エピソード 2ー3
「いやぁ、参った参った。まさか賢姫が袖の下に暗器を忍ばせているとはな。おまえ、なかなか実戦慣れしてるじゃねぇか」
「まぁ……色々ありましたからね」
主にアッシュを始めとした者達に鍛えられた結果なのだが、さすがにそれは伏せる。
「ところで、腕試しは合格ですか?」
「ん? あぁ、もちろん。俺に勝ったんだからもちろん合格だよ」
「そう、ですか……」
前世で勝てなかったアッシュに勝つことが出来た。その事実を胸に、アイリスは無邪気な笑みを零した。それを目の当たりにしたアッシュがほうっと息を吐く。
――次の瞬間、背後から詰め寄っていたアルヴィン王子に抱きすくめられた。
「なんですか、いきなり?」
「……汗臭い」
「いきなり失礼ですね、ぶっ飛ばしますよ!?」
アルヴィン王子の腕の中から抜け出して威嚇する。だが、アルヴィン王子はアイリスに詰め寄るのではなく、アッシュに対して睨みを利かす。
「今度からこいつにちょっかいを掛けるときは俺に許可を取ってもらおう」
「あん、なんだおまえは」
「俺はこいつの所有者だ」
「……ぶっ飛ばしますよ?」
アイリスが威嚇するが、アルヴィン王子は取り合ってくれない。二人は睨み合ったままで、やがてアッシュが肩をすくめて「そりゃ悪かったな」と引き下がった。
で、戻ってきたアルヴィン王子をアイリスが半眼で睨む。
「誰が誰の所有物ですか」
「おまえを雇っているのは俺だ、似たようなものだろう?」
「どこの暴君ですか。まったく、焼き餅だなんてみっともないですよ」
アイリスはからかうように言い放った。
だが――
「悪いか?」
返ってきたのは、そんな予想外の一言。
「え、いえ、その……悪くは、ない、ですけど」
直球ど真ん中のカウンターに、アイリスは思わず動揺した。だが、すぐにからかわれていると気付いて溜め息を吐く。
それからアッシュに視線を向けて、「雇い主がこんなことを言っていますが気にしないでください。有意義な手合わせでしたし、また機会があれば戦いましょう」と笑いかける。
アルヴィン王子は鼻を鳴らしてなにかを言いかけるが、結局はなにも言わなかった。
それからほどなく、ローウェルが戻ってきた。族長への面会の許可が下りたとのことで、彼の案内に従って族長のいる家へとやってくる。
城とは比べものにならないが、村にある建物としては大きめ。なにより、その内装は王都にある上流階級の家と言ってもまかり通る。
そんな部屋の応接間で、アイリスは族長を待っていた。
ちなみに、アルヴィン王子達はあの広場にて留守番である。アイリスだけが別行動を取ることに不満を抱いていたようだが、結局は広場で待っていてくれることになった。
今頃、アルヴィン王子はアッシュと手合わせをしている頃だろう。
(お兄様もわりと脳筋ですよね)
そんな風に評しつつも、どちらが勝つだろうかと思いを巡らせる。
技量的にはアルヴィン王子の方が上だろう。ただし、アルヴィン王子には精霊の加護がなく、また攻撃手段も剣に限られている。
斬撃に対する耐性を得られるアッシュの方が圧倒的に有利だ。
(まぁ……その程度のハンデでお兄様に勝てるなら苦労しませんけど)
加護を持たずして、加護持ちの者達を凌駕する。ある意味で一番の人外はアルヴィン王子だろう。伊達に他国からも恐れられてはいない。
――と、そんなことを考えているとほどなく、年老いたハイエルフが姿を現した。その姿を見るなりアイリスはソファから立ち上がり、横にずれて優雅にカーテシーをする。
「お初にお目に掛かります、バード族長。わたくしはアイリス。リゼル国に属する公爵家に生まれた賢姫でございます」
「……ほう、わしの名前を知っているのか? ローウェルやアッシュはわしのことを族長としか呼んでおらぬはずだが、なぜわしの名前を知っておるのだ?」
「前世で貴方の口からうかがいました」
あっさりとその事実を口にした。
アイリスはその瞳にたしかな決意を秘めて、まっすぐに族長を見つめる。彼女はこの日、すべてを打ち明ける覚悟を決めていた。
「……前世、じゃと?」
「正確には違うかもしれません。ですが、わたくしはそう判断しています。そして、そのときにうかがった盟約を果たし、貴方に受けた恩を返すためにここに参りました」
「にわかには信じられぬ話だが……そなたは盟約の存在を知っておる。荒唐無稽な話だからといって、頭ごなしに否定するわけにはいかぬだろうな」
