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十五

「そなたに頼まれておった情報をまとめた資料でおじゃる」

「うむ。ご苦労」

「麻呂思うんだけどそれ上司への態度じゃなくない?」


 縁を狙う何者かが発狂ものの光景を見せつけられた翌日のことである。

 清明は陰陽寮を訪れ長官である三条流水から頼んでおいた資料を受け取っていた。

 この流水。恰幅の良い体に麻呂眉と見事に肥えた御貴族様と言った風だが人は見かけによらぬもの。

 決して家の威光でこの地位に就いているわけではない。

 清明には劣るものの大陰陽師と呼ぶに相応しい実力の持ち主である。


「今更であろうが」

「そうだよ今更だよ。入ってからずっとだよ。あんまりにも堂々してるから逆に言い難かったんだよ」


 初日から堂々遅刻。

 夜勤の者が出勤して少しした後に酒の匂いを漂わせながら堂々登場。


『都の鬼門に居を構える。完全に塞げばそれはそれで不都合が起きるから適度に堰となってやろう』

『え』

『これで務めは果たしたと言えるな? 以降は気分で顔を出す。それではな』

『え』


 言いたいことだけ言って堂々退場。

 しかもその宣告をされたのが新人陰陽師たちへ流水が心構えを説く場。

 同席していた全員が呆気にとられた。


『え、え? 今麻呂、何言われたの? ん? これひょっとして麻呂がおかしいの?』

『落ち着いてください長官。いやでもひょっとしたら……?』

『あなたまで何言ってるんですか』


 こんなやり取りがあったことを清明は知らないし知る気もない。


「でもおかしいと思うことはね。やっぱ口にすべきだと麻呂思うワケ」

「ほう、良い心がけではないか」

「やだこれこの上から目線。完全に麻呂が親戚の子供を褒めてる時のそれ」

「やな親戚のオッサンよな」

「自分で言っちゃうの……?」


 流水はビビっていた。一体何をどうすればここまで傲岸な人間が出来上がるのか。

 一応、お偉方の前では慇懃に振舞ってはいるがその不遜さは隠し切れていない。

 立場的にも実力的にも斬れるような人材でないから見逃されているだけだ。


「ハッ。上司? 長幼の序? そんなものこの清明にとっては」


 一拍置き、


「――――どぉおおおおおでも良いのだぁああああああああああああああああ!!!」


 哄笑。

 ゲラゲラと笑う清明に流水は心底引いていた。


「怖ッ。本当怖ッ。麻呂結構良いとこのお坊ちゃんだけどそれでもここまで増長できないよ?」

「ふーん」

「あ、これ全然興味ねえな。自分語りうっざとか思ってるでしょ麻呂そういうの分かっちゃうんだよね!」


 とは言え、とは言えだ。

 清明からすればこれでも認めている部類の対応である。

 明が例外過ぎるだけでそれを除けば上位の対応だろう。


「はあ。で、何だってそんなの頼んだワケ? ぶっちゃけ関わりたくないのよね“ソコ”ん家」

「ほう?」

「見れば分かるけど色々複雑でさあ」


 公にはなっていないが職務上、流水は知っていた。

 その上であまり関わり合いになりたくないというのが本音だった。


「家格で言えばそなたの実家のが上であろうに」

「まあそうだけど麻呂はもう独り立ちした立派な大人だからして。家も兄上が継いだし?」


 実家の力を頼りたくないし、


「何より口出しし難いでしょ。他所の御家の事情なんてさ」

「恋する乙女のようだな」

「言いたい、でも言えない。揺れる恋心――――って馬鹿! そんな呑気な事情じゃないでしょ!」


 闇だよ闇、人の闇! と流水はうんざりしたように吐き捨てる。

 そして闇と言っても違法行為ではない。もしそうなら官吏に垂れこむこともできるがこれは本当に家庭の事情。

 心情的にも厳しいし公人としても他所の御家事情に口を突っ込むのは憚られる。


「で、これを求めた事情であったか」

「うん。いやまあ悪いことではないんだろうけ」

「そなたの頼みであろうが。もう忘れたのか」

「うん……うん? え、あれ、ちょ、ちょっと待って」


 ぶわっ! と流水のモチモチフェイスに汗が浮き上がる。


「そなたが私に持って来た東雲商会のご令嬢が狙われているという一件」

「まさか……」

「その下手人こそがこの家の次期当主殿よ。いや見事な腕前だ。陰陽寮に入れば即戦力であろうさ」


