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二十二

 天を衝く巨躯。ただそこに在るだけで空間を歪ませるほどの陰気。

 並みの退魔師・陰陽師であれば対峙した瞬間に戦意を喪失するだろう。

 しかしこの英明、並みの男ではない。

 豪風を纏い振り下ろされた巨腕。迫るそれにもまるで怯むことなくギリギリまで引き付け刃を合わせてのけた。

 人差し指と中指の間に通された刃はするりと何の抵抗もなく肉を切り裂き振り抜かれる。


【ぬぁ!?】


 傷口を奔る陽気の傷。

 ただの飛ばす斬撃では異界に満ちる陰気で減退させられあっという間に霧散してしまう。

 ならば怪異の肉体を保護膜にしてしまえば良いと明は体内に斬撃を通してのけたのだ。

 黒鬼も陰気の塊ではあるが外で放つよりはずっと抵抗が少ない。


【えぇい!!】


 だが敵も然る者。一目で意図を看破し危険性を察知した樹は肘から下を即座に切り落とした。

 ダメージは負うが陽気の傷を放置し浸食させるよりも回復させた方が消耗は少ないと瞬時に判断してのけたのだ。


「中々どうして! 二度は通じんか!!」


 同じ技を繰り出す。

 しかし今度はさっき以上の対応を見せられてしまう。

 樹は黒鬼の体内の陰気を操作し道を整備しそこに斬撃を誘導し形成した穴から体外に放出してみせた。

 正しく神業。明も思わず感嘆の声を上げてしまうほどだ。


「ならば直に」


 陰気の対流に乗っかって滑るように上昇。

 途中で腕に乗っかったところで皮膚がぼこぼこと隆起した。

 こぶからは人間と同じか少し大きいぐらいの怪異が無数に出現し明の道を阻む。

 異界に敷き詰められた怪異の骸が寄り集まったものだ。こういうこともできて当然だろう。


「これまた上手いな」


 単なる兵隊ではない。

 足止め、妨害に特化した機能を持たされている。

 一つ一つは大したことはないがしかりと運用すればかなり面倒だ。

 そうして時を稼がれている内に樹は攻めの段取りも整えていた。

 収束された陰気が皮膚に形成された口からレーザーの如く照射される。

 一撃で絶命はしないが貰えば厄介。薙ぎ払うように放たれる光線から逃れるには黒鬼の体から離れるしかない。

 明は即座に黒鬼の体を蹴って距離を取る。


(……悲しいな)


 樹のことを気にしなければ勝負はつけられる。

 だが自分が望み、縁が望む結末は救済。

 そのためには明はどうしたって頭部にまで行く必要がある。まずは切り離さないことには樹の身が危ないのだ。

 それゆえこの攻防は成立していたのだが、明は気づいてしまった。何に? 樹の優れた能力、その理由にだ。


(父親譲りの才覚、か)


 元より万事卒なくこなせるだけの器量はあったのだろう。

 だが樹の才覚が真に発揮されるのは苦しみの中で。

 父である大樹は生まれながらに不遇を強いられていた。

 不幸自慢になると思ったのか多くを語りはしなかったが過去を語るその口調の裏には怨念染みたものがあった。

 庶子とは言え貴族に生まれたのに貧民のような暮らしをしていたのは想像に難くない。


(苦境は野望と同時にその能力を大いに育んだ)


 叩けば叩くほど、伸びるのだ。伸びてしまうのだ。

 それでも大樹はマシだ。己が抱いた野望(ゆめ)のために血を吐く努力ができるのだから。

 でも樹は違った。望んだものではない。選んだものではない。押し付けられた道だ。

 強いられたその道を歩くために必要なことだと無理やりに多くを望まれた。

 常軌を逸したスパルタ教育。普通はどこかで折れるもの。

 しかし叩けば叩かれるほどに伸びる才覚を持つ樹は大樹の期待に応えられてしまった。


(能力を伸ばすという点でそれが正解だったことが何よりの不幸よな)


 大樹も樹が折れていれば取返しがつく段階で正気に戻る道はあったのかもしれない。

 無論、明に大樹の所業を肯定するつもりはない。概ね縁と同意見だ。

 それでも苦境逆境において光り輝くその才覚がなければ、とも思ってしまうのだ。


(私が、私がするべきことが定まった気がする)


