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エピソード 3ー11 教え子が増えたようです

 水車の話から数週間が過ぎた。日々様々な仕事に追われているアルヴィンは、自分が干ばつについて調べさせていたことも頭の片隅に追いやっていた。

 そんなある日。

 執務室で書類に目を通していたアルヴィンの元にゲイル子爵が飛び込んできた。


「アルヴィン王子、大変ですっ! アイリス嬢の言うとおりでした!」

「……騒々しいな。あいつがまたなにかやらかしたのか?」

「干ばつですよっ。アルヴィン王子の指示に従って調べたら、メント地方を流れるいくつかの支流の水量があり得ないほど減っているそうです」

「――っ」


 頭の片隅に追いやっていたとはいえ、その衝撃は計り知れない。やはりという思いと、まさかという思いがぶつかり合い、それでも彼は事実確認と今後の対策に意識を向ける。


「だが、エイム川の水量は減っていないはずだ」


 エイム川とは、レムリア国を横断する大きな川の名前である。王城からも見ることが出来るが、その水量はまったく衰えていない。


「それはおそらく、エイム川の上流や、他の支流では雨が降っているからでしょう。ですが、メント地方では雨量が減っており、川が干上がりかけているそうです」

「馬鹿なっ! そのような状況で、なぜいままで報告がなかった!?」


 アルヴィンは執務机に手をついて立ち上がる。ゲイル子爵はびくりと身を震わせ、額に浮かんだ汗を拭って恐れながらと続ける。


「ここ数十年は問題なく雨が降っていたので、心配する必要はないと。領主はもちろん、農民達もさほど心配していないようです」

「我々と同じ、ということか」


 加えて、該当の地域にもエイム川が流れており、そちらの水量は減っていない。

 そちらは船を使った輸送には使えても、土地の高低差の問題で水を畑に引くことは出来ないのだが、視覚的に水不足に陥り掛けているという認識を阻害する要因になっているようだ。


