十三
私の生には始まりからして不吉が付き纏っていた。
誰が悪いのか。しっかり産んでくれなかった母か。いや胎ではなく種に問題があったのかも。
理由は今を以ってしても分からず、ただ理不尽な不幸だけがずっと傍らにあった。
――――母を殺して生まれた忌み子。
それがこの世に生を受けた私が生まれて初めて他者から受け取った評価だ。
兄が居た。姉も居た。母は問題なく子供を産める体と生みの苦しみに耐えられる心を持っていた。
そのはずなのに私を孕んでからは心の均衡を崩し憑き物にでも憑かれたかのような振る舞いをするようになった。
食事も自分では取ろうとせず父らが無理やり詰め込むような有様だったという。
極めつけは出産当日。ただでさえ細かった母の体は目に見える早さで痩せ衰えていった。
そうして枯れ木のような有様で絶命すると同時に私は産婆の手で腹から取り出された。
『こ、殺せ! こ奴は忌み子だ!!』
父が狂ったように叫んだという。当然だ。あまりにも不吉が過ぎる。
終わるはずだった私の命を繋いだのは村の住職だった。
『望まれこの世にただ生まれただけの子に何の罪があろうや』
そもこのようなことになったのは赤子が原因なのか。
商売をやっていてそれなりに稼いでいるのだから他人から恨みを買うこともあるだろう。
もし何某かの呪詛によるものだとすれば相手の思うつぼ。
自らの手で何の罪科もない我が子を殺した罪は一生付き纏う。
そう父を諭し、一先ず殺すことは止めたが受け入れ難いのも事実。
ならばと住職は私を引き取ってくれて、それからしばらくは何事もなかった。
『お主は沢山の不幸不吉を背負って生まれて来た』
物心がついた時、住職は子供にも分かる言葉で出生に纏わる全てを語った。
だがそれは決して悪意などではなく私の未来を願うがゆえのもの。
『惨い、惨い始まりじゃ。だが、であればこそよ。
お主はもう人が一生の内に味わうであろうそれを生まれながらに済ませてしもうた』
後はもう幸福だけが待っている。
真面目に慎ましく、慈悲の心を忘れず生きればその生涯は幸福に満ち満ちているだろう。
そう言った住職の顔は、もうぼんやりとしか思い出せないけれど笑っていたのだと思う。
私は住職の手伝いをしながら日々、勤勉に過ごした。
特に何も起こらなかったからだろう。兄姉との交流もできるようになった。
父だけは負い目か恨みか、直接会うことはなかったけれど折に触れて贈り物などをしてくれるようになった。
――――私は目を逸らすべきではなかったのだ。
優しい人たちに囲まれ慎ましく日々、幸福に過ごせていた。
この人たちに報いよう。少しでも何かを返したいと。そう願った気持ちは嘘じゃない。
でも幼い私は違和感から目を背けるべきではなかった。
嬉しいと思いながらも私は周囲の人間が何か違うもののように思えていた。
美しい白鳥の群れに醜い家鴨が混ざっているような存在そのものの噛み合わなさ。
『おしょう、さま?』
十一を数えた時。川から洗濯物を抱えて戻ると住職が本堂で自害していた。
遺書、のようなものには一言すまぬと。
呆然と立ち尽くしていると遠くで喧噪が聞こえ我に返った。
住職のこともありふらふらと村の方へ向かうと私の生家が燃えていた。父も兄も姉も皆、死んでいた。
村の中央で取り押さえられている下手人を見て私は絶句した。
気味の悪い笑みを浮かべるその者は後生大事に不出来な仏像を抱えていた。
――――私が兄姉に贈ったものだった。
少しでも感謝の気持ちを伝えたくて拙いながらも一生懸命彫ったそれを兄姉は嬉しそうに受け取ってくれた。
確信があった。此度の不吉は全て私が招いたものであると。
気付けばあてもなく駆け出していた。
村人に露見しやはり忌み子であると謗られ殺されるのが怖かった……わけではない。
己という存在の罪深さに絶望し、それから逃げたかったのだ。
山中に入り込んだ私はそれでも足を止めず無我夢中で走り続け滝つぼに落ちてしまった。
薄れゆく意識の中、冷静さを取り戻した私は安堵した。ああ、これで終わる。もう悪いことはないと。
『起きたか』
終わらなかった。薄暗い洞窟の中で私は目覚めた。傍らには厳めしい山伏が居た。
