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 翌朝。私と縁殿は灯が作ってくれた朝食に舌鼓を打っていた。


「……うちの料理人が作るものより美味しい」

「灯は清明の最高傑作ですからな」


 使い捨ての式神なら幾らでもいるが常任となれば灯以外にはいない。

 常に侍らせているということはイコール、清明の要求に応えられる能力を備えているということ。


「あれは自ら腕を振るうことはありませぬが食にはこの上なくうるさいのです」

「清明様ほどの御方であれば当然なのでは?」

「まあそうなのですが」


 幽霊陰陽師(幽霊部員と同義)ではあるが陰陽寮の重鎮。

 官位だって持ってるから当然と言えば当然なのだが……何か腑に落ちないのは清明の清明たる所以だろう。


「ところで灯様はお食べにならないのですか? その、私は気にしませんが」

「お気遣いありがとうございますぅ。ですがどうかお気になさらず。私は式神ですからねえ」


 式神に食事は不要だ。主の霊力が糧になっているからな。

 とは言えこの狐っ娘は清明が作った式神だ。飲食もできる。

 なので縁殿が気を遣わないよう一緒に食事をしよう――――とは言えないんだよな。


「あとはまあ、私の趣味趣向の問題もありますれば」

「趣味趣向、ですか?」

「ええはい。爽やかな朝に蛇やら蛙を焼いて食べる者がいれば台無しでしょう?」

「へ……!?」


 灯にはワイルドな好みが付与されている。清明が意図してそう作ったのだ。

 曰く自分の料理を作らせる際に作り手の好みという主観を完全に排除したかったのだとか。

 そうすることで純度100%清明好みのものが作れるとか……難しい理屈は正直、分からない。


「それはさておき縁様、本日のご予定は何なんです?」

「よ、予定ですか? 特には」


 まあそうだろう。

 本宅で暮らしている時は習い事やら何やら忙しかろうが今はな。

 連日連夜続く怪異の襲撃に心身をすり減らしているのだ。

 安全な昼間に少しでも身を休めておきたいと考えるのは当然だろう。


「でしたら今日はお散歩にでも行ったらどうです? 明様が御一緒であれば万が一もありえませぬし」

「それは……」


 ちらと私を見る縁殿の目には期待の色が見えた。

 さもありなん。年頃の娘が陰々鬱々とした環境に何時までも居たいわけがない。

 気晴らしに青空の下を気兼ねなく歩きたいと思うのは当たり前だ。

 しかし育ちの良さゆえ私に気を遣っているのだろう。


「構いませぬよ。私も屋敷に籠りきりというのは些か気が滅入りますゆえ」

「あ、ありがとうございます!」

「何の」


 和やかな空気のまま朝食が進む。


(良いな)


