六
いや美味かった。
東雲商会で出された茶と菓子の味が未だ舌に残っている。
それなりに高給取りではあるが性分だろうな。
自分で食べるものにそこまで金をかけない私にとって大店で出されるような類の茶と菓子は衝撃だった。
宮中行事に出席した時も高いのが出されるが緊張で味わう余裕などないからな。
「なるほど。ご老人を助けて遅刻してしまい途方に暮れているところで清明様に出会われたのですね」
「ええ。清明は純然たる怠惰ゆえですが」
目的地までの道すがらお喋りに興じているのだが縁殿はやはり清明に興味津々らしい。
都一の陰陽師として名が知られているが接する機会は皆無だからな。
その話が聞けるとなればそりゃあ聞きたいだろう。
しかし語っていると思い出すな。あの時のどうしよう感。
こっそり講堂覗いたけど入れる空気じゃなかったもの。
最初から居ましたが何か? みたいにしれっと紛れ込むのは不可能だった。
だもので私はすごすごと裏庭に退散し一人途方に暮れていたのだ。
「今は多少丸くなり申したがあの頃の清明は今以上に捻くれておりましてな」
遅刻の理由を語ったら婉曲的な言葉で散々小馬鹿にされたものだ。
私も普段なら普通に不快感を示していたのだろうが……。
「が?」
「初対面の人間相手によくもまあここまで堂々と嫌味を言えるなと」
逆に感心したわ。気付けば君凄いなと賞賛の言葉を口にしてたよね。
その瞬間の清明の顔と来たら中々に面白かった。
付き合いが長くなった今でもあんな間抜け面を拝めたのはあの時だけだ。
「それでついつい大笑いしてしまったせいでしょうなあ」
そこから何かと絡むようになって来たのだ。
気の弱い人間にとってはイジメのようにも思えるような絡み方だったと思う。
「…………それでよく仲良くなれましたね」
「そこはまあ、何と言いますか」
接し方は確かによろしくなかっただろう。
しかし清明のそれは悪意、というよりも私を知りたいと思うがゆえのものだった。
捻くれた形ではあるが他者を理解しようという形で出力されたものであるなら私としても嫌えない。
「むしろ不器用で可愛げがあるではないかと」
いや不器用、というのは少し違うか。
清明は別に誰とでも仲良くなりたいなんて性格ではないからな。
何で私が合わせるんだそっちが合わせろと素面で言ってのけるような奴だ。
他者に迎合するなんてのはあり得ないと思う。
私を理解しようとしたのは分からなかったから。別に仲良くなりたいと思ってのことではあるまい。
それでも私は己という人間を理解しようと手を変え品を変え接してくる清明を好ましく思った。
「英様は」
「うん?」
「何と申しますか、その…………随分と鷹揚な御方ですね」
「言葉を選んで頂き忝い」
端的に能天気な馬鹿めと言わないあたり縁殿は実に優しい婦女子だ。
そんなこと言う婦女子が特別捻くれてるだけとも言うが。
「ちなみに清明は言葉を選ばず能天気な阿呆と言ってきました」
「……」
「まあそれであ奴も馬鹿らしくなったのでしょう」
そこからはいい具合に肩の力が抜けたというか素顔を見せてくれるようになった。
そして何だかんだと今に至るまで付き合いが続いて……おっと。
「到着しました」
「! ここが」
「ええ。退魔衆の本拠に御座りまする」
商会での雑談の最中、縁殿から退魔衆とそこに所属する我ら退魔師について話を振られた。
一般人からすれば退魔衆は何か夜中に仕事してる連中ぐらいのイメージだろう。
ざっくり説明するならその通りだが詳しく語るなら相応に話も長くなる。
縁殿は何やらかなり興味ありげだったので「そういうことなら退魔衆の職場を見学してみますか?」と誘ってみたのだ。
「しかし、本当によろしいのでしょうか?」
期待はあるがどこか申し訳なさも見え隠れしている。
最初は乗り気だったのにどうしたのか。
「いえその、お邪魔ではないかと。日々命を懸けて戦っていらっしゃる皆様にとって昼間は貴重な休息の時間でしょうし」
「ああはいはい。そういうことでしたか」
得心がいった。
「心配ご無用。昼間は休息の時間というのはその通りですが」
休んでる連中は皆、寮なり自分の屋敷なりで爆睡かましてる。
じゃあ誰も居ないのかと言えばそんなことはない。この時間帯に詰めている退魔師も居る。
「鍛錬や事務仕事に精を出していますが」
「やはり邪魔なのでは?」
「まあ最後までお聞きくだされ」
退魔師の日勤はかなり緩い。
何なら退勤の夕方まで酒をかっ食らっていても問題ないぐらいだ。
「え、えぇ? それはそれどうなのでしょう」
「問題ありませぬ。ただそこに居るだけである意味仕事になっているのですよ」
「と言いますと?」
「当然の話ではありますが人間は朝起きて夜眠る生き物に御座る」
それが一番、人間という生き物に適した生活習慣なのだ。
つまり生態に逆らって夜に活動し朝眠る退魔師というのは不健康な生き物とも言える。
「とは言え霊力持ちである我々は常人よりも遥かに頑健な肉体をしておりますゆえ」
単に夜中活動して朝寝てるだけならばさしたる問題ではない。
問題なのは霊力だ。霊力もまた人間の生態に沿った形で健全さが保たれている。
「夜毎怪異を斬り祓っておりますと陰気が自然、体内に残留していきそれに自らの霊力も引っ張られてしまうのです」
一部例外はあるが個人個人で陰気陽気のバランスに偏りはあっても露骨にどちらかに偏っているということはまずない。
その人なりの形で陰陽上手いことバランスが取れているのだ。
しかし陰陽問わずその均衡がどちらかに過剰に傾いてしまえば心身に悪影響が出てしまう。
「つまり普通の生活を送ることで調子を整えている、ということですか?」
「その通り。なので日勤の退魔師はよっぽどのことがない限り夜中に出ることは御座いませぬ」
朝に起きて夜に寝る。それさえ守れれば仕事をしたと言える。
だから鍛錬や事務仕事をやっているのは体が鈍るのが嫌だとか気が緩むのが嫌だとかそういう理由でしかない。
実際事務仕事なんかは専用の文官が雇われてるいるからな。
「なので遠慮なく見学して行ってください」
「……そういうことであれば是非に」
「ふふ。では参りましょう」
まずはお頭に挨拶だな。一応、断りを入れておかねば。
「英組長、おはようございます。休みだったのでは?」
「ちと私事でな」
「明さん! その愛らしいお嬢さんは!?」
「手ぇ出したら半殺しにするからな」
すれ違う同僚たちと言葉を交わしつつお頭の部屋へ。
ちなみにお頭は普通の退魔師と違って通常が昼で特別勤務が夜になる。
退魔衆は朝廷の一機関だからな。予算獲得や御貴族様との付き合いなど色々あるのだ。
とは言え大きな戦いとなれば自ら刃を手に戦いもする。万年人手不足だしお頭は実力者だからな。
「失礼致しまする」
「うむ……うん? どうした明。お主は――む、そこなお嬢さんは」
「ああはい。こちらは」
「東雲商会の縁殿ではないか」
おや、ご存じで?