 救う。そう決めたは良いが気の利いた説得など考えてはいなかった。

 あの夜、みちるに言われた通り心のままにぶつかれば良いと。

 だがここに来て明は理解した。説得よりも何よりもまず彼女のためにしてあげなければいけないことに。


【ば、化け物め】


 明が決意を固めている一方、樹は恐怖を抱き始めていた。

 聡明であるがゆえに英明という退魔師の異常さが理解できてしまったのだ。

 異界羅城門。ただそこに在るだけで人を狂い死にさせる地獄の如き世界。

 とは言えだ。術式等による防護を施した上で滞在するだけならそこまで難しくはない。

 だが戦いともなれば話は変わって来る。

 強化、防護、攻撃、戦う上で霊力の消耗は避けられない。それがこの空間であれば尚更だ。

 怪異に利する場であるということはそれつまり人間にとっての鬼門。その消耗は低く見積もっても通常空間での倍はあろう。


【それでもある程度はやれる、やれるが……】


 退魔衆の組長格と言えどこれまでの戦闘で使ったであろう霊力を考えればとっくのとうに……。

 樹も度重なる威力偵察と師である道満からの言で明の特異体質は知っていた。

 その上で、勝てると踏んでこの空間を用意したのだ。

 にも関わらずどうだ? 涼しい顔で太刀を振るっている。

 相手も修羅場を潜った退魔師だ。己が消耗を悟らせないよう振舞う技術も身に着けているだろう。

 だがどこからどう見ても明は素だ。


【き、貴様のそれは異常だ!!】


 何の護りもなしに生来の体質だけで異界に踏み入り惜しげもなく霊力を使い戦う。

 そんな明の姿は樹にとってはある種、得体のしれぬ化け物のように見えていた。

 勝てぬ。このままでは勝てぬ。心身共に追い詰められていく樹。それはつまり更なる飛躍の引き金でもあった。


【怨ッッ!!】


 印を結び即席で編み上げた術を発動。

 するとこれまで巨大ではあったが筋肉質な体をしていた黒鬼の肉がぶくぶくと肥大化していく。

 より強くより適した形になるための生まれ変わろうとしているのだ。

 当然、敵も黙って見ているつもりはないだろう。邪魔をさせぬようにと牽制を放つ。

 しかし明は牽制を捌きつつも動かない。

 何を考えている? と訝しむも好都合だと樹は術に集中。準備を整えていく。


 ――――実戦経験の浅さが如実に出た行動であった。


 実のところ怪異が別物と言えるほどに姿形を変えることはそこまで珍しくはない。

 流石に下級中級では見かけないが上級、特級と位置づけられるような怪異なら大概はやれる。

 怪異と相対する際は二度殺すまで安心するなという教訓が退魔師の中にあるほどだ。

 不吉の数字を背負い退魔師として前線で戦い続けて来た明も、その手の怪異は山ほど斬って来た。

 それゆえどう倒すのが効率的かをよーく知っている。


【は?】


 いざ生まれ変わらん、正にその瞬間に黒鬼の体が弾け飛んだ。

 こんなことにはならないはず。何か失敗をしたのか。宙に放り出された樹が刹那の中で思考する。

 しかし直ぐに己の失態ではなく明の手によるものであることを察した。

 何時の間にか宙に躍り出ていた明が太刀を振り抜いているからだ。


「上手くいったな」


 古き肉を棄て新しき肉を迎え入れんとするその瞬間こそが狙い目なのだ。

 力が極限にまで膨れ上がっていて不安定な状態であるがゆえそこを突ければ容易く崩れてしまう。

 言うは易し行うは難し。実際にこんなことがやれるのは組長格だけ。

 これほどの陰気を貯め込んだ特級の怪異ともなればやれるのは更に一握り。

 少しでもタイミングが狂えば爆ぜた陰気が周辺に甚大な被害を及ぼすからだ。

 そして英明はそれを成せるだけの実力があった。


「ぐっ」


 動揺で着地が上手くいかず転がってしまう樹。

 直ぐに姿勢を立て立て直さんと起き上がるが目の前にはもう明が居た。


「ひっ……あ、あ」


 多少なりとも手傷を負わせられていればまた違ったのだろう。

 だが明はまったくの無傷。装束が戦塵で汚れているぐらいだ。

 そこで初めて樹は“死の恐怖”というものを実感した。

 これまで遠い存在であったそれが吐息を感じるほど近くに在る。

 その事実が才気溢れる少女から冷静さを一気に奪い取った。


「や、やめ……く、来るな! 来るな来るな来るな!!」


 黒鬼から切り離されたがその残滓は残っている。

