エピソード 2ー4
ひとまずはバード族長の信用を勝ち取ることが出来た。信用であって、信頼には至っていないところがポイントだが、それでも大きな一歩と言えるだろう。
この調子でアストラルラインのたまり場へ立ち入る許可をもらいたいところだが、さすがに許可が下りるまでは時間が掛かるようだ。
族長が一人で決めるわけではなく、話し合いによって決められるようなので、それまでに一人でも多くの者から信頼を勝ち取る必要があるだろう。
続いて魔物の襲撃について。
これはそのときになってみないと確認のしようがない。ただ、最近は魔物が増えていることもあり、念のために結界に綻びがないか確認してくれるそうだ。
つまり、この点については結果待ちである。
最後にユグドラシルの苗について。
これが一番簡単だとアイリスは思っていたのだが――結果は保留である。
ユグドラシルは治癒に関するポーションの原料としてこの里で育てられているのだが、いまはその数が不足している。
森に魔物が増えていることが原因で、狩りに出掛けた者の負傷などが増え、治療に必要な材料も不足しているから譲る余裕がない、ということのようだ。
(いまは一つ一つ問題を解決していくしかなさそうですね)
幸いにして、すべての問題が無関係というわけでもない。魔物の襲撃を未然に防ぐことが出来れば信頼を勝ち取れるし、ポーションの原料についても余裕は出来るだろう。
差し当たっては里の者達との交流を深めていくべきだ――と、そんなアイリスの内心を察したのかどうか、宴が開かれることとなった。
村にある広場に村の住人達が集まり、宴会というかどんちゃん騒ぎに発展している。そんなお祭りの中心で、アイリスは町娘のような恰好で宴を楽しんでいた。
ちなみに、隣に座るアルヴィン王子もラフな恰好ではあるが、それはあくまで王族としてはという枕詞が付く。正直、思いっきり浮いている。
それを見てクスクスと笑っていると、アルヴィン王子に気付かれた。
「なにをそんなに笑っている?」
「いえ、思いっきり場違いだなと思いまして」
村の広場、ゴザの上であぐらをかいてコップの酒を呷る王子様。なんというか、一周回って似合っているような気がしてくるから不思議である。
「ふんっ。俺から見れば、おまえこそ公爵令嬢がなんて恰好をしているのだ? という気分になるが……まぁそうだな。ここではおまえの認識が正しいのだろうな」
「あら、お認めになるんですか?」
「郷に入っては郷に従え、という言葉があるからな」
少し意外だと思ったが、すぐにこれがアルヴィン王子の本来の姿だと気付いた。彼はリゼル国のパーティーに参加していたときも、リゼル国のステップで踊っていた。
外交的な理由もあるだろうが、あのダンスは付け焼き刃では決してない。
「王子のこと、少しだけ見直しました」
「ほほう? いままでがどんな評価だったか気になるところだな」
「聞きたいですか?」
「先に言っておくが、怒らないという約束はしないからな?」
「……では止めておきます」
実際、そこまで失礼な評価ではないのだが、アイリスはクスッと笑って引き下がる。
「まったく。評価が変わったのは俺の方なのだがな」
アルヴィン王子が上から下まで視線を動かす。後ろで髪を束ねたアイリスは、ワンピース姿でゴザの上に女の子座りをしている。
村娘にしては気品がありすぎるが、ギリギリ溶け込んでいると言えるだろう。
「隠れ里で過ごすあいだ、あまり目立ちすぎるのも考えものですからね」
「それは分かるが……おまえの目的はなんだ? 古き盟約とか言っていたが」
「秘密です――と言っても、こればっかりは納得はしてくれそうにありませんね」
アルヴィン王子が眉をひそめるのを見て誤魔化すことを止めた。アイリスはコップに注がれたお酒を一口、星々が煌めく空を見上げる。
「かつてこの大陸を救った英雄、精霊の加護を受けた者達は、いつかまた危機が訪れたときには再び手を取り合って戦うと誓い合ったのです」
