エピソード 3ー2 マナー優先に決まっているじゃありませんか
「ザカリー王太子殿下、勝手に歩き回らないように言ったはずです! 一体なにをやっているのですか――と、アイリス様!? 貴方がなぜパーティーに!?」
アイリスに気付いたエイヴォンが目を見張る。
それだけで、アイリスはザカリー王太子殿下がここにいるおおよその事情を察した。
ザカリー王太子がアイリスを手放したことはとんでもない失態だ。本来であれば、王太子の地位を剥奪されても不思議じゃない。
だが、婚約が破棄されたのはアイリスがザカリー王太子殿下を見限ったからというのが表向きの理由なので、ザカリー王太子殿下を王太子の地位から下ろすことは出来ない。
そんなことをしたら、王族がアイリスを手放したことが真実だと知られてしまうからだ。
つまり、適当な理由が出来るまで、ザカリー王子は王太子の地位のまま。王太子であれば、レムリア国の王女の誕生パーティーに出席することも必然、という訳だ。
もっとも、この国にはアイリスがいる。
ザカリー王太子殿下とアイリスの接触はなにがなんでも避けるべきだが――アイリスは教育係なので、パーティーに出席するはずがない。
――という判断があったのだと推察できる。
(なんだか申し訳ないことをしてしまった気がします)
ザカリー王太子本人はともかく、陛下や周囲の人間は十分に配慮していた。なのに、教育係でしかないはずのアイリスが王族のパーティーに参加しているのだ。
エイヴォンが驚くのも無理はないだろう。
だが、それは今更だ。
アイリスはまずアルヴィン王子へと視線を向け「彼はザカリー王太子殿下のお目付役で、リゼル国に仕える家臣です」と告げる。
それからあらためてエイヴォンへと視線を向けた。
「久しいですね、エイヴォン。彼はいまのわたくしの雇用主で、アルヴィン王子です」
「アルヴィン王子……あのアルヴィン王子ですかっ!? こ、これは失礼いたしました。お話の邪魔をした非礼をどうかお許しください」
「ふむ……まぁ許す。そなたは苦労が絶えないであろうからな」
アルヴィン王子が同情する素振りを見せた。
そこに隠された意図に気付いたエイヴォンは顔を強張らせ、ザカリー王太子殿下――ではなく、真っ先にアイリスに向かって、なにかあったのか教えを請うような視線を向けてきた。
だからアイリスは首を横に振って、手遅れですと心の声を返す。絶望に彩られた顔で、彼はそれでも一縷の望みを掛けてザカリー王太子殿下へと視線を向けた。
「ザカリー王太子殿下……なにを、なにをなさったのですか!?」
「アイリスを見つけたから、俺に婚約を破棄されたクセに、さも自分が俺を振ったように吹聴した尻軽だと、そこの偉そうな王子に教えてやっていただけだ」
エイヴォンは両手で顔を覆って俯いた。
だが、さすがはお目付役。すぐに立ち直って王太子殿下に詰め寄る。
「アルヴィン王子のことはお教えしたでしょうっ! 彼は既に数多の戦場を駆け抜ける英雄ですよ!? それをなんという言い草ですかっ」
エイヴォンが小声で説教を始めるが、興奮しすぎたせいかこちらにまで聞こえている。いや、あえてこちらに聞こえるようにしている可能性もある。
王太子殿下はともかく、リゼル国がアルヴィン王子を見くびっている訳ではない、と。
(優秀な方なんですが、王子の教育だけは上手くいってないんですよね。彼にも苦手があるのか、生徒に問題があるのか……後者でしょうね)
「いえ、いまはそのようなことを言っている場合ではありません」
説教を切り上げたエイヴォンがザカリー王太子殿下の頭を押さえつけた。そうして、嫌がる彼に無理矢理頭を下げさせる。
その事実に、様子を見守っていた者達からざわめきが上がった。
「アルヴィン王子、我が国の王太子が大変失礼をいたしました! 正式な謝罪は後日必ずということで、いまは途中退席する無礼をお許しください」
「……良いだろう」
アルヴィン王子の許可を得て、エイヴォンがザカリー王太子殿下を退出させようとする。だが、それより一瞬早く、アルヴィン王子が声を上げた。
「そうそう。あの日、この女が楽しそうに踊っていた相手は俺だ」
(また余計なことをっ!)
