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 日が落ち夜の帳が降りる。

 食事と湯浴みを済ませ幾分、表情が柔らかくなっていた縁だが夜が深まるにつれどんどん身を固くしていった。

 さもありなん。毎夜訪れる不吉を考えれば当然のこと。弱いとは断じて言えない。

 むしろ泣いて喚いて当たり散らさないあたりその心根の強さが窺える。


「英様?」


 柱に背を預け目を閉じていた明が太刀を手に立ち上がる。


「清明。しかと守れよ」

「そなたがおるから必要な……冗談だ。分かっておるとも」


 守れ、とは縁を不安にさせるなということ。

 その心を軽くしてやれと言ったのだ。

 障子を開き庭に出た明はひょいと飛び上がり塀の上に立ち東の空を睨みつけた。


「では縁殿。化け物退治の見物と洒落込みましょうか。ささ、お手を」

「え、あ」


 縁の手を取った清明はそのまま屋根の上に転移した。

 突然のことに目を白黒させる縁に清明は言う。


「これこの通り。私の術があればどこへでも逃げられます。それこそ禁裏の中であろうと」

「そ、それは……頼もしゅう御座います」

「清明。君なあ」

「実際にそなたが刃を振るうところを観ねば安心できんだろう? 必要なことだ」

「水晶にでも映してやれば事足りるものを」

「お喋りをしている暇があるのか? そら来たぞ」

「な」


 縁は絶句した。

 二人の視線の先。東の空からこれまでとは比べ物にならないほどの妖が押し寄せて来ている。

 正しく百鬼夜行。雲霞の如き軍勢を前に縁の心は絶望で埋め尽くされた。


「ああそうだ。一つ言い忘れていた」

「は?」


 しかし場違いなまでに呑気な清明の声で閉ざされた視界がこじ開けられる。


「私は万能の才人なれば大概のことはどうにでもできてしまいまする」


 しかし、と清明は楽しそうに喉を鳴らす。


「こと戦いに関して――――明は私よりも上だ」


 瞬間、光が夜を切り裂いた。


「ぇ」


 何もかもを食い破らんと迫っていた怪異の軍勢がバラバラに切り裂かれ血肉の雨を降らす。

 それでも限りなどないように攻めてくる怪異だが、


「……ううむ。中々の切れ味。これはかなりの当たりでは?」


 明が漆黒の太刀を振るう度に切っ先から放たれる光で面白いように斬滅されていく。

 絶望の二文字しか感じない怪異の軍勢を前にしても平然と刃を振るう明に縁は思わずこう漏らす。


「あの御方は、一体」


 何者なのか。

 縁はこれまでも自らの護衛が怪異と戦う様を見ていた。

 見届ける。それがせめてもの責務であろうと。

 だからこそ素人なりに分かることがある。今攻めて来ている怪異は数も質もこれまでの比ではないと。

 先日まで配置されていた護衛たちであれば一分とかからず皆、死に絶えていたであろうと。

 それほどの修羅場の最中、まるで散歩にでも行くような気楽さで刃を振るう明は尋常の人ではない。


「フフフ。縁殿は縁起を担がれる方かな?」

「は、はい?」


 てっきり清明が答えてくれるのかと思いきや返ってきたのは訳の分からない問い。

 如何なのです? と重ねて問う清明に縁は戸惑いながらも頷く。


「ま、まあ……商人の娘ですし」

「結構。吉兆はともかく凶兆は誰とでも寝る女より尻軽ゆえ。簡単に招き寄せられる」


 退魔師や陰陽師になれるほどの強い霊力持ちなら尚更だと清明は続ける。


「形なき不吉に霊力が肉を与えてしまうのです。それゆえ我々は特に気をつけねばならない」


 黒猫が前を通り過ぎたのであればその道を迂回する。

 草鞋の前坪が切れたのならその場で脱ぎ捨てる。

 そうすることで身にかかる不吉を遠ざけるのだと言う。


「“退魔衆四番組九代目組長”それがあやつの肩書きに御座いますれば」

「ふ、ふきつがすぎる……」


 素直な感想は清明のツボに入ったらしく甲高い声を上げて笑いだす。


「そのような椅子は無くしてしまえばよいものを」

「確かに慶事においては不吉を感じさせるものを意図して排除することもありましょう」


 しかし我々に限ってはそうもいかぬのですと清明は肩を竦める。


「な、なにゆえに?」

「これもまた縁起を担いでおるのです」


 退魔師、陰陽師。後者はそれ以外も業務にあるが共に怪異を祓うことが使命の一つだ。


「吉兆が人の友なら凶兆は怪異が友。邪なる存在には悪しき兆しこそが益足り得る」


 怪異と戦う退魔の輩がそれを徹底的に排除すればどうなる?