「それが古き盟約なのか?」
「まぁざっくりと言えば、ですけどね」
もっとも、詳しくはアイリスも知らないので説明のしようがないのだが――
「では、おまえはその盟約に従い、この里の危機を救いに来た、という訳か?」
この里に危機が迫っていると、アイリスが予見していることがあっさりと読み取られた。今更誤魔化しても無駄だろうと、アイリスは「そうです」と頷いた。
「なぜ、そのように未来予測が出来る? 干ばつのことについてもそうだったな。いまにして思えば、他にもいくつか思い当たる節がある。……おまえは、何者だ?」
「……だから詳しいことは話したくなかったんですよね。貴方になにか話すと、色々となし崩しでバレていきますから」
「答えになっていない」
問い詰められて、アイリスは小さな溜め息を吐いた。すべてを打ち明ける覚悟は出来ているが、いまはまだそのときじゃない。
「わたくしはアイリス・アイスフィールド。リゼル国の公爵令嬢にして賢姫。そしていまは、レムリア国の可愛い次期女王、フィオナ王女殿下の教育係です」
「相変わらず人を食ったヤツだ」
呆れられてしまった。いや、呆れてもらったというべきだろう。アイリスが答えをはぐらかしているのは明らかなのだから。
「では少し話を戻そう。この里に降りかかる危機とはなんだ? おまえが薬草園を欲したことと関わりがあるのではないか?」
「……どうしてそう思われるのですか?」
「アッシュから、森で魔物が増えていると聞いてな」
「あら、彼と仲良くなったのですか?」
「馬鹿を言うな。挑発を受けたからねじ伏せたまでだ。そういえば、そのときに面白い話を聞いたぞ。この隠れ里には、アストラルラインの大きなたまり場があるそうだな」
アイリスは、うわぁ……という顔をする。
本当に、彼と戦って勝ってしまったらしい。精霊の加護なく、加護を持つ者達に勝ってしまう。これでもし加護を得たらどうなってしまうのだろう。
そんなフラグをさっそく回収しそうなセリフ。
アイリスは全力で都合の悪いことは聞こえないフリをする。
「どうせそのうちバレると思うので素直に話します。お察しの通り、各地で魔物の動きが活発化しています。これから魔物の被害が増えると、わたくしは予想しています」
「予想、か。なるほど、予想か」
二回言われた。完全に疑われている。
もっとも、フィオナを大切に思う人間が未来予知染みた能力を持っていると、アルヴィン王子に認識させてきた。この状況はアイリスの望んだ結果でもある。
だから予想通りといえば予想通りなのだが――
(どうしてお兄様はこんなに警戒心が薄いのかしら?)
興味を示されてはいるが、あまり警戒されているようには思えない。この隠れ里へ来ることについても、護衛と引き離されることになんの文句も言わなかった。
変なの――と、考えていると頭をわしゃわしゃと撫で回された。
「おまえいま、失礼なことを考えていただろう」
「気のせいですっ」
アルヴィン王子の手を払いのける。
「ふむ。それで、魔物の襲撃にどう対抗するつもりだ?」
「事前に可能性を知らせておけば、この里の者達なら十分に対処できるはずです」
もともと、精霊の加護を受けた者達の集まる里である――というか、バード族長は千歳を越えている。英雄の子孫ではなく、英雄の生き残りである。
彼が事前に備えておけば、大抵のことは対処できる、というのがアイリスの見解だ。
「だが、そなたは忠告して終わり、というつもりはないのだろう?」
「そう、ですね。有事の際には協力できる程度の関係は結びたい、と考えています。そのためにはまず、彼らとの信頼関係を築く必要がありますが……」
「なるほど。彼らとの信頼を築き上げて、アストラルラインのたまり場に入る許可を得ようとしているんだな、おまえは」
全力で逸らしたはずの話題が戻ってきた。
