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エピソード 2ー9 悪役令嬢らしく

 アイリスがレムリア国に移ってからしばらく経ったある日。

 フィオナは親戚のパーティーに出席していて、ネイトとイヴはクラリッサから礼儀作法を学んでいる。その日のアイリスは、珍しくのんびりとした一日を過ごしていた。


 身分を偽っている彼女にそれほど自由はないが、教育係である彼女が王城の中庭を歩き回ることを咎める者はいない。

 アイリスはこれ幸いと、誰かが世話をしているであろう花壇をのんびりと眺めていた。


「……さすがによく手入れされていますね」


 花壇には季節にあった花が植えられている。ほのかに香る花の匂いに目を細めていたアイリスは、けれどハッと振り返って眼前に魔術による結界を展開した。


 リィンと澄んだ音が中庭に響き渡った。

 アイリスが展開した結界が、アルヴィン王子の振るった剣を受け止めた音だ。その澄んだ音を聞いた者達の視線がアイリス達に集まる。

 アルヴィン王子はニヤっと笑って剣を引いた。


「……王子、なんの冗談ですか? お戯れが過ぎます」

「なんだ、いきなり斬り掛かられてその程度の反応か」

「王子がわたくしの後を付けていたことには気付いていましたから。まさか斬り掛かられると思わなかったですけど」


 アルヴィン王子はフィオナと同じく陛下の孫だ。ただし、第一夫人の娘であるフィオナと違い、アルヴィン王子は愛妾が産んだ子供である。

 ゆえに王位継承権はフィオナの方が高い。そのためにフィオナが次期女王と定められており、アルヴィン王子はその伴侶の候補になっている。


 だが、彼は王が崩御した際に中継ぎの王となり、その後はフィオナを失脚させて城から追放している。フィオナを疎ましく思っていても不思議ではない。

 つまり、フィオナの教育係であるアイリスは邪魔な存在である可能性が高い。


 そんな認識の中、不意にアルヴィン王子に斬り掛かられて焦らないはずがない。実はかなり動揺していたが、アイリスは努めて平常心を装った。


「それで、わたくしを殺すおつもりですか?」

「まさか。おまえなら止めると思っての行動だ」

「わたくしが止めなければどうするつもりだったんですか……」


 ジト目で睨みつけると、アルヴィン王子は鞘に収まった剣を指し示す。動揺していて気付かなかったが、彼が持つのは殺さずの剣だった。


「……それ、当たっても死なないだけで物凄く痛いんですけど?」

「なんだ、これで斬られたことがあるのか? フィオナは一撃も当てられなかったと言っていたはずだが……誰に斬られた?」

「むぐっ。……秘密です」


 前世のアイリスはアルヴィン王子から剣の相手をしてもらっていた。当然、殺さずの剣を使用することも珍しくなくて、何度も痛い思いをさせられていた。

 そのときの記憶を思い出して恨みがましい視線を向ける。


「しかし、やはり魔術だったか」

「……はい?」

「いや、おまえが奥の手を隠し持っていることは予測していたが、それがなんなのか気になっていてな。なにかとんでもない奥の手があるのかと期待していたんだが……」


(……危ないところでしたね)


 もう少し気付くのが遅れていたら、別の手段を選んでいただろう。そういう無意識の行動を引き出そうとしたアルヴィン王子のしたたかさに舌を巻く。


「ところでアイリス。木漏れ日の下だと、一層その髪が美しく映えるな」

「王子の頭の中にはお花が咲き誇っているのですか?」

「ふっ、相変わらずおまえは面白い」


 言い終えるより早く、アルヴィン王子から横薙ぎの一撃が放たれた。それを危なげなく魔術で受け止めながらもアイリスは眉をひそめる。


「アルヴィン王子、どういうつもりですか?」

「少し手合わせに付き合え」

「無茶を言わないでくださいませ」


 基本的に剣は近接戦闘をメインとして、魔術は遠距離戦闘をメインとする。相手が明らかな格下ならばともかく、アルヴィン王子に素手のアイリスが近接で挑むのは無謀に過ぎる。


