五
「……よくもまあ小っ恥ずかしいことを臆面もなく言ってのける」
盗聴用の式から聞こえる明の言葉に清明がフンと皮肉げに鼻を鳴らす。
しかしどことなく上機嫌に見えるのは――まあ、間違いではないのだろう。
何せ一番の友であるという言葉を否定していないのだから。
「しかし相も変わらず女心の分からぬ奴よな……まあそこも悪くはないが」
が、完全な正答というわけでもない。
求める心は際限なく。安倍晴明という女はどこまでも欲深かった。
とは言え清明という女にそこまでの執着を抱かせたのは後にも先にも英明だけだろう。
『――――何だ“アレ”は』
珍獣。それが明への第一印象だった。
護国院時代。清明がまだ清明と名乗っていた頃のことだ。
入学に際して行われた祝い事の席を清明は速攻でぶっちした。だるかったからだ。
初っ端からサボりをかました清明はあてもなく学舎を彷徨い裏庭に辿り着き、そこで明を発見した。
『思いっきり遅れてしまった……どんな顔して講堂に行けば良いんだ……』
岩に腰掛け項垂れる少年。
年相応の悩みに溜息を吐くその姿は平凡なそれにしか見えない。
しかし清明の目には別のものが見えていて明の特異な体質が交流の切っ掛けとなった。
清明からすれば観察が終わり飽きればそこで関係は断絶する……はずだった。
「分からぬものよな」
気付けば盗聴の式を忍ばせるほどに入れ込んでいる。
自らの滑稽さに笑いつつ式から聞こえる声に清明は耳を傾ける。
調査ほっぽり出して何をやっているんだと思うかもしれないがサボっているわけではない。
今、清明は張り込み調査の真っ最中なのだ。
場所は都を出て十数里ほど離れたところにある風穴。
陰気の吹き溜まりで空間が歪んでおりここには夜を待つ怪異がわらわらと蠢いていた。
このような場所は幾つも存在するが縁に怪異を差し向けている輩が戦力補充に来るならここだろうとあたりをつけていた。
そして下手人はまだ現れない。だから清明は盗聴に勤しんでいるわけだ。
「……それにしても、思った以上に調子が戻っておらぬな」
清明に倫理観はない。盗聴盗撮をすることにも罪悪感などは当然、ない。
だが常日頃から明を観察しているかと言えばそれは違う。
もし常時把握しているのであれば神仏に殺されかけた際、助太刀に入っただろう。
つまりは“できない理由”があるわけだ。その理由こそが明の体質だ。
その強過ぎる陽の気ゆえ明の近くでは弱い陰気はあっさり霧散してしまう。
それゆえ明の影響下にある空間で尚も残る陰気はどうしたって目立ってしまうのだ。
盗聴盗撮にはどうしたって下心。陰気の源たる負の感情が宿るもの。
式神を配置しようにも感知されてしまうので清明としても手を出し難いのだ。
唯一の例外は製造過程でこっそり採取した明の血と精、陽気を混ぜ込んだため誤魔化しが利く灯だが、
『やですよぅ。従僕を変態行為に巻き込まないでくださいまし』
と一刀両断。それゆえ普通の式神しか使えないのだがそれではバレてしまう。
だが今は声を拾える距離に式神を忍ばせているのに気付かれていない。
明が発散する陽気の範囲が狭まっていることの証左だ。
「護衛には問題なかろうが」
清明にとっては滅多にない千載一遇の機会ではあるがそれはそれとして明が心配でもある。
この件が片付いた後で薬でも煎じてやるかと考えていると、
「……来たか」
入口の方に視線をやり数分。
十四、五の年若い陰陽師が苛立ちを隠しもせず風穴に入って来た。縁を狙う下手人だ。
「当然のことながら知らん顔だな」
元旦に酒を集りに行くぐらいしか陰陽寮に顔を出さない幽霊陰陽師の清明だが所属している人間は全て把握している。
いざ使う段になって人材を適切に配置できないと困るからだ。
それゆえ今しがたやって来た下手人が陰陽寮所属ではない術師であることが直ぐに分かった。
