エピソード 2ー6 厳しくも優しい賢姫
アイリスがレムリアにやってきて十日ほどが過ぎたある日。
クラリッサは、アイリスをある部屋へと案内した。
レベッカを泳がせて黒幕を押さえるという作戦が終了したため、その部屋にはレベッカの子供達が保護という名目で軟禁されている。
青い瞳の男の子が十二歳で名前はネイト。赤い瞳の女の子が十一歳で名前はイヴ。二人揃って青みを帯びた黒髪で、容姿はそれなりに整っている。
だが、既に母親がしでかしたことを聞かされているのだろう。二人はソファではなく絨毯の上に座り込んで、憔悴した様子で肩を寄せ合っていた。
「ね、姉ちゃん達は誰だっ」
「お姉ちゃんはアイリスだよ」
(……お姉ちゃん、お姉ちゃん?)
二人の前に膝を突いて答えたアイリスの意外な反応に、クラリッサは目を白黒させた。
アルヴィン王子とのやりとりで多少は愛嬌があることに気付いていたが、まさか笑わない賢姫と揶揄される彼女がそんな対応をするとは思わなかった。
「その姉ちゃんがなんの用だよっ! 知ってることは全部話したって言ってるだろ!?」
その言葉から、子供達が関与について尋問されたと気付いたのだろう。
アイリスがクラリッサに視線を向けてくる。
その視線に対して、クラリッサは小さく首を横に振った。尋問をしたのは事実だが、それは必要なことであって、決して無闇に責めた訳ではないという意思表示だ。
それを確認したアイリスは再び子供達に向き直る。そうして二人を安心させるように微笑んで、まずはネイトの頭を優しく撫でつけた。
「うわぁ、な、なにするんだよ!?」
「怖かったね。でも、お姉ちゃんが来たからもう大丈夫だよ」
怯えるネイトの頭を優しく、ただ優しく撫でつける。心配しなくても大丈夫だよと、そんな想いが込められた優しい手つきで、ゆっくりとネイトの頭を撫でつける。
ネイトが落ち着くのを待って、今度はイヴの頭を撫でつけた。
「わわ……わ……」
驚いたイヴがほんの少しだけ身を固くする。けれど、アイリスが自分達に危害を加えるつもりがなく、ただ優しく撫でつけているだけだと気付くにつれて緊張がほぐれていく。
アイリスが子供の扱いに慣れていることにクラリッサは気が付いた。
「少しは落ち着いたかな?」
「……うん。取り乱してごめんなさい」
「僕もごめんなさい」
イヴに続いてネイトも頭を下げた。
二人が怯えるのには理由があった――けれど、二人が取り乱したのもまた事実。そこをちゃんと謝ることが出来る二人は、レベッカにしっかりと躾けられているのだろう。
アイリスもそれが分かっているようで「二人ともちゃんと謝れてえらいね」と微笑んだ。
「まずは……そうだね。二人は、どこまで事情を理解している?」
アイリスの問い掛けに、二人が顔を見合わせて頷きあう。そうして、ネイトが「お母さんが王様を裏切っていた……って。……本当なの?」と縋るような顔をする。
それは違うって、否定して欲しいのだろう。
なのに――
「――本当だよ」
アイリスは事実を口にした。
それを横で聞いているクラリッサは異を唱えたい衝動に駆られるが、いまの自分はその立場にない――と、きゅっと唇を噛んで沈黙を守る。
「……そんな、お母さんはどうしてそんなことをしたんだよっ。そのせいで、僕やイヴまでなにかしてたんじゃないかって疑われたんだぞっ!?」
「……そうだね」
必要だったこととはいえ、二人にはショックな出来事だっただろう。だけど……いや、だからこそ、それは明確にするべきことではなかった。
そう思うクラリッサに反して、アイリスはなおも真実をあきらかにしていく。
「ねぇ二人とも。あなた達のお母さんがどうしてそんなことをしたのか、知ってる?」
(それ以上は止めてあげてくださいっ!)
そんなクラリッサの心の声は届かない。
「――あなた達のためだよ」
容赦なく真実を突きつけるアイリスに、二人は揃って息を呑んだ。
(どうして、そんな酷い現実を突きつけるんですか……?)
