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二十三

 時はしばし遡る。

 灯からの念話で明が異界羅城門に突入すると同時に清明もまた道満の根城に乗り込んだ。

 都から少し離れた場所にある何の変哲もない廃寺。

 しかし足を踏み入れた瞬間、世界は一変。赤い月が空に浮かぶだけの黒一色。影の世界に様変わりした。


「そなたが蘆屋道満か」

「そういう貴女は安倍晴明」


 片や薄い笑みを浮かべ。

 片や微塵も揺らがぬ鉄面皮で。

 互いが互いの名を呼んだ。

 ただそれだけのこと。しかしそこには両者共に互いへの嫌悪がこれでもかとにじみ出ていた。


「私、貴女が嫌いなのよね」

「奇遇よな。私も反吐が出るほどそなたを嫌うておる」


 両想いだなあ? と小馬鹿にしたように清明が言う。


「病み上がりのあ奴をくだらぬことに巻き込みおってからに」


 既に清明は今回の縁を巡る事件の全容を裏までしっかり把握していた。

 明と道満の関係については推察が大部分だがそれでも概ね合っているだろうという確信があった。

 それはさておき自分も明も道満が描いた謀の上で良いように踊らされただけ。

 明が齎す結果を考えれば実質、道満の勝ちだ。


「巻き込んだのは貴女ではなくって?」


 清明が明に仕事を投げず一人で片付けていたら明は関係なかった。

 道満の反論を清明は鼻で笑い飛ばす。


「どの道であろうが」


 仮に自分が事態の解決に動いていたとしよう。

 その時は道満が謀略を巡らせて休暇中の明が絡むように仕組んだはずだ。


「難儀なものよな。こうまで回りくどいことをせねば童一人救えやせん」


 おい道満、と嘲りも露わに清明は言う。


「そなた何人、不幸にした? 親兄弟どころか袖触れ合った見ず知らずの他人も地獄へ追いやったのではないか?」

「そうね。沢山、不幸にしたわ。己が正しさの中では生きられないと、もっと早くに悟るべきだった」


 大して堪えた様子もなく道満は淡々と答える。


「でも無様な回り道も決して無駄ではなかったわ。連理の枝に、出会えたのだもの」


 清明の顔が露骨に顰められる。


「それにしても」

「……何だ」

「私には縁のない世界の話だと思っていたからあまり実感したことはないのだけどようやく分かったわ」


 道満が嘲りも露わに清明を刺す。


「――――醜いのね、女の嫉妬って」

「ほう?」

「そうやって傲慢の面で本心を覆い隠すところ、素直な彼には本当に似合わないと思うわ」


 貴女風に言ってあげましょうか? と更に嘲りの色を濃くする。


「明くんと貴女。並んでも“絵”にならないのよ」


 ひく、と清明の頬が引き攣る。図星であった。


「陽の気が欠けた私と陰の気が欠けた明くん」


 ひく、ひく。


「喜びを知っている。楽しみも知ってもいる。それでもその魂が晴れることはない私。

怒りを知っている。哀しみも知っている。それでもその魂が陰ることはない明くん」


 ひく、ひく、ひく。


「陰陽揃って全と成す。まさか大陰陽師安倍晴明様がそれを知らないわけはないでしょう?」


 陽の明。陰の道満。

 互いの欠落を埋めるために出会ったとしか思えないような星の巡りだ。

 この上なく絵になる。そうあって当然とすら言える。


「羨ましいのよね、貴女」


 第三者が見ていればまず間違いなくブチぃ! っと何かが切れるような音が聞こえていただろう。

 実際にはそのような音は鳴っていないが真に迫る幻聴が聞こえたはずだ。

 清明はキレていた。一から十まで道満の指摘が当たっていたからだ。

 更に付け加えるなら決して他者を救えない道満が明を介せば救えることにも腹が立っている。

 何故って? とどのつまり逆もあり得るからだ。

 明だけではどう足掻いても成せないことが道満が手助けすればできてしまうかもしれないということ。

 少なくとも道満の不可能を明が可能にして見せた以上、可能性は十二分にある。

 それが気に入らない。明にできないことは自分の役目である。そんな自負が清明にはあった。


「そういうそなたは不安なのではないか?」

「不安?」


 黙って殴られる清明ではない。即座にマウントを取り返す。


「なあ、そなたは本当に明を愛しているのか?」

「愚問ね。私は」

「“明でなければいけなかったのか”そう聞いておるのだよ道ォ満」


 ひらひらと手を踊らせながら清明は歌うように言う。


「その心に惹かれたのか? 本当はその特異な体質に惹かれたのではないか?

