二十
決戦の日、来たれり。
生活リズムを変え日付が変わると同時に起床。
縁殿が用意してくれた握り飯を腹に入れ身を清め戦支度を整えた。
そして丑三つ刻。出陣の時間がやって来る。
「灯」
「縁様のことはこの灯が必ずや御守り致しましょう。ええ、掠り傷一つ負わせぬと誓いましょう」
はんなりとした笑顔とは裏腹にそこに込められた意思は強い。
若き陰陽師。果たし状には天羽樹と記されていたが決闘の場には縁殿を連れて来るようにと書いてあったのだ。
そうしなければ喜兵衛殿らを狙うとも。であれば縁殿をあちらに行かせ家族諸共灯に護らせることも考えたのだが、
『見届けます。最後まで』
真っ直ぐな言葉にそんな提案はできなかった。
ちなみに天羽樹という名についてだがやっぱり心当たりはないらしい。
「では参りましょうか」
向かうは朱雀大路の羅城門。芥川龍之介の羅生門で有名なあそこだ。
日付が変わると同時に果たし状の場所を記しているであろう空白に文字が浮かび上がった。
ギリギリまで隠していたのはこちらの偵察を阻むためだろう。
「はい!」
「了解ですぅ」
二人を伴って屋敷を出たところで清明と出くわす。
「む、その腋は!?」
「相手が相手だからな。私も本……待て。腋?」
「あ、明様?」
おっと、確かに言葉が足りなかったな。縁殿が戸惑うのも無理はない。
「清明が今着ている色々おっ広げた装束はあ奴が本気を出す際のものなのです」
惜しげもなく綺麗な腋と横乳、背中、太腿の横を晒したあの装束を見るのはこれで三度目だ。
一度目の時も二度目の時も清明は目を見張る活躍を見せてくれた。
「敵は強大。さりとて清明があの丸出し装束を見せたということは必ずや勝利するでしょう」
ですのでどうかご安心を。
そう言ったところで、
「あっづあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!!??!」
ケツに火が点いた。
「やめ、やめぬか清明! 戦う前から敗北してしまうぞ!?」
「誰が丸出し装束だ。そなた私の戦装束をそのように呼んでおったのか」
い、いやだって勝負服というにはあまりに丸出しなんだもの……。
「すいません清明様。私も正直そう呼ん……あ゛ぁああああああああああああああああああああああああああ!?!!?」
二人して転げまわる。
「……阿呆どもめ」
「今のは明様と灯様が悪いと思います」
「「えぇ? そうかな? でも縁殿(様)が言うならそうなのかも」」
「そなたら私になら何言っても良いと思っておらぬか?」
気にするような性格なら白昼堂々女をとっかえひっかえしないでしょうに。
(ま、それはさておき)
ちらと横目で縁殿を見やる。
うん。良い感じに硬さが解れたようだな。清明も敢えて乗ってくれたのだと思う。
いや灯は素か。それと私が丸出し装束って呼んでるのも本当だが。
「さて。昨日も言ったと思うが天羽樹単独であればそなたなら問題なかろう」
「……蘆屋道満だな」
天羽樹とは師弟関係らしい。
何のために彼を唆したかは知らないが、まあ当然バックアップはあるだろう。
「うむ。先ほど決闘の場である朱雀大路の羅城門を見て来た」
「どうだった?」
「一見すれば何の変哲もない何時もの羅城門よ」
だがその実、あそこは蘆屋道満の手によって異界と化しているらしい。
私たちが足を踏み入れればその瞬間、あちら側へと渡されるだろうとのこと。
「私でも外からは感知できなかった。入ってみねば実際どうなのかが分からぬ」
「でも入るわけにはいかない。そうだろう?」
「ああ。アレを仕留めねばならぬからな」
一定時間でも清明を足止めされたら面倒なことになる。
戦う相手を交代したとして搦め手に長けているであろう蘆屋道満相手だと私ではな。
道満の目的が判明していればもう少し柔軟な対応を取れたのかもしれないが……。
「ゆえこちらも事前にもう一つぐらいは仕込みをしておくべきと判断したわけだ」
明星だけではちと不足、となったわけか。
「すまんな。頼む」
「ああ」
ふわりと甘い香りが花を擽った。
清明の両手が私の頭に回され、
「――――」
唇を奪われた。
頭が真っ白になるとはこのことか。
しかし次の瞬間、流れ込んで来る清明の陰気を感じ冷静さを取り戻……いや無理無理取り戻せんわ。
接吻の経験がない私としてはこんなことされたら普通にキョドるわ。
普通に流すより経口での方がより深くと、理屈は分かる。分かるけどさあ。
ってかコイツ、キス上手い……。
「うっわ、ここぞとばかりに舌まで入れてますよ」
「あわわわ!」
生き物のように這いまわる熱い舌が私の口内を蹂躙する。
良かったな君。戦いの前じゃなければ明の明が元気になってたぞ。
「やっぱり清明様は……で、でも二番目ぐらいになら……」
「いやどうでしょうねえ」
「だ、だめでしょうか?」
「あ、清明様の独占欲がとかじゃありませんよ? あの人明様がモテてると喜ぶタイプですし」
いや駄目だ。興奮して来た。
だって滅茶苦茶美人だもの清明。真っ直ぐ私を射貫く黄金の瞳を見てると……。
というかコイツ、何で目ぇ閉じないの? 接吻行儀でしょ?