「……実際のところはどうなのだ?」

「至急おこなった調査での暫定結果ですが、例年通りの雨では支流の水が干上がる、と」


 アルヴィンは青ざめた。

 メント地方は土地が高い。ゆえに洪水の危険性は低く、にもかかわらず支流の水を畑に使うことが出来て、物の輸送にはエイム川を使うことが出来る。

 レムリア国の肥沃な穀倉地帯となっている。

 そんなメント地方で干ばつが発生するなど、どれだけの被害が発生するか分からない。


「――っ。フィオナが開発していたという水車の生産はどうなっている!?」

「既に生産が始まっているようです」

「すぐにその水車を設置――いや、いまから水車を設置したとしても、水路を引く時間がないか。せめて、一ヶ月前に動き出していれば……っ」


 完成した水車を設置するだけならともかく、水路を引くには時間が掛かる。人員を総動員しても、一、二ヵ所に水路を引くのが精一杯だろう。


 被害を減らすことは出来ても、何処かを犠牲にする必要がある。

 だが、メント地方は複数の領主が土地を持っているために、誰の領地を優先的に救うのかといった問題も発生する。それを調整することで、否応もなく対策は遅れるだろう。


 最悪は兵を派遣して押さえつける必要がある。そんなことを考えなくてはいけないほど逼迫した状況に、アルヴィンはぐっと拳を握り締めた。

 だが、ゲイル子爵がなにか言いたげな顔をしていることに気付いた。


「どうした? なにか言いたいことがあるのか?」

「いえ、その水路を引く時間ですが、短縮できるかもしれません」

「……なに? どういうことだ」

「アイリス嬢いわく、割った竹かなにかを水路の代わりに使えば、非常時に水を引く程度は十分に用をなすでしょう、と」

「はは、ははは……」


 たしかに、それならば大幅に時間を短縮することが出来る。

 画期的なアイディア――というほどではない。大臣達が顔をつきあわせて知恵を出し合えば、いずれは気付いた対策ではあるだろう。

 だが、アイリスがいなければ干ばつの前兆に気付くことは不可能だった。気付いたとしても、そこから対策を立てるのに何倍もの時間が掛かっていただろう。


「しかし、我々は運が良いですな」

「運が良い、だと?」


 アルヴィンは子爵の物言いに眉を寄せる。


「あぁいえ、もちろん干ばつは不幸な出来事です。ですが、アイリス嬢が気まぐれに干ばつの対策などという議題を出さなければ、もっと大変なことになっていたはずですから」

「……気まぐれ、か。あるいは、予測していたのかもしれないぞ?」

「まさか。この国に来たばかりの彼女が、ですか? あり得ないでしょう」

「たしかに、な」


 ゲイル子爵が冗談として一蹴するのも無理はない。

 普通に考えればあり得ない。

 ただの偶然だと考えるのが自然だろう。だが、偶然にしてはあまりに手際が良すぎる。普通に考えればあり得ないが、まるで未来を予知しているかのような所業だ。

 それがただの偶然だと、アルヴィンにはどうしても思えなかった。


(あるいは、俺の行動すらも予知しているのかもしれない。もしそうだとすれば、フィオナの教育係に名乗りを上げたのはそれが理由、か?)


 だからあいつは面白いのだと、アルヴィンは口の端を釣り上げた。



     ◆◆◆



 干ばつの対策に走り回って数週間。

 子爵であり農水大臣でもあるゲイルは、かつてないほどに充実した日々を送っていた。

 彼が農水に関連する役職を与えられたのはまだ二十歳になったばかりの頃だった。それから五年ほど、国のために身を粉にして働き、大臣の地位にまで上り詰めた。

 異例の昇進であるが、彼は自分の働きに満足していなかった。


 農水大臣とは、農業や治水に関する仕事を管理する役職である。

 だがこの国は気候が安定しており水害なども少ない。むしろ、魔物などの被害が多いために、防衛大臣や軍務大臣の方が忙しく、予算などもそちらに割かれている。


 とどのつまり、ゲイルは無難な仕事をこなしていただけだ。

 だが、アイリスと出会って彼の人生は一変した。リゼル国の技術を取り入れ、様々な農業の改革案を打ち立てる。

 予想もしていなかった干ばつにも対処することが出来た。


 むろん、それらの立役者はアイリスであり、国にもそう報告している。だが、彼女の助言をいち早く取り入れたゲイルも評価されている。

 なにより、彼自身が生きがいを感じている。



 という訳で、今日も今日とて、ゲイル子爵は城の中庭へと足を運んだ。

 そこでは毎日のようにアイリスがフィオナ王女殿下に勉強を教えていて、それが終わるタイミングを見計らって、アイリスに教えを請うているのだ。


「アイリス嬢、昨日の続きを教えてください」

「ゲイル、また来たんだ。アイリス先生は、私の先生なんだよ?」


 フィオナ王女殿下がむぅっと唇を尖らせる。


「申し訳ありません、フィオナ王女殿下。それは重々理解しているのですが、彼女の知識は底が知れず、その教えを少しでも賜りたいのです」

「そっか、ゲイルはアイリス先生の凄さが分かるんだねっ」


 アイリスがいかに優れた学者かを語ると、フィオナ王女殿下がふにゃりと破顔した。その嬉しそうな顔を見れば、王女殿下がどれだけアイリスを慕っているかがうかがえる。


「フィオナ王女殿下、アイリス嬢を少しだけお借りしてもよろしいでしょうか?」

「し、仕方ないなぁ。私が話を聞いていても良いのなら貸してあげる」

「……勝手に人を貸し借りしないで欲しいのですが」


 アイリスがぼそりと呟くが、ゲイルは聞こえないフリをした。彼女はフィオナ王女殿下の教育係である以上、もっとも重要なのは王女殿下の許可に違いない。


(それに、アイリス嬢はなんだかんだ言って面倒見が良いからな)


