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エピソード 3ー3 前世では気付かなかったこと

 アルヴィン王子と踊り終えると、次は私とばかりにフィオナが文字通り飛んできた。飛びついてきたフィオナを抱き留めて、その勢いを逃がすようにクルリと反転する。


「お待たせいたしました、フィオナお嬢様。わたくしと踊っていただけますか?」

「もちろん、喜んで」


 アイリスが差し出した手をフィオナが取った。そうして再びダンスホールへと戻ったアイリスは男役になって、フィオナをリードして踊り始めた。


 アイリスが賢姫であることは秘密だ。ザカリー王太子殿下とのやりとりを見ていた者の中には気が付いた者もいるが、いまはまだ知らない者が多い。


 だが、身分が分からずともその立ち居振る舞いは美しい。

 プラチナブロンドの美少女に、ピンクゴールドの美少女。両国を代表するような二人の洗練されたダンスに、周囲の者達からほうっと溜め息が零れた。

 周囲からの様々な視線を受けながら、二人は軽やかにダンスを踊る。


「アイリス先生、大丈夫だった?」

「……もしかして、心配してくれたんですか?」


 それが、あの場にフィオナがやってきた理由。アルヴィン王子がアイリスをダンスに誘っているのを見て対抗してしまったが、本当は心配して飛んできた、ということだ。


「ありがとうございます、フィオナお嬢様」

「うぅん、私は間に合わなかったから。でも、一体どうしたの?」

「実は、元婚約者に絡まれていたんです」


 フィオナはこてりと首を傾げた。

 それを見たアイリスは(フィオナは可愛いなぁ)と微笑んで、自分がザカリー王太子殿下の婚約者だったことを打ち明ける。


 アイリスは賢姫として王妃になり、王を助ける立場になるはずだった。実権を握れば実家の利益にはなるし、政略結婚自体はそういうものだと受け入れていた。

 だが――


「王太子殿下はあまり勉強熱心な方ではなくて、わたくしは彼のことが好きになれませんでした。ですが、それが王太子殿下に伝わっていたのでしょうね」


 もう少し王太子殿下に目を向けていれば、違った結果になったかもしれない。そんな風に考えていたら、フィオナのステップに乱れが生じた。

 どうしたのかと意識を向けると、その澄んだ瞳に涙が浮かんでいた。


「フィオナお嬢様、どうなさったのですか?」

「アイリス先生が可哀想」

「可哀想ではありませんよ。だってザカリー王太子殿下に婚約を破棄されたおかげで、貴方の教育係になれたのですから、感謝しているくらいです」

「……そっか。じゃあ私も感謝しないと、だね」


(とても素直。やはりフィオナは可愛いですね)


