十四
「今日も飯が美味い!!」
快眠快晴快便。朝からもう絶好調だ。
みちる殿のお陰だ。迷い晴れた心で迎える朝は最高だな。飯が美味くてしょうがない。
「ふふ、見ているこっちまで元気を頂けそうです」
そう微笑む縁殿だがやはり陰を感じる。
おかわりをよそってくれる灯に視線をやると「分かってますよぅ」と目で返された。
言葉にはせず目と目で通じ合うと言えば色っぽい関係のように思えなくもないな。
(親友の娘みたいなものだから手を出せば鬼畜の謗りは免れんがな)
いや私の力も入ってるからある意味、私にとっても……なのか?
そんなことを清明に言えば散々からかわれるのだろうな。
「「ごちそうさまでした」」
手を合わせ食事を終える。少ししたら出番が来るだろう。
自室に戻りぼんやりと時が流れるのを待った。
十時も半ばを過ぎたあたりだろうか。気配が屋敷から離れていくのを察知した。
十分ほど間を置いてから縁殿が稽古を行っている部屋へ向かう。
部屋に入ると縁殿が箏の前で正座し、ぼんやりしていた。
「箏の稽古ですか。精が出ますな。時に灯の奴は?」
「急用で少し屋敷を離れるとのことですが……英様は聞いておられないのですか?」
「何も。あ奴はそういうところありますゆえ」
無論、そんなことはない。気を利かせて二人にしてくれたのだ。
「よろしければ一つ、お聞かせ願えぬか」
「……拙い腕ですがそれでよろしければ」
ゆっくりと爪弾き始める縁殿。
雅な趣味とはほど遠い私ではあるが、それでも私自身笛を嗜んではいるからな。
音楽についてはそれなりに分かってはいる……と思う。
(悲しい旋律だな)
懊悩を感じる。
私は小さく息を吐き、手首に巻いていた紐を解き笛を取った。
少し驚いたようだが縁殿はそのまま受け入れてくれた。
『そなた、腕の方はイマイチだな。下手の横好きというほどではないが上手くもない』
『ならば何故、度々強請る』
むっとする私に清明は言った。
『技術は拙い。しかし気持ちだけはこの上なく伝わって来るからな』
清明が言うのならそうなのだろう。
だから今も私の素直な想いを込めて音を奏でている。
「あ、あれ」
縁殿の指が鈍り音が乱れる。私は構わず奏で続けた。
そして、
「なんで、こんな」
遂には完全に指が止まりその目からは涙が零れ始めた。
突然のことに戸惑い必死に涙を拭っているが涙は止まらない。
私が音に込めた願いは極々単純なもの。
――――ただただ幸せであらんことを。
その心が少しでも軽くなりますように。曇ったその顔にお日様のような笑顔が浮かびますように。
嘘偽らざる私の本音だ。それが伝わっていたというのなら、きっと苦しいのだろう。
自分にそんな価値があるのか。そう思うからこそ受け入れ難く苦痛に感じてしまう。
「縁殿」
私も演奏を中断し、その名を呼ぶ。
「す、すいません。御見苦しいところを」
立ち上がり井戸にでも向かおうとしたのだろう。
「縁殿」
再度、名を呼ぶ。縁殿はゆっくりと腰を下ろした。
「あなたのために命を散らした者が居た」
「……ッ」
怯えたように身を竦ませる。
しかし、その表情にほんの少しの安堵が混ざっていたのを私は見逃さなかった。
「金のため。断れば立場が悪くなるから。義理。護衛を受けた理由は色々でしょう」
純粋に縁殿を守護したいと思っていた者も居るかもしれないが言及はしない。
死人に口なし。下手な慰めにもなりはしないだろうから。
「彼らには大切なものがあったはずだ」
家族、友人、恋人、夢、希望、金銭。
死にたくない。生きていたい。そう願うだけの何かを持っていただろう。
「……だけど、死んでしまいました。私のせいで」
自分が生きたいと願ったことが他に生きたいと願う誰かの命を奪った。
顔を歪め血を吐くように懺悔する縁殿の姿は酷く痛々しい。
立場が悪くなるとしても本当に嫌なら逃げ出すこともできた。彼らが自分で選んだ道だ。