……いやだが経験のない私が偉そうに語れるものではない、のか?
「なら駄目というのは」
「うちのご主人様は拗らせまくってますからねぇ。真っ直ぐ行けば縁様が正室に収まる可能性のが高いって話ですよぅ」
「灯様は本当に清明様の従僕なのですか?」
「主だからと甘やかさない式神の鑑、と界隈では評判ですよぅ」
五分ほどで作業は終わった。
「ふぅ」
微かな水音を立て唇が離れる。唾液の橋がえらく艶めかしい。
清明はぺろりと唾液を舐めとるや常と変わらぬ様子で言った。
「一発限りの使い捨てだが術式を幾つか仕込んでおいた。必要と判断すれば使うと良い」
「か、忝い」
「フフフ。何を照れておるのか。愛い奴よなあ」
こ、コイツ……!
「さて。やることは済ませたし私は先に往く。武運を祈るぞ」
「ああ、そちらもな」
軽く拳を突き合わせると清明は夜の闇に溶けていった。
「では改めて我らも参りましょう」
移動用の式神に乗って羅城門へ。
一見すれば確かに常と変わらぬように思えたがあるラインを越えた瞬間、景色が一変した。
「地獄もかくやという風景だな」
禍々しい異形の門と無数の骸骨が敷き詰められた大地。煌々と燃え盛る黒炎。
人が想像する地獄のような有様でただそこに在るだけで陽気が吸われて行く。
(この陰気の濃さ……飛ぶ斬撃は使えんな)
私から離れた陽の気は数メートルほどで霧散するだろう。
同様に弓矢――陽の気を込めて放つ破魔矢も使用不可。
そして錫杖も。近接武器としては使えるが陽の気を込めて鳴らすことで場を清める浄鳴は使えないので実質使用不可。
近接武器として錫杖を使うぐらいなら手に馴染む太刀か長刀の方が良い。
本気装備五つの内、一つは用途を制限され二つは完全に封じられてしまった。
「来たか」
ほう、かなりの美形。清明のような浮世離れしたそれではないが十二分に美しい。
ただ……そうか。そっちだったか。
「え」
縁殿が声を漏らす。どうされた? と問うとえ? って顔をされた。
「す、すいません。そういう空気ではありませんよね」
とりあえず頷いておく。
灯を見るがこちらも理解できていないようではてな顔だ。
「さて、改めて名乗ろう。私は英明だ。戦の作法も知らぬ愚か者ではあるまいな?」
まあ私も武士ではないから作法もクソもないのだが。
退魔師だからな。どんな手段を使ってでも魔を祓えれればそれでOKだ。
「……天羽樹。始める前に一つ、聞いておきたいことがある」
「何だ?」
「貴様ではない! 縁殿にだ!!」
急にキレるじゃないか。
というかこれ私、悪くないだろ。この流れだと私だと思うじゃないか。
やれやれと思いつつ縁殿に視線をやる。どうする? と。縁殿は小さく頷いた。
「良いそうだ」
「み、見せつけているのか!?」
そういう意図がないでもない。
ふうふうと息を荒げながら樹は縁殿に問いを投げる。
「何故、何故そのような男と!? 何故、僕ではいけないのか!!」
真面目な話をすれば十分、芽はあったと思う。
だって明らかに良いとこの子っぽいしな。そっち経由で縁談持ち込めばいけただろ。
「何故って」
ほら縁殿も困ってる。
面識はあるのだろうが記憶にはなく実質初対面。
そんな相手にこんな迷惑な方法で求愛されて何故とか常識人からすれば困るよ。
「だって」
それでもしっかり返事をしようとするのは縁殿だなあ。
その優しさが此度の事態を招いたわけだが、これからもその優しさを忘れないで欲しい。
「だって――――あなたは女子でしょう!?」
「「……?」」
何を言って……。
私も灯も、完全に想定外の答えに困惑していた。
「な、何ですかその顔は! え、分からないんですか!? 確かに殿方の装いはしてますけど」
ああうん。男装の麗人だよね。
灯と顔を見合わせ首を傾げる。
「だからおかしいでしょう!!」
「「……? あ、あ! あー!!!!」」
そこでようやく、私と灯はこれまでの齟齬に気付いた。
「不覚! 何たる不覚か!! 我が身の不明を恥じるぞ!!」
「ええ! 完全に盲点でした! 身近に女の身で女食い散らかしてる奴居るのでまったく疑問に思いませんでしたよぅ!!」
「それな!」
何なら妙な反応をする縁殿を見て疲れてるのかなと思ったからな。疲れてるのはどっちだよ。
縁談なんて持ち込んでも無理だろうが。何言ってるんだ私は。
そうですよね。女と女ですものね。
前世でもそれなりに認められるようになったとはいえ同性婚などは一般的でなかった。
それがこの時代なら尚更だ。むしろよく今の今まで気付かなかったな。どれだけ清明に毒されてるんだ。
「……」
あぁ!? 縁殿が何とも言えない目でこちらを!!