レベッカの罪の減刑を願ったのはアイリスだ。
そして、二人を自分の使用人として保護すると言い出したのもアイリスだ。なのに、どうして二人をそんな風に悲しませるのかが分からない。
さすがにこれ以上は見ていられないと、クラリッサが止めようとする。
――だけど、その直前。
クラリッサの視界に、酷くシワになっているスカートが目に入った。アイリスが自らのスカートをぎゅっと握り締めていたのだ。
あまりに強く握っているため、細い指が白くなってしまっている。
(考えがあっての行動、なんですね)
その考えがどのようなものかは分からない。だが、アイリスは子供達の悲しみを理解した上で行動している。それに気付いたから、クラリッサは見守ることにした。
「レベッカが許されないことをしたのは本当だよ。でもそれは、あなた達を護るため」
「なんだよそれ、僕達のためって、そんな――っ」
声を荒らげるネイトが急に言葉を飲み込んだ。
彼の服の袖をイヴが引っ張っていた。それに驚いて沈黙したネイトを横目に、いままで怯えていたはずのイヴが身を乗り出した。
「……私達のためって、どういうこと?」
「お母さんは悪い人に脅されたんだよ。あなた達を護りたければ言うことを聞けって」
「私達のために悪いことをした、の……?」
「そうだよ」
アイリスはイヴの視線をまっすぐに受け止めて、その現実を突きつけた。イヴは悲しげに、けれど「そう、なんだ……」と納得するような仕草をみせる。
「なんだよ、それ。なんだよそれ! それじゃ僕達が悪いっていうのか!?」
声を荒げるネイトに対し、アイリスはさきほどと違って首を横に振る。
「悪いのは、レベッカを脅した連中だよ」
「じゃあ……お母さんは悪くないのか? 王様に叱られなくて済むんだな?」
「うぅん。あなた達のためだとしても、レベッカが悪いことをしたのは事実だから」
縋るような視線を見せるネイトに、アイリスは更なる現実を突きつけた。
沈黙を守っていたクラリッサはきゅっと拳を握り締める。さきほどから、アイリスは幼い子供に対して悲しい現実を突きつけすぎている。
理由があるのだとしても、もう子供達が耐えられないと思った。
だけど――
「わたくしは、レベッカのことを尊敬するよ」
アイリスが続けたのはそんな一言だった。
「……どういう、こと?」
「レベッカは使用人として許されないことをした。でもそれは、あなた達を護るため。そうしたら自分が叱られるって知っていて、それでもあなた達のために決断したんだよ」
アイリスはそこで一度言葉を切って、だから――と続けた。
「とてもとても素敵なお母さんだって、わたくしはそう思うよ」
二人が目を見開いて、それからボロボロと泣き始める。
(あぁそっか。二人がどうして絶望していたのか、アイリスさんは分かっていたんですね)
大人達に責められて悲しんでいたのは事実。
母親が罪を犯したと知って悲しんでいたのも事実。
だけど子供達が絶望していたのは、母親が自分達を裏切ったように思えたこと。
もしもただ慰めるだけなら、母親が罪を犯した理由を知らずに悲しみを乗り越えていたのなら、彼らは自分達が親に裏切られたと誤解していただろう。
アイリスは子供達に悲しい現実を突きつける代わりに、それだけ母親に愛されていた事実をも教えたのだ。
それが正しい慰め方だったというのは結果論だ。
もしかしたら、二人は罪悪感に押し潰されていたかもしれない。だけど二人は泣きじゃくりながらも、母に裏切られた訳ではないと知って安堵している。
そのうえで、アイリスはレベッカや尋問官の擁護を始めた。
いわく、大人達が尋問したのは、二人が無関係だと証明するため。いわく、レベッカの行動には事情があり、黒幕逮捕に協力しているので減刑される。
それらのことを丁寧に説明して安心させたうえで、これからどうしたいか問い掛ける。
「あなた達のお母さんの罪は軽くなるはずだけど、しばらく働くことは出来ないわ。だから、このままだと路頭に迷うことになるでしょう。だから、あなた達が望むのなら、わたくしが手を差し伸べましょう」
今度こそ――と、付け加えられた言葉は小さすぎてクラリッサにしか聞こえなかった。それがなにを示しているのかクラリッサには分からない。
けれど、あなた達のために罪を犯したお母さんの優しさに報いるために頑張ってみませんかと、続けて問い掛けるアイリスに対して、二人は真剣な顔でこくりと頷いた。