それらしい言葉は幾つも思いつくがどれも縁殿には響かないだろう。
「私にその胸を苛む痛みを取り払うことはできませぬ」
結局のところ、縁殿が自分で折り合いをつけるなり答えを見つけるしかないのだ。
私にできるのは嘘偽りのない気持ちを伝えることだけ。
「だから私が思うことを素直に伝えます」
「……」
「私があなたの護衛を引き受けたのは言ってしまえば義理と同情に御座います」
清明の頼みだしという義理。
うら若い少女が凶事に巻き込まれているのが可哀そうという同情。
「どちらも縁殿個人を見ていたわけではない」
「……当然でしょう。私は、態度も悪かったわけですし」
好かれる要素などありはしない。守られる価値など。
言葉にはしなかったが私には確かに聞こえていた。
「ですが今は違います」
そう、今は違う。
まで出会ってから一週間ほど。決して長い時間ではない。
だが短くはあってもその人間の人となりに触れることぐらいはできる時間だ。
「私はあなたが好きです」
「……はい――――え、は?」
言葉を交わし、寝食を共にし、可哀そうな少女ではない縁殿という一人の人間に触れた。
ああ、何と、何と好ましい少女だろうか。
「悪いと思ったらしっかり謝れるところ。感謝の気持ちと言葉を忘れないところ」
苦境にあっても気丈に振舞おうとする健気さ。
他人のことで心の底から胸を痛めることができる優しさ。
「ああそうだ。食事の所作。綺麗に食べるところも好ましい」
私とて退魔師である前に人間なのだ。当然、私情はある。
「今、私が縁殿の傍に居て刃を振るっているのはあなたを好きになったから」
好ましいと思う人間を守りたいと思うのは当然のこと。
好きな人のために命を賭すことに一切の躊躇なし。
燃える心に一点の曇りもなく、我が闘志は天井知らず。
「私はまだ縁殿の心からの笑顔を見たことがない」
それだけ、それだけが残念でならぬ。
だから戦おう。この子が何の憂いもなく笑えるように。
「ぁ」
その小さな体を壊れものを扱うようにそっと抱き締める。
「ここに改めて誓いましょう。あなたが心から笑える日が来るよう全霊を以ってお守り致します」
罪悪感を抱いたままで良い。
それでもどうか、私が戦う理由を覚えていて欲しい。
「そして何時か、心からの笑顔を見せてくだされ」
「……ッ……はい……はい……!!」
やがて堪え切れなくなり、子供のように――いや年相応の泣き方に変わる。
私は幼い頃、父母がそうしてくれたように彼女の頭を撫で続けた。
そうしてどれだけの時間が流れたか。
「あ、あの……その……」
「失礼。嫁入り前のお嬢さんをみだりに抱き締めるなど礼に欠けておりました」
真っ赤な耳が視界に入りそっと抱擁を解く。
「い、いえ……だ、だいじょうぶ……です……」
顔が真っ赤だ。奥ゆかしいご令嬢にとっては我に返ればさぞ恥ずかしかろう。
とは言え私の素直な想いを余すことなくぶつけるとこういう形になってしまったのだから仕方ない。
「な、何と罪な御方……察しが悪い人間なら絶対勘違いして……」
「縁殿?」
「な、何でもありません!」
ゴホンと咳払いをし居住まいを正すと縁殿は深々と頭を下げた。
「英様の御気持ち、確かに。……父や母も、同じ想いなのでしょうね」
「はい」
子の幸せを願うのが親というものだ。
縁殿の未来を守り、また笑って欲しいと願ったから喜兵衛殿は方々を頼ったのだから。
「……胸に刺さった懊悩の棘は未だ抜けそうにありませぬ」
「はい」
「それでも、私は私が愛されているのだということは忘れないように致します」
「今はそれでよろしいかと」
少しだけ、心が軽くなったように見える。
みちる殿、あなたに感謝を。あなたのお陰で一人の少女の心がほんの少し救われました。
「さて、そろそろ灯も帰って来るでしょうし私はこれで」