悲しいかな。弁解のしようもない。完全に私と灯がアホだった。アホ晒しただけだった。
参ったな。私今すっげえ恥ずかしいぞ。灯も頭を抱えてる。
しかし女だとすれば何故に縁殿に恋慕を? 心と体の性別が異なっている? いやだが……。
「女?」
俯きながら樹がぽつりと漏らした。
「僕が、女? 何を言っている」
ぞわりと寒気が背筋を駆け抜けた。
「違う違う違う違う違う! 僕は男だ! 天羽の次期当主だ! 次期当主なんだ!!」
心と体の性別が、という問題ではない。直感で悟った。
「嫡男として家を……家を……あぁああああああああああああああああああああ!!!!」
「ひっ!?」
がりがりと血が出るほどに喉を掻き毟る樹を見て縁殿が小さく悲鳴を上げた。
事は私が思っているように複雑そうだ。
「死ね! 死んでしまえ! 僕を否定する者は皆死んでしまえ!!!」
樹の叫びに呼応し骸が波打つように立ち上がる。
場に漂う陰気が腐肉となり骨に張り付き大量の低、中級怪異が怨嗟の声を吐き出し始めた。
「来るか」
殺すにしても救うにしても一度倒さないことにはどうにもならないと思考を切り替える。
縁殿を灯に任せ私は手甲に巻いた五色の紐の一本を引き抜く。すると紐は長刀に姿を変えた。
強く長刀の柄を握り締めこちらに殺到する怪異の軍勢に向けて振るう。
「飛ぶ斬撃は使えんが……!!」
放出して私から切り離さなければ良いのだ。
陽気を刀身に纏わせ霧散しない範囲で伸ばし両手で長刀を回転させ薙ぎ払う。
「甘いわ愚か者め!!」
「ぬ!?」
異形門の上に立つ樹が私をせせら嗤う。
何を、と思ったが直ぐに理解した。私が斬り捨てた怪異の骸が陰気の靄となり樹に吸い込まれていくではないか。
この軍勢は一度殺され間際の怨念が残留したまま中途半端に蘇生され使役されている。
そこに二度目の死を与えることで更に怨念を加速させ上質の陰気に変換しているのだ。
そしてそれを糧とし樹は自らを強化している。
(ならば直接叩く……といきたいがそう上手くはいかぬよな)
試しに無視して樹の下へ向かおうとしたが如何せん物量差が酷い。
文字通り壁となって私の道ち行きを阻まれてしまう。
迂回に意味はなく壁を破壊すれば結局は相手を強化してしまうので同じこと。
(飛び道具を封じ物量で私を消耗させつつ自らを高める。単純だが厄介な戦法だ)
とは言うものの焦燥はない。できることをやるだけ。
苦境で一々おたついていてはやれるものもやれなくなってしまう。
退魔師としての心構えだ。あとはまあ、
「~~その余裕面! どこまでも僕を見下しやがって!!」
今のところ負ける気はしないというのもある。
新たな愛刀明星の存在に加え清明が事前に更なる仕込みをしてくれたお陰だろう。
だから私自身が万全でなくとも焦燥を感じずに済んでいる。
「夜は始まったばかりだろう? そう焦るなよ」
「この! 行け! 殺す! 蹂躙しろ!!」
無心で怪異を斬り続ける。
その集中が途切れたのは始まってから三十分ほど経った頃。
「――――もうやめてくれ樹!!」
見知らぬ男が異界に踏み入って来たのだ。