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二十一

(……誰だ?)


 身なりからして貴族。それも結構な御家の人間だというのは分かる。

 よくよく見れば樹と目元が似ている――名を呼んでいたし縁者だろうが何故ここに。

 と、そこまで考えて気付く。


(清明か)


 そもこの空間に入れるのは招かれた私たちだけ。

 男からは常人程度の霊力しか感じない。

 灯の護りがある縁殿ならともかく只人がここに迷い込めば即狂い死にだ。

 入れたこと、健在であること、この二点から考えて清明の差配であることは間違いない。

 多分だが彼こそが樹のこれまでを私が知るために必要な人間なのだろう。


「父上。このような時間に出歩くのは感心致しませぬな」


 心底から見下し切った態度で樹が言う。


(頭が冷えたか? いや違うな。むしろ更に煮詰まって表面上は逆に落ち着いたように見えるだけだ)


 そしてやはり縁者であったか。それも父親。

 ああ、何となく見えて来た気がするぞ。そうか、彼がある意味では事の元凶……。


「儂が、儂が悪かった! だからもう、このような馬鹿げた真似は止めてくれ!!」

「名目上はあなたが当主ではあるが既に実権は私のもの。当主の嫁取りを如何なる仕儀で阻むのか」


 怪異を薙ぎ払いながら親子の会話に耳を傾ける。


「序列を弁えぬとはそれでも名門天羽の先代か。老醜を晒すのもいい加減にして頂きたい」

「うぅぅ」


 話にならぬと思ったのだろう。樹の父は私に視線を向けた。


「英殿! どうか、どうかお許しくだされ! あの子の命だけは!!」


 欲しいのなら金も家もくれてやる。それでも足りぬと言うのであればこの首も。

 樹の父は必死に娘の命乞いをしているが、


「謝る相手が違うだろうが」


 樹の父が謝罪しなければいけないランキングがあるなら一位はダントツで縁殿。

 続いて樹。私は……まあぶっちゃけ私欲で首突っ込んでるから別に。


「ッ……仰る通りに御座います。東雲のお嬢さんには本当に」


 謝罪は最後まで続かなかった。


「――――お前まで僕がその男に劣ると言うのか!!!!」


 樹の怒声が空間を軋ませる。

 そりゃそうだ。私に命乞いをするということはそれすなわち樹が負けるということなのだから。


「灯」

「はいはーい。御守り致しますよぅ」


 これまでは父親に対しては怪異を差し向けていなかった。

 だが命乞いをする姿を見て完全にキレてしまったようだ。

 父親を護るように立ち塞がり片手で長刀を振るいもう片方の手で彼の襟首を引っ掴んで灯に投げ渡す。


「あ、あの……あなたは……これは、何がどうなっているのですか?」


 と縁殿。

 そりゃそうだ。樹の父親には説明責任がある。縁殿は完全な被害者なのだからな。


「全て、全て私の罪なのです。あの子には」

「庇いたいのならまず事情を説明しろ。それが責任というものであろうが」


 怪異を斬りながら促すと男――天羽大樹と名乗ったはゆっくりと語りだす。


「……英殿も存じ上げておりましょうが天羽は飛鳥の頃より続く名門に御座います」


 いや存じ上げないな。立場的に知ってておかしくないのかもしれないがまるで存じ上げない。

 ただこの空気で存じ上げないとは言えないので存じている風を装い一つ頷く。


「私は今でこそ当主になっておりますが元は家を継ぐ権利などない妾の子だったのです」


 正室とその子らどころか使用人にすら虐げられ幼少期は酷い苦渋を舐めたという。

 だが大樹はそれで心折れず。むしろ奮起し、こいつら全員を蹴落としてやると野望を滾らせていたのだとか。

 そして彼にはそれを成すだけの力があり二十二を数えた頃、見事野望を果たした。

 これまでの鬱憤を晴らすように自分らを虐げていた者らを虐げ返してやった。

 名家から嫁も娶り娘の樹も生まれ正に我が世の春を謳歌していた。

 しかし樹が三つの頃、大樹が突然倒れたのだという。


「……兄どもが雇った陰陽師からの呪詛でした」


 幸いにして直ぐに原因は判明し解呪は成った。

 だがその後遺症で種がなくなってしまったことが判明。嫡男が作れなくなったのだ。

 解呪までが兄らの計画の内。種がなくなれば必然、兄らの子を使わなければいけなくなる。

 しかし兄らに子は居ない。正確には計画実行前に事故に見せかけ殺されていた。


(子作りをしてほしければ、ということか)