ちらりと視線を横に向けると縁殿はふるふると首を横に振った。
「ふむ」
大店の令嬢とは言え市井の娘を退魔衆の頭が認識している、と。
「……まさか上司を斬らねばならぬとは。いやだがこれも正義のため。致し方なし」
「待て待て待て。何を勘違いしておるか」
私には嫁とりを勧めてくるくせにお頭は独身だ。結婚歴もない。
結構な歳なのに嫁がおらんのは童女趣味だったか。
「おいやめろ儂の命が急速に危険域に突っ込んでおるぞ!?」
「冗談です」
「本物の殺気をぶつけておきながら……肝の冷える冗談はやめい」
「で、何故ご存じなので?」
「ああうむ。東雲商会の先代には若い頃、随分と世話になってな」
その縁で当代の喜兵衛殿とも私的な交流がありよく娘の自慢をされていたそうな。
「あ奴の別宅で縁殿の絵を何度も何度も見せられた」
年齢ごとに書いているそうで会ったこともないのに成長を見守ってる気分だとお頭は苦笑する。
一方の縁殿は理由を聞かされ恥ずかしそうに俯いている。
最低でも十三枚はあの屋敷に絵があるのか……。
「で、そういうお主は何故に縁殿を連れ――――はっ!?」
「いや違う。嫁を紹介とかそういうんじゃねえです」
第一それなら真っ先に両親の墓連れてくわ。
お頭は優先順位的に考えると五番六番ぐらいだろう。
「実はですな」
これこれこういうわけでと仔細を説明するとお頭は難しい顔で顎を撫で始めた。
「……昨夜の百鬼夜行はそういう次第であったか。いや清明殿から心配は無用と通達はあったが」
ああしっかり根回しはしていたのか。清明らしい。
というかこの様子を見るにお頭は縁殿のことを知らなかったのか?
「うむ。我らに気を遣われたのだろう。いよいよともなればこちらにも話が来たかもしれぬが」
「喜兵衛殿には他の伝手もあるのでまずはそちらを、というわけですか」
「うむ。清明殿が動かれたということはそうであろうよ」
まあ陰陽寮のが退魔師よりかは幾分マシだからな。
職務内容が多岐にわたりブラック労働では御勤めを果たせなくなるからあっちは幾らか余裕がある。
と言ってもそちらも横やりが入ったから無理筋の清明まで話が行き結局私も巻き込まれたわけだが。
「しかしお主と清明殿が動くとなればその脅威は無視できんな」
巡り巡ってそれが都全体への禍に発展しかねない。それを危惧しているのだろう。
そう考えると実質、公務のようなものと言えよう。
「かもしれませぬ。ですが清明は私に何も言いませんでしたし今のところは大丈夫でしょう」
「お主が言うのならそうなのであろう。だがいざとなれば我らも動く」
「承知。流れが怪しくなれば一報入れさせて頂きます」
「うむ。さしあたってお主にコイツを預けておこう」
お頭が棚から小箱を取り出しこちらに投げて寄越した。
中には飾り気のない短刀が一振り。
「これは」
かなりの逸品と見た。
「護りの小太刀だ。陽気を注げば結界を張ってくれる」
「なるほど。お借り致します」
注ぎ込んだ量で強度が変わるのだろう。
であれば私がやれば相応に硬い結界が張れるはずだ。いざという時は遠慮なく使わせてもらおう。
「預けると言ったが」
「ええ。いざという時は使い潰しますのでご安心を」
「分かっておるなら良い……っと、どうされた縁殿」
ん? と振り向けば縁殿は口元に両手を当て頬を赤らめながら潤んだ瞳でこちらを見つめていた。
お頭の気遣いに「私のためにそこまで!」と感動している……わけではなさそうだな。
(何やら邪念を感じる)
我らの視線に縁殿は視線を彷徨わせながらこう答えた。
「いえ、その、何と申しますか」
縁殿自身、上手く自分の感情を説明できていないように見える。
何だ。何なのだ。
「その、御二人を見ていると」
「「見ていると?」」
「言葉少なに通じ合う殿方って良いなぁ……なん、て」
……そういう?
(ちょっと真面目に嫁取りを考えるべきかもしれない)