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エピソード 3ー4 信頼できる相手

 肌の色素が沈着して黄疸になり、ところどころに発疹が出来ている。

 内臓が上手く機能していないがゆえの症状だ。

 それだけなら、病に冒されている可能性も否定できないし、単に老衰の可能性もある。だが、グラニス陛下は精霊の加護を受けていて、病になりにくい健康な身体の持ち主である。

 ゆえに老衰だと思われていた訳だが、毒の可能性を考えると慢性的な中毒症状に見える。


(まさか、お爺様が亡くなったのは毒が原因……?)


 衝撃のあまりに頭が真っ白になる。

 だがその直後には、寿命じゃないのなら救えるかもしれないと鼓動が跳ねた。寿命を延ばす術は存在していないが、治癒の魔術は存在する。

 精霊の加護ならば、毒の分解だって可能なはずだ。


 だが、グラニス陛下を救うには大きな問題がある。彼が毒を盛られているとして、それをどうやって指摘するか、ということだ。

 たとえばここでアイリスが騒ぎ立てれば、不敬罪で処罰されるのが関の山だ。そうじゃなかったとしても、グラニス陛下に毒を盛った者に警戒されることとなる。


(お爺様を助けるには、相応の手順を踏まなくちゃいけない)


 理想はアイリスが証拠を手に入れ、グラニス陛下に直接忠告すること。

 毒が盛られている証拠か、もしくは犯人の特定。そのどちらかを本人に示すことが出来れば毒殺を止めることが出来る。いまから救うことは可能なはずだ。


「――それでね、アイリス先生は凄く強いんだよ」

「ほう。剣姫であるお前がそこまで言うとは珍しい」


 フィオナとグラニス陛下の語らいを聞きながら、どうするべきかと頭を働かせる。

 ここで重要な問題は二つ。

 誰が毒を盛ったのかと、その証拠をどうやってグラニス陛下に伝えるか、だ。


 毒を盛ったのが誰か、その動機から考えてみる。グラニス陛下は長きにわたりレムリア国を統治している優秀な統治者である。

 だが、王という立場である以上、逆恨みを受けている可能性は否定できない。


 次に、陛下が崩御して誰が得をして、誰が損をするか。

 客観的に考えて、グラニス陛下が死んで不利益を被るのはフィオナである。

 フィオナがもう少し成長したら、グラニス陛下から王位を譲り受けることが既に確定している。なのにグラニス陛下が崩御することでその予定が狂う。

 アルヴィン王子が中継ぎとして王位に就き、やがてはフィオナの追放に至る。


 その未来を知らずとも、似たような展開は想像することが出来る。ゆえに、フィオナを女王にしたくない人間の犯行である可能性はありうる。

 そう考えれば、アルヴィン王子も容疑者の一人だ。


 ……いや、前世の記憶から考えれば、アルヴィン王子こそが第一容疑者だ。

 アイリスの知るアルヴィン王子は毒殺なんてする性格ではないが、彼が前世でフィオナを裏切ったのは事実。なにより、崩御した陛下に代わって、中継ぎとはいえ王座に就いた。

 感情だけで無関係だと言い切ることは出来ない。


 ゆえに、フィオナに相談するのも危険だ。

 前世の自分であるフィオナは犯人でないと言えるが、陛下が毒に冒されていると知れば取り乱す可能性が高く、またアルヴィン王子に相談する可能性も高い。


 つまり、フィオナにも、アルヴィン王子にも助けを求めず、陛下に証拠を示す必要がある。

 あるのだが……陛下にも不用意な発言は出来ない。

 教育係でしかないアイリスが、こうして陛下から言葉を賜ったこと自体が奇跡。

 どうするべきか、残された時間は少ない。


「――アイリス、ここにいたのか」


 その声に、アイリスはびくりと身を震わせた。

 聞こえてきたのがアルヴィン王子の声だったからだ。


「お話中に失礼いたします、陛下。彼女を少しお借りしてよろしいでしょうか?」


 彼はアイリスの隣に立つなりそう言って陛下の許可をもぎ取ると、少し付き合えとアイリスに耳打ちをして、有無を言わせぬ調子でそこから彼女を連れ出してしまった。




「……このようなところに連れてきて、どういうつもりですか?」


 連れてこられたのは会場の外に伸びる人気のない廊下。状況が状況だけに最大限の警戒を示すアイリスに対して、アルヴィン王子は無造作に距離を詰めてきた。


 アイリスはじりじりと下がり、壁に背中を打ち付けた。彼女が横に逃げるより速く、アルヴィン王子が壁に手をついて逃げ道を塞ぐ。


(まさか、わたくしがお爺様の件に気付いたと知っている? そのうえで、邪魔なわたくしを消そうとしている、とか?)