 と明の言っていたことをそのまま伝えると流水はこれでもかという渋面を作った。


「……待て。その口ぶり、次期当主殿が民間の陰陽師を雇ったというわけではなく」

「次期当主殿の仕業だよ」

「おかしい。四年ほど前に一度ではあるが次期当主殿と顔を合わせたことがある。しかし霊力は人並み」


 とても陰陽師になれるほどではなかったはず。

 流水の言葉に清明はコロコロと喉を鳴らしせせら笑った。


「何を仰るか長官殿。あろうともさ。常人が我らのような霊力を持つ事例が」

「……外法」

「ああ。とは言えだ。次期当主殿が外法に頼って力を得たというわけではあるまいよ」


 原理自体は外法のそれだが、


「結果的にそうなったというだけであろう。この家庭環境を見ればなあ」


 ひらひらと資料を揺らめかせる清明に流水は苦悶の声を漏らした。


「風穴で怪異を調伏する姿を見ていたが次期当主殿は文字通りに我を忘れておった」

「……それほどまでの心的負荷が陰の気を爆発的に増大させ霊力が膨れ上がった、か」

「であろうよ。逆に聞くが年頃の子がこのような仕打ちに耐えられると思うてか?」

「……」


 思えないが、陰陽寮で即戦力になるほどの強い霊力を備えるほどとも思っていなかった。

 流水の沈黙は如実にそう告げていた。


「ぬぅ」


 既に犠牲は出ている。

 清明の下に来るまで東雲商会が雇っていたのは主に市井の退魔師、陰陽師だ。

 が、だからとて幾ら死んでも良いというわけではない。

 市井の者と言えど魔を祓える貴重な人材なのだから。

 だがその責を全て下手人である次期当主に負え、とも言い難い。少なくとも流水は抵抗を覚えている。


「父、そして知っていながら手を差し伸べることをしなかった己を含む第三者の責でもある……かな?」


 清明がクツクツと笑いながらその内心を指摘すると流水は更に苦い顔をした。


「……否定はせんでおじゃる。だが、そのような経緯で霊力を得たのであれば」


 罪をなかったことにできたとしても根本的な解決にはならない。

 その心をどうにかしてやらねば何一つとして現状が変わることはないのだ。

 沈痛な面持ちで額を抑える流水に清明は言う。


「まあそこは心配要らぬであろう」

「うん?」

「令嬢の警護は明に任せておるゆえな」

「明……退魔衆の組長でそなたの想い人でおじゃったか」


 個人的な付き合いはないが組織間で連携を取ることも多い。

 なので組長ともあれば陰陽頭である流水も当然、把握している。

 そして人伝にではあるが清明の想い人であることも。


「何故そなたに頼んだことが放り投げられておるのか分からぬが」

「放り投げてはおらぬ。役割分担よ」

「清明なら一人でも問題ないと思うが……それよりも何故、心配が要らぬと?」


 その実力からしてご令嬢、縁の安全は確実だろう。

 しかし下手人である清明の口ぶりでは次期当主の方にかかっているように思える。


「あ奴は、まあどこまでも人好しな男でな」

「そうね。清明と友人やれてるという時点で凄いなと麻呂、前々から思って……あづぅ!?」


 ボン! と流水の頭が発火。

 普通なら焼け死ぬレベルだがそこは凄腕陰陽師。流水は少し焦げる程度で済んだ。


「他者の心の痛みに敏感で我が事のようにそれを悲しんでしまう」


 近い内に次期当主と明が直接対峙するのは確定事項だ。

 明ならば見ただけで分かるだろう。次期当主が単純な悪党ではないと。


「そしてしかと拾うであろう。その声無き悲痛な叫びを」


 悲痛、などと言っているが清明にとってはどうでも良いことだ。

 次期当主の境遇は憐れなものであるが心底興味がない。

 だがありがたくは思っている。明の好きなところが見られるから。


「救おうとするはずだ。その心を。そして被害を受けた縁殿もお優しい少女ゆえな」


 事情を知れば許すだろう。娘が許せば喜兵衛も渋々とだが受け入れる。

 その上で行き場のないもやもやを商人としての利になるよう発散するはずだ。


「なるほど」

「とりあえずあちらは明に任せておけば良い。問題は黒幕だ」

「黒幕……ああいや、そうか。事件の全容を考えればそのような者がおって然るべきでおじゃるな」


 というかそれならこの資料要らなくない?