 ここ一ヶ月でゲイルが抱いた印象だ。アイリスはなんやかんやと文句を言うが、真摯にお願いしたら協力してくれることがほとんどなのだ。

 反発するのは口だけのことが多い――と、最近では認識している。


「アイリス嬢、そう言わずに。前回、歯車の壊れやすい理由を今度教えてくれるとおっしゃったではありませんか」

「あぁ、互いの歯の数を素にするという話ですね」

「そうです、それです!」


 歯車は水車が回転する力を動力にして小麦を挽いたりするのに欠かせないパーツである。複数の歯車を使って回転の速度や力、それに向きを変化させるのに使う。


 それをアイリスから聞いたとき、ゲイルはその技術の可能性に狂喜した。だが同時に、そのように複雑なパーツはすぐに壊れるだろうとも予測した。

 だがアイリスは、そのパーツ、歯車を壊れにくくする方法があると教えてくれたのだ。

 それが、歯車の歯の数を互いに素にするということ。


 歯の数を互いに素――つまりは互いを割りきれる数が一しかない数。そう言った組み合わせの歯車を使えば壊れにくい。

 前回教えてもらったのはその事実だけだった。職人が歯車を作る分にはその事実だけで十分だが、ゲイルはその理由が知りたくて仕方がない。


「さぁ教えてください。互いの歯を素にすると、どうして壊れにくくなるのですか?」

「その前に、どうして歯車が壊れやすいか分かりますか?」


 アイリスが質問を返してくる。それは彼女のいつもの手法だ。簡単に答えを教えるのではなく、生徒が答えに至れるようにヒントを与えてくれる。

 それによって生徒は考える力と、答えに対する理解を増すことが出来るのだ。


 最初はそれが理解できずにヤキモキしていたゲイルだが、フィオナの授業を見ているうちにその事実にいたり、いまでは素直に質問の答えを探すようにしている。


「……そうですね。歯車は複雑な形をしており、加工のしやすい木材を使うことが想定できます。それが原因で歯が欠けていくから、ではないでしょうか」

「では、堅い木材を使えば歯は欠けないと思いますか?」

「それは……いえ、いずれは欠けると思います」


 堅い木材でも、軟らかい木材と同じようにいずれは欠ける。それはつまり、欠けやすいか欠けにくいかの差でしかなく、歯車が欠ける直接の要因ではないということだ。

 では、そもそもの要因とはなにかと考えたゲイルはもう一つの可能性にたどり着いた。


「歯車の形が複雑だから。だから壊れやすい、ということでしょうか?」

「おおよそ正解です。歯車の歯が少しでも欠ければ噛み合わせが悪くなり、それによって他の歯も欠けていくという悪循環が発生する。これが歯車が壊れやすい原因です」


 なるほどと、ゲイルは想像を巡らせる。

 歯車の歯が一つ欠けたとしても、即座に歯車が止まることはない。だが、欠けた部分で噛み合わせが悪くなり、強引に回ることで周囲を傷付けることになる。


 他にも、野ざらしで使う歯車には、砂ぼこりなども入り込む。それがヤスリのような効果を果たして、歯を削ってしまうことも想像に難くない。


「そこから導き出される結論は、こまめなメンテナンスが寿命を延ばす、ということだと思うのですが……歯車の数を素にするのとどう関係があるのですか?」

「発想を逆にするんですよ。どうやったって歯車の歯は欠けていく。だったら、歯が欠けることを前提に、歯車が壊れるのを遅らせれば良いと思いませんか?」

「……歯が欠けるのを前提に、歯車が壊れるのを遅らせる、ですか?」


 歯が欠けることと、歯車が壊れることは同じではないだろうか――と、ゲイルはそう考えて首を捻った。だがそんな彼の横で話を聞いていたフィオナが「あっ」と声を上げる。


「歯車は噛み合わせが悪かったり、異物の混入で欠けていくんだよね? で、何処かが大きく欠けたら、歯車自体が一気に壊れちゃう」

「ええ、そうですね。つまり……?」


 アイリスは笑顔を浮かべて王女殿下に続きを促す。


「つまり、歯車の数が素であるなら、歯がまんべんなく欠けていく。だから、歯車が壊れるまで時間が掛かる、ってことじゃない?」

「あぁ、なるほど!」


 ここに来て、ゲイルもようやくそのことに気付いた。

 たとえば、共に八つの歯がある歯車AとBを使った場合。

 Aの一の歯は、毎回Bの一の歯とかみ合わせることになる。その場合、Aの一に問題があった場合、ひたすらBの一を傷付けることになる。


 だが八つの歯がある歯車Aと、九つの歯がある歯車Cを使った場合。