 わたくしが護ってあげたいと、母性本能、もしくは姉が抱くような衝動に駆られる。同時に、前世の自分もこんな風に可愛かったのだろうかと疑問を抱いた。


 アイリスの認識で、いまの自分は可愛げのない女だ。だから、もしかしたら、前世の自分と、ここにいるフィオナの性格は違っているのかもしれない。

 前世の世界と、この世界は別の世界なのかもしれない。

 だとしたら……


「アイリス先生、どうかしたの?」

「いいえ、なんでもありません。それより、ダンスを楽しみましょう。わたくしのリードにどこまで付いてこられるかテストです」

「望むところだよっ」


 脳筋――いや、剣姫として負けん気が強いフィオナは、アイリスに話を逸らされたことに気付いているのかいないのか、即座にアイリスの挑発に応じた。


 そうしてアイリスは激しいリードを始める。

 フィオナはそれに食らいついてくる。

 否、前世の自分であるフィオナのスペックを知り尽くしたアイリスが、彼女の限界を見極めて、彼女の限界を引き上げるようにリードしているのだ。

 フォローするフィオナは実力を遙かに上回るパフォーマンスで踊っている。


 金と白銀。シャンデリアの明かりを浴びてキラキラと煌めく髪を揺らしながら、二人は周囲で踊っている者達を観客へと引き込んでいく。


「……アイリス先生、リードも凄く上手だね」

「フィオナお嬢様のフォローもとても上手ですよ」


 ネイトやイヴにしているように微笑むと、フィオナは幸せそうに目を細めた。


「お姉ちゃんがいたら、こんな感じなのかな?」

「もしかしたら、そうかも知れませんね」


 アイリスにとっても前世の自分で、いまでは妹のように想っている。

 周囲からも、二人は仲の良い姉妹のように映っていた。感嘆と羨望が、仲睦まじい二人を見守る雰囲気へと変化していく中、金と銀の姫君は無邪気なおしゃべりを続ける。


「それで、さっきはアルヴィンお兄様に助けてもらったの?」

「まぁ……そうなりますね」

「やっぱり! アルヴィンお兄様、優しいでしょ?」

「優しい……まぁ、そう、なんでしょうね」


 引っかき回された気はしないでもないが、彼がいなければアイリスはマナーを優先して言われるままになっていただろう。

 感謝はするべきだろうとの結論に至っている。


「……って、どうしてそんなにニコニコしているんですか?」

「嬉しいなぁって。アイリス先生はなんだかアルヴィンお兄様を警戒してるから、お兄様のこと分かって欲しいなってずっと思ってたんだよ」


(気付いて、いたんですね……)


 フィオナには気付かれないように気を付けていた。思ったよりも人のことを見ていると、ここに来てフィオナの評価を改める。


「フィオナお嬢様は、アルヴィン王子のことが好きなんですか?」

「優しいお兄様、だよ」


 フィオナはアルヴィン王子のことを心から信頼していて、裏切られるなんて想像もしていないのだろう。前世のアイリス自身がそうだったのだから疑いようはない。


(お兄様が裏切る証拠を突きつければ、フィオナは悲しむでしょうね)


 前世のアイリスは、アルヴィン王子に裏切られてショックを受けた。だがきっと、アルヴィン王子の計画が未然に防がれていたとしてもショックを受けただろう。


 レベッカのときのような方法ではダメだ。

 どうすれば良いか、アイリスは最善を考え続けた。



 その後、フィオナが飽きるまでダンスに付き合った。そうして額に浮かんだ汗をハンカチで拭っていると、フィオナに「アイリス先生、こっちに来て」と手を引かれる。


「今度はどこへ行くんですか?」

「お爺様に先生を紹介したいのっ!」


 びくりと身を震わせた。

 アイリスにとっては、もう何年も前に死に別れた大好きなお爺様だ。フィオナに引かれた手に震えが伝わらないように苦労させられた。


「アイリス先生?」

「なんでもありません。ぜひお目に掛かりたいと存じます」


 フィオナは満面の笑みを浮かべ、アイリスの手を引いて歩き始める。

 パーティー会場の奥の方。それとなく混じっている護衛の気配がするが、フィオナに気付いた彼らはアイリスを素通りさせる。

 そうして、パーティー会場の奥の席に腰掛けているグラニス陛下の前にたどり着いた。


「お爺様、お爺様」

「おぉ、フィオナ。そのようにはしゃいでどうしたのだ?」


 孫娘に優しい眼差しを向けるグラニス陛下。

 落ちくぼんだ瞳に、くすんだブロンドの髪は齢を感じさせる。


「あのね、お爺様。私の教育係を紹介させてくださいっ」


 水を向けられたアイリスは、その場でカーテシーをして微笑む。いまのアイリスを見て、笑わない賢姫と結びつける者はいないだろう。

 懐かしい祖父との再会も相まって、アイリスは優しい笑顔を浮かべていた。


「お初にお目にかかります。わたくしはアイリス。フィオナ・レムリア王女殿下の教育係をさせていただいております」

「おぉ、アルヴィンの言っていたお嬢さんだな。話は聞いておる」

「あら、それは光栄でございます」


 微笑みを浮かべながら(余計なこと、言ってないでしょうね)と訝しむ。

 だがそれよりも、グラニスの声を懐かしいと思った。そして同時に、こんなにも弱々しい声だっただろうかと胸が締め付けられる。


 もう二度と再会できないと思っていた相手だ。大好きだった祖父と再会したことで熱い想いが込み上げる。だが、それを感情に昇華させることが出来なかった。

 いまのアイリスは、もはや彼の孫娘ではない――からではない。


 フィオナだった頃には、ただ祖父が日に日に弱っていくことしか分からなかった。だが、賢姫と呼ばれるだけの知識があるアイリスには、まったく別のものが見えた。

 グラニスの身体は――毒に蝕まれている。

 

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