流れて来た私を発見し救助したのだという。余計なことをと罵った。
私という存在がどれほど罪深いのかを喚き散らしていた。
山伏は一通り話を聞いてから言った。
『周囲を食い荒らした不幸不吉はそなたのもつ力が原因よ』
そこで私は霊力というものの存在と私自身の特異な体質を知った。
退魔師や陰陽師の存在はぼんやりとだが知っていたけれど遠い世界の存在だった。
僧である住職も普通の人間で霊力などは感じ取ることができなかったから発覚が遅れてしまったのだ。
『自ら命を絶つのも一つの選択よ。だがそなたはそれで良いのか?』
生まれた時に殺すべきだった。しかし、愛によって生かされたのだ。
今ここで私が死ぬのは全てが壊れたあの日まで愛をくれた人たちの行いを根本から否定するもの。
『力の使い方を知れ。己が意思で御するのだ。そして救え。不幸にした人間よりも多くの人間を』
不器用で厳しいけれど確かな慈悲と共に山伏は手を差し伸べてくれた。
私は私を許せないけれど愛してくれた人たちの行いを無にすることは許容できない。
そう憤る程度には希望とやらが胸にあったのだ。
それから五年、師となった山伏の下で修行し私は力の使い方を遂に会得した。
師より賜った新たな名と共に私は旅に出た。目についた苦境に在る誰かを身に着けた力で片っ端から救った。
『もう、良いわよね?』
三十を数えた頃。私は自らの旅路を終わらせることに決めた。
これだけ助けたのだ。ならばもう、良いだろう。自分の命にけじめをつける時だ。
これまで救った人たちの今を見届け、誰も知らぬ場所でこの命を終わらせよう。
――――つくづく、救えない愚か者。
何故さっさと死ななかったのか。
何故自らの足跡を辿るなんてことを思いついてしまったのか。
救われたかったのか? 自分には生きた価値があるのだと慰めてほしかったのか?
『え』
最初に訪れた場所でその後を聞いて言葉を失った。
私が救った少年は私が去って間もなく“不幸”に見舞われ亡くなっていた。
一度だけなら偶然。でもそれが二度も三度も続けば?
結論から言えば私が手を差し伸べた人たちは皆、悉く一年以内に非業の死を遂げていた。
追い打ちをかけるように、
『……師匠が、死んだ?』
別れた後も再会することはなかったが、どこぞの御山で求道を続けているのだろうと思っていた。
しかし師匠の数少ない俗世との関わりである友人と会った際に教えられた。
一般人よりは永らえたが別れてから数年後、発狂して死んだという。
師匠もまた私という不幸不吉からは逃れることができなかったのだ。
心の折れる音が聞こえた。
住職と師匠。差し伸べられた二度の慈悲とそれによる繋がった未来で得られた愛。
その悉くが完全に無価値なものに成り下がった。生かす価値など、なかったのだ。
良き人たちは私に慈悲を与えたせいでその生に価値がなくなってしまった。
間違ったまま命を終えてしまった。そう自覚した瞬間、私は本当の意味で孤独になった。
寒い。寒い。酷く寒い。凍える心でどれほど彷徨ったか分からない。
飲まず食わずでも生きられるこの体が憎くて憎くてしょうがなかった。
憎悪により忘我から多少、立ち直った私の足は自然と故郷に向いていた。
『あぁ』
大雪に飾られていても尚、窺える昔日の面影。
ここから私の罪が始まったのだ。ならばここで終わらせよう。
幼少期を過ごしたあの寺は打ち棄てられ手入れもされていなかったが私には好都合だ。
本堂の中に入った瞬間、色鮮やかな思い出が一気に蘇った。
『なん、で……何で……おそすぎる……ッ!!』
死への恐れはない。むしろそれは救いだ。
だからこそ思うのだ。あまりにも遅過ぎたと。
住職の救いの手は払いのけられなかった。
でも周囲との齟齬を感じていた時に。“居てはいけない”と思ったあの時に。
そこを逃しても師匠に道を示された後。断ることだってできた。終わらせることができた。
そうすれば幾つの悲劇が消えていたのだろう。
『うぅ……っぐぅ……』
自分を抱き締めるように崩れ落ちた。涙が止まらない。
泣いて泣いて涙が枯れた頃に“それでも”はやって来た。
『ぁ』
小さな体が私を抱き締めた。
何で、と思わず問えばさむそうだから、と彼は答えた。