 だがその計画には誤算があった。大樹の怒りだ。

 主犯の兄や企てに加担した者らは当然としてその関係者までも悉く嬲り殺したのだという。

 辛労辛苦の果てにようやく掴んだ当主の座。それを憎き者らに渡せるはずがない。

 そうなると今回の件に関与していない遠縁から養子を貰うのが筋だが……。


「我が子以外に、渡しとうなかった」

「まさか」

「……樹を息子として育てることに決めたのです」


 縁殿が信じられないものを見るような目を向ける。

 そりゃそうだ。


「……イカレてる」


 私も思わずそう呟いてしまった。

 未来では心と体の性別の差異に悩み自ら命を絶つ人間だって居た。

 それほど性自認というのは大きな問題なのだ。

 周囲に言えず一人で抱え込んでというだけでも辛いのに樹の場合は自身の親から押し付けられたのだから……。


「息子として育てる。そうは決めてもやはり女は女。無意識のうちに多くをあの子に求めてしまった」


 隠していても露見してしまう可能性がは常につき纏う。

 それを直視できない結果そうなったのだろうと大樹は懺悔する。


「誰にも文句を言わせないほどに優秀であれば、と」

「~~!!」


 堪らず、と言った様子で縁殿が大樹の頬を引っ叩いた。


「あ、あなたは! あなたはご自分が何をしたか理解しているのですか!?」


 わなわなと怒りに震える縁殿。

 自分のためではない。散々に迷惑をかけられた樹のために怒っているのだ。


「あなたは! 娘を……我が子の心を壊してしまったのですよ!?」

「……」

「ああ……ああ、思い出しました。思い出してしまいました。樹さん、あの方のことを」


 名を聞いても分からない。姿を見ても思い至らない。当然だと縁殿は言う。


「初めて出会った時、樹さんは“女子の装い”をしていたのですから」


 その日、縁殿は喜兵衛殿から貰った髪飾りをつけ浮かれ気分で一人こっそり散歩に出たのだという。


「猫を追い人気のない場所に迷い込んだ先で樹さんに出会いました」


 見惚れたという。本当に楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。

 ただ座って空を眺めているだけなのに、だ。


「今なら分かります。何故ああまで嬉しそうだったのか」


 貴族が着るような華やかなそれではない庶民が着る粗末なボロボロの服。

 それでも己を偽らず少女で在れるという事実そのものが嬉しかったのだ。


「そうとも分からず私は声をかけました。お友達になれればと」


 樹は決して名乗らなかったという。

 天羽樹であることがバレてはいけないという強迫観念が根付いていたのだろう。


「綺麗だね、と樹さんは仰ってくれました。酷く切なそうに、それでいて心底私を祝福するように」


 それは届かぬものへの憧れだったのかもしれない。

 縁殿は気付けば自身の髪飾りを差し出していたという。

 酷く、酷く悲しい気分になったのだ。


「あんなに綺麗な人なのにどうしてそんな悲しそうな顔をするのか」


 樹は拒否したがきっと私よりもこれが似合う要らぬなら売り払えば良いと無理やり押し付けた。

 少しでもその悲しみが晴れるよう。憂いが薄れるよう。そう願いを込めて。


(ああ、君は初対面の人間を心底から案じ幸福を願えるその姿に惚れたのだな)


 帰るまでは違ったのだろう。また別の感情だったはずだ。

 しかし屋敷に帰れば男の樹に戻らなければいけない。

 理屈ではなく本能の域でそう躾けられてしまっている。だから捻じ曲げてしまった。

 だって今感じているそれは女の自分が抱いたもの。天羽の次期当主が持つのは許されないもの。


(それでも、捨てたくはなかった)


 きっと縁殿との出会いは傷つき摩耗しきった心に訪れた唯一の救いだったのだろう。

 だから縁殿に惚れたのだと自らの気持ちを歪ませた。そこまでしてでも捨てたくはなかったのだ。


「あなたにも……ッ! 同情できる点はあるのかもしれません!!

