと息を吐いた。

 隠れ里に住む者達は英雄やその末裔達である。

 もちろん、すべての人間が規格外なわけではないし、必ずしも戦闘力に優れているわけではないが、備えさえしっかりすれば魔物の襲撃にも対抗しうる力があるのは事実。


 これでアイリスが前世で経験したような悲劇を繰り返すことだけは回避できるだろう。思ったよりも簡単に、最大の難題に解決の兆しが見えたと安堵するが――


「昨夜のうちにそなたの主、レムリアの王子とも話し合ってな。かつての盟約に従い、再び協力態勢を築くこととなった。しいてはその手始めとして、そなた達一行にアストラルラインのたまり場へ立ち入る許可を出した」

「え? お、お待ちください。わたくしに、ではなく、わたくしの一行に、ですか?」


 嫌な予感を覚えて、慌てて確認をとる。

 そういえば、朝からアルヴィン王子の姿を見ていない。


「うむ。王子は既にアストラルラインのたまり場へ向かった」


 アイリスは無言で天を仰いだ。

 

 

 お読みいただきありがとうございます。

 次回は来月の上旬となります。


 よろしければ、昨日一章が完結した新作『社畜の姫(JK)が変態です。今日も彼女に勝てません』をご覧いただけると嬉しいです。

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