 久しぶりにのんびりできてる気がする。

 お頭に感謝だな。退魔師の仕事が嫌いなわけではないが偶にはこういうのも悪くない。


「では参りましょうか」

「はい。よろしくお願い致します」


 食後。腹がこなれるまで小休憩を挟んでから屋敷を出る。

 最初の目的地は東雲商会の本店だ。

 これまで家族を気遣って会いに行くのもあちらが会いに来るのも拒んでいたらしいからな。

 ここらで一つ家族に元気な顔を見せたいというのは当然だろう。

 私としても願ってもないことだ。何せ大切な一人娘の命を預かっているのだから。一言断りを入れるのが礼儀というものだろう。


「……?」

「どうしました」


 隣を歩く縁殿が怪訝そうな顔で私の腰を見ていた。

 え、穴とか空いてた? 参ったな裁縫は得意じゃないんだが……。


「いえ、そのお腰の太刀なのですが」

「え? ああ、これですか? これがどうなされた」

「……昨日までえらく物々しい符が巻き付いておられたような……同じ物、ですよね?」


 ほう、よく見ておられる。流石は商人の娘といったところか。


「ええ。薄々察してはいると思いますがこれは妖刀でしてな」

「しかし今は巻いておられない。つまり安全ということですよね? 清明様が解呪なされたのですか?」

「まさか。やったのは私――と言っても呪いを解く術なぞは使えませんが」

「ではどうやって?」

「泥水が入った器があります。そこに綺麗な水を注ぎ続ければ器の中身はどうなりますか?」

「えっと、いずれ普通の水になる?」


 その通り。


「私は陰の気をまったく扱えぬ代わりに人より強く多い陽の気を備えておるのです」


 陽の気を注ぎ続け呪物に蓄積された陰の気が押し流された結果として解呪されたのだ。


「正道のやり方ではありません。清明曰く、これは馬鹿のやり方だそうで」


 陰気を陽気で押し流せば解呪は成る。理屈の上ではその通り。

 しかし呪物は人の世に満ちる陰の気を吸い込み続けている。

 陰気の吸収量を上回るほど陽気を注ぎ込むとなれば普通は解呪の前に注ぎ手の陽気が空になってしまう。

 だから普通はもっと複雑な手順を踏んで解呪に臨むわけだ。

 ちなみに清明はそんなことをせずともよっぽどのものでない限りは一瞬で解呪してしまう。

 私のやり方がごり押しならあちらは超絶技巧によるものだがな。


「昨晩、陽気を流し込み刀を振るっておる内に自然と陰気が抜けていったのですよ」

「な、なるほど。その体質があるからこそ不吉の数字を背負うことができるのですね」

「ん? ああ、清明から聞きましたか。まあ多分、そうなのでしょう」


 抜擢理由とか聞かされてないからな。

 護国院卒業前にお前、卒業したら四番組の組長なって言われて分かりましたって受けただけだし。


「……さしでがましいとは分かっておりますが英様はもう少し色々考えた方がよろしいのでは?」

「はっはっは、いや仰る通り。しかしまあ、物臭な気質というのは如何ともし難く」


 お喋りをしながら歩くことしばし。東雲商会の本店が見えてきた。


「お、お嬢様!?」


 店の前を掃除していた丁稚が目を丸くして叫んだ。

 縁殿が声をかけようとするがそれよりも早く丁稚は慌てて店の中に入ってしまった。


「だ、旦那様! 旦那様! お嬢様がお見えになられました! 旦那様ー!!」


 恥ずかしい、といった様子で俯き頬を染める縁殿に胸が温かくなる。

 見ただけで分かる。家族とも使用人とも良い関係を築けているのだろう。

 少しすると恰幅の良い男性が汗を浮かべながら店から出て来る。


「こ、これは英様! 御足労頂きまことに……」

「うん? 私のことをご存じで? あ、いや清明か」

「はい。昨夜、清明様の式神がこちらに来られて事の次第を説明して頂きました」


 根回しがしっかりしてるな。

 これで娘を任せられるだけの信頼は得たというわけか。


「それに、お噂はかねがね聞いておりましたので」

「悪いものでなければ良いのですが」

「滅相もございません!!」


 懇意にしている貴族から私の話を聞いていたとのこと。

 名前を出されたが分からない。

 組長になったことで分類上は一応私も貴族にはなるんだがそういう付き合いは一切ないからな。


(とりあえず頷いておこう)


