十六
「灯様。今日からはその、私もお食事を作るお手伝いをしたいのですが」
もじもじしながらそう提案された灯は即座に悟った。
(あ、これ完全に堕ちちゃってますよぅ)
いや薄々気付いてはいた。
昨日、席を外していた間に何かあったであろうことは。
だって戻って来たら露骨に明を見る目が変わっていたのだから。
(明様はなー、こういうところありますねぇ)
どちらも性根が真っ直ぐだし縁とは相性が良いだろうとは思っていた。
ただ縁と比べて明は色々と鈍い。勘違いさせるようなことを言ったのは容易に想像できる。
(幸いにして縁様は察しが悪くはないようなのでそういう意図があったとは思っていないようですが)
詳しく聞けば十中八九、明が悪いはず。これはもう確信だ。
生まれて四年ほどの付き合いだがその中でも「ちょっと君?」みたいな案件は幾つもあった。
「あ、あのほら! これも手習いの内と申しますか」
明に呆れていると何やらその沈黙を勘違いしたらしい縁があたふたと言い訳を始めた。
面白いからちょっと見ていようと灯は縁の言葉に耳を傾ける。
「いずれほら、嫁に行くわけでしょう? 炊事の一つもこなせねば恥ずかしいですし」
いやないだろう。手ずから食事を作るなんて機会はないはずだ。
これが庶民の娘ならば炊事も嫁入りのための必須技能だが縁はお嬢様だ。
貴族ではないが貴族とも深い付き合いのある大店の一人娘。
嫁ぐ先も当然、相応のところになるのは考えなくても分かる。
そういう家では食事の用意などは下働きの人間の仕事だ。
というか縁の家でもそのはず。
「――――分かりましたぁ! それならお手伝いして頂きますねぇ!!」
灯は快諾した。主の恋心を知っているのに一切の躊躇はなかった。
主が最終的に勝つと確信しているから? 否、そうではない。
何なら灯は清明のことを恋愛糞雑魚女と思っている。
にも関わらず恋敵に加担することを決めたのは面白そうだから。
灯は清明が全力で作り上げた心持つ式神である。清明が、作り上げた式神なのだ。
子は親に似る。つまりはまあそういうことだ。
明も親のようなものだが普段一緒にいるのは母親の方なのでしょうがない。
清明も自分が当事者でなければ確実に同じことをしていただろう。
だから自分は悪くないと灯には欠片ほどの罪悪感もなかった。
「あ、ありがとうございます! それでその、ご相談なのですが明様の好物などを知りたいなぁ、なんて」
「ええ、ええ。灯にお任せくださいまし。明様の好物はしっかりと把握しておりますよぅ」
偽の情報など流すなどセコイことはしない。真実のみを伝えよう。
「まず好きなのはお肉ですねえ」
肉食は供給量が少ないので現代ほど一般的ではないが明はそうもいかない。
体を酷使する職は幾らでもあるが、その中でも退魔師は頭抜けている。
肉体的な疲労や体作りだけでなく霊力を回復する意味でも獣肉は打ってつけなのだ。
まあアホほど霊力がある明にとっては趣味趣向の面が大きいのだが。
「あと味付けは全体的に濃い方を好みますねえ」
雅な方々からすれば下品な、と思われるぐらいを好んでいる。
灯の言葉を受けた縁はこてんと小首を傾げた。
「そう、なのですか? 退魔衆の食堂でお食事を頂きましたけど」
確かに濃くはあった。しかし灯が言うように下品なというほどではなかったはずだ。
灯の疑問は尤もだが当然、それには理由がある。
「退魔衆には貴人が視察という名目で足を運ばれることもそれなりにありますからねぇ」
そういった人間向けに食事を出せるようにもしている。
縁が食べたのはそういう人間用の食事だっわけだ。
なるほどと縁は一つ頷き気になった点に言及する。
「名目?」
「振りですよぅ振り。視察は仕事してる振りには打ってつけですからねえ」
「し、仕事してる振り……」