稽古の邪魔をしても悪いからな。
「あ、お待ちください!」
「うん?」
「……」
「縁殿?」
「えっと、あの……英様を、お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「そんなことですか。構いませぬよ」
「で、ではこれからは明様と」
「はい」
やるべきことはやり終えた。後はもう夜を待つだけ。
昼飯を食べて昼寝して起きて夕飯を食べて休憩して――夜がやって来た。
今日も今日とてバリエーション豊かな怪異がお宅訪問をかましたくれたわけだが。
「折角だし私もこの日課を活用しようと思うのだ」
怪異の向こう側でこちらを見ているであろう下手人に語り掛ける。
ここで問答無用で襲い掛からせないあたり案外、律儀な性格なのかもしれないな。
「どういうことかって? 鍛錬だよ鍛錬」
差し向けて来る怪異は先にも述べたが実にバリエーション豊かだ。
どうにかこうにかこちらに弱点を作ろうという創意工夫の下に作られたそれは鍛錬の相手として打ってつけだろう。
「というわけで、だ。今日は一つ。新技を披露しようと思う」
屋敷の正門前に降り立ち刀は抜かず合掌。
と同時に私の体から薄い陽気の被膜が放射状に拡がって行きある程度で止まる。
「境界線だ。越えぬことを勧める――が、まあそういうわけにもいかぬよな」
来い、と告げると今日は全員突撃の前のめり戦法のようで一斉にかかって来た。
だが私の敷いた領域に踏み込んだ瞬間、光の柱が天高く立ち上った。
「――――これすなわち人外鏖殺領域」
護衛任務などもあるにはあるが基本、退魔師は討伐が主な仕事だ。
タンクやヒーラーの役割を担っているなら話はまた変わって来るが私は組長。
つまるところ真っ先に敵陣へ斬り込む役割だからして修めている技も自然、攻撃に偏重していた。
それでも護衛任務には支障はないのだが折角だし守りの大技も考えてみようと思ったのだ。
それがこの人外鏖殺領域である。
私が普段無意識に発している陽気の影響が及ぶ範囲を基準に領域を形成。
そこに敵が足を踏み入れた瞬間、ぶっ殺しゾーンは発動する。
中心に立つ私から自動で吸い上げられた陽気が破魔の光に変換され迎撃に使われるのだ。
ただつっ立ってるだけでだけで守護牽制迎撃殲滅をこなせる便利な技と言えよう。
(難点は動けないことぐらいか)
清明ぐらいの術者であれば領域内は自由に移動できるかもしれないが私は無理だ。
この術式自体、灯に手伝ってもらって考え出したもので何とか真似はできたがそこまで。
発動させるのが精一杯でそれ以上となると難しい。
なので別名退魔電池とも名づけた。マジで私、棒立ち以外にやることないんだわ。
だがそれを差し引いても尚、全方位広範囲をカバーできるのは大きい。
自分で向かって行くとどうしたって見える範囲にしか攻撃が届かないからな。
「もうちょっと調整は必要だがまあまあ、初めてにしては上出来だろう」
ありがとう、と挑発も兼ねてまだ見ているであろう下手人に語り掛ける。
「明様!!」
さて戻るかと踵を返すと同時に正門が開かれ縁殿が飛び込んで来た。
「おっとと」
細心の注意を払って抱きとめる。
今回は返り血を浴びていないので綺麗なままだが……。
「今宵もとても……とてもカッコ良かったです! 守ってくださりありがとうございます!!」
抱かれたまま私を見上げ、縁殿は笑ってくれた。
声とは裏腹にやはりまだぎこちなくはあるが……。
(ああ、私に応えようとしてくれているのだな)
何と優しい子だろう。
「それは重畳。ふふ、私も男子ゆえ愛らしい女子に褒められると気分が良いものです」
「まあ御上手」
そのまま縁殿と並んで屋敷に入る……間際思った。
あれこれまだ見てたらかなりの挑発になるんじゃないか?
(清明の話では歪んだ執心、恋心を抱いているようだし)
わ、敵ながら少し憐れなり。