 中に通され改めて主人と向かい合う。


「縁が父、東雲喜兵衛と申します。改めて英様に御礼を」


 深々と頭を下げられた。

 商会の主人ではなく縁殿の父であるという名乗りは個人的に好ましく感じる。

 人の親である。この人にとっては築いた地位よりもそれが大事なのだろう。

 感謝を受け取り頭を上げるように言う。


「時に喜兵衛殿。清明の式が来られたとのことですが……何か言ってませんでしたか?」


 いやもう言葉を飾らず言おう。

 縁殿を取り巻く状況に対する説明を全部私にブン投げてやしないか。

 私の問いに喜兵衛殿は困ったように頷く。


「お手数をおかけ致しますが本職の御方々の見解をお伺いしたく」

「それは構いませんが……」


 ……縁殿をちらりと見る。

 同席させてよいものか。不安にさせるようなことも言わねばならんのだが。

 私の迷いを感じ取ったのか喜兵衛殿が縁、とその名を呼ぶ。縁殿はふるふると首を横に振った。

 覚悟はある、ということか。まだ子供だというのに本当に気丈な方だ。

 そういうことであればこれ以上は何も言うまい。


「まず第一に清明が私に説明を押し付けたという事実。これは決して軽いものではありませぬ」

「と言いますと?」

「清明は物臭な性格をしておりますが一度引き受けた以上は手を抜くことはない」


 これこれこういう状況でこういう対処をすると明言した上で動き事態を解決する。

 それをしないということは、だ。


「清明をして未だ全容が見えていない可能性があります」

「それは……昨日の今日ですし当然では? 清明様も調査をすると仰っていましたし」

「あ奴の調査は殆ど答え合わせのようなものなのですよ」


 話を聞けば大体は看破してしまえる。


「「え」」

「都一の陰陽師。そういう認識でしょうしそれは間違いではありませんが御二人が思う以上に清明は凄い奴なのです」


 答えが予想できているのなら後は簡単だ。半日もあれば確認は終わる。

 にも関わらず何も言っていないということは全容を掴めていないか確認が済んでいないかのどちらかだ。

 清明が自ら調査に赴いたことからも前者の可能性が高いように思う。


「……それほどに。何故、縁がこのような」

「そこも含めてきっと真実を明らかにしてくれるでしょう」


 さて、ちと脅かし過ぎたきらいがあるな。

 楽観視されるのも困るがあまり悲観的に捉えられるのも申し訳ない。


「決して軽くはありませんがしかし、あまり重く捉え過ぎる必要もありませぬ」


 その証拠がこの私だ。


「英様、に御座りますか?」

「不安にさせるのも申し訳ないので伏せていましたが実は私、病み上がりでして万全ではないのです」

「「あ、それは承知しております」」


 え、あ清明が説明したのか?

 まあ良い。そういうことなら話は早い。


「万全の状態には程遠い私を縁殿の護衛に就けた。

切羽詰まっているのなら清明から何かしら私に話があったでしょうが私は特に何も言われておりませぬ」


 清明は他人に何かをやらせるなら頼んだ人が普通にできることをやらせる。

 限界ギリギリまで頑張らないと無理とかそういうことは絶対させない。

 相手を気遣ってとかではなく考えがシビアなのだ。確実にやれないなら容赦なく足切りにしてしまう。


「つまり私が傍に居れば縁殿は大丈夫だろうという確信あってのことでしょう」


 もし危惧することがあるのなら幾らか説明があったはずだ。

 それもなくブン投げてきたということは油断はできないが過剰に警戒するほどでもないということ。


「なのでまあほどほどに緊張感を保ちつつ肩の力を抜いて清明を待つのが最上かな、と」

「……なるほど。相分かりました。万事、御二方にお任せ致しまする」


 どうか娘をよろしくお願いします。

 子を想う父の言葉に私も力強く肯定の意を示した。


「お任せください。傷一つなくご主人の下へお返し致します」


 嫁入り前の女の子に傷でもついたら大事だ。

 清明ならばまるっと傷を消してしまえるだろうが傷を負わない方が一番だからな。


「……時に英様」


 真面目な話を終え出された茶をシバキながら雑談に興じていると意を決した顔で縁殿が声を上げた。

 何でしょうと聞き返すと、


「英様は清明様と大変仲がよろしいように見えすが、その、好い御関係なのでしょうか?」


 思わず笑ってしまった。

 いやそうか。大人びているように見えても縁殿は年頃の女の子。色恋沙汰には興味があろう。

 そわそわと何かを期待するような顔から一転、むっと膨れる縁殿。


「いや申し訳ない。残念ながら男と女のそれではありませぬよ」

「そう、なのですか?」


 と声を上げたのは喜兵衛殿。


「あー、その、何と申しますか清明様は気難しい御方と宮中でも噂になっておりますし」

「ははは、誰を前にしても人を小馬鹿にしたような態度を崩さぬひねくれ者と素直に仰って頂いても構いませぬよ」


 清明がこの場に居ないからとかではない。居ても同じだ。

 そう言われたところで清明は「いやその通り。返す言葉も御座らぬ」と皮肉げに笑っただろう。

 浮世離れした美貌に神仙が如き力。難アリの性格。

 一夜限りならともかく継続した人間関係はまず築けない。

 そんな女と仲良くしているから好い仲だと思われても無理はないが、


(一回も誘われてないしな私)


 灯が言うにはある時期から男と関係を持たなくなったらしいがそれ以前でも私は誘われたことがない。

 清明にとってはそういう対象ではないのだろう。

 子供がいるのでそこらへんのことは婉曲的に表現しつつ恋仲ではないと再度否定する。


「とは言え、一番の友であるという自負はありますがな」


 私にとっても清明にとっても。

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