厳しい冬の冷気が肌を刺すから、ではない。いや小さな彼にはそれもあったのかもしれない。
だがそれよりも何よりも、あの子は孤独の冷たさに震える私の心を抱いたのだ。
『~~~~~!!!』
噛み殺すようなそれではない。子供のように、泣いた。わんわんと声を上げて。
優しく頭を撫でる手が止まる頃、私の涙も止まっていた。
ふと見れば彼は寝ていた。すやすやと穏やかな寝息を立てて。
微笑ましく思うと同時に……私は恐怖した。
『……ッッ』
制御も何もない垂れ流しのまま。
こんな小さな子供の運命を狂わせるには十分で、だけど直ぐに気付いた。
『なに、これ』
強い強い霊力。だがあの形。在り方。
私とは真逆のそれにこれでもかと目を見開いた。
頭が真っ白になった。
『あり、えるの? いえでも、私のようなものがいるのなら』
いやそれはない、と直ぐに否定する。
私は特異な体質ではあるが同じものを作れなくもないし人でないなら同じ存在はいる。
ああでもないこうでもないと考えていたが人の気配を感じ、私は直ぐに身を隠した。
やって来たのはこの子の父親だった。
『……』
それから私は、その子供を見守ることにした。
親の里帰りで村に来たという彼は朝起きて食事を済ませると廃寺へ行き誰かを探す。
遊び疲れて帰る前に廃寺にまた赴き誰かを探して帰る。
村に滞在している間はずっとそうしていた。
正直な話、罪悪感を覚えていたが万が一を考えれば接触するわけにもいかない。
『何も、なかったわね』
三が日が明けて村を出る日まで結局何もなかった。
そして確信があった。これから先も私の影響で何かあるということもないと。
安堵した。そして気付く。酷く体が熱いことに。
『風邪、かしら?』
生まれてこの方、ついぞ病を得たことはない。
だが対極のそれに触れたことで何か影響があったのかもしれない。
廃寺に人払いの術を敷きしばしの間、休養することにした。
しかし一日経っても二日経っても三日経っても熱は引かず。
『……やだ』
体を休める? それはつまりこれから先も生きようとしているということに外ならない。
その事実に気付き愕然として、どうしてそんなことをと自問しようやく答えを得る。
『私、恋をしているのね』
生まれて初めての恋。見つけた。私の比翼。背中合わせの光。
高鳴る胸を満たすふわふわとした気持ち。夢でも見ているかのよう。
落ち着かない。気付けば私は何時かと同じように駆け出していた。
でもそれは絶望からではなくこの上なく希望に満ちたもので……。
『――――嗚呼、生きていて本当に良かった』
探しに行こうと思えば直ぐに所在は突き止められただろう。
覚えている気を頼りに探知の術をかければ見つけられた。
でも私はそうはしなかった。
『また出会うのなら、偶然に』
初めて出会った日と同じように。
偶然の再会を果たしてからまた始めよう。私と貴方のこれからを。
また、旅を始めた。あちこちを巡った。
そうして数年前、何度目かに訪れた都である退魔師の存在を知る。彼だ。
きっとあの頃よりも精悍な殿方になっているのだろう。確信があった。でも会いには行かなかった。
再会は偶然に。そう決めていたから。私は都に腰を下ろすことにした。
何時かの再会を待ちわびながら日々を送り、そして……。
『某は英明と申します。御坊のお名前を窺っても?』
最初は小さな落胆。幼い子供だからしょうがない。
でも共に骸を弔う内にあの日と変わらぬことが分かって歓喜が胸を満たした。
それだけでも、十分だった。少々味気なくてもまた出会えたのだ。
これから、これからがある。特に今は間接的に関わってもいるのだし。
「ふふ」
思わず笑みが零れる。足取りが軽い。
私がそうであると気付かなかった理由。それは私の予想を越えるものだった。
そして、そして、
『嗚呼、良かった。本当に良かった』
あの頃と変わらぬ美しい心そのままに、あの頃よりもずっと素敵な殿方になっていた。
ゆらゆらとふわふわと。恋情の火が踊る。酩酊にも似た気分のまま私は空を仰いだ。
夜は私の時間だ。けどだからこそ大嫌いだった。
なのに嗚呼、今はこんなにも。
「――――何て素敵な夜なのかしら」