まずは事情を聞かせてもらおう――と言うことで、席に着くことを勧められる。族長が座り、続いてアイリスがその対面の席へと腰を下ろす。
運ばれてきたお茶に口を付け、それから一息吐いたところでバード族長が口を開いた。
「それで、前世の記憶というのはどういう意味だ?」
「わたくしには別人として生を享け、そして戦いの中で散っていった記憶があります」
「それが前世の記憶だというのか?」
「そう認識しています。ただし、その人物は実在していて、いまなお生きています。私の認識では、自分は過去の他人に転生しているのです」
「それは……」
バード族長は眉をひそめた。
この世界には魔術を初めとした奇跡の概念がある。ゆえに伝説上の奇跡と、実際にある奇跡の境界が曖昧で、伝説だと思われていた存在が実在する、なんてことも珍しくない。
ゆえに転生という概念を信じる人も珍しくはない。信じない者も、確認された例がないのだからたぶんない――という程度の認識だ。
非科学的だからあり得ない、という認識ではない。
だが、そんな彼らの常識においても、過去に戻って他人に転生する――というのは、どう考えても説明できない現象である。
ゆえに、前世の記憶があるというアイリスの言葉には一考の余地があると感じても、過去の他人に転生するという言葉には信憑性が感じられない。
一気にアイリスの言葉が胡散臭くなった、という訳だ。
「信じられないのは当然です。ですがわたくしは前世の記憶を頼りに結界を越えました」
「ふむ。だが、何処かで文献を見つけただけ、という可能性もあるじゃろう。そもそも、前世ではどうやって結界を越えたのじゃ?」
「森で行き倒れていたところを助けられました」
あれは城から追放された後、冒険者として各地を転々としていた頃のことだ。とある理由で森に足を踏み入れた当時のアイリスは魔物の不意打ちによって負傷した。
更には結界によって迷い、行き倒れになったところを保護されたのだ。
「筋こそ通ってはいるが、とても信じられる話ではないのう」
「無理もありません。わたくしもこれが他人の口から聞かされたことなら、世迷い言として一笑に付していたでしょう」
「ふぅむ」
バード族長は顎に手を当てて思案顔をする。
「ひとまず、そなたの目的を聞かせてもらおう。さきほど色々と言っておったが、ここでなにをするつもりなのだ?」
「いくつか目的がありますが、まずは私的なことから。アストラルラインのたまり場へ行く許可をください。それと、ユグドラシルの苗を譲っていただきたいと考えています」
アイリスの言葉に、けれどバード族長は反応を示さなかった。ただ無言で、アイリスの目をじぃっと覗き込んでくる。そしてほどなく、ふぅっと息を吐く。
「それも前世でわしから聞いたのか?」
「前者はそうです。後者はディアちゃんから聞きました」
「……ディアちゃん? もしやクラウディアのことか?」
「えぇ、まぁ……当時のわたくしは無知だったんです」
さり気なく話を逸らしてそっぽを向く。
クラウディアとは、薬師の加護を持つハイエルフの女性だ。
その年齢はおよそ二百歳。精神的にも熟達しているが、見た目は当時のフィオナよりも年下で、十四歳くらいの見た目の美少女なのだ。
実年齢を知って驚いた時には、既にディアちゃん呼びが定着していた、という訳だ。
「ふぅむ……クラウディアの嬢ちゃんのことまで知っておるのか。……ひとまず考察は後にして、残りの目的も教えてもらおうかの」
「一番の目的は、古き盟約を果たし、この里に降りかかる火の粉を払うことです」
「……この里に降りかかる火の粉、か。もう少し具体的に聞かせてもらえるかな?」
「わたくしがこの里を訪れたのはいまから三年ほど先のことですが、そこからおよそ一年を待たずして、この里に魔物の群れが押し寄せてきます」
この大陸には遙か昔から魔物や魔獣といった危険な生物が生息していた。それが知恵ある魔物――魔族のもとに集結し、人間の生活を脅かしたのがいまからおよそ300年前。
連合軍の活躍によって魔族は撃退。魔物や魔獣は数を減らし、散り散りとなって森の奥などに逃げ込んだのだが、その数をいままた増やしつつある。
そうして各地に被害をもたらす魔物や魔獣の群れが、この隠れ里にも押し寄せる。
「ふむ。それはおかしな話だ。この里にはそなたも知っての通り結界がある。一体二体ならともかく、群れが押し寄せるなど不可能じゃ」
「残念ながら、わたくしはその矛盾をただす答えを持ち合わせておりません。その襲撃のおりに、前世のわたくしは命を落としましたから」
だが、予想なら付いている。アイリスと同じ憶測にたどり着いたのか、バード族長は顎に手を当てて小さなうなり声を上げた。
「……結界が破られる可能性か。調べては見るが、いますぐに結果が分かることではない。アイリスよ。なにか他に、そなたの話を証明する情報は持ってはおらぬか?」
「そう、ですね。正直なところ、この時期にここでなにがあったのかは残念ながら存じておりません。それに、歴史も変わりつつありますから」
「……歴史が変わりつつある?」
「まず、わたくしの行動が違います。賢姫がレムリアに渡るという事実はありませんでしたし、この里にも訪れていないはずです。なにより、レムリアで起きた干ばつの被害も最小限に抑えました。それによる影響力はかなりのものになると考えられます」
アイリスがリゼルからレムリアへ渡った。それによる影響は計り知れない。アルヴィン王子の行動にも間違いなく影響を及ぼしているはずだ。
なにより、アイリスは干ばつの被害を最小限に抑え込んだ。レムリア国とリゼル国の関係が悪化する原因の一つを取り除き、飢饉で死ぬはずだった多くの命を救った。
人の出会いと別れ、商品の流通なども、前世とはまったく異なっているはずだ。
ゆえに、この時期に起きるはずだった、人同士のいざこざなどは前世と異なる。怨恨などが絡んだ事件であったとしても、発生のタイミングや場所が変わる可能性が高い。
この先も正確に予測できるのは、自然災害などに限られてくるはずだ。
「でも一つだけ、前世のわたくしがこの里に来たことがある可能性を示す証拠があります」
そう言うやいなや、アイリスはフィストリアを顕現させた。アイリスが座るソファの横に、人間と変わらぬサイズの美しい精霊が姿を見せる。
「……ほう。話には聞いていたが、本当に精霊を顕現させられるのだな。たしかに優れた賢姫のようではあるが、それがこの里に来たとことどう繋がるのだ?」
「フィストリア、説明してくださいますか?」
「ええ、もちろん。――ジーク族長、お久しぶりです」
「うむ、久しいのう、フィストリア」
ジーク族長は懐かしそうに目を細めた。
「この里に滞在したときに鍛えていただきましたから。ですが、わたくしの証明はそのことではありません。フィストリア、説明をお願いします」
「ええ。この子――アイリスはとっても浮気性なんです」
空気がピシリと凍り付いた。
アイリスは強張った顔で、錆びた音でもしそうな感じで首をフィストリアに向ける。
「あ、貴方、なにを言っているの?」
「私の加護を受け、私を虜にするくらいの能力を持ちながら、私の知らないうちにアストリアを始め、数多の精霊から加護を受けているんですよ、この浮気者は」
「え、あ、あぁ……だから、ね? それは以前に話したでしょ?」
まさかのセリフにアイリスはタジタジである。
婚約者から婚約破棄を申し渡されても平然としていたアイリスも、さすがに精霊から浮気者呼ばわりされるとは思っていなかったようだ。
というか、おそらく精霊に嫉妬されたのは彼女が初めてだろう。
バード族長もその希有な光景に唖然としていた。だが、彼はすぐにその精霊の発言が別の意味でおかしなことに気付いて目を見開いた。
「加護を与えた精霊が知らぬ間に、他の精霊から加護を受けた、じゃと?」
「ええ。アイリスはある日、いきなり私を使いこなすようになったわ。それと同時に、他の精霊達からも加護を受けていたの。それが前世由来の加護、だそうよ?」
ようやく話が元に戻った。
アイリスはすかさずその話を引き継ぐ。
「私が受けた加護の多くは、この里に現れる精霊から授かった加護です。だから、精霊達に確認すれば分かるはずです。わたくしに加護を与えた記憶がない、と」
なお、その件についてはアストリアで実証済みだ。アストリアがそのことについて疑問を持っていると、フィオナから聞いたことがある。
その事実がここでも確認できれば、アイリスが少なくとも転生者である証明にはなる。
「……なるほど、精霊の言葉なら信じるほかはあるまいのう」
「では……?」
「うむ。少なくとも、そなたが転生者であるのは事実のようだ。じゃが、未来から過去に跳んだというのはまだ信じられぬ。その点についてはこれから見極めさせてもらおう」
「はい、それで構いません」
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