 情報集めとかしなくても良かったんじゃ……と流水は首を傾げる。


「そもそもそなたならこの程度の情報ぐらい」

「他の視点からも見ておきたかったというのもあるが、ここから何か読み取れんかと思ってな」


 下世話な世間話で上がるような不確かな噂話でさえ網羅するよう清明は指示を出していた。

 僅かな取っ掛かりからでも良い。何か黒幕に繋がるものが見つけられないかと思ったからだ。

 そこまで期待はしていなかったので落胆はないが、


「面倒な」


 という気持ちはますます強くなった。


「そなたほどの術者であっても分からぬのか」

「正体もそうだが目的も読めぬ」

「……その黒幕にも更に黒幕がおってそ奴が次期当主殿を暴走させ醜聞を作り」

「政争か? だとしても他にやりようがあるだろう」


 あまりにもまわりくどい。

 わざわざ次期当主に陰陽の技を仕込む必要がどこにあるのか。


「私に気取らせぬほどの黒幕だぞ。家を潰すのに必要な醜聞は幾らでもでっち上げられようが」

「そう、よな」


 一応、その可能性を提示しただけ。流水自身もないなとは思っていた。

 流水はもにゅっと自身の顎を摩りながら深々と溜息を吐く。


「厄介でおじゃるなあ。若者二人が悪いようにはならぬことが唯一の救いか」


 被害を受けている縁の身に危険が及ぶことはないだろう。

 そして利用されている次期当主も清明の言を信じるのであれば手は差し伸べられる。


「清明。事が落着した後で組長殿には麻呂からも私的に礼を伝えたい」


 明が好みそうな物を教えてくれ、と流水。


「酒はあまり嗜まぬが飯は好きだな。特に肉。後は仏像」

「ぶ、仏像?」

「仏像の蒐集が趣味なのだあ奴は。私も以前、金色の清明像をくれてやった」

「それ仏じゃなくない? 単なる邪魔物じゃない?」

「喧しい」

「あいだ!? ま、まあ分かったでおじゃる。そういうことならしかと用意しておくゆえ後日席を設けてくりゃれ」

「相分かった。とは言えそなたには他にもやってもらうことがある」

「うん?」

「後始末だ」


 明は次期当主の心を救えるだろう。だがそこまでだ。

 本当の意味で安寧を手にするためには色々とやることがある。


「あ奴は政治などまるで分からん男ゆえな」

「そういうことか。相分かった。政治的な工作は麻呂が請け負うでおじゃる」

「手抜かりがないようにな」

「うん……ってか上司への態度じゃない? なくない?」

「既に終わった話を蒸し返して愚痴愚痴と。モテぬぞ」

「麻呂妻帯者なんですけど?」


 にしても、と流水がニヤニヤと笑う。


「清明、そなた随分と健気よのう。内助の功というやつか? 随分といじましいではないか」


 おーじゃっじゃと笑う流水に清明がピキリと青筋を立てる。

 それに気付かず流水は更に煽る。


「今回の件は麻呂の頼みを聞いてもらった形でおじゃるしぃ?

組長殿だけでなく清明にも礼をせねばならぬよな? じゃあ何をしよっか。

麻呂ね? 今色々と考えてみたの。そしたらすっごい良いこと思いついちゃった」


 パン! と扇子を広げ流水は言う。


「此度の一件が終わった後、麻呂がそなたと組長殿の見合いの席を設けて進ぜよう」


 退魔衆の頭もイヤとは言うまい。

 これは良い考えだと高笑いする流水に清明は、


「――――フッ」


 次の瞬間、流水の頭上に雷が落ちた。比喩でも何でもないマジの雷である。

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