エピソード 3ー10 今更ですよね
土地のイメージが分かりにくかったようなので補足します。
(右下に行くほど土地が低くなります)
支流 支流
\ \
\ 農地 \
(本流)―――――――――――――
こんな感じですね。側にある本流は水量が多くて船とかで輸送もしてるんですが、高低差の関係で支流の水を農業に使っている地域です。
もちろん、本流の水を使っている地域もあります。ただ、この国は雨が多いので本流の洪水の方が警戒されていて、基本的にはこういった支流沿いに農地が広がってます。
アイリスの物言いにアルヴィン王子達は呆気にとられた。
たしかに、アイリスの言うとおりではある。
この国が干ばつに対する備えをしないのは、ここ数十年で一度も干ばつが起きていないからであり、それよりも問題になりそうな課題がいくらでもあるからだ。
もしも近々干ばつが発生するのなら、それに対する備えは最優先事項となるだろう。
「お前の言いたいことは分かった。たしかに干ばつの発生が前提条件であれば対策が必要だし、短期間の使用であれば水車が対策になり得ることも理解できる。だが――」
アルヴィン王子がゲイル子爵にちらりと視線を向けた。
子爵のもとには、水車を量産するための予算申請がフィオナから届いている。つまりは架空の話に対して、実際に対策費用を引き出そうとしている。
「分かっています。それはあくまで架空の話で、実際に対策を立てることに意味はない、とおっしゃるのでしょう?」
「……その通りだ。それなのになぜフィオナに対策を立てさせる? まさか、本当に干ばつが起こるなどと思っている訳ではなかろう?」
探るような視線を向けられる。
その視線を真っ向から受け止めたアイリスは――
「まさか、そのようなこと思うはずありません」
前世で発生した干ばつの事実などおくびにも出さずに微笑んで見せた。
「ならば、なぜ水車の量産をさせようとしている?」
「それは水車に水を引く以外に役立てる方法があるからです」
「――水路に水を引く以外に用途があるのですか?」
食いついたのは農水大臣のゲイル子爵だ。最初はアイリスの物言いに腹を据えかねていた彼だが、水車が他にも役立てられるという彼女の発言に興味を示す。
「リゼル国では水車の回転を利用して小麦を挽いたりする研究がおこなわれているんです。図面は手元にありませんが、おおよその設計は頭の中に入っています」
言うまでもないことだが、小麦を引く魔導具というのは存在している。だが、さきほどアルヴィン王子が言った通り、魔導具は庶民に使えるほどコストが安くない。
「魔導具に比べるとコストは掛かりません。また、水車が壊れやすいという問題も、使用していないときには水路に水を流さないなどすれば寿命を延ばすことが出来ます」
そしてそれはそのまま、干ばつ時の対策になり得る。小麦を挽くために水車を設置して、有事の際にはその水を畑に使う。
そうして採算を取れば、干ばつの対策に費用を割く必要もない。
アイリスはその仕組みを丁寧に説明したのだが、いつの間にかゲイル子爵が呆気にとられていて、アルヴィン王子とレスター侯爵は頭を抱えていた。
「……皆様、どうかいたしましたか? この理論に問題はないはずですが……」
「いや、おまえ……問題もなにも、それはリゼル国の機密情報ではないか?」
リゼル国は友好国なのだ。もしもリゼル国の機密情報をレムリア国が盗んだなどと言うことになれば、両国の関係にヒビが入りかねない。アルヴィン王子は問題しかないアイリスの提案に
「そもそも、わたくしの存在が機密みたいなモノですから。わたくしの出奔を許可した時点で今更です。陛下にも誰にも、気付いていなかったとは言わせません」
「俺はいまほどリゼル国の王を不憫に思ったことはないぞ」
悪いのは機密情報をあけすけに公表するアイリスではなく、アイリスとの婚約を破棄して国外に出奔する切っ掛けを作ったザカリー元王太子殿下という意味。
今更ながらに賢姫の重要性を再確認したアルヴィン王子が苦笑いを浮かべる。
だが、アイリスが賢姫であることを知っている者はまだそれほど多くない。
パーティーや謁見の間での一件に居合わせたレスター侯爵は気付いているが、パーティーの現場にも、先日の謁見にも居合わせなかったゲイル子爵は首を傾げた。