 “邪悪なる者どもに屈した”ように見えてしまう。


「先ほど我々は吉凶に気をつけると申しましたが皆が皆、そうというわけでは御座いませぬ」


 実力者は細かい凶兆など無視している。

 不吉の餌にはならぬという自負があるからだ。


「私が屋敷を構えているのも都の鬼門ですしな」


 縁起を気にしているのは無用な傷を負わぬためだ。

 罪人を取り締まる検非違使や武士が、だ。

 私的な喧嘩で傷を負ってしまったがゆえ罪人相手に遅れを取るなどあってはならぬこと。

 退魔の輩が縁起を担ぐのもそのため。怪異に対しての備えを常にしているからだ。


「だからこそ凶兆を敢えて呑むことも時には必要なのです」


 ゆえに不吉な数字であろうと四や九を排除できない。


「とは言え厄介なものであるのは事実。そこが対魔の最前線であるなら尚更」


 四番組の組長になれるのは実力者だけ。

 背負うに足る力を持つ者が居ない時は空席にしていたので常に席が埋まっていたわけではない。


「そして背負うに足ると判断された者でも三年が限界。何故だか分かりますかな?」

「……四年目。“し”が重なるから、でしょうか?」

「ご名答。四番組の長は殉職率は高く三年ほどで死なずとも前線に立てぬほどの傷を負って現役を退くのが常でした」


 そんな厄介極まる席が九代目を数えるとなればこれまで以上に高い実力を求められる。

 半ばほどまで蒼く染まった太刀を振るう明を見つめながら清明は続ける。


「縁殿。あの者が組長の座に就いて何年目だと思われる?」

「え? えぇっと、まだお若いですし」


 一年と少し? 縁の答えに清明はニンマリと唇を吊り上げ笑う。


「五年目に御座います」

「!」

「十五で護国院を卒業しそれと同時に四番組九代目を就任し五年、務めておるのですよ」


 四年目は修羅場の連続だったし今年も少し前に神仏とやり合い殺されかけたこともある。

 しかしそれでも尚、五体無事で生きている。生きて刃を振るっている。


「正直に申しますと今の明は万全には程遠い状態に御座りまする」

「あ、あれで……ですか?」

「ええ。それであそこまで戦えるのです。縁殿の護衛としては十分過ぎましょう?」


 そこで縁はさっと顔を伏せた。

 少しの沈黙の後、顔を上げた少女の目には凛とした光が宿っていた。


「……英様に、改めて無礼を謝罪しなければ」

「無用に御座います。あれはそのようなことを気にするタマではありませぬゆえ」


 それでも気が済まぬというのであれば、


「感謝を告げればよろしい。守ってくださりありがとうございますと笑いかけてやればあの者はこの上なく喜びましょう」

「……わかりました」

「フフフ。さて、そろそろ仕舞いか」


 清明の言葉と同時に血が、肉が、地面にあった怪異の骸が空に昇り始めた。

 夥しい数のそれは夜空に穿たれた“孔”に吸い込まれ……。


「く、黒い鬼?」


 少し間を置き、孔から酷く禍々しい山ほどはあろう黒鬼が這いずり現れた。


「せ、清明様! 終わりではなかったのですか!?」

「ええ。あれで終わりですとも……ふむ、黒鬼か」

「……?」


 コロコロ変わっていた清明の表情が無になる。

 これは、苛立ち? 戸惑う縁だが黒鬼の口から放たれた禍々しい光を見て思わず叫ぶ。


「英様!!」


 危ない、そう思ったのだろう。

 しかし、


「しゃらくさい」


 明は一刀の下にあっさりと凶光を切り捨てた。

 そしてほぼ蒼く染まってしまった太刀を肩に担ぐと塀を蹴って高く高く舞い上がった。


「これで仕舞いだ」