私とて何の対策もなければそなたに関わるだけで不幸不吉を押し付けられよう。

だが明は小細工を弄さずとも、ただ在るがままにそなたへ寄り添える。

おぉ、実に絵になる二人よな。陰と陽。そなたが言った通りだ」


 清明は口の端を釣り上げる。


「絵にならないなら、道満よ。そなたは本当に惚れていたのか?」

「……私はあの雪の日。心を抱いてくれた明くんに――――」

「だぁが、それは明の特異体質あればこそ。ただの童であったのなら惨たらしく死んでおったのではないか?」


 確実に死んでいただろう。


「『ただその心が求めるがままに互いを必要としたいのだ。それが愛というものだろう』」


 明の声を再現し、清明が言う。

 明が告げた時は真摯なものであったが清明は声こそそっくりだが嗜虐の色に塗れ切っていた。


「明の言葉だ。特異体質なぞ英明という人間の付属品でしかない。

それがなくば成立しないのであれば、心が求めているとどうして言えようか」


 第三者が見ていればまず間違いなくブチぃ! っと何かが切れるような音が聞こえていただろう。

 実際にはそのような音は鳴っていないが真に迫る幻聴が聞こえたはずだ。

 道満はキレていた。一から十まで清明の指摘が当たっていたからだ。

 それは道満の負い目。繰り返し自問自答した。それでも未だ答えは出ない。

 当たり前のことだ。それほどまでに問題は複雑なのだから。

 しかし道満はそんな自分を恥じていた。純粋な愛を謳えないその身を嘆いていた。

 だからこそ無遠慮に己が葛藤を踏み荒らした清明にキレていた。

 純粋にその心に惹かれたと答えられるであろう清明に嫉妬していた。


「……他の男に体を許す阿婆擦れが偉そうに」

「フン、明も勘違いしておるが私は未通よ。男も女も抱く側だ」

「え」


 屈強な男を陰陽術で形勢したほにゃららであひんあひん女のように鳴かせる。

 それが清明のかつての趣味である。

 道満は引いた。普通に引いた。


「それに、だ。明はそのような私も受け入れておるぞ?」


 思い出すのはかつての語らい。

 灯が言うところの男と関係を持たなくなった切っ掛けだ。


『そういうのはあまりどうかと思うぞ』


 女遊びをしてから夜中、明の家を訪れた際に開口一番咎められた。

 何時もの説教。何時もなら受け流すがその日は何となしに付き合ってみる気になった。

 この頃はただの友人だったので話も面倒なことは聞き流していたが酒が入っていたせいだろう。


『そなたは相も変わらず堅物よなあ。それで退魔師としてやっていけるのか?』

『ううん?』

『怪異に人の常識は通じぬ。そなたが幾ら良識を説いたとて彼奴らが牙を収めてくれることはないぞ』


 小馬鹿にしたような口調で言うと明はなるほどと頷いた。

 本当に素直な奴だなと呆れる清明だが、


『ただ私は別に良識だけで君に色を控えろと言っているわけではないのだがな』

『ううん?』


 今度は清明が首を傾げる番だった。

 そう言えばしっかり理由を話したことはなかったなと明は仏像を磨きながら話し始めた。


『他人からどう見られるかだとか自制の心を養えだとか、まあそういう面もなくはない』


 だがそれは一番の理由ではない。

 色は人間の本能に根差した欲。そして人によって強い弱いもあるから一概に否定はできない。


『君の場合は別に発散せねば支障をきたすわけでもあるまい?』

『そうだな。では何故、控えよと説教を垂れる』

『感動が薄れてしまうのではと心配したからだ』

『かん、どう?』


 思いもよらぬ言葉だった。


『愛する男――いや君の場合では女でも良いか。

心から愛し愛される好い人と肌を重ねるのは格別のものだろう。

だが常日頃から無分別に色を貪っていれば折角の愛する人の温もりも“慣れ”で薄れてしまわないか?』


 清明は声を上げて笑った。


『未だ女子を抱いたこともない男が訳知り顔で言うではないか』

『そうだな。経験はないとも。だが私は父母の温もりを知っている』


 明は続ける。


『まぐわいではないただの抱擁。服は着ておるし相手は血を分けた肉親。愛しく思うのは当然』


 そう、だからこそ。だからこそなのだと言う。


『色ではなく愛が極まり己のすべてを曝け出してもよいと思えるほどの誰かとならば』


 その交わりは信じられぬほどの充足を心身に与えてくれるのではないか。


『清明、君もまだそういう交わりは経験したことがないのではないか?』


 その通りだった。

 清明のそれは愛などではなく、かと言って色でもなく。

 どちらかと言えば無聊を慰めるようなものだから。

 或いは明もそれを見抜いていたからこんなことを言ったのかもしれない。


『何時か出会えると良いな』


 心の底から愛せる誰かに。心の底から愛してくれる誰かに。