その言葉にザカリー王太子殿下がなにかを言おうとするが、エイヴォンがそれを言わせなかった。彼は有無を言わせぬ口調で王太子殿下を引きずって行く。
それを見送ったアイリスは、周囲の興味が過ぎるのを待ってアルヴィン王子を見上げる。
「……王子、なぜあのような挑発を?」
「許せ、おまえの元婚約者だと思うとつい」
「ついではありません、ついでは」
知らなかったと言うことは、周囲が隠していたと言うことだ。それをわざわざ教えるなんて、自ら火種に油を注ぐようなものだとアイリスは溜め息をつく。
火ではなく火種なので、油に飲み込まれて鎮火するかもしれないが。
とにかく、言ってしまったものは仕方がない。
それに今後の展開を考えれば、アルヴィン王子の挑発など些細なことだ。
「どうするつもりなのですか?」
「そうだな……陛下に相談する必要があるが、おまえが取り成したことにしてリゼル国に恩を売るのはどうだ? 少しは故郷での名誉回復に繋がるだろう?」
「……驚きました。わたくしの心配をしてくださるなんて」
「俺のことをなんだと思っているんだ?」
「淑女にいきなり斬り掛かる悪辣王子です」
「あれは……すまなかった。たしかに悪辣だと言われても仕方がない行動だったな」
思いのほか真面目な謝罪が返ってきた。
意外すぎるその返答に、アイリスは逆に戸惑ってしまう。
「……なにか、理由があったのですか?」
「人間性というのはとっさの状況でこそ曝け出される。おまえがフィオナを任せるに値する人間か確かめたかったのだ」
「それは……」
あのときは、邪魔なアイリスを消そうとしているのかと疑った。
けれど、その後の行動を考えれば、アルヴィン王子がフィオナの教育係であるアイリスを疎ましく思っているようには思えない。
それどころか、フィオナを任せられる人間として期待しているようにすら思える。
(お兄様はフィオナを追い落とし、城から追放するはずなのに……)
一見すると矛盾しているように見える。
それはつまり、アイリスの知らない事実が存在している証拠に他ならない。
アルヴィン王子はフィオナを追い落として追放するが、フィオナの未来を憂いている。その二つの事象が矛盾しないピースが何処かに存在するのだ。
むろん、いまはただの仮定でしかない。けれど、もしかしたらフィオナが追放される未来を変える切っ掛けになるかもしれない。
そんな風に考えていると、アルヴィン王子が「すまなかった」と頭を下げた。
「……止めてください、周囲の人が何事かと見ていますよ」
「なんだ、見られないところでなら良いのか?」
「ええ、誰にも見られない場所でなら遠慮なく突き放せますから」
「せっかくだ、俺と一曲踊らないか?」
「人の話を聞いてくださいっ」
アイリスは溜め息をつき、けれどストレス発散に身体を動かすのも良いかもと考える。そうしてアルヴィン王子の誘いを受けようとしたところに――
「ちょっと待ったっ!」
小柄な影が割り込んできた。
「フィオナお嬢様?」
(急にどうして……あぁそっか、フィオナはお兄様に憧れているんでしたね)
認めたくないことだけど――と、アイリスはその事実を受け入れる。そのうえで、将来裏切るはずの彼とあまり仲良くさせるのは良くないと考える。
だけど同時に、誕生パーティーくらいは、とも思った。そうしてアルヴィン王子の前から退くが、フィオナはなぜかアイリスの腕にしがみついてきた。
「アイリス先生と踊るのは私! お兄様には譲りませんっ」
(あれ、フィオナが踊りたいのはお兄様じゃないの?)