 瞬く間に黒鬼の頭上を取った明は大上段から太刀を振り下ろす。

 一刀両断。一切の呵責振り下ろされた清めの刃は見事、邪悪を祓ってのけた。


「清明」


 音もなく塀に着地した明が声をかけると、


「相分かった」


 清明が軽く指を躍らせる。

 するとざぱーっと! 明の頭上から水が降り注ぎ返り血を洗い流した。

 そしてもう一度指を振るうと今度は風が吹き抜け水気を完全に吹き飛ばした。


「よし」


 身を清め終えた明は満足げに頷き跳躍。庭に降り立った。


「では我らも戻りましょうか」


 と清明。外に出た時と同じように一瞬で部屋の中へ。


「英様! えと、その……ありがとうございます。お陰様で今宵は安心して眠れそうです」


 少しぎこちないが険の薄くなった笑みを見て明は満足げに頷く。


「それはよう御座いました」


 が、直ぐに渋面を作り両手を床につけ頭を下げた。


「――――申し訳ありません」

「あ、馬鹿」


 清明がひく、と頬を引き攣らせる。

 少し顔を上げた明の顔には呆れと少しばかりの怒りが混ざっていた。


「は、英様? い、いきなり何を……と、兎に角頭を上げてくださいまし!!」

「そうもいきませぬ。友の愚行は我が愚行なれば」

「ぐ、愚行?」

「縁殿。今宵の怪異。これまで以上の数ではありませんでしたか?」

「え、ええ。素人目にはなりますがその質も今まで以上であったように」

「その通り。そしてこれはそこでそっぽを向いておる阿呆の仕業なのです」


 え? と呆気にとられる縁に明は仔細を語る。


「無論すべてがすべてというわけではありませぬ。元から縁殿を狙っておった群れもおりますれば」


 しかしそれは全体の一割程度。九割は清明が都の内外問わず誘き寄せたものだと言う。

 何故そのようなことを、と縁が問う前に清明は悪びれもせず口を開く。


「こうでもせねばそなたがこの清明の代役として縁殿に認められんだろうが」

「だとしてもやり方があるだろう。徒に恐怖を煽るような真似をして」

「そうは言うがな。そなたは見事縁殿の信を得たし市井の者らを脅かす怪異を少しでも多く減らせただろうが」


 良いこと尽くめだと清明は肩を竦める。


「……という次第でして」

「……なるほど」

「本当に申し訳あり」


 縁はその謝罪を手で制した。


「だとしてもです。そも素人で尚且つお頼みする立場であることを弁えぬ私の無礼が原因なのですから」


 どうか頭を上げて欲しいという縁の懇願に明はかたじけないと頭を上げる。


「流石東雲商会のご令嬢。実に聡明であられる」

「君なあ」

「まま、そう清明様をお責めにならないでくださいまし」


 茶を運んで来た灯が会話に入って来る。


「灯。しかしだな」

「おも――友を不当に侮られれば清明様とて愉快ではありませぬ」

「え」

「灯」


 咎めるような清明の言葉を無視し灯は続ける。


「具体的には舐めやがって! 私のピは貴様のような小娘……んひゃあああああああああああああああああああ!?」


 言葉は最後まで続かず灯は夜空へと撃ち出されて行った。

 星となった灯を見送った明は少しの沈黙の後、ふっと息を吐く。


「私のためであったか。であれば一方的に責めるのは筋違いだったな。すまぬ清明」


 そしてありがとうと微笑む明に清明はぷいと顔をそむける。


「今宵はもう何もなかろう。明、酒に付き合え」

「ああ。縁殿、そういうことなのであなたはどうか安心して眠られよ」

「は、はい」

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