「アイリス嬢の存在が機密というのは、どういうことでしょう?」
「どうと言うことはない。こいつはこう見えて、リゼル国の学者だったのだ」
アルヴィン王子がしれっと嘘を吐いた。
それを信じたゲイル子爵が感嘆の声を零す。
「おぉ、アイリス嬢は学者だったのですか。では、ぜひその知識をこの国のために貸していただきたい。実はいくつか知りたいリゼル国の技術があるのです」
「ええ、構いませんよ」
さらりと了承する。
こうしてフィオナの予算申請は通り、レムリア国で水車の生産が始まる。
もしこの場にリゼル国の王がいれば頭を抱えていただろう。だが、レムリア国に取っては歓迎すべき事態でもあり、アルヴィン王子は葛藤の末に見ない振りをした。
◆◆◆
農水大臣であるゲイル子爵に教えを請われたアイリスが、詳しい話をするために場所を変えると言って二人で立ち去っていく。その後ろ姿を見送るアルヴィン王子が笑みを零した。
いままで沈黙を守っていたレスター侯爵は、その光景に意外そうな顔をする。
「アルヴィン王子はずいぶんとご機嫌ですな?」
「リゼル国の技術がただで手に入るのだぞ? これを喜ばずしてなんとする」
「それには同意いたしますが、王子がご機嫌なのは別の理由ではありませんか?」
「ふむ……まぁ、あれは面白いからな」
その言葉にレスター侯爵はますます意外そうな顔をした。アルヴィン王子に自覚はないが、いままでの彼であれば、そもそもフィオナ以外の女性に興味など抱かなかった。
ましてや、それを指摘されて認めるなど、少し前には想像も出来なかったことだ。
「ずいぶんと彼女に入れ込んでいるようですな。彼女は……信用できるのですか?」
「フィオナのパーティーでの一件を言っているのだな?」
「ええ。先日、陛下にお目通りして信頼を得たようですが……どうにも、わしには賢姫が他国に出奔するという事実に、裏がありそうな気がしてならぬのです」
「ふむ……まぁ、そうかもしれぬな」
アルヴィン王子も彼女の言動は気になっている。自分のことを兄様と呼んだことだけではない。時折、この国を良く知っているかのような素振りを見せる。
フィオナへの執着にしてもそうだ。
普通、会ったこともない相手にあそこまでの執着は見せない。
「スパイとして送り込まれてきた、ということはありませんか?」
「レスター侯爵の懸念は気に止めておこう」
自分がどう思うかの明言は避けて、それから少し考えるような素振りを見せる。
「……レスター侯爵。さきほどアイリスが地図で指し示した場所を覚えているな? ゲイル子爵に干ばつの可能性について調べるように伝えてくれ」
「本当に干ばつが起きる、と?」
「いいや、そうは思っていない」
アルヴィン王子は即座に否定したが、心の中では逆の可能性を考えていた。
アイリスの理論、その一つ一つに矛盾点はない。
たとえば、干ばつが絶対に起きるのなら対策は最優先事項だし、水車に他の使い道があると言うのなら、干ばつの危険性が少しでもある場所で採用すれば無駄がない。
だが、通して考えたとき、明らかにおかしな点がある。
それは、干ばつが発生することを前提にした課題そのものだ。
なにかとなにかを兼ね、費用対効果を上げるのは基本中の基本だ。ゆえに、水車で小麦を挽くついでに、干ばつに対する備えを兼ねるのなら自然。
だがアイリスは干ばつの対策を主目的として、それをなすために小麦を挽くことで費用対効果を上げて実現するという課題を出した。
明らかに不自然な課題。
もしそこに意味があるとすれば――
(俺に調べろというメッセージ……というのは考えすぎか?)
分からないと、アルヴィン王子は独りごちる。
だが、それこそ費用対効果の領域だ。
「たしかに干ばつが起きるとは思えぬが、あの様子なら遅かれ早かれ水車は作ることになるだろう。ならば、設置する村の選定をいまから始めてもかまわぬだろう?」
その口実をもちいてレスター侯爵を納得させる。
そうして、干ばつについて調べさせるアルヴィン王子は、アイリスがなんらかの方法で干ばつを予知しているのではと思い始めている。
(クラリッサの報告では、旅の途中で川の水位を気にしていたようだしな)
むろん、考えすぎという可能性も存在していたが――それから数週間後、アルヴィン王子の元に干ばつの兆しありとの報告が舞い込んだ。