「現場からすれば迷惑なだけなのにそこら辺分かってませんよねぇ」
あ、と灯が晴れやかな顔で手を叩く。
「そんなこと考える頭があれば仕事してる振りなんてせず普通に仕事できますもんね!」
「あ、あはは」
縁は思った。あれこの人? 結構毒が強いなと。
人懐こい態度で誤魔化されがちだがちょっと踏み込めばこんなもんである。
「詰所をちょろっと見て行くだけならまだしも実際の討伐も見てみたいとか言う方も居るそうで」
そのくせ、ちょっとでも自分に危険が及びそうなら喚き立てるのだと灯は笑う。
「明様も愚痴ってましてねえ。しばらく痔になる呪詛とかかけてくんない? などと清明様に頼ってましたよ」
「そ、そうですか……あの、それより」
「おっと失礼。話がずれちゃいましたねぇ」
明が好きなのは肉。味付けは濃い目。
一先ずそれを押さえておけば良いだろうと灯は締めくくった。
「さてそれじゃあ準備致しましょうか」
「はい。まずは食材の調達ですね。確かうちでも猪や鹿の肉を扱っていた記憶が」
「ああご心配なく。肉類はこのお屋敷の貯蔵庫にたっぷり保管されていますから」
明は暇な時間を見つけては山に入って猪を狩ったり野鳥を仕留めていたのだ。
そうして仕留めた肉は清明に頼んで作ってもらった保存用の術式がかかった貯蔵庫に入れてある。
「そうなのですか? にしてはお世話になり始めてから一度も……あ、私に気を遣って?」
「まあそれもあるでしょうが明様、ちょっと前まで死にかけてましたからね」
「死にかけ……!? ほ、本調子ではないのは窺っていましたがてっきり大怪我程度かと」
「まま。そこはお気になさらず。ともあれ養生の意味で体に優しい食べ物を選んでいたわけです」
「な、なるほど」
「ただそろそろ肉が恋しくなってもいるでしょうし渡りに船ですよぅ」
さ、食事の支度を致しましょう! と灯が言い縁も元気良く返事をして二人は厨へ。
灯の指導を受けながら縁は真心を込めて精一杯、料理作りに勤しんだ。
そして昼、
「む。おい灯、ありがたくはあるがこれは」
銘銘膳に乗ったおかずを見て明が困ったような顔をする。
縁を気遣ってのことであるのは明白だ。
「ご心配なく。縁様のお心遣いですよぅ」
「何?」
「少しでも感謝の気持ちを御伝えしたいと自ら腕を振るったんですよぅ?」
まさかまさかいたいけな少女の心遣いを無碍にはしませんよねぇ? と灯。
「何と。そうであったか」
パァっ、と明の顔が晴れていく。
「忝い。その真心、しかと受け取りました」
「は、はい! 御口に合うかは分かりませんが」
「そんなことはありませぬ。こんなにも美味そうなのだから。仮に合わずとも口の方で合わせますとも」
ドンと胸を叩き明は冗談めかして言う。
それで縁の緊張も解れたようでクスリと笑った。
「ではありがたく頂き申す」
両手を合わせ早速、猪肉の味噌焼きに箸を伸ばす。
火が通り過ぎているのか少し硬い。味も少し薄い。
だがそれを差し引いても美味いと明は頬を緩める。縁の真心がこれでもかと伝わって来るからだ。
「美味い! 実に美味い!」
しっかりと言葉にもする。気持ちがちゃんと伝わって欲しいからだ。
明の言葉を受け縁はほっと胸を撫で下ろし微笑む。
「それはよう御座いました」
「ふふ。縁殿のような気立ての良い女子の手料理を食べられるとは冥利に尽きますな!」
「まあ御上手」
「本心ですとも」
可愛い女の子の手料理とかそれだけでもうご褒美だ。
これで喜ばない男居る? 居ないだろう。明は今、とても良い気分だった。
「清明様が腕を振るった時はそんな反応じゃなかったのに酷い方ですねぇ」
「酷いのはどっちだ。アイツの盛った薬で三日間眠れなかったんだぞ」
かつて明は陽気に反応して効力を発揮する活性薬を手料理に盛られたことがある。
五分もじっとしてられない。兎に角体を動かして仕方ない状態が三日間続いた。