 Aの一がCの一を傷付けるのは九周に一回だけで、一から九の歯をまんべんなく傷を付けていく。対象を壊すまでには単純計算で九倍の時間が掛かる。


 むろん、問題のあるAの一自身が壊れる可能性もあるが、平均寿命が延びることに変わりはない。これが、互いの歯の数が素だと壊れにくい理由である。

 その事実に驚きつつも、ゲイルはフィオナ王女殿下に視線を向けた。


「……あ、もしかして私は答えない方が良かった?」

「いえ、そのようなことは。王女殿下が勉学に励んでいると知って安心いたしました」


 ゲイルはまだ若く、これからも大臣を務める可能性が高い。いずれ自分が仕えるであろうフィオナが勉強熱心なのは非常に望ましい。

 自分の目的は果たしたからと、アイリスをフィオナに返すことにした。


「フィオナ王女殿下、お邪魔いたしました」

「アイリス先生を返してもらっても良いの?」

「ええ、もちろんでございます。お時間を取って頂きありがとうございました」


 フィオナ王女殿下とアイリスに感謝を告げる。そうして二人が立ち去るのを見送っていると、どこからともなく現れたアルヴィン王子が話しかけてきた。


「振られたようだな」

「アルヴィン王子、からかわないでください。私はただ、アイリス嬢の知識を少しでも学びたいと考えているだけでございます」


「……ふむ。彼女の後ろ姿を追う眼差しはそう言っていなかったが……まぁ、いまはそういうことにしておいてやろう」


 王子の言葉の意味が理解できなくて、ゲイルは首を捻った。それから「アルヴィン王子はどうされたのですか?」と問い返す。


「いやなに、おもちゃで遊びに来たんだが、おまえの反応が気になってた。最後になにやら考え込んでいたようだが、なにか問題でもあったのか?」


 アイリスのことをさらりとおもちゃと言い放つ。本人が聞けばぶっ飛ばしますよと言いそうな案件だが、ゲイルはよもやアイリスのことだとは思わない。


「考えていたのはフィオナ王女殿下のことです。王女殿下は武術に秀でておいでですが、学問に対しては、その……」

「ああ、あまり学問を重視していないからな」

「はい。そう思っていたのですが、さきほどの彼女は、私が思いつかなかったことを、さも当然のように思いつき、それを正しく理解していらっしゃいました」


 歯車の歯の数を互いに素にするという話だ。ゲイルはそれを事前に聞いていたにもかかわらず、その理由には至らなかった。

 にもかかわらず、学者でもないフィオナ王女殿下が少し話を聞いただけで答えに至った。


「とても聡明で、勉強も熱心でいらっしゃるのですね」

「フィオナがか? ……いや、それはもしかしたら」


 アルヴィン王子の視線が立ち去っていく二人。

 おそらくはアイリスに向けられていることに気付く。つまり彼は、フィオナが優秀なのは元からではなく、アイリスの教育の賜物であると考えているのだ。


 だが、もしそれが事実なら、アイリスは教え子をたった数ヶ月で、様々な研究に携わっているゲイルに匹敵するレベルにまで育ててしまったことになる。


「……何者なのでしょうね、彼女は」

「面白いだろう? だから俺は、あいつのことが気に入っているのだ」


 アルヴィン王子がさっくりと好意を口にする。それを聞いたゲイルはもやっとした感情を抱くが、それがどういった感情なのか、いまの彼には理解できなかった。



     ◆◆◆



 その日の夜更け。城にある浴場で汗を流したアイリスが自分に割り当てられた部屋に戻ろうとすると、ネイトとイヴに呼び止められた。

 いつもなら自分の部屋に戻っている時間で、ここにいるのは珍しい。


「二人とも、わたくしになにかご用ですか?」


 アイリスが問い掛けるが、二人は「実は、その……」と口ごもっている。なにか言いたいことがあるようだが、なんらかの理由で話すことを躊躇っている。

 そんな雰囲気を感じ取ったアイリスは二人の前に膝をついた。


「ネイト、イヴ。あなた達は既にわたくしの身内です。必ず問題を解決するとは言いませんが、決して無下には扱いません。だから、なにかあるのならちゃんと相談なさい」


 問い掛けて、二人の目を交互に覗き込む。ネイトとイヴは顔を見合わせて頷きあい、それからネイトが驚きの言葉を告げる。

 二人の母親であるレベッカが、フィオナの暗殺計画の情報を掴んだ、と。

 

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