 樹は咄嗟に異形かした右腕へ霊力を集中させ突き出す。遅く鈍く当たるはずのない一撃。

 だが明は抱擁を以ってその一撃を受け入れた。


「あ、明様!!」

「心配ご無用。急所は外していますゆえ」


 悲鳴を上げる縁にそう穏やかに語り掛け明は樹の華奢な体を抱く手に力を籠める。

 何を、と跳ね除けようとする樹だったが……。


「――――よく頑張った」

「ぇ」


 優しく囁かれたその言葉で頭が真っ白になる。


「君の今日までの歩みを心から労いたい」


 罪を糺す言葉ではない。

 不幸を慰める言葉ではない。


「その道は決して正しいものではなかった」


 まずはそれよりも何よりもかけてやらねばならぬ言葉があるだろう。


「自ら選んだものですらなかった」


 これは当たり前のこと。


「強いられただけ。それしか道がなかった」


 救う救わないの話はその後だ。


「それでも」


 ああ、それでもだ。


「君はここまで歩き続けたのだ」


 どれほどの苦しみがあったことか。


「――――君は本当によく頑張った」

「あ、あぁ……ぁぁ……」


 頑張った子供を褒めてやらずにどうすると言うのだ。

 誰も彼も樹の頑張りを認めてやらなかった。だからまずは称えよう。その歩みを。血を吐く努力を。


「私が同じ状況に在ったとしても、君のようにはやれなかっただろう」


 早晩、折れていたはずだと明は苦笑する。


「樹。君は本当にすごい女子だ」

「ぼ、ぼくは……が、がんばって……い、いたくてもくるしくても……」

「ああ。頑張ったとも。誰が君の頑張りを否定できようか」


 だから、と明は更に強く抱き締めた。


「もう荷を下ろそう。それは君が負うようなものではない」


 ここまで頑張ったのだ。誰にも文句は言わせんさ。


「ゆっくりお休み」

「う……うぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 その言葉がトドメとなり決壊。止め処なく涙が溢れ出す。

 わんわんと恥も外聞もなく大声で泣く樹を明はうん、うんと優しく頷きながら抱き締め続けた。

 そうしてどれほど経ったか。泣き疲れて眠ってしまった樹に呼応するように異界が音もなく崩れ出す。


「終わったな」


 樹を抱きかかえ裸身を隠すよう外套を被せたところで明の下に大樹が駆け寄って来た。


「は、英殿――いえ、英様……何と、何とお礼を申し上げればよいのか……」

「細かい話は後回しにしましょう。まずはこの子を温かい布団で寝かせてやらねば」

「私も明様に賛成です。心と体をゆっくり休めさせてあげましょう」

「とりあえず私の屋敷に運ぶか。灯」

「はいはい。お任せあれ」

「うん。では行こうか」


 再び開いた外界への口を通ると、


「む。君らは陰陽寮の者か?」


 羅城門付近には十数人の陰陽師が待機していた。

 もしや、と思った明が口を開くよりも先に集団が割れ一人の男が姿を現す。陰陽寮の長、流水である。


「安心するでおじゃる。その子をどうこうしようなどという気はないゆえの」

「あなたは」

「うむ。顔は知っていようが改めて名乗るでおじゃる。麻呂こそが陰陽寮を束ねる」

「餅麻呂様」


 餅のように丸い麻呂。略して餅麻呂である。


「え、何それ?」

「あ、失敬。清明の呼び方がつい」

「え、アイツ陰で麻呂のことそんな風に呼んでんの?」


 いや今はそういうこと言ってる時ではないでおじゃるなと流水は咳払いを一つ。


「清明から後始末を任されておる。決して悪いことにはならぬゆえ安心すると良い」

「……忝のう御座ります」

「よいよい。さて、大樹殿」


 流水が何とも言えぬ顔で大樹を見やる。


「如何なる覚悟もできておりまする。樹が無事であるなら、それで構いませぬ」

「……うむ。では英殿。麻呂たちはこれで失礼するでおじゃる」


 流水が部下と共に大樹を連れて去って行った。

 それを見送った後で明もまた移動用の式に乗り屋敷へ。


「ようやっと終わりましたなあ」

「はい……あの、清明様は大丈夫でしょうか?」

「あ奴ですか? 大丈夫。大陰陽師安倍晴明。万に一つの負けもないとこの英明、断言致しましょうぞ」


 そう言い切る明の目には微塵の不安もなかった。

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