民間の陰陽師や退魔師の存在はそう珍しくもないので所属していないこと自体はどうでも良い。
問題は、
「やはりな」
実力だ。
清明は平然としているがこの風穴は霊力持ちと言えど単独で潜るような場所ではない。
並みの退魔師、陰陽師では徒党を組んで入っても無惨に食い散らかされてしまうだろう。
清明がこの風穴を選んだのは差し向けて来た怪異から力量を推し量った上で一番適した場所を選んだからだ。
なので実力自体は想定の範囲内だが、だからこそおかしい。
「ここに来られるほどの実力者であれば民間の術者と言えど相応に名が売れているはずだ」
良い意味でも悪い意味でも。
実力者でも名が知られていない者も当然、居るには居る。
しかしそれは修験者や仙道のように俗世から離れ求道に邁進する者たちだ。
如何なる理由でか力を以って麗しい少女にちょっかいをかけるような輩とはまず重ならない。
私欲で力を振るう者であれば隠そうとしてもある程度、その悪名は広まってしまうものだ。
「ふむ」
戦力補充のため怪異を調伏し始めた下手人。怒りはあるが恐れはない。
強い。強いが経験の浅さが透けて見える。術師となって二、三年といったところか。
「才は感じる。だが始めから何もかもを備えているほどではない」
独力で今の実力まで達しようと思えば実戦で己を研磨し続けるしかないだろう。
そうなると自然、名は売れる。つまりは誰かしらの指導があってのこと。
「身なりと所作を見れば育ちの良さは分かる」
貴族。それも結構な格と見た。
それならば指導者を雇うことはできるだろうが、それはそれで不可解だ。
まず頼るなら陰陽寮だろう。しかし下手人の振るう技術に見え隠れする指導者の癖とは合致しない。
となると民間の陰陽師を雇ってということになるが下手人の力量から窺える指導者の実力で思い浮かぶ者はいない。
「まあ私も全知というわけではないから知らぬ者がおっても不思議ではないが」
面倒だ、と清明は嘆息する。
下手人は既に判明しているのだからその師匠など関係ないと思うかもしれないがそれは違う。
あの若き陰陽師の背後に居るその者こそが真の黒幕である可能性が高いのだ。
最初、清明は東雲商会からの依頼を断るつもりだった。
話を持ち掛けて来た陰陽頭も頼まれたから一応、話を通すつもりで断れることを織り込み済みのようだった。
にも関わらず清明が依頼を受けたのはあることに気付いたからだ。
『うん? 東雲商会と言えば確か』
東雲商会の主人が懇意にしている参議が居る。
陰陽頭からの依頼もその参議を通してなのだが問題はその参議だ。
彼は英明という男の実力や重要性を理解している数少ない貴族の一人である。
ゆえに自分が断れば参議が個人的に交友のある退魔衆の頭を通して明に話が行く可能性が高い。
『丁度よいしこ奴が目覚めたらしばらく休養を言い渡すとしよう』
明の治療に赴いた際、退魔衆の頭がそんなことを言っていた。
横やりで組織として人員を出すことは難しいが休暇中ならば文句も言えない。
お人好しの明なら事情を聞けば即、話を受けるだろう。
それならと清明は動いたのだが……どうにも臭い。何かが引っ掛かる。状況が整い過ぎているのだ。
そしてその違和感は当たっていた。
差し向けた怪異から推し量れる実力と今こうして直に観察して見えて来る気質。
諸々の判断材料を加味するとやはりこの事件には二つの思惑が絡んでいると見て間違いない。
「哀れなものよな」
天井に腰掛けたまま若き陰陽師を見やり呟く。
見た限り縁への恋心、歪んだ執心を推定黒幕である師に利用されているだけ。
明を引っ張り出すのに都合が良い縁に歪んだ想いを抱いていたから力を与え唆したのだろう。
「だが何のために?」
特異な体質。立場。それらを鑑みれば明の利用価値は高い。
排除なり抱き込むなりするだけの価値は確かにある。