「……アルヴィン王子、忠告しておきます。精霊の加護を得ようとしているのなら、その考えはどうかお止めください。あまりに危険です」
「危険? それはどういうことだ?」
「従来、精霊の加護は、精霊の気まぐれによって与えられるモノです。ですが、自分から加護を求める場合は、精霊の試練を受ける必要があるとご存じですか?」
「ふむ……聞いたことがあるな」
従来の方法で加護を得ることになんら危険はない。だが、精霊のたまり場におもむき、人間から精霊に加護を求めるのは話が違う。
「精霊にそっぽを向かれる程度なら問題ありません。ですが試練は時に、命にかかわる場合もございます。決して、自分から受けようなどとはおっしゃいませんように」
アイリスがアルヴィン王子を心配しているのは事実である。
ただ、アイリスはアルヴィン王子が加護を得ることも恐れている。精霊の加護を持たない状態でも規格外なのに、そこから加護を得るとか考えるだけでも恐ろしい。
もちろん、そんな内心は欠片も見せないが。
「……なるほど。たしかに軽々しく試せるモノではないようだな。だが、アイリス、おまえはどうなのだ? 精霊の試練を受けるつもりではないのか?」
「それは――」
困ったぞと、アイリスは眉を寄せる。
さすがに、前世では複数の加護を受けていて、その精霊達と再契約するためにその数だけ試練を受けるつもりだ――なんて言えるはずがない。
「う、受けませんよ?」
「おまえ……いつからそんなに嘘が下手になったんだ?」
「――ぐっ」
賢姫にとって屈辱的なセリフである。
そもそものアイリスは笑わない賢姫と揶揄されていた。それほど感情を顔に出さなかった彼女が、いまは感情をもろに顔に出している。
(いまの自分が嫌いなわけじゃないですが、顔色を読まれすぎるのは問題ですね)
交渉役に向いていない交渉人、みたいなものだ。このままではいけないと、アイリスは胸に手を添えて呼吸を整える。賢姫として身に付けた感情の制御を――
「いひゃいでふ」
アルヴィン王子に頬を引っ張られたアイリスは即座にその手をはたき落とし、むぅっと怒った顔で抗議した。だと言うのに、アルヴィン王子は何やら楽しそうに笑っている。
「おまえはそれくらい分かりやすい方がいい」
「良くないですよ。……まったく」
小さな溜め息をついて、だけど口元はクスッと笑う。それからもう一度気を引き締めて、凪いだ瞳でアルヴィン王子を見つめた。
「わたくしは大丈夫です」
「なにを根拠にそんなことが言える」
「勝てない戦はいたしません。ですから、無理なら挑戦なんていたしません」
今度は静かに笑う。その言葉は真実で、だからこそ、アイリスは決して目をそらさない。自分の意思を伝えようと、ピンと背筋を伸ばした。
「……まったく信用できぬ」
解せぬと、アイリスは感情を揺らす。だが、ここで表情を崩せば意味がない。
「わたくしがフィオナ王女殿下を悲しませるとお思いですか?」
「なるほど、その言葉には説得力がある」
立ち居振る舞いとは関係ないところで納得されている。少し納得のいかないことはあるが、結果的には信頼を得られたので問題はないだろう。
ただし、感情を隠すリハビリにはもう少し時間が必要そうだと頭を振り、それから何気なく周囲を見回す。
ネイトやイヴはいつの間にか席を立ったようだ。さっきまで近くにいたはずだが……と、その視線に気付いたクラリッサが疑問に答えてくれた。
「あの二人なら里の子供達に呼ばれて席を離れました。必要なら呼び戻しますが」
「その必要はありません。でも、ちょっと気になるから見に行くとしましょう」
アイリスは立ち上がり、宴を楽しんでいる者達の間を縫って目的地を目指す。前世では、この里の宴会に何度も出席したことがある。
ゆえに、子供達がどこに集まっているかは心当たりがある。そこに行けば、アッシュだけではなく、クラウディア――前世の友人がいるはずだ。