『何時か知れると良いな』


 愛し愛され温もりを分かち合う喜びを。


『――――私は友として君の幸せを心から願っておるよ』


 そう言って朗らかに笑う明に清明は心を奪われたのだ。

 この夜を境に友は想い人になった。

 そして自らの名を清明(はるあきら)から清明(せいめい)に改めた。

 明という名が特別なものとなったがゆえの改名だ。


「あ奴との愛おしい記憶の一つよ」

「……」


 男と女のそれではなく友情だろう、と道満は言えなかった。

 清明が素直になって明に男を求めれば明はきっとそれに応えるだろうと思ってしまったからだ。


「明との輝かしい思い出はまだまだあるぞ。次はそうだな」

「なら、そう言えば良いじゃない」

「何?」


 道満は清明の“負い目”を見抜いていた。


「私の幸せは貴方に抱かれることであると明くんに言えば良いじゃない。

自信満々に語るぐらいだから受け入れてもらえるとは思っているのでしょう?

ええ認めるわ。私も貴女のそれが根拠のない過信ではないとね」


 想いを伝えれば成就する公算が高い。


「にも関わらず想いを告げないのは心のどこかで自分のような人間が相応しくないと思っているからでしょう?」


 清明は自分がロクでもない人間だと自覚している。

 それゆえに、負い目が生じてしまう。


「その心根の美しさに惹かれたがゆえに穢してしまうのではないかと。そう思っているから」

「ああそうだがそれが何か?」

「え」

「今話しているのは明にどう想われているかで私が愛を告げる云々の話ではあるまい」


 論点をずらすなよと清明はせせら笑う。

 見事なまでの棚上げ。感服するほどの厚顔。


「……お喋りはここまでにしましょうか」

「ハッ、形勢不利となるや即座に尻をまくるか。情けない奴め。が、まあ良い」


 女のマウントバトルはこれで終了。ここからは殺し合いだ。


「私もそなたを殺しとうて殺しとうてしょうがないからな」

「気が合うのね。私もよ」


 二人は同時に空中へ指を走らせそれぞれの紋を描いた。

 清明は五芒星を。道満は縦四横五の格子状の九字を。

 五芒星より白雷が、九字の紋から黒雷が飛び出し中央で衝突。せめぎ合う。


「「ちぃっ……!!」」


 赤炎が、黒炎が、翠風が、黒風が。

 ぐるぐると回転するそれぞれの紋から絶え間なく術が吐き出される。

 複雑な術の行使に必要な術式はそれぞれで異なる。同系統の術でもない限り原則、使いまわしなどはできない。

 だが極まった術者は一つの、己を象徴する紋で数多の術を発動することができるのだ。


「ぬ?」

「む?」


 埒が明かぬと二人は同時にギアを上げた。

 清明の頭と臀部からは狐耳と尻尾が、道満の頭と臀部からは狸耳と尻尾がそれぞれ飛び出す。


「……あなた、混ざり物だったのね」

「母がロクでもない化け狐でな。そういうそなたは……怪異を取り込んだのか」


 陰気が極まった結果、邪法、或いは怪異の肉を喰らう。

 方法は様々だが怪異になる手段は様々ある。

 だが共通してそれは心身共に不可逆の変容。

 己を保ったまま力だけをなどという都合の良いことはない――はずだった。

 しかし道満は己が特異体質を以って力だけを己がものとしている。


「ええ。私は人の世で生きるには少しばかり不都合が多すぎるから」


 化ける、誤魔化す、隠す、その手の力が必要だった。

 独力でも賄えなくはないがどうせならそれらを得手とする狐狸の力を取り入れた方が楽だ。


「伊予国だったかしら。そこに強い力を持つ化け狸が居ると聞いたから貰いに行ったの」

「おぞましい女よ」


 吐き捨て、再度神域の術比べが始まる。


(術師としての腕は私の方が二枚、三枚上だが)


 道満は無尽蔵の陰気でその不利を補っている。押し切れない。


(継戦能力と出力はこちらが上回っているけれど)


 清明のそれも決して低くはない。自らの強みで優位に立つにはうんざりするほどの時を要するだろう。


「「面倒だ(ね)」」


 両者の思考は一致を見た。

 闇色の水が跳ねる。二人はそれぞれの紋を消し地を蹴り駆け出した。

 右足で強く踏み込み、


「「くっ……!?」」


 互いの拳がその顔面を打ち抜き同時にのけ反る。

 さっさとコイツを殺したいが術を交えてでは千日手。

 だったらもう余計なことはせず殴り合って白黒つければ良い。

 そんな蛮族思考の下、ある種の同意が成された結果がこれだった。

 大陰陽師安倍晴明VS暗黒法師蘆屋道満。


「くたばれ間女!!」

「間女はそっちでしょうが!!」


 前人未到のキャットファイトが今、始まる――――勝手に戦え!!

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