なぜわたくしと、アイリスは首を傾げた。
だが――
「フィオナ、なにを言っている。いまは俺がアイリスを誘っていたのだ。横からしゃしゃり出てくるのはマナー違反ではないか?」
「でも、アイリス先生は私のお祝いのために出席してくれたんでしょ?」
「そうだ、俺のパートナーとしてな」
「アイリス先生は私の教育係だもんっ」
アルヴィン王子とフィオナが、アイリスとのダンスの権利を主張し始めた。
王子と王女が一人の娘を取り合っている。
その光景に周囲は呆然となっているが、アイリスは(どうして二人がわたくしを取り合っているのでしょうか?)と小首をかしげている。
やがて、フィオナが「じゃあアイリス先生に決めてもらおうよ」と水を向け、アルヴィン王子もまた「良いだろう。アイリス、おまえがどっちと踊るか決めろ」と告げた。
この国の次期女王と、それを補佐する立場にある王子。その二人にダンスを所望され、どちらかを選ばなくてはならない。
それはどちらに付くかという問い掛けに等しく、その返答はアイリスの将来を左右する。
あまりにあまりな所業に、成り行きを見守っていた者達から同情の視線が集まる。注目を浴びたアイリスは「アルヴィン王子と踊ります」と即答した。
どちらかを選ぶにしても、せめて迷う素振りはするべきだろう――と、周囲の心の声が聞こえて来そうだが、アイリスはどこ吹く風だ。
穏やかな顔で、ショックを受けたフィオナに視線を向ける。
「フィオナお嬢様、アルヴィン王子のおっしゃるとおり、いまのわたくしは彼のパートナーですし、彼にダンスを誘われていた最中です。マナーは守らなくてはいけません」
「それは……分かってるけど、でも……」
「良い子にしていたら――」
フィオナを軽く抱き寄せ、その耳元に唇を寄せて囁いた。
「――ほんと!?」
「はい、ちゃんと良い子で待っていたら、ですよ?」
「うん、ちゃんと良い子で待ってるよ!」
フィオナは満面の笑みで微笑んで「アルヴィンお兄様、邪魔をしてごめんなさい」と引き下がった。それに戸惑うのはアルヴィン王子の方だ。
なにを言ったのかと、アイリスに視線を向けてくる。だが、アイリスは気づかぬフリで、早くダンスに誘ってくださいと目で訴えかけた。
「……アイリス、俺と一曲踊ってくれ」
「はい、喜んで」
アルヴィン王子の手を取って、そのままダンスホールまで移動。彼のリードをフォローして、ゆったりとしたステップを踏み始める。
「フィオナを選ばなくて良かったのか?」
「どのような理由でここに来たとしても、今日のわたくしは貴方のパートナーですから。ファーストダンスを貴方と踊るのが礼儀というものでしょう?」
「……そうか、おまえは義理堅いのだな」
アルヴィン王子は相好を崩した。
令嬢達を虜にしてきた凜とした顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
「しかし、よくそれでフィオナが納得したな」
「良い子で待っていたら、残りの時間は好きなだけ踊ってあげると約束しましたから。だから、王子のパートナーでいるのはダンスが終わるまで、ですよ?」
アルヴィン王子は一瞬だけキョトンとして、それから笑いを堪えるように肩をふるわせた。
「……おまえは、その、なんというか……人誑しだな。人でなしめ」
「酷い言われようですね。でも、そう言いながらなんだか嬉しそうですが、被虐趣味でもお持ちなのですか、あなたは」
「おまえこそ酷い言い様だな。俺はおまえを優秀だと確信している。そのおまえが可愛い従妹を大切にしていると知って、嬉しくないはずがなかろう」
不意打ちだった。
前世の自分といまの自分。両方の自分を褒められたアイリスの頬が赤くなる。
「フィオナお嬢様を大切に思って……いるのですね」
「大切な……可愛い従妹だからな」
その表情は優しげで、アイリスにはその言葉が嘘だとは思えなかった。だけど、だからこそ、アイリスは自分の胸が締め付けられるのを自覚する。
(だったら……お兄様はどうして、わたくしを裏切ったのですか?)
憧れだった従兄に心の中で問い掛ける。
前世のアイリスに原因があったのか、それともここにいるアルヴィン王子と、アイリスの記憶にある裏切り者のアルヴィン王子が別の人間なのか……
その答えは分からない。
もちろん、彼にアイリスの心の声が届くこともない。
答えの出ない疑問を胸に、アイリスはアルヴィン王子のリードに身を委ねた。