 即座に魔術障壁を展開する準備をする。

 アルヴィン王子はアイリスに顔を寄せ、その耳元に唇を寄せた。


「さっそくおまえの良くない噂が広がっている」

「……はい?」


 耳元で囁かれたセリフにアイリスは首を傾げる。その言葉を三回くらい反芻してから、「良くない噂、ですか?」と聞き返した。


「そうだ。あの暗愚な王太子があれこれ捲し立てたせいだ」

「……あぁなるほど、早かったですね」


 当事者にとって答えが明白でも、客観的にはどちらのが正しいか分からない。

 アイリスが不道徳な女という可能性。そうでなくとも、王太子殿下に婚約を破棄されるだけの愚かさがある可能性を信じる者がいる、ということだ。


「それは予想された結果ではありますが……」

「なんだ?」

「そのことを話すのに、なぜこのような体勢で囁く必要があるのですか?」


 壁際に追い詰められているアイリスの耳元には、アルヴィン王子の吐息が掛かっている。もし第三者がその光景を見たのなら、愛を囁き合っている恋人達に見えただろう。


「なんだ、口説かれるとでも思ったのか?」

「少なくとも、分かりきっている忠告をされるとは思いませんでしたよ」


 むしろ、殺されるかと思った――とは、もちろん口に出さないが、アイリスの鼓動は早鐘のように鳴っていた。


「分かりきっている忠告と言うが、おまえは予想していたのか?」

「当然です。客観的に見て、どちらが正しいか分からない。その場合、わたくしのことが疑われる可能性は十分に高いですから」

「……なぜだ?」

「それが人間の心理というものですから」


 客観的に考えて、ザカリー王太子殿下かアイリスのどちらかが愚か者。

 ザカリー王太子殿下が愚か者でもこの国に被害はないが、アイリスが愚か者であった場合はフィオナに悪影響がある。

 ゆえに、疑うべきなのはアイリスの方に決まっている。


「なるほど、さすがは賢姫だな」

「褒めてもなにも出ませんよ。それより、いつまでこうしているつもりですか? 万が一にも誰かに見られたら誤解されると思うのですが」

「ふむ。誤解ではないかもしれんぞ?」


 アルヴィン王子がアイリスの顎をくいっと持ち上げる。

 その手をペチンと叩き落とした。


「いいかげんにしないとぶっ飛ばしますよ?」

「ふっ。落ち込んでいないようでなによりだ。だが、フィオナの教育係の人格に問題があるかもと疑われている状況はまずい。それは分かっているな?」

「もちろん、それも予想されたことですね」


 アイリスにとってザカリー王太子殿下の後始末はいつものことだ。問題なのはその後、アルヴィン王子がどう思っているか、ということだ。


「それで、わたくしをどうするつもりですか?」

「それがおまえの処遇に付いての話しなら、解雇するつもりは毛頭ない。おまえほど優秀な人材を手放すはずがなかろう」

「……ありがとうございます」


 アイリスはそっぽを向いた。


「なんだ、照れているのか?」

「ぶっ飛ばしますよ」

「おまえは口ばかりで――っと」


 拳を振るうが、アルヴィン王子はさっと回避してしまった。


「おまえ、だんだんと俺の扱いがぞんざいになっていないか?」

「理由は自分の胸に聞いてくださいませ」

「……ふむ。おまえとの距離が縮んだということだな」

「ポジティブにも限度がありませんか?」


 ジト目を向けるがアルヴィン王子はどこ吹く風だ。

 王子の常識を正すのを諦めたアイリスは、これからどうするかに思いを巡らす。いままでは誹謗中傷など気にしなかったが、フィオナの教育係としての資質が疑われるのは問題だ。


「……噂を払拭した方がいいでしょうね」

「必要なら俺の方でなんとかしてやるが?」

「せっかくの申し出ですが、降りかかった火の粉は自分で払います」

「油を注ぐのは止めろよ?」

「わたくしをなんだと思っているんですか!」


 王子に食ってかかる姿は凶暴そのものだが……自覚はなさそうだ。


「自分でなんとかすると言うのならそれでも良いが……王太子の方はどうして欲しい?」

「あら、わたくしの意見を聞いてくださるのですか?」

「おおよその運命は決まっているだろうがな」


 その範囲内であれば考慮すると言うこと。少し考えたアイリスはとある提案をした。それを聞いたアルヴィン王子がなんとも言えない顔をする。


「おまえ……実は根に持っているだろう?」

「あら、心外ですね。かつての婚約者への、せめてもの慈悲ではありませんか」

「それが慈悲だと? 恐ろしい女だな、おまえは」


 アルヴィン王子がこれ見よがしに肩をすくめた。


「もぅ、そこまで言うのなら、貴方が思うようにしたら良いではありませんか?」


 酷い言われように、アイリスは頬を膨らませた。


「いや、おまえの言葉としてリゼル国に提案してやろう。俺はおまえを虐げていたあの男を絶望の底へと叩き落としてやりたいと願っているからな」


(わたくしを虐げた……?)


 自分がリゼル国で不当な扱いを受けていたなどと誤解されていると知らないアイリスは小首をかしげ、それから婚約を一方的に破棄されたことだろうと納得した。


「まあ、わたくしの意見を伝えてくれるのならそれで構いません」


 アイリスの提案がザカリー王太子殿下への慈悲であるのは事実。その慈悲に苦しむことになるのなら、それは彼の普段のおこないが悪いと言うことに他ならない。

 だからどうでも良いと、アイリスはザカリー王太子殿下のことを意識から閉め出した。

 それよりも――


(お爺様に近付く口実、作れそうですね)


 ちょうど良かったと、アイリスは小さな笑みを零した。

 

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