実際清明はそういう下心を抱いて明に接触しようとした者らを秘密裏に誰彼構わず破滅させて来た。
今回もそれかと思いきやどうにも温い。
悪意滲む権謀術数の臭いが感じられない。
その手の謀が苦手なのかと言えばそれも違う。自分に気取らせていない時点で狡猾さは間違いなくある。
「やれやれ」
もうかなり面倒になってきた。それでも投げ出さないのは明が絡んでいるからだ。
少しでも手掛かりを得ようと清明は若き陰陽師の観察を続ける。
「糞、糞、糞!!」
悪態を吐きながら怪異を屠り調伏する陰陽師。見事な手際だ。
しかしそれを誇ることもなく作業のように調伏を続けている。
「ふむ。力そのものにはこだわりがない性格のようだな」
力はあくまで物事を成すための手段、道具でしかないと割り切っている。
培った力に対する自負やここまで至ったぞという達成感とは無縁の人種だ。
「悪くない」
何の重きも置いておらずとも必要だからと努力できる。それは一種の才能だ。
労を厭い面倒だと嫌々やるようなら伸びないがあの陰陽師は違う。
すぱっと割り切り作業に徹することができるのは紛れもない長所だ。
陰陽師としての素養と合わせればドンドン伸びていくだろう。
「清明、清明、清明! よくも僕の邪魔を!!」
その憎き清明が近場で自分を観察しているなど夢にも思っていないだろう。
その滑稽さが清明の嗜虐心を煽り、自然と彼女の唇が釣り上がっていく。
「貴様は哀れな少女に縋られたからと手を差し伸べるような輩ではあるまいに!」
「いや仰る通り」
「人間の屑が何をはた迷惑な気まぐれを起こすか!!」
「フフフ。気まぐれではないが人間の屑と言われれば返す言葉もないわ」
いよいよ愉しくなってきてしまった。
負け惜しみの悪口雑言ほど愉快なものはない。聞いているだけで胸が弾む。
清明は普通に性格が悪かった。
「……いやだが、真に許し難きは清明ではない」
「うん?」
「何なのだあの男は!?」
男、となれば一人しかおるまい。明だ。
陰陽師はわなわなと震えながら鬼の首を引き千切り叫ぶ。
「あんなどこの馬の骨とも知れぬ冴えない男がこれから縁殿と寝食を共にする!?」
「……」
「ゆ、許せない……許せるものか!!!!」
お前がストーカー行為をやめればそれで済むんだよ。
などという正論はこの手の人間には通じないだろう。それはさておき清明だ。
どこの馬の骨、ぐらいで彼女の顔はもう無になっていた。
陰陽師の口から次々に罵倒が飛び出す。
「う゛」
際限なく続くと思われた罵倒が途切れる。
陰陽師は片手で腹を押さえ脂汗を顔に浮かべていた。
「は、腹の具合が……」
清明の呪詛である。
ここは陰気に満ちた怪異の吹き溜まりだ。
そこに清明の尋常ならざる技量も加わり陰陽師は呪われたことにさえ気付けない。
しかし何故、便意を催す呪いをかけたのか。悪戯か? いや違う。便意を侮ってはいけない。
退魔衆のある組長は常々、部下にこう言い聞かせている。
『何時でも出られるよう待機してる時はあんまりものを食うな。戦いの前はなるべく腹を空にしておけ』
曰く、
『腹痛を舐めるんじゃねえ。修羅場で腹が痛んだら地獄だぞ。神仏に縋るしかねえ』
とのこと。
それだけ突然の便意というのは恐ろしいのだ。
「う、うぐぅ……い、一旦外に……ぬぅ!?」
逃げ出そうとするも清明の操る怪異が上手いこと邪魔をする。
逃げられない。何とか隙を見て逃げ出そうとするがその度に絶妙な邪魔が入る。
「あ……が、ぐぅ……!?」
その様子を絶対零度の瞳で射貫きながら清明は呟く。
「ほどほどで加減してやるがそれまで精々苦しむが良い」
慈悲ゆえにではない。単純に見苦しいものを見たくないからだ。
「甚爾くんはやっぱカッコええね。今始めたら甚爾くん引けるのに始めへん理由ないやろ」
と心の中の直哉に唆されファンパレはじめちゃった…甚爾くんやっぱカッケーなあ……。