でも、あなたは大人で……樹さんの御父上なのですよ!? 何故我が子にそのように惨い真似ができるのですか!!」


 愛されて育ったからだろう。大樹がどれだけ惨いことをしたのかが分かってしまう。

 堪え切れずに涙を流しながら息を荒げるその姿は酷く痛々しい。

 大樹は返す言葉もないと跪き己が罪を悔い続けている。


「だまって、きいていれば」


 ぴきり、と何かが罅割れるような音が聞こえた。


「どいつもこいつもわけのわからぬことを」


 あれは、まずい。


「明様!!」


 灯が叫ぶ。


「分かっている!!」


 止めねばならない。私ではない。“樹の命”が危ういからだ。

 切り札を温存している余裕は消えた。明星を抜き全力で怪異の軍勢に突っ込む。


(封印術。清明が仕込んでくれた術式を用いて何とか……!!)


 回復は最低限にし、肉体と明星の強化に霊力を回す。


「めざわりだ」


 勝利する、生き残るための立ち回りからは外れてしまうが致し方なし。


「みみざわりだ」


 早く、早く!!


「――――なにもかも、こわれてしまえ」


 ボロボロになりながらも軍勢を突っ切り異形門に辿り着くが、遅かった。

 樹の体に走った黒光りする亀裂。


(あれではもう……!!)


 頭ではそう分かっていても納得はできない。

 私は咄嗟にお頭から預かった護りの小太刀に全霊力を注ぎ込み投擲していた。

 少しでも阻害できれば。その一心での悪あがき。

 だが私の悪足掻きは陰気の爆発により呆気なく飲み込まれてしまった。


「くっ……!!」


 爆破の衝撃で吹き飛び、来た道を戻される。

 間に合わなかった。助けられなかった。


「あ、あれ? 明様! あれ! あれ見てくださいまし!!」

「な!?」


 私と灯が感じ取ったのは陰陽の調和が完全に崩壊する兆し。

 陰気が爆ぜこれまでの人格とは何の連続性もないまったく新しい怪異となる不可逆の変容。

 そう、そのはずだった。

 しかし樹は原型を、人の形を留めていた。

 巨大な黒鬼のばっくりと裂けた頭部。丁度、脳のある部分だ。

 そこに裸の樹が核のように埋め込まれていてその目には彼女自身の人格が見える。


「は、ははは」


 大地を埋め尽くしていた怪異の軍勢が全て黒鬼に吸収される。

 吹き荒ぶ禍津風の中、私は思わず笑ってしまった。


「絶望したか? まだ早い。本当の絶望は」

「安心した」

「なに?」


 言葉だって話せてる。

 ぱんぱんと服についた戦塵を払う。


「縁殿。おどろおどろしい怪物に見えますが大丈夫。私なら問題なく斬れましょう」


 勝てる。確実に。でも、それで良いのか? 少なくとも私は嫌だ。


「ですがその前に一つ問いを投げたく。あなたの願いは何でしょう?」


 呆然としていた縁殿がハッとした顔になる。

 そして直ぐにキリリと表情を引き締め、私に願う。


「私は勝利を望みません。救済を望みます」

「誰の?」

「樹さんの。傷つき血と涙を流す一人の女の子を助けてあげてください」


 それが、それこそが私の望み。私の願いだと縁殿は言い切った。


「奇遇ですな。私も同じ気持ちなのですよ」

「明様!」


 明星を肩に担ぎ黒鬼を見上げる。

 今、私の中で凄まじい勢いで陽の気が燃え上っているのを感じていた。

 ならば良し。それで良し。この滾る熱に心と体を任せよう。


「――――カッコつけさせてもらうぜ」

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