 ――だと言うのに、アルヴィン王子は続けざまに剣を振るう。

 手元に発生させた結界で上段からの一撃を逸らし、横薙ぎの一撃は弾き飛ばす。遠目には丸腰の令嬢がアルヴィン王子の剣を素手であしらうというとんでもない光景。

 そこらの騎士なら自信を喪失しそうな状況だが、アルヴィン王子は目を爛々と輝かせた。


「さすがはアイリスだな」

「さすが、ではありません。乙女になんたる所業ですか、ぶっ飛ばしますよ」

「――ふっ、やれるものならやってみろっ」


 アイリスは右腕を振るう。同時に解き放ったアイリスの紅い魔力が稲妻となってアルヴィン王子に襲いかかるが、彼はそれを殺さずの剣で斬り裂いてしまう。


「電撃を斬るなんて非常識なっ」

「魔術で剣を防ぎながら、ノータイムで反撃の魔術を使うお前に言われたくはないぞ」

「わたくしはこう見えてあまり余裕がないんですが――」


 そろそろ助けてもらえませんかと周囲に視線を向けるが、護衛達は感嘆の面持ちで戦いを注視しており、メイド達は二人の戦いに見惚れて頬を染めている。


(この国にはまともな人はいないんですか……っ)


 アイリス自身もこの国の出身といえるのだが、アイリスとして育ってからフィオナの記憶を思い出した彼女にその意識は薄い。


(仕方ありませんね……)


 アイリスはちらりと中庭を横切る渡り廊下に視線を向ける。一階部分と二階部分がそれぞれ廊下になっていて、二つの建物を繋いでいる。


「先日、おまえの願いを叶えてやっただろう?」


 アイリスが行動に移る寸前、アルヴィン王子が攻撃を止めてそう言った。まるでアイリスの思考を読んで、逃亡を牽制したかのようなタイミングだ。


「……その借りを返せとおっしゃるのですか?」


 一度決まったことを反故にするのは不義理である。だが不義理であることを無視するのであれば、アルヴィン王子はレベッカの処遇を変えられる地位にいる。

 彼はそういう人間だっただろうかと、アイリスは警戒心を剥き出しにした。


「いや、あれの貸し借りは既に精算されている」

「……では、なんだというのですか?」


 最悪のケースではなかったが、その件をほのめかすのだから無関係ではないはずだ。一体この王子はなにを企んでいるのかと警戒する。


「おまえが手合わせに応じれば、レベッカが子供達と定期的に面会できるようにしてやろう」

「お話になりませんね」


 ネイトとイヴが切望しそうな提案を、けれどアイリスは一蹴した。


「……ほう? では、おまえの望みはなんだ?」

「レベッカをわたくしの使用人に。ネイトとイヴの教育を任せます」

「……正気か? あれは内通者だ。それを雇うなどと、面会を許可するのとは訳が違うぞ」

「わたくしが責任を持って彼女を雇います」


 レベッカが問題を起こせば自分が責任を取るという意味――であると同時に、使用人に裏切られたのは、雇い主であるアルヴィン王子に問題があったという皮肉。


「ふっ、言うじゃないか。良いだろう。俺に勝ったら再雇用を認めてやる」

「言質は取りましたよ」


 アイリスはおもむろに芝の上にしゃがみ込んだ。


「……なにをするつもりだ?」

「あなたの敗因は、その好奇心の強さです」


 アルヴィン王子が本気ならば、アイリスがしゃがむ隙を逃さずに攻撃を仕掛けていただろう。だが彼はアイリスがなにをするかたしかめずにはいられなかった。

 だからあなたの負けだと、アイリスは芝の上に手をついた。


 地面が持ち上がり、その上にしゃがむアイリスを浮き上がらせた。それと同時に精霊の加護を発動。身体能力を強化した彼女は宙を舞った。

 虚空でクルリととんぼを切って、二階建て渡り廊下の屋根に降り立った。


「さぁ、今度はわたくしの番ですよ」

「お、おい、まさか……っ」

「アルヴィン王子、わたくしを楽しませてくださいね?」


 アルヴィン王子に向かって手のひらを突きつけた。その先に描き出した紅い魔法陣、そこからバチバチと放電現象を発生させながら、アイリスは妖しい微笑みを浮かべる。

 

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