初めて振舞ってくれた手料理がそれだったから以降、警戒してしまうのも仕方ない。
「しかもお前、一回だけならまだしも時々思い出したようにやるだろうアイツ」
二度目三度目は普通で油断してたら四度目を食らってしまった。
「でも食べるのは止めないんですねぇ」
「いやまあそういうところも含めて清明だからな」
キラキラしたリアクションができないというだけで普通に受け入れるのが明だ。
本気で危険なものは仕込まないだろうという信頼があるからだろう。
「そうやって甘やかすからつけあがるのでは? 灯は訝しみますぅ」
和やかに時間は流れ大変、満足の行く食事を取れた。
それから明は縁の稽古を見物したり新しい技を考案したりで襲撃までの時間を潰す。
「今宵は少しばかり趣向を変えてみようと思う」
目に見えて分かるほど濃密な殺気を纏う怪異たちに語り掛ける。
ああ、やっぱり昨日のアレ見ていたんだな。いと憐れなりと明は軽く涙ぐむ。
敵ではある。敵ではあるが男としての感情が憐憫の情を抱かせてしまうのだ。
(でもそんな状態でも一応、話を聞いてくれるあたり律儀だな)
……悪い奴ではあるが救いようのない輩ではないんじゃないか?
そんな考えが明の脳裏をよぎった。
「お前もこれまで見て来た通り、私は基本的に斬ったはったしか出来ぬ」
それで困ったことはない。
だから昨日使ったような防衛技もこれまで編み出そうとはしなかった。
だが、と明は少し遠くを見るように続ける。
「心のどこかで憧れはあったのだ」
呪符を飛ばし式を操る陰陽師。端的に言ってカッコイイ。
刀振るのもカッコイイけど術者タイプのカッコ良さはまた違うだろう。
「なので今日は式神を操って戦おうと思う……来いッッ!!」
懐から取り出した呪符を二指で挟み陽気を込めながら呼びかける。
明の叫びに呼応するように屋敷の方から何かが飛来。
金色のそれは、
「――――我が式、黄金の清明像だ」
明が灯に式神を使いたいと相談した結果がこれだ。
具体的にはこんなやり取りがあった。
『私使ったり大鳥ちゃん使ってるじゃないですかぁ』
『いやそういうのじゃなくて私自身の力で』
『無理無理。明様が霊力注ぎ込んだら一気に陰陽の調和が崩れて壊れるかおかしくなっちゃいますって』
調整すればどうにかならんか? と明が聞くもならんとバッサリ。
量だけではなく質も問題で明のそれに比肩する陰気を用意するのがまず難しいのだ。
『言っちゃ何ですが私って奇跡みたいな存在ですからねぇ?』
『……そうか』
『そんな顔をされるとこっちが……あ、そうだ。アレなら仕立て上げられなくも、ない?』
と選ばれたのが明とも殴り合える黄金の清明像である。
これを灯に作ってもらった特性の呪符に念と霊力を込めて式として行使するわけだ。
「往けい! 黄金の清明像! 悪を滅ぼし正義を掲げるのだ!!」
黄金の清明像は薄ら笑いを貼り付けたまま怪異に襲い掛かった。
明には劣るとは言え、だ。やり合えば屋敷が更地になってしまうぐらいには黄金の清明像の性能は高い。
そこに明が自らの陽気で強化をしているのだからもう……。
「うわっ……私の式神、強すぎ……?」
明がそう漏らすほど一方的な虐殺だった。
「目からビームとか出すし何だこれ」
そう明がぼやいていると昨日のように門が開き縁が飛び出して来る。
昨日と同じように抱きとめた明だが……。
「む」
「明様?」
縁を守るように抱き方を変え振り向く。
明の視線の先では倒した怪異から黒い靄が立ち上っていた。
靄はやがて人型の闇となり、口を開いた。
【よくも……よくも……!!】
男とも女とも判別のつかない耳障りな声。目からは血涙が流れ出していた。
ひっ、と小さく悲鳴を上げる縁を撫でながら明は目を細める。
(姿形はよく分からぬがこの目……)