エピソード 1ー2
薬草園の土壌作りも終わって、後は土壌に埋めたクズ魔石の魔力が土に馴染むのを待つだけとなったある日、アイリスはグラニス王に呼び出しを受けた。
やってきたのは謁見の間――ではなく、私用に使う応接間である。
「陛下、ご機嫌麗しゅうございます」
「よく来たな、アイリス。構わぬから向かいに座るがよい。お菓子もあるぞ」
最近のグラニス王はすっかり孫にデレデレなお爺ちゃんのようになっている。そしてアイリスもまた、前世で懐いていた祖父の好意に甘えていた。
さながら、実の祖父と孫娘のような雰囲気を醸し出している。
普通であれば家臣が止めるべきところだが、アイリスは二度に渡り陛下の命を救った功績があり、またフィオナやアルヴィン王子からの信頼も厚い。
あげくは隣国の賢姫で、歴史上でも希に見る、精霊を顕現できるほどの力を有し、隣国で得た知識を使い、この国の飢饉を防ぎ、様々な恩恵をもたらしている。
むろん、すべてが公表されているわけではないが、国の中核となる重鎮はおおよそのことを把握しているため、陛下とアイリスの関係に難色を示す者はいない。
という訳で、アイリスは客間でグラニス王とティータイムを楽しんでいた。
「陛下、その後、お身体に異常はありませんか?」
「うむ、そなたが毒を抜いてくれて以来、身体の調子はすこぶる良い。まるで十年くらい若返ったような気分だ。そなたとも一度手合わせ願いたいものだな」
「……まぁ、陛下ったら。無茶はいけませんわよ」
クスクスと笑って受け流したアイリスは(お爺様が脳筋です。いえ、知ってましたけど)と少しだけ呆れる。
「ところで、薬草園は気に入ってもらえたか?」
「はい。わたくしのわがままを聞き入れてくださってありがとう存じます」
「気にする必要はない。むしろ我が国のためになることだ。命を救ってくれたそなたへの礼としては、まったく足りておらぬ。他にもなにかあれば遠慮なく申し出るといい」
「ありがとうございます。お気持ちだけで……あぁいえ、一つお願いがございます。実は、お父様とお手紙のやりとりをしているのですが――」
アイリスは過去、リゼル国王太子の婚約者という地位にいた。だが相手からの理不尽な申し出によって婚約は破棄され、アイリスは隣国に渡ることとなった。
だが、その王太子――いまは元、王太子のザカリーはともかく、リゼル国に恨みはないし、両親とはいまでも手紙のやりとりをする仲だ。
そうして伝えた近況には、アイリスがレムリアで広めている技術のあれこれも含まれており、父ハワードから嘆きのメッセージが届いている。
つまりは、レムリアに肩入れをしすぎだという意味である。
ゆえに――
「薬草園の管理にアイスフィールドの人間を何人か入れたいと考えています。そのことをどうかお許し願えないでしょうか?」
実家の人間を招き入れることを提案する。
「……ふむ。それはつまり、アイスフィールドの人間にも薬草園の管理を学ばせたいと、そういうことなのか?」
「――表向きには共同開発という形でいかがでしょう?」
グラニス国王陛下が目を見張った。
アイリスの言葉が、彼の疑問の先、それによって生じる問題の答えだと気付いたからだ。
まず大前提として、アルヴィン王子からユグドラシルの件はグラニス国王陛下の耳に入っている。ゆえに、その知識がレムリア国のものではないと断言できる。
結果、リゼル国の技術だと認識していたわけだが、アイリスはこの段階になって、実家の人間を招きたいと口にした。話の流れからして、リゼル国の技術でもないということで、グラニス国王陛下が問い掛けたのはこの事実に対する確認である。
なぜなら、それが事実なら話がややこしくなるからだ。
グラニス国王陛下は、アイリスの持つ技術がレムリア国の機密ではないと知っている。だが、対外的にはアイリスがこの国で手に入れた技術を自国に流そうとしているように見える。
つまり、外聞が非常に悪くなる。
それをどうするか――と、話し合うために切り出した最初の質問に対する返事が、表向きは共同開発にしてはどうかという提案。
頭の回転の速さに舌を巻きつつ、グラニス国王陛下はその提案に対して吟味した。
「共同開発か。そうできれば角は立たぬが、周囲を納得させられるのか?」
「もともと、技術の詳細は関係者以外には秘匿させていただくつもりです。であれば、表向きの名目があれば、それほど角は立たないのではないでしょうか?」
「……ふむ。情報の流し方次第という訳か。いいだろう。では許可を出しておこう。アイスフィールド公爵やリゼル国王には申し訳なく思っていたところだからな」
すぐさまその提案は受け入れられ、担当の者への伝言が出される。
それを見て、アイリスは肩の荷が下りたと息を吐いた。これで実家、アイスフィールド公爵家の風当たりも少しはよくなるだろう。
そうして安堵したのも束の間、グラニス王がきゅっと表情を引き締める。
「次はわしから、レスター侯爵の件について報告がある」
「……はい」
陛下暗殺を企て、アイリスに罪を擦り付けようとした大罪人――であると同時に、フィオナの義理のお爺ちゃんで、フィオナの母親のために罪を犯した情の人。
アイリスはティーカップをテーブルの上に戻し、即座に居住まいを正した。
「レスター侯爵は国王であるわしと、次期女王のフィオナの暗殺を企てた。本来であれば、国家反逆罪で一族郎党皆殺しになってもおかしくない」
「はい、存じております」
王族に危害を加えることは重罪だ。
身分的な問題もあるが、なにより国に与える影響が大きいからだ。
「しかし、わしが強引に二人の政略結婚を取り纏めたのもまた事実であり、フィオナの母親がこの国のしきたりに殺されたのもまた事実だ」
「剣姫としての責務、ですね」
痛ましい事件ではあるが、リゼッタは剣姫の責務を果たそうとしただけだ。決して国のしきたりに殺されたわけではないと、アイリスは考えている。
だが、そんなアイリスの内心が伝わったのだろう。グラニス王は少しだけ寂しげな顔をして「アイリス嬢」と諭すように呟いた。
「リゼルの賢姫と、レムリアの剣姫は似ているようで大きく異なる点がある。どちらも有事の際に先頭に立って戦うことに変わりはない――が、その先頭という解釈が違うのだ」
「……解釈、ですか?」
「そうだ。リゼルの賢姫は兵を指揮するであろう? すべての者を率いるのだから、先頭に立つという言葉に嘘偽りはない――が、物理的な先頭に立つわけではない」
「おっしゃる通りですね」
剣姫は文字通り先頭に立って兵を率いる。さすがに一番槍をいただく――というところまでは行かないが、文字通り敵の届く距離にいる物理的な最前線だ。
同じ責務のように見えてずいぶんと違う。
後方で兵を率いる指揮官と、最前線で兵を率いる隊長。
戦場で勝利を収めても死ぬ可能性が高いのが剣姫で、敗北しても生存の可能性が高いのが賢姫。そんな風に表現してみれば、その差は一目瞭然だ。
むろん、剣姫が最前線に立つのはいまに始まったことではない。
だが、その剣姫が女王や王妃となると話が変わってくる。やんごとなき人々が毎回死と隣り合わせで戦って国が正常に回るはずがない。
さきほどグラニス王が口にしたとおりだ。
王族を害することは国家反逆罪が適応されるほどの罪。つまりは、王族が害されるということは、国家に混乱を招くほどの被害をもたらすと言うことに他ならないのだから。
「ですが、それならばなぜ、いままで問題に……あぁ、そういうことですか」
剣姫はそもそも剣の精霊に愛された人物で、尋常ならざる力を持っている。ゆえに、いままでは剣姫が危険にさらされるほどの有事は滅多になかった。
それに加えて、剣姫が女王、もしくは王妃といった地位に就くこともそう多くはない。
ゆえに、王族である剣姫が命を落とすという悲劇はいままでは起きなかった。だが、昨今の魔物の活発化によって、剣姫でもある王妃が魔物に殺されるという事件が発生した。
それによって様々な問題が表面化した、という訳だ。
「では、レスター侯爵の主張をお認めになるのですか?」
「……少なくとも、わしが誤解を解いておけば回避できた事件だと思っている。だが王族、特にフィオナを殺そうとしたことを許すわけにはいかぬ」
自分を殺そうとしたことは許すといっているようにも聞こえる。グラニス王は、レスター侯爵に対して複雑な想いを抱いているようだ。
それでも、彼は王としての判断を下すのだろう。この時点で、アイリスはレスター侯爵の命運を悟ったが、最後まで聞くべく、静かに王の言葉を待った。
「……ゆえに、レスター侯爵には死を以てその罪を補ってもらう」
「罪を、公表なさるのですか?」
「いや、彼は襲撃の際、侵入した賊に襲われて負傷した。必死の治療にもかかわらず、そのときの負傷が原因で先日身罷られたのだ」
そういう筋書きにする、ということ。
でなければ彼の血族や無実の関係者にまで累が及ぶからだ。
おそらくは簡単なことではないだろう。
関係者各位に口止めをすることを考えれば、事実を公表して一族を皆殺しにしてしまった方が問題は少ないと言えてしまうレベルだ。
そのような危険を冒すのは、おそらくレスター侯爵のためだろう。
「そなたも罪を着せられそうになった身。レスター侯爵に思うところはあると思うが、受け入れてくれぬか?」
「……フィオナ王女殿下はご存じなのですか?」
「色々と思うところはあったようだが、最後には納得してくれた」
「そうですか。では、わたくしから言うことはなにもございませんわ」
アイリスは迷うことなく微笑んだ。
「……いいのか?」
「いいもなにも……さきほど、罪を着せられそうになったとおっしゃいましたが、わたくしは最初から彼の行動を予測しておりました。なにも実害を受けていない以上、彼が処刑されようと、事故死しようと、実は生きていようとも、関係ありません」
アイリスはただ静かに、グラニス王と視線を合わせる。彼は一度だけ瞬いて――それから「感謝する」と、小さく呟いた。
それからパンと膝を叩いて、その重苦しい空気を打ち払う。
「さて、暗い話が終わったところで、そなたの要望について聞こう。なんでも、しばらくアルヴィン王子と二人で遠出をしたいとの話だが?」
「根も葉もない酷いデマです。誰ですか、そんなことを言ったのは」
憤慨して即座に否定するアイリスは、グラニス国王陛下がほんの少しだけ残念そうにしたことに気付かない。
「ふむ。では、アイリス嬢の本当の要望というのは?」
「一人で一月ほど旅をすることです」
「却下だ」
「しょんぼり」
即座に却下する国王に対し、即座にしょんぼりするアイリス。リゼルの重鎮、もしくはレムリアの重鎮、どちらが見ても顔面蒼白になりそうなやりとりである。
いや、レムリアの重鎮は最近耐性を付けつつあるようだが……それはともかく。
「アイリス嬢、一つ聞きたいのだが……リゼル国にいた頃はその要望が通ったのか?」
「それは、こうしてレムリアに渡ってきたくらいですから」
「それは婚約が破棄された後であろう?」
「そう、ですね。たしかに、そのまえであれば無理だったかもしれません」
というか無理である。
(いけませんね。どうも最近、前世の記憶に引きずられているようです。いまのわたくしにとって、冒険者として過ごしていたことが最近、ですからね)
アイリスは婚約を破棄された直後に前世の記憶を取り戻した。ゆえに、アイリスとして婚約破棄された直後に、フィオナとしての一生を過ごしたような認識を持ちつつある。
あくまで感覚的な話ではあるが。
「いまのそなたはリゼルからの客人だ。もしそなたになにかあれば、レムリア国がリゼル国に対して大きな借りを作ることになってしまう。それは分かってくれるな?」
「……無論です、陛下。不相応なお願いを申したこと、深くお詫び申し上げます」
最近気が緩んでいたと、アイリスは唇をきゅっと結んで頭を下げた。
「分かってくれれば良い。相応の護衛を伴えば外出も好きにして構わぬ。なにも、この王城に閉じ込めておこうとしているわけではないからな」
提案自体は非常にありがたいが、目的地は隠れ里で、出来れば不用意に教えたくはない。どうしたものかとアイリスは眉をひそめた。
「ふむ。この国の人間に行き場所を知られたくない、ということか? もしそうであれば、薬草園の件と合わせて、そなたの護衛を自国から呼び寄せても構わぬが?」
「いえ……」
「……そうか、薬草園に関係することだったな」
薬草園の技術がリゼル国のものではないとは既に白状済み。ゆえに、リゼルの人間を連れて行くことも出来ない――と、説明する分には問題ない。
問題ないのだが、だったらどうするか、という話である。
(一人で行くのは無理。だけど、不特定多数に知られるのは危険すぎる。かといって、フィオナを連れていったらどっちが護衛か分からないし……アルヴィン王子?)
彼を連れて行くことで生じるメリットはある。
まず、一番恐ろしいのは、アイリスが不在中にアルヴィン王子とリリエラが結託して、フィオナの追放に向けて暗躍を始めることだ。
アルヴィン王子を同行させることで、その最大の不安要素を排除できる。
そしてもう一つ。
彼と過ごす時間を増やすことで彼が前世でフィオナを追放した理由を突き止め、今世では思いとどまらせることが出来るかもしれない。
もちろんデメリットも存在する。
隠れ里は追放されたフィオナがたどり着く安息の地。その土地の存在をアルヴィン王子に教えるのはそれなりにリスクも存在する。
とはいえ――
(わたくしが追放された後も、追われるようなことは特にありませんでしたからね)
良くも悪くも、追放された後のフィオナに興味がない。そう考えれば、隠れ里の存在を知られても、フィオナの行く末的には影響はないはずだ。
(それに、レムリア国の王族に隠れ里の存在を知らせることはマイナスではないんですよね)
隠れ里の者達と、剣姫や賢姫のあいだには古き盟約が存在する。いまは忘れられてしまっているが、それを復活させることは決して両国や隠れ里にとってマイナスではない。
「……アルヴィン王子と二人なら許可は出るのですか?」
「ほう? アルヴィン王子と二人っきりが良いと申すのか?」
「……………………………………」
良いはずはない。が、他に方法は――と、アイリスは葛藤。
最終的に「近くまでは護衛の兵士を引き連れて、最終的には王子と使用人を若干名、ということでいかがでしょう?」と提案する。
「ふむ。なるほど……つまり、どの辺りにあるかは明かせるが、限られた者にしか明かすことは出来ない場所だと言うことだな」
「ご慧眼です。……わたくしの目的地はリゼル国との境にある魔の森です」
目的は薬草園の関係――つまりは薬草の生息する魔の森に入ることは不思議じゃない。ゆえに、真の目的地がバレることはないと思ったのだが――
「そなたは……まさか、隠れ里の存在を知っているのか?」
グラニス王はその名前を口にする。
無論、そのようなカマ掛けに引っかかるアイリスではない。賢姫として、真実を隠そうとするときに出るクセは徹底的に排除した。いまの彼女のポーカーフェイスは完璧だ。
だが、
「ふ、やはりそうであったか」
グラニス王は確信めいた表情をする。
(顔には出さなかったはずです。なのに、どうしてここまで確信しているの?)
「くくっ。そなたは自分では気付いていないかもしれぬが、隠し事をしたときのそなたは、右腕に力が入るクセがあるようだぞ?」
「……え?」
アイリスはそんなはずはないと困惑する。
けれど、
「フィオナも右手でスカートの裾をぎゅっと握るクセがある。そなたも同じだな」
(……え? ま、まさか、フィオナとしての記憶がそこまで影響を? というか、フィオナって基本的に隠し事が苦手だったのに、その影響がわたくしに……?)
物凄く心当たりのある指摘に、アイリスは思わず遠い目になった。
「ふむ。どうやら、心当たりがあるようだな」
「えっと……はい、そうですね」
こうなっては隠しても仕方がないと白状する。
そのうえで、陛下は隠れ里について知っているのかと問い掛けた。
「わしも詳しくは知らぬ。大戦時の英雄の子孫が暮らしていることくらいだな」
「……そうですか。分かりました。では、森の入り口まで護衛を。そこからはアルヴィン王子とわたくし、それに使用人を若干名と言うことでお願いいたします」
「うむ、それならば許可を出そう。気を付けて行ってくるが良い」
こうして、アイリスはひとまず隠れ里へ向かうこととなる。後で置いてきぼりの事実を知ったフィオナが